YOU SHOWED ME
俺は肩に黒兵衛を乗せて、ブラブラとダンジョンを散歩中。
「いやぁ~……参ったねぇ」
「呑気な事を」
黒兵衛が嘆息する。
そしてチョンチョンと俺の頬を突っ突きながら、
「で、どないするんや自分」
「ふへ?や、どないもこないも、決めるのはエリウちゃんだからねぇ」
そのエリウちゃんは、ただいま絶賛、落ち込み中だ。
あれから部屋を覗いたのだが、背後から忍び寄るスライムに誰も気付かなかった。
まぁ、スキルも無しに捕食行動を取っているスライムの接近を察知するのは難しいし、何より戦闘の真っ最中だ。
殆ど不可能と言っても良いだろう。
最初にそれに気付いたのは後衛のリーネアだったが、それは既に足に絡み付かれてからだ。
そして彼女の叫び声に慌てたエリウちゃんが、半ばパニック状態で魔法を放ったのだが、それがスライムと同時にリーネアも巻き込んだ。
フレンドリィファイアだ。
魔法初心者が犯しがちな、単純ミスである。
更にパニックが増したエリウちゃんに、今度はそれまで戦っていたスライムが急襲した。
小さな分体が彼女の背中に飛び付き、服などを溶かし始めたのだ。
で、彼女は結局一時撤退を選択し……倒れているリーネアを引き摺って部屋の外へと飛び出した。
そう言う流れだ。
スライムに負けちゃったのだ、魔王が。
あ、残ったスライムは、仕方が無いから俺が処理してやった。
ちなみに酒井さんは今、皆の治療中である。
「ま、あれは事故だ。事故は誰でも起こす。熟練者でもだ。だから魔法発動前には一呼吸置き、左右の確認を忘れずにだ」
「教習所か。せやけどなぁ……スライムに負ける魔王って言うのも、ちょっとアレやで。教室でウ○コ漏らしたと同じレベルで語られる一生の恥ってヤツやで」
「言ったるな。本人が一番ショックなんだろうし」
もうねぇ、涙ぐんでいる彼女を見ているのが非常に居た堪れないのですよ。
……
ま、だからこうして散歩しているんだがな。
「せやけど、もう帰るぅ、って言い出したらどないするんや?」
「言っただろ?決めるのは彼女だ。俺達はそれに従う」
「何ぞ励まさんでもエエんか?」
「……俺が何か言えば、彼女は俺に従ってしまう。それじゃアカンでしょ?これもまぁ、試練の一つだ。彼女が自分で考え、決める事だ」
「せやけどスライムに負けた魔王やで?」
「だから言うな」
俺は苦笑しながら、黒兵衛の頭をグリグリと撫でた。
とその時、不意に脳内にキーンとした音が鳴り響いたかと思うと、
『あ、あの……シング様』
ん?テレパス通信?しかもこの声は……
「なんだ、ティラか?」
俺は肩から黒兵衛を降ろし、自分のこめかみを軽く指で押さえながら、いつもの演技な声で答える。
『は。そうです。ティラで御座います』
「どうした?緊急事態か?」
その為に酒井さん謹製の符札を何枚か渡しておいたのだが……何か変事でも起きたか?
『あ、いえ……その……あ、ディクリス殿が戻って参りました。シング様に直接お話をと』
「ほ、ディクリスが戻ったか。ふむ……我は今、ダンジョンでエリウを鍛えている最中だ。ま、数日中には戻る。……早ければ今日だが……ディクリスも長旅で疲れているだろうし、魔王城で休ませておけ」
『は、畏まりました』
「ふ……で、それだけかティラ?」
『あ、いえ……そのぅ……エリウ様は大丈夫でしょうか?ちゃんとやれてるでしょうか?』
はは、やっぱりそれが聞きたかったんだな。
「案ずるな。エリウは未熟だが、それなりに頑張っておる。もちろん怪我もしていないし、元気だ」
たった今、負けたばかりだけどね。
『そ、そうですか。ちゃんと寝る前に歯も磨いているでしょうか?』
「何を言ってるんだ、お前は?」
思わず苦笑だ。
「ともかく、あまり気にするな。お前はお前の役目を果たせ」
そう言って通信を切ると、黒兵衛が俺の肩へと戻りながら、
「なんや、ティラの姉ちゃんからかいな。なんぞあったんか?」
「ディクリスが戻った」
「あの忍者チックなおっちゃんか。ちゅーことは、摩耶姉ちゃん達に会えたって事やな。やっとかいな……長かったのぅ。んで、他には?」
「うんにゃ、そんだけ。後はエリウちゃんの心配だ」
「何やそら?」
「要は、エリウちゃんの事が聞きたかったんだよ」
俺は乾いた笑いを溢す。
黒兵衛は呆れたように
「過保護やのぅ。エリウの姉ちゃんも、子供やないんやで。しかも一応は魔王やで」
「まぁ、ティラもそうだが、親衛隊の女の子達の殆どは、エリウちゃんが生まれた頃から知っているし、色々と面倒も見てきているからな。現在の標準年齢はそう変わらないけど、エルフ年齢だとエリウちゃんはかなり歳の離れた妹って感じだろうし」
「そうやって周りが世話ばかり焼いているから、あの姉ちゃんはいつまでも半人前なんやで」
「まぁ……な。けどさ、ちょっとだけ羨ましいよな」
何しろ僕ちゃんの場合、家臣全員の裏切りにあったようなモンだし……
そもそも親父が死んで以降、世話を焼いてくれた家臣なんて一人もいなかったしな。
もし一人でも、俺の事を案じてくれる家臣がいたら……俺は元の世界へ戻りたいと願っていたかも。
「……ワテや酒井の姉ちゃんがおるやないけ」
黒兵衛が前足で俺の頬を撫でるように突っ突く。
「ふ、ありがとよ」
俺もお返しに黒兵衛の顎を指先で掻いてやった。
「せやけど、なーんも敵が居らんダンジョンやな」
「徘徊するモンスターを配置してないんだろ。造営ダンジョンには良くある事だ。管理や維持が大変だからな」
「トラップの類も無いで」
「トラップか」
俺の予想が正しければ、このダンジョンそのものがトラップだと思うんじゃが……
「鍵が残り二つとして、四つ集めると……どうなると思う、黒兵衛?」
「あ?さぁ……どないやろ。何ぞお宝でもある部屋に行けるとちゃうんか?」
「ふむ、俺もそう思う。財宝やら伝説級の武器や防具が眠る部屋に入れると思う。……ふ、それで今回の冒険は終了だな」
「ん、なんや?何ぞ奥歯に物が挟まったような言い方やな」
「そうか?まぁ……良いじゃないか。初心者には、明確な御褒美が有った方が分かり易いだろ?」
「……つまり、何ぞあるけどあの魔王の姉ちゃんは知らない方がエエと……そう言うことか?」
「そーゆーこった。とは言え、全て俺の予想だけどな。ま、時が来たらお前や酒井さんには教えるよ」
★
部屋へと戻ると、ヤマダの旦那は疲労から回復し、元気溌剌だった。
リーネアの傷も癒えている。
そしてエリウちゃんは……肩を落とし、超しょんぼりと言った感じだった。
蟻の巣でも見てるの?と言った具合に項垂れている。
あ、ありゃまぁ……
帰って来た俺を見て、リーネアとその肩に乗っている酒井さんが、微苦笑を浮かべた。
やれやれ、だねぇ。
「あ~……傷は治ったかな、エリウよ」
「……は、はい」
エリウちゃんは元気のなさそうな声で答えた。
ぬぅ…
「それで、どうするかね?このまま探索を続けるか?それとも地上へ戻るかね?」
ま、気力が萎えてしまった以上、仕切り直しの意味を含めて一時撤退も有りだ。
魔王なのに、とも思うが、ダンジョン初心者なら致し方なし。
逆にテンションが落ちたまま探索を続けるのは危ないだろう。
だが、エリウちゃんはフルフルと首を横に振ると、呼吸を整え、拳を胸元でグッと固めながら、
「ま、まだやれます。まだまだ行けますッ」
俺を真剣な眼差しで見つめてくる。
う、うぉう…
その気迫にちょっぴり気圧される。
未熟だけど、魔王としての矜持が撤退を許さないのだろうか。
その心意気は良いのだが……大丈夫かいな。
「そ、そうか」
「はい。た、探索はこれからですッ!!このままでは終われませんッ!!」
「……そうだな。食料もアイテムもあるし、重傷者はいない。まだ続けられるな」
俺はポンポンと二度、彼女の肩を叩いた。
「は、はい。今度は負けませんッ!!」
「そうか。いや、と言うかな、お前は負けてないぞエリウよ」
「え…」
「戦ならともかく、ダンジョン探索に於いては、生きてりゃ勝ちだ。分かるか?何しろ敵モンスターは、攻略させまいと此方を殺しに掛って来てるんだ。例え無様に戦闘から逃げようが敵をスルーしようが、最後まで生きてりゃ勝ちなのだ。かく言う我も、かつて敵との戦闘から逃げて逃げて逃げまくって……結局、一度も戦わないまま、ダンジョンを攻略した事すらあったからな」
まぁ、あれはそう言う課題の教習だったワケなんだけどね。
「そもそも、遭遇した敵は全て倒さないといけないと考える事自体、愚の骨頂だ。己の体力、武具の損耗具合にアイテムのリソース、あらゆる状況を鑑みて、戦わないと決めたら一目散に逃げる。その判断が出来れば、一流の冒険者だ。いや……お前は魔王だったな。だが、魔王とて逃げる時は逃げるぞ。我でも、相手が強いと分かったら速攻で逃げ出すからな。わははは」
俺はそう言って、もう一度彼女の肩を叩いた。
「では、探索を再開しようか。残りの鍵を見つけよう。と、その前に……お昼はどうするかね?」
体内時間ではボチボチとランチタイムですぞ。
エリウちゃんはチラリとリーネアとヤマダに視線を動かし、
「も、もう一部屋調べてからに……」
「……うむ。ならば早速に行動しようか」
「はいッ!!」
エリウちゃんはパンパンと自分の頬を叩き、気合を入れる。
俺はそんな彼女を見つめながら、心の中でちょっぴり苦い笑みを浮かべた。
ま、空元気も元気の内か。
いつまでもグジグジと気に病んでいるよりは良いけど、正直不安だなぁ。
気合が空回りしなきゃエエけど。
と、リーネアの肩に乗っている酒井さんが、俺の肩へと飛び移ってきた。
そして俺の耳を支えにしながら、少し渋い顔で、
「ちょっと痛々しいわね。無理矢理に自分を奮い立たせようとしてるんですもの」
そう呟く。
「気持ちは分かるんだけどね。でもここはリフレッシュの意味も兼ねて、大休止を取った方が良いと思うわ。御飯でも食べてゆっくりすれば、気分も晴れるのに……」
「ん……俺もそう思いますけど、性格もあるんでしょうね。それに下手に休むと、更に落ち込む場合もありますよ?余計に考え込んじゃって」
「それもそうね。けど……大丈夫かしら?」
「何がです?」
「次の部屋よ。こう言う時に限って、物凄く強い敵が出て来たりしたら……」
「変なフラグは立てないで下さいよぅ」
ちょっぴりドキドキしながら、俺は少し離れた場所からエリウちゃんを見つめた。
彼女はリーネアにヤマダ、そして万が一を考えて相談役として行かせた黒兵衛を相手に、部屋の前で何か話をしている。
作戦会議だろうか。
「そう言えばシング。黒ちゃんに聞いたんだけど、ティラから連絡が入ったんですって?」
「まぁ、エリウちゃんの事が心配でね。あ、それとディクリスが戻って来ましたよ」
「あら、そうなの?と言うことは、首尾良く芹沢と接触出来たのね。……長かったわねぇ」
「ですね。気が付けば十ヶ月、いや十一ヶ月……もうすぐ一年じゃないですか。いや、本当にまぁ……月日の流れるのは早いっすね」
「毎日、色々と忙しかったからね。一日があっと言う間よ」
確かに。
何しろ日々、目新しい事の連続だし、そもそも戦争とかしているんだもんね。
「ディクリスが魔王城へ戻ったと言うことは……半月もすれば、管狐との通信が復活するかも知れないですね」
「そうね。芹沢にも一応、私の符札を渡してあるんでしょ?」
「ディクリスを通じて博士に渡してある筈です。いや、しかし一年振りか……博士達は何処で何をしてたんでしょうね」
「さぁ?多分、何もしてないんじゃない?」
酒井さんが小さく鼻を鳴らした。
「芹沢一人ならともかく、摩耶とラピスが一緒ですもの。あの二人の面倒を見なければならないし……余り自由には動けないわよ。逆にこっちは、アンタのお陰で難無く異世界に順応出来たんだけどね」
「……なるほど。確かに酒井さんの言う通り、摩耶さん……順応力は少し低そうですものね。ラピスの場合は、全く違う意味で目が離せませんし……博士も大変だなぁ」
「あ、エリウが動くわよ」
酒井さんがそう言って、俺の頬を軽く摘んだ。
「ん…」
見ると彼女は慎重に部屋の扉とその周囲を窺い、そしてゆっくりと扉を開けた。
そして直ぐに、ゆっくりと、音を立てないように扉を閉めた。
チラリと俺を見やる彼女の顔は、今にも泣きそうな顔をしていた。
リーネアとヤマダも渋い顔しており、黒兵衛が、これまたしかめっ面をしながらトコトコと俺の元へと歩いて来る。
な、なんじゃろう?
ちょっと嫌な予感がするぞ。
「お、おい、どうした?部屋に何が潜んでいた?」
「ドラゴンや」
「は?ドラゴン?」
俺は酒井さんと顔を見合わせた。