エシェル・シエークルの一日(2)
「前を通ったらいい香りがしたので」
「あぁ、コロッケとメンチが揚がったところで……ところで、外にいるわんちゃんは、お兄さんの連れ?」
振り返る。
不知火は店には入らず、店の前でこちらを向いて、きちんとお座りをして待っている。
「僕の……というか、友人の犬なんですが。大きいから店に入ると驚くと思って、あそこで待ってるんでしょう」
「なんてお利口なのかしら」
2,3度あっただけの人間を「友人」とさらりと表現するあたり、エシェルの感覚はやはり日本人のそれとは違うらしい。
そういうところが、ナチュラルにこういうおばさまにはウケるんだろうが。
「それで、彼に御馳走がしたくて入ったんです。おすすめはありますか」
「量り売りの方? それとも……もちろん、人間が食べるならこっちの揚げたてをおすすめするけど」
「じゃあどっちもください」
太っ腹な判断は、ますます女将(?)の中の、エシェルのイケメン度をあげている模様。
「彼……あの子を入れても大丈夫ですか」
「もちろんどうぞ」
食品店は衛生上、ペットの入店は困るだろうが、こういった店内と店先があいまいな個人商店ではカウンター越しに話をしている感覚なのか、抵抗はあまりないようだった。
聞いてから呼ぶと、不知火はこじんまりした店に入ってきた。
肉の並ぶショーケースの前でエシェルの顔を見上げる。
「何がいい? 選んでいいよ」
戯れであるが……誠実にして、謙虚であるのか、ちょっと困ったような気配がする。
「とりあえず、メンチとコロッケ、どっちがいい?」
食べ歩き仕様の包みでひとつずつもらって、差し出す。
意外なことに、彼はコロッケを選んだ。
「あら、お目が高い」
それをショーケースの向こうから両肘をついて覗き込むようにしていた店主は感心したように言った。
「そのコロッケにはすごく上等の牛を使っているんだよ。メンチは大きい分値段が高いけど、そういう意味ではコロッケの方が高級品ねぇ」
じゃあとコロッケを自分用に追加してもらうことにする。
生肉は適当に、上物そうなものを選んだ。
「メンチもおまけしておくね。これで二個ずつよ」
と、お人好しなおばさまは袋に入れてくれた。
人とこんなふうに「普通」に交流するのはどれくらいぶりだろう。
日差しののどかさも手伝って、なんとなく穏やかな時間だ。
小さな公園を通りかかり、その前のベーカリーで適当に飲み物とパンを買うと、そのベンチで昼食にした。
そしてふと……
スマートフォンに手をかける。
『はい』
おそらくは、見知らぬ番号。
それでも出た相手は、名乗りはしないでこちらの次を待っている。
「司かい? 僕だよ、エシェルだ」
『! 一体どうしたんだ』
絶対かけてこないだろう人からのふいの平日真昼間の電話に、驚いたようだ。
司も多分、用がないとかけないタイプだから、繋がるときは何か問題が起こった時のように思われる。
まぁ、今日も今日で、相手にとっては問題かもしれない。
そんなことを思いながらエシェル。
「どうしたというほどでもないけれど……君のうちの犬が遊びに来てるよ」
『不知火が!?』
リアクションとしては、今まであった中で、一番大きい気がする。
そういえば今は昼休みの時間だな。
休憩中ならプライベートな話題もありか。
今更。
「人目を気にせず遊べるから、気に入ったのかもね。僕は気にしないけれど……」
『いや、距離もそれなりにあるし……昼間からか……』
「うぉん!」
聞こえていたのか、通話の向こうに聞こえるように不知火が声を上げた。
「……何か反論したいことがあるようだけれど……話すかい?」
『いや、すごくシュールだ。森が連れていけない時は大体留守番だから、そういうことなんだろ』
「うるる……」
「君の理解に、満足したようだ」
そういうことではなく。
端末の向こうで、司が話を元に戻した。
『すまない。前回の一件が解決したから、もう行かないと思っていたんだが……』
「あぁ、だからそれは別に構わないよ。僕は助けてもらってた方だしね。で、今お礼に一緒に散歩に出てる」
『……どういう状況なんだ……?』
まぁ、わからないだろう。
エシェルだとて、まさか所縁もなかった霊獣(?)と、こんなのどかに散歩することになるとは思っていなかった。
「僕が一緒なら街を歩いても問題ないだろ? 意外と興味があるみたいで機嫌は良さそうだよ。ちなみに白金商店街」
『商店街……』
いろんな意味で、意外そうな復唱が返ってきた。
「僕があまり賑やかなところに行きたくないんでね。庶民の街をぶらぶらしてるだけだけど……とりあえず、精肉屋で絶品の総菜をみつけて彼はそこのコロッケが気に入ったらしい」
『……』
返事に窮している様子。
「精肉を選んでもらおうと思ったんだけど、彼は遠慮深いね。それとも、元々こういう方が?」
『家族が食べてるものは自然、口になじむんだろうが……』
つまり、白上家はメンチよりコロッケ派なのか。
余計なことを推論してみる。
「でも使われてる肉は、上物だって店の女性が感心してたよ。まぁ、そんなわけなんだけど……一応報告」
『わかった、すまない。不知火、聞こえてるか』
「うぉん」
耳もいいらしい。
ひとしきり食事を終えて、口の周りを自分で拭ってきれいにしていたところだ。
『ちゃんと自分で帰ってきてくれよ』
「うぉん!」
向けられた端末の画面に向かって、返事。
本当に、いい犬だ。
そして司は結局端末越しに、我が家の犬と会話をするというシュールな昼休みを過ごすことになる。
「それまでは、預かっていても?」
『適当に、大使館の庭に戻しておいてくれるか』
「了解」
そして、会話を終える。
経緯をすでに理解しているのか不知火は、お座りをしてベンチの上のエシェルを見上げている。
エシェルは黙ってそれを撫で、自分は食べかけの食事を続ける。
その足元にはおとなしく不知火が寝そべり、うららかな日差しの中で、しばらくふたりは静かな初秋の風を浴びた。
* * *
それからしばらく。
「……やぁ、今日は早いね」
エシェルが庭先に出ると、すでにそこには不知火の姿がある。
行儀よく、足をそろえてお座りをしたまま、声をかけると返事のように、はたりと尾を振った。
「うるる……」
これが彼の挨拶だ。
はじめてこの庭に「散歩」に来てから、彼にとっては、だろう。支障のない日はよくみかけるようになった。
たぶん、エシェルが許可を出したからだろう。
姿が見えるとこうして挨拶に来る。
「やれやれ、礼儀正しい子だね」
挨拶をするだけで、取って返して庭園の奥へと消える。
それだけだ。
それだけだけれど、なぜだかずいぶん大きな変化があったような心地になる。
悪い気はしなかった。
……午後3時。
ほぼほぼ、勤務終了。
というか、もうどこからどこまでが、仕事時間なのかあいまいだ。
ニュースのチェックには余念がないが、そうして本や情報を見ている時間が長い。
2年の間、そうして過ごすことがどんどん長くなってきたわけだが……
午後10時。
とっくに執務室を出て、食事をして風呂に入り、日常を終えようとしている時間。
『エシェルー 今から遊びに行っていい?』
「キミカズ、今何時だと思ってる。僕はもう寝る」
『俺も飲んでたら遅くなったんだ。泊めてくれ』
「君は少し、不知火を見習いたまえ」
急激に、人間関係が変わり、同時にあらゆることが変わりだしたように思う。
毎日が単調だった。
それは二年と言わず、この世界に降りてから相当の間だったかもしれない。
エシェル・シエークルの一日は今日も、昨日とあまり変わらない。
が、どこかで変化の兆しは、感じ取っていた。
短編放出後に、本流シリアスパート突入、という話でしたがこうして挟みとしてできうる限り全員の「なんでもない日常」が入るのはいいかもしれないなと、今頃思ってみました。
でもふつうにまだ書き溜めておいた日常っぽくないイベント話もあったりなかったり。




