勇者の旅
東の大陸の湾岸都市国家、ポートセイレン。
その中でも最も大きな街であるウィンザースの通りを、勇者オーティスは少し疲れた顔で歩いていた。
その肩には可愛いペットであるフィリーナを乗せている。
港町は情報の宝庫だ。
各国へ渡る船員達から、様々な話が伝わる。
もちろん、信憑性の高い情報から、眉唾な与太話まで玉石混合ではあるが。
オーティスは朝から独りで街を歩き回り情報を集めていたが、あまり有益な話を聞く事は出来なかった。
しかし、リッテンと言う男と、今晩会う約束を取り付ける事が出来た。
リッテンはこの街、いやこの国一番の情報屋だ。
確かに値は張るが、その情報は精度も高く、信憑性もかなり高い。
各国の王族や軍の上層部とも取引があると言う、謎の男だ。
噂では、帝国の情報組織に所属していた元間諜と言う話である。
ちなみに、オーティスは一度だけ彼に会った事がある。
その時は主にギルメスが話をしていたので、あまり憶えてはいないが。
そんな彼に渡りを付けたオーティスは、神の御使いや魔王シングの事についての情報を集めるように依頼した。
リッテンは手下を総動員して情報を精査すると言う。
これで少しは、何か進展があるかも知れない。
(それにしても、ちょっと疲れたな。お腹も減ったよ……)
肩に乗る小さな動物の頭を撫でながら通りを歩いて行くと、やがて『水精霊の囁き亭』と言う看板が見えて来た。
水精霊に魅了された、とある吟遊詩人が始めたとされる宿屋兼酒場だ。
外見は老舗と言えば聞こえは良いが、あまり上等な宿とは言えないみすぼらしさが漂っている。
それでいて、中は意外にしっかりとした造りだ。
床も常に磨かれ、ピカピカとしている。
もちろん、最高級の宿屋と比べれば、確かに全てに劣る。
しかしここが、オーティス達の定宿だ。
世界に冠たる勇者様御一行が泊まるような宿ではないかも知れないが、田舎育ちのオーティスにとっては、息が詰るような気分になる高級宿や各国の貴賓が集まる迎賓館等よりは、遥かにこっちの方が良い。
リラックスして疲れも癒せるってなもんだ。
そもそも彼の父、先代勇者グロウティスもここを定宿にしていた。
だから店のオーナーとは知己でもあるので、何かと都合が良いのだ。
(今日の晩御飯は何だろう…)
そんな事をボンヤリと思いながら宿の扉をくぐる。
既に一階の酒場には仕事終えた水夫などが屯し、賑やかな笑い声と供に夕食と酒にありついていた。
その脇を通りながら、一番奥まった場所にあるテーブルへと向かう。
そこがオーティス達専用の場所だ。
その場所に、既に着いている者がいた。
小柄なシルクと、大柄なクバルトだ。
身長がオーティスの半分ほどしかないホビット系種族のシルクは、エールの入った木の杯を軽く掲げ、
「先に飲ってるよ」
そう笑いながら声を掛けて来た。
オーティスは苦笑を浮かべ、ただいま、と言いつつ席に着く。
フゥと自然と息が漏れる。
何だかやっと落ち着いた気分だ。
「何か飲むかい?」
と、シルク。
オーティスは、先ずは水でと言いながら、テーブルの上のピッチャーを引き寄せる。
そして目の前のグラスに注ぎながら、
「どうだった、そっちは?」
そう尋ねると、いきなりシルクの表情が曇った。
隣に座るクバルトも、口をへの字に曲げる。
「ど、どうしたの?」
先程までの陽気さとは裏腹の態度に、オーティスは些か慌てた。
何か良くない話でもあるのだろうか。
「ん、いや……それがさぁ」
シルクが隣に座るクバルトを一度だけ見上げ、そしてエールを一気に呷ると、まだ噂程度の話だけど、と前置きして、
「輸送船の水夫達から聞いた話だけど、スートホムス大山脈で魔王軍の侵攻を阻んでいる小部族達が、幾つか全滅させられたんだって」
「スートホムスの……」
砂漠の北にあるスートホムス大山脈は、非常に険しい山岳地帯だ。
オーティス達も、ギルメスの案内の元、その山々を通って魔王エリウの元へと向かったものだ。
つい数ヶ月前の事だが、何故か遥か遠い昔に感じられる。
その山岳地帯には、様々な山の種族が住んでいた。
シルクやクバルトの、オセホビット族やウォーガル族もいた筈だ。
もし彼らが全滅したならば、同族であるシルクやクバルトも、気が気ではないだろう。
オーティスはそう思ったのだが、彼の深刻そうな顔にシルクは軽く手を振りながら、
「あぁ、大丈夫だよオイラ達は。そりゃ同族が殺られたんだから、気分は良くないけどさぁ……別に生まれ故郷ってワケでもないし、親戚がいるってワケでもないんだからさ」
「そ、そうか」
「たださぁ……問題は、スートホムスを攻めている連中なんだよ」
「魔王軍じゃないのか?」
「や、魔王軍だよ。けどさ、話だと……それがエルフって話なんだよねぇ」
「エルフ…」
オーティスの脳裏に、姉とも慕うリーネアの顔が思い浮かぶ。
「え?まさかグレッチェの大森林のエルフが?」
「らしいよ。まだ噂程度だから詳しい所までは分からないけどさ。けど、それってちょっとヤバい話だと思わないか?」
オーティスは無言で頷いた。
リーネアはグレッチェの大森林にあるブリューネス王国の生まれだ。
王家とも繋がりがあるらしい。
もし噂通り、グレッチェの大森林に住むエルフが魔王軍側に付いたとしたら……リーネアはどう思うだろうか。
パーティーを抜けて森へ戻るとか言わないだろうか。
思わずオーティスは、拙いな、と呟いてしまう。
シルクは大きく頷き、傍を通り掛った給士にエールの御代わりを頼みながら、
「拙いよぅ。ギルメスの爺さんがいなくなった今、リーネアが頼みの綱だもん」
その言葉に、オーティスも心の中で頷く。
彼は勇者とは言え、その経験はまだまだ浅い。
駆け出しの冒険者と同じ、とは言わないまでも、熟練者には程遠い。
長老ギルメスが亡き今、知識と経験に秀でている者は、リーネアだけだ。
彼女と同じく先代勇者からのパーティーメンバーであるヤマダもいるが、あれは無口過ぎる。
冒険者は、腕っ節が強ければ良いと言うものではない。
敵性生物に対する知識や経験から導き出される回避方法。
安全なルートの選定に街の住民や王族との交渉等々……決して強さだけでは旅は出来ないのだ。
オーティスは低い声で唸りながら、
「どうしよう?黙っていようか?」
「でもその手の噂はすぐに広まるよ」
「そうだよな」
シルクの言う通りだ。
それに街で情報を集めている以上、もう既にリーネアの耳に入っているのかも知れない。
オーティスは深い溜息を吐き、グラスを傾けて喉を潤す。
そんな彼を見つめながら、シルクもエールを呷り、
「ところでさ、オーティスの方はどうだったの?」
「特に目新しいのは……ただ、リッテンさんに依頼する事が出来た。情報を纏めて、今夜来てくれるそうだ」
「あの守銭奴のオッサンかぁ」
シルクの表情が僅かに硬くなる。
種族の特性なのだろうか、情報などと言う目に見えない物に金を使うのは、彼はあまり好きではないらしい。
その気持ちは、オーティスにも少なからず分かる。
と言うか、それが世間の大多数の意見であろう。
目に見えない情報や手元に何も残らない演劇などの娯楽、食べれば消えてしまう高級料理に大金を使えるのは、ごく一部の限られた人達だけなのだ。
「確かな情報にはお金は掛るよ」
オーティスはそう言う。
元はギルメスの言葉だ。
「それに信頼性の高い情報だしね。間違った話を基に行動するよりは、結果的には節約になるよ」
「それはそうだけど、あの男はどうも胡散臭くてさぁ」
シルクの言葉に、オーティスも内心同意してしまう。
王族や上流社会に顔が利くと言っても、情報屋などは所詮、闇社会に半分足を突っ込んでいるような商売だ。
確かに得た商品、情報は信頼出来るが、人間性までは信用が出来ない。
噂レベルではあるが、かつて先代勇者の情報を魔王軍に売っていたとも聞いた事があった。
しかし、今はそんな人間的な好みで取引をするかしないかを決める時ではない。
欲しいのは唯一つ、確かな情報だ。
「シルクの言い分も分かるけどね。けど、とにかく今は神の御使いについての手掛かりを探す事だ。それに魔王シングの新しい情報があるかも知れないしね」
オーティスはそう言って、テーブルの上で自分の腕に纏わり付いているフィリーナの頭を軽く撫でながら、給士に夕食を持って来て貰うように頼んだのだった。
★
夕飯を食べ終えた勇者一行は、テーブル席で雑談に興じていた。
とは言っても、喋っているのは主にシルクとクバルト、それにオーティスだけだ。
ヤマダは相変わらず無口だし、リーネアは聞き役に徹している。
オーティスはリーネアをチラリと見つめ、内心ハラハラとしていた。
彼女とヤマダの集めた情報の中に、グレッチェ大森林のエルフが裏切ったと言う話は無かった。
けど、おそらくリッテンが何か情報を持って来るだろう。
その時、果たしてリーネアはどうするのか……
その事を考えると、オーティスとしては気が気ではない。
そんな彼の視線に気付いたのか、リーネアは僅かに首を傾げ、
「どうしたのオーティス?私の顔に何か付いてる?」
「あ、いや……リッテンさんがそろそろ来るのかな、と思って」
我ながらワザとらしいと思いつつ、オーティスが喧騒に包まれている酒場の方へ目を向けると、丁度入り口から、髪の無い肥えた男が入って来るのが見えた。
これ見よがしに指には大きな宝石の付いた指輪を嵌めており、首から提げている大きなペンダントは金色に輝いている。
着ている服も高級ではあるが、かなり派手だ。
まるで道化師のようである。
一見すると悪趣味全開の金持ち男、と言う風に見えるかもしれないが、それはオーティスが勇者であり、また田舎育ちだからだ。
この世界は過酷だ。
人類系種族は魔王やモンスターの脅威に常に怯えている。
だからこそ、力ある者を人は崇める。
その力の証こそ、派手な装いなのだ。
誰しも見るからにみすぼらしい者より、装飾品等で派手に自分を飾り立てた者にこそ、魅力を感じるのだ。
最も、元から力がある勇者や王族の者達からすれば、それはどこか哀れみを誘うほど滑稽な姿とも言えるが。
「あ、リッテンさん…」
オーティスが席を立つと、シルクが小さく舌打ちしながら、
「来たよ、守銭奴が」
そう呟いた。
「やぁ、お待たせオーティス」
肥えた男は人畜無害な笑みを浮かべ、陽気な感じでオーティス達のテーブルへとやって来た。
愛嬌のあるつぶらな瞳ではある。
しかしその中に、闇社会に生きる者特有の殺気にも似た光を宿していた。
彼は肥えた身体を持て余すようにゆっくりとオーティスの正面に腰を下ろすと、指を鳴らして給士を呼び、一杯のエールを頼んだ。
そしてフゥと軽く息を吐くと、そこに座る勇者一行を眺め、
「久し振りだね、諸君。随分と色々とあったようで……まぁ、冒険には危険が付き物だからね。それが勇者の旅となれば尚更だ」
「僕達に何があったか、全部知ってるって感じですね、リッテンさん」
「情報屋だからね」
彼は満面の笑みを浮かべ、給士からエールの入った杯を受け取ると、それを軽く掲げ、喉を鳴らしながら半分ほど呷る。
そして幸せそうな息を吐くと、
「日々の疲れも、この一杯で癒されるってなモノだね」
「リッテンさん……」
「あぁ、分かってるよオーティス。が、その前に先ずは報酬だ」
リッテンの言葉にオーティスは頷き、脇に置いたバッグの中から布に包まれた掌大の大きさの物を取り出した。
中身は金の薄板……この世界では金盤と呼ばれる、共通金貨だ。
これを各地の銀行で、各国の通貨と両替が出来る。
国ごとに多少の差異はあるものの、金盤一枚でおよそ四人家族が一ヶ月は遊んで暮らせる程の価値がある代物だ。
情報と言うあやふやな商品に対しての報酬としては、破格過ぎるだろう。
「……確かに」
リッテンは笑顔でその包みを受け取り、中身を確認しないまま自分の懐へと仕舞いこんだ。
そして残りのエールを飲み干すと、杯を脇に退けながら、テーブルの中央へと身を乗り出す。
笑顔はいつしか消え、その小さな目は鋭い眼光を放っていた。
オーティス達も表情を改め、軽く身を乗り出し、リッテンと顔を突き合わせる。
「先ず『神の御使い』とやらの情報だが……正直、分からん」
「……え?ちょ、リッテンさん……」
「まぁ、待て」
リッテンは口角を僅かに吊り上げ、
「確証は無い、と言う話だ。何しろ当人達が、自ら神の御使いと名乗っているワケではないからな」
そう言って、自分の舌で軽く唇を舐める。
「南のハーゼルから更に東へ進んだ所に、ポートファイズと言う島がある。知ってるかね?」
「聞いた事は……あります。行った事はないですけど」
「そこにヴァイゼンと言う山間の小さな村がある。住んでる種族は、人間族やノーム族。他にはホビット族やドワーフ族やら……まぁ、どこにでもある、田舎の集落ってヤツだ。ただ近年、その村はワイルブースの被害に悩まされていてねぇ」
「ワイルブースですか?」
オーティスは僅かに眉を曇らせた。
ワイルブースは、中程度の脅威のモンスターだ。
ワイバーン等の飛竜種に属する。
単体ではそれほど強くは無いが、厄介な事にコイツ等は群れを作る。
しかも強力な毒持ちだ。
人の住む近くに巣でも作られたら、それはかなりの脅威になるだろう。
都市近郊ならギルドから冒険者が派遣されたり、場合によっては軍が動く案件だ。
ただ、田舎の集落ではそれはかなり難しい。
状況により、村を放棄せざるを得ない可能性もある。
「そこに半年ほど前、とある家族が現れ、瞬く間にワイルブースを駆逐したそうだ。今ではその家族は村の救世主とか呼ばれている」
「……」
「……」
「……え?それだけ?」
オーティスは思わず声を上げてしまった。
他の面々も、呆れたり渋面を作ったりしている。
常に冷静で無口なヤマダも、軽く眉を吊り上げながら、
「リッテン殿。そのような話は、世界の至る所にあると思うが?」
「その通りだよ、ヤマダ氏。けど、この話には他の話と違う所が三つほどあってね」
リッテンは思わせぶりな口調で言いながら、皆を見渡す。
そしてゆっくりと指を立てながら、
「先ず一つ目だが、その家族は、いきなり村へ現れた。分かるかい?いきなりだ。ある者は、空から突然落ちて来たと言い、またある者は、村の中央に突然現れたと言った。その時、村は丁度ワイルブースの襲撃に遭ってて、かなり混乱していたようだが……それでも皆が皆、何も無い所から突然現れたと言ってるんだ」
「そ、そうなのですか…」
「次に二つ目だが、その家族は見たことも無い強力な魔法で、ワイルブースを一瞬で退治したそうだ。もちろん、一匹じゃない。群れごとだ」
「ワイルブースの群れを一瞬で……ですか」
高位の魔術師でも、それはかなり難しい。
いや、無理と言った方が言い。
奴等は竜系統に属するので、そもそも魔法の効きが悪い相手なのだ。
「そして最後に、その家族は言葉が通じなかった。私の調べた所によると、二週間ほどは全く言葉が通じなかったそうだ。しかしその後、いきなり通じるようになったとの話もある。どうだね?これはかなり不思議な事じゃないかね?」
リッテンはオーティスを見つめ、満足気な顔を浮かべると、ゆっくりを身を起こしながら、
「村や町を救った英雄譚は数あるが、今回の件は中々に珍しいだろ?神の御使いとやらが、オーティスの言う異世界からの来訪者なら、納得出来る部分もあるんじゃないかな?」
「そうですね。それで、その家族と言うのは具体的に……」
「父親はセリザーワと言うそうだ。今は村で錬金術師的な事をしていると言う。娘はマーヤとラピス。マーヤはかなり高位の魔法使いと言う話だ。ワイルブースを屠ったのも彼女だ。しかも見た目が美しい事から、村の若者達の憧れの的になってるそうでね。ただ、不用意に彼女に近付くと、何処からともなく父親が現れて追い払うそうだ。あとラピスと言う少し歳の離れた妹は……ちょっとまだ分からない所が多い。何しろ田舎の者達は、言う事が結構バラバラでね。情報の精査がまだ終わってないんだ」
「……なるほど」
オーティスは魔王シングの言っていた言葉を記憶の中から呼び起こし、ウンウンと独り頷く。
(ヤツの言葉に家族と言う言葉は無かったけど……それでも、錬金術師に魔法使いに、あとは無垢なる者だったかな?その辺は合ってるな)
「有難う御座います、リッテンさん。かなり有益な情報ですよ」
「そう言って貰えると有り難い。ま、私としても、神の御使いとやらを探すのなら、先ずはこの村へ行く事を勧めるよ」
リッテンはそう言って、肉厚のある自分の頬を軽く撫でる。
「さて、次に魔王軍の動向だが……その前にもう一杯、エールを頼んで良いかね?」
「ど、どうぞ」
「正直、素面じゃ少し話し辛い。こっちの話はかなり深刻でね」
リッテンは指を鳴らし、給士を呼んでエールの御代わりを頼んだ。
シルクも「じゃ、オイラも」とそれに習い、クバルトもそれに続いた。




