閑話休題・モブキャラから見た魔王軍
私の名前はドゥルバス。
魔王軍大本営付き参謀官だ。
種族はホボネバス……陸に上がった蛸などと陰口を叩く奴もいるが、私は海棲系魔族ではない。
どちらかと言うと知恵あるスライム種であるシュラゴスに近い存在と言える。
とかく魔王軍の大本営参謀本部と言うと、かつては日の当たらない部署、左遷先の代名詞でもあった。
何しろ魔王軍と言えば、全てが力任せだ。
作戦など有って無きようなものであった。
ただひたすら突き進む。
それが魔王軍であった。
故に、愚かでも腕力に長けた者が重用された。
逆に知恵ある者は蔑まれ、時には『参謀部へ行け』と尻を叩かれ前線部隊から追い出される始末であった。
そして参謀部へ来たら来たで、やる仕事と言えば、備品や在庫の管理ぐらいだ。
偶に城の草毟りに駆り出される事もあった。
一応、戦闘に備えて侵攻ルートの策定や幾つかの作戦案等を出す事もあったが、その殆どは現場に無視される。
そんな日々が続けば、魔族も腐るってモノだ。
日がな一日、酒を飲んだり博打を打ったり……
自分も、そんなうらぶれた一魔族であった。
密かな野心を胸に秘め、故郷を後にした時の自分はもう死んだ。
そう思っていた。
がしかし、ここ二ヶ月余りで、取り巻く情況は一変した。
シング様が現れてから、大本営は俄かに活気付いた。
あの御方は、御自身が超常なる力を持っているにも関わらず、常に緻密なる作戦の立案と綿密な行動計画を出す事を要求した。
更には情報の有用性についても深く理解を示し、魔王エリウ様に向かって『参謀達は魔王軍の脳だ。脳無くして手足は動かん。逆に手足を失っても脳があれば生きてはいける。その事を良く理解しろ』と仰って下さったのだ。
それからと言うのも、私は充実した日々を送っている。
様々な会議が連日行われ、常に白熱した議論を戦わせている。
酒を飲んで管を巻いている奴は一魔族もいない。
かつては日陰部署の代名詞であった魔王軍大本営は、今では花形部署に様変わりだ。
此方の言う事を聞かなかった前線の馬鹿どもも、現在はちゃんと作戦指令書通りに動いている。
もちろん、中には余り命令を守らない指揮官もいたりした。
特に四貴魔将直属の部隊指揮官には多かった。
しかし、そう言った愚か者達は直ちに降格等の処分を受けていた。
中には即座に処刑された者までいたそうだ。
しかもシング様が処分を下したのではなく、四貴魔将の方々が直接処分を下したそうだ。
まぁ……最高幹部の方々も、シング様の不興を買いたくはないのだろう。
そう言えば、四貴魔将の方と言えば、彼等に付いている参謀官達は色々と大変だ。
毎日書類の束を抱え、ヒーヒー言いながら走り回っている。
特にウィルカルマース様の第一軍団とファイパネラ様の第三軍団付きの参謀達は、常に必死の形相である。
何しろ今現在の最前線は、ファイネルキア評議国とスートホムス大山脈の部族集団だからだ。
通常なら、長きに渡り前線にて敵と対峙して来た彼らの頭脳の見せ所ではあるのだが……彼等はどうやら怠け過ぎていたようだ。
何しろ情報担当参謀ですら、敵国家の内部情報に兵の配備状況すら殆ど掴めていなかったのだ。
中には道すら良く分かってない者までいた。
作戦会議時の、酒井様の発した『軍団の帷幄には無能しか揃ってないの?』の一言は、今思い出しても痛快だ。
今更、大本営に助力を求められても困る。
怠惰な時を過ごして来たツケは、自分達で払うべきだ。
ま、彼らも元々は優秀な者達だ。
何れ調子を取り戻すだろう。
もっとも中には、張り切り過ぎて間違った方向へ進んでしまった参謀達もいたが。
つい先日も、森妖精に降伏の使者を送った参謀達が何魔族が処刑されてしまった。
シング様の怒りを買ってしまったと言う話だが……そうだろうか?
シング様は『少しばかり苦言を呈しただけだ』と仰っていた。
その場に居合わせた知り合いの者に話を聞くと、何でも段取りが悪過ぎると言う話だったそうだ。
降伏の使者を送るのではなく、相手から降伏を言い出すように仕向けるのが参謀の仕事である、と言う事だ。
なるほど。もっともだ。
何しろ戦いを有利に進めているのは我ら魔王軍の方なのだから。
ただ、処刑された参謀達は全て第一軍団に所属する者達だ。
誰が命令したのかが、自ずと分かる。
何とも恐ろしい事だ。
ちなみに私は現在、後方主任参謀長と言う大任を仰せつかっている。
兵站に関する最高責任者であり、幕僚の一人だ。
忙しいが、何ともやりがいのある仕事である。
とかく後方参謀と言うと、作戦参謀や情報参謀等とは違い地味な印象があるのだが、最も重要な仕事だ。
何しろ飯と武器が無ければ何も出来まい。空気を吸って徒手で戦えと言うのか?
……全てシング様のお言葉だ。
南部侵攻軍迎撃作戦の折、最も活躍したのは速やかに輜重隊を纏めた後方参謀達だと、お褒めの言葉も頂いた。
そして兵站計画を立案した私を呼び、『これから全てはお前に任す』と、その場で抜擢してくれたのだ。
あの時の感動を、私は生涯、忘れる事はないだろう。
これで少しは、故郷に錦を飾れただろうか。
この戦が終わったら、久し振りに帰ってみるのも良いかも知れない。
★
名誉ではある。
しかし緊張する。
と言うか、怖い。
俺は本日何度目かの重い溜息を吐いた。
始まりは、シング様の何気ない一言だった。
「ふむ……最近、運動不足だな。少しは特訓した方が良いかな」
そこで四貴魔将の方々が呼ばれた。
一度その実力を見てみたいとの事だったが、呼ばれた方々の内、ウィルカルマース様とファオパネラ様は、何故か今にも死にそうな顔をしていた。
戦うのが好きなアスドバル様は、物凄く興奮していたが。
もちろん、シング様は軽く笑いながら
「案ずるな。本気は出さん。一切の魔法を封印し、特殊技能も制限する。お前達の力を見たいのと同時に、これは我自身の訓練でもあるのだからな」
と仰っていたが、それでもなぁ……
そして四貴魔将の方々だけだはなく、現在ここ旧ブリューネス王国にて陣を張る、第一軍団に第四軍団。それに魔王軍本隊と近衛隊。そして魔王親衛隊の中から、腕の立つ者がそれぞれ十名程ずつ選抜された。
ある意味、魔王軍の最精鋭にして自他共に認める最強の者達が、シング様の訓練に参加するのだ。
「参ったなぁ…」
エルフどものかつての王宮前に広がる大きな草原を前に、俺は思わずボヤいてしまう。
近衛隊の中で最も剣技に秀でていると言う事で自分が選ばれたのだが……おかしいな?
俺より腕の立つ奴はまだ沢山いる筈なのだが。
「よぅ、どうしたベンザム」
そう声を掛けて来たのは、槍を持った鬼人種の男だった。
名前はバイル。
同郷の戦友だ。
今は魔王軍本隊の部隊指揮官を務めている。
「どうしたもこうしたも……」
俺は苦笑いを溢した。
「お前は怖くないのか、バイル?」
「怖いさ。けど、それ以上に名誉な事だと思わないか?」
「思うよ。思うけど……死んだら意味がないじゃないか」
「おいおい、これはただの訓練だぜ」
バイルはどこか呆れたような顔で、俺の胸を軽く小突いて来た。
「それに怪我をしても、酒井様が直ぐに治して下さると言うし……シング様も、殺さないよ、と仰っていたじゃないか」
「……確かにな。けどその前に、『出来るだけ』と言う言葉も付いてたけどな」
更に、『安心しろ。せいぜい手足が千切れたり腹に穴が開くだけだ』とも仰っていた。
どこか安心なのだろうか。
「全くお前は……近衛隊の名が泣くぞ」
「言っておくけど、シング様と一番行動を供にしているのは俺達近衛隊だぞ」
だから他の部隊の面々より、あの御方の恐ろしさを非常に良く理解している。
つい先達ても、『暇だから散歩がてら威力偵察に行こう』とシング様は仰り、自分を含めた近衛隊の者数名と、情報収集の為に何名かの参謀達を引き連れ、旧王宮よりかなり離れた所にある街まで遠乗りに出掛けたのだ。
ブリューネス王国は既に壊滅し、王家直属の都市はその殆どが降伏したが、まだ僅かな数の王族と有力氏族達は、魔王軍に恭順の意を示さずに徹底抗戦の構えを取っている。
評議国の残党なども駐留している模様だ。
向かってる街も、魔王軍に対して未だ態度を鮮明にしていない、そんな氏族の領地内にある。
案の定、街へ通じる小さな道に、簡素ではあるが幾つか柵などが設けられており、外部からの侵入を塞いでいた。
おそらく、この先には防衛部隊などが待ち構えている筈だ。
だがシング様は
「ここで待ってろ。終わったら戻って来る」
そう言い残し、柵を乗り越え単騎で道を進んで行ってしまわれたのだ。
そしてそれから三十分も経たぬ内に戻って来て、
「ん、始末してきた。残ってるのは女子供ぐらいかな」
平然とした顔でそう言ったのだ。
いやいやいや……
村に毛が生えた程度の小さな街とは言え、千人以上のエルフが住んでいた筈なんだけど……
しかもシング様は、掠り傷はおろか返り血の一つも浴びていないではないか。
一体、どのようにしてエルフどもを……いや、考えるのは止よそう。
眠れなくなると困るから。
そんな恐ろしい御方の訓練に付き合うなんて……
腕にはそれなりに自信はあるが、やはり怖いモノは怖い。
出来れば辞退したいぐらいだ。
ちなみに自陣へ戻った後、シング様は酒井様に何やらお小言を頂戴していた。
頭の上に拳骨まで貰っている。
うん、酒井様もやはり怖い。
「と、ベンザム。そろそろ始まるぞ」
バイルがどこか興奮した口調で言ってきた。
見ると草原のど真ん中に立っているシング様に、ウォー・フォイ様が向かって行く所だった。
無手のシング様に対し、特殊な能力を有する魔法の杖を大きく振り回しながら、ウォー・フォイ様が珍しく気合の篭った声を上げる。
そして次の瞬間、シング様の周りに巨大な水の柱が四本、大地を割りながら湧き起こった。
ウォー・フォイ様は、魔王軍一の水系魔法の遣い手だ。
川や海の近くであれば、もっと威力が高かろうが……いや、しかしそれでも凄い。
その四本の水柱は、ゆっくりとシング様の周りを回転しつつ、その環を狭めて行く。
あの水流の強さ……おそらく触れれば一瞬で身体が切り刻まれるだろうな。
「おい、バイル。お前ならどう対処する?」
「ん?そうだなぁ……物理攻撃は通じないだろうな」
同郷の友は、傷跡の残る顔を微かに歪ませた。
「剣や槍で水は切れん。と言うか、あの中に武器を突っ込ませたら、間違いなく一瞬で持って行かれる。やはり魔法には何か魔法で対処しないと……」
「しかしシング様は、訓練だから魔法は使わないと仰ったぞ」
そもそも武器も持っていない。
一体、どのようにしてウォー・フォイ様の魔法攻撃を破るのか……
と思っていたら、シング様は軽く手を打ち鳴らした。
その瞬間、四本の水柱は弾け飛んだ。
……
一体を何をしたんだ?
「お、おいベンザム。今の……分かったか?」
「分からん」
俺は素直に答えた。
「シング様は確かに魔法を使わなかった。魔力の波動も感じなかった」
「だったら、どうやって…」
「だから、分からん」
シング様は、ウォー・フォイ様に何やら語り掛けている。
ここからでは余り聞こえないが、もう少し本気を出せ……みたいな事を言っているようだ。
ウォー・フォイ様は頷き、手にした杖を高々と持ち上げた。
するとまたもや地が割れ、今度はそこから水で出来た巨大な龍が姿を現した。
「あ、あれは……水神龍か?」
話には聞いた事がある。
ウォー・フォイ様が使う最強の水系魔法だ。
力強き水の精霊を呼び寄せるとか何とか……
実際、生きているかの如く宙を華麗に舞っている。
と、シング様は軽く跳ぶや、いきなりその水の龍の首を手刀で切り落とした。
まるで生物のように動いていた龍は、普通の水へと戻り、そのまま地面へと落ちて辺りに大きな水溜りを作った。
そしてシング様は、そのままウォー・フォイ様の額をノックするように軽く小突くと、何やら身振りを交えてその場で話をし始める。
魔法に関して、色々とアドバイスを送っているようだ。
「……凄いけど、何も分からんな」
バイルが呟いた。
俺も頷き、
「魔法は不得手だ。お前はどうだ?」
「俺もだ。基本的には、攻撃補助の魔法しか使わん。そもそも俺もお前も、職業は戦士だからな」
「まぁな」
バイルの言う通りだ。
ただ、個人的にはもう少し、魔法を極めてみたいと思う。
剣と魔法を巧みに操る事の出来る、もう一ランク上の戦士になってみたい。
まぁ、かなり難しい事ではあるだろうが……
「ん、お次はアスドバル様か」
バイルの声に視線を草原へと向けると、その巨体を揺らしながら、アスドバル様がシング様の許へと歩いて行く所だった。
かなり気合が入っている。
ここからでもその熱気が伝わって来るようだ。
「楽しみだな」
「あぁ」
俺も頷いた。
アスドバル様は他の四貴魔将の方々とは違い、特攻型の武人だ。
物理攻撃をメインとした、近接戦闘に特化されている御方だ。
それは我々の戦い方に近い。
即ち敵に素早く近付き、手にした武器を振るい蹂躙して行く。
アスドバル様の武器は、その大きく硬い両の拳ではあるが。
アスドバル様の一撃は、武器や防具すら容易く破壊すると聞く。
果たしてシング様はどう対処なされるのか……
「そろそろ動くぞ」
アスドバル様の全身を、光のオーラが包み込んだ。
更にその拳は、青白く光っている。
かなり高位の補助魔法か……ぬぉ!?は、速い!!
アスドバル様は、その巨体からは考えられない程の素早さで、瞬く間にシング様との距離を詰めた。
そしてそこから繰り出される連撃。
まるで矢の如き速さで、無数の拳がシング様に降り注ぐ。
が、しかし……
「お、おいおい」
シング様は片手で難無く、それを捌いていた。
しかもそこから一歩も動かずにだ。
あ、有り得んだろ…
何でそんな簡単に、あの攻撃を払い除ける事が……
ふと何気に辺りを見渡すと、皆が皆、口をあんぐりと開け、どこか呆けた顔でその光景を見つめていた。
うん、その気持ちは分かるな。
だって本当に……有り得ないだろ。
やがてアスドバル様は大きく一歩、跳び退った。
そして両の手をゆっくりと広げながら、大きく咆哮。
重低音の雄叫びが大地を揺らす。
それと同時に、シング様の足許の地面が盛り上がり、その下半身を包み込んでしまった。
移動阻害系の魔法だ。
そこへアスドバル様が突っ込んで行き、高速の右回し蹴りを放つ。
体重も乗っているかなり重い一撃だ。
あ、これは決まった……
シング様の動きを完全に封じ、真横からの蹴りは片手で捌く等は不可能だ。
シング様は直撃を喰らう。
「……え?」
しかしアスドバル様の渾身の一撃は、当たらなかった。
空振りだ。
目測は誤ったのか、シング様の正面ギリギリを、蹴り足だけが飛んで行く。
アスドバル様自身も驚いた顔をしていたが、見ている我々もかなり驚いた。
止まっている標的に対する攻撃を、しかも至近距離からの蹴りを外す事なんて有り得るのか?
シング様は「ははは…」と小さく笑い、そのまま一歩踏み出した。
その下半身を覆っていた土の塊など、最初から意味が無いと言わんばかりに歩み出すと、アスドバル様に向かって軽く拳を突き出した。
「……」
アスドバル様の巨体が宙を舞う。
そして地面に激突し、何度も跳ねながら大地を転がって行く。
酒井様を肩に乗せた治療部隊が慌てて駆け寄って来るのが見えた。
「……おい、ベンザム」
「なんだよ」
「俺、少し腹が痛くなって来たぞ」
「遅ぇよ」
俺は苦笑を溢し、草原へと目を凝らす。
お次はファイパネラ様だ。
焔の女王の異名を奉られる、火系魔法を使わせたら魔王軍随一の女性魔族だ。
少し歪んだ性格をしていると言う噂で、その直属の部下達はいつも戦々恐々としているらしい。
実際、ファイパネラ様は魔王様の前で不遜な態度を取る事もしばしば合った。
そんな彼女が少し肩を落とし、青ざめた表情で草原を歩いている。
まるで死刑場へと連行される囚人のようだ。
「どうしたんだ、ファイパネラ様は?何か元気が無いようだが……」
「そりゃあ……そうだろ。ファイパネラ様は、ついこの間シング様の力を間近で見られたからな」
俺はそう言いながら、その時の光景を思い出していた。
それはこのグレッチェの大森林へ到着して間もない頃だった。
この広大な森に隠れている評議国の軍を追い立てて一箇所に集める為に、森の要所要所を焼いて行くと言う作戦が取られたのだ。
ただし、この森は湿度も高く、また川や池等も点在している事から、通常の火では殆ど燃え広がる事は無い。
乾燥している山林とはワケが違うのだ。
だから魔法の火で森を焼こうと……そこでファイパネラ様を始め、火系魔法の得意な者達が集められたのだ。
その時、俺も魔王エリウ様の供回りとして、作戦に同行をしていた。
想像していたよりも森は深く、確かに普通の火では燃えないな、と言うのは一目見て分かった。
それで最初に、各部隊から選ばれた者達が、火系の魔法を使い森を焼き始めた。
結果は散々だ。
数本の木を燃やしただけで、あっと言う間に鎮火してしまった。
次いでファイパネラ様が魔法を行使した。
さすが焔の女王の二つ名を持つ御方だと思った。
森は数十メートルに渡り、炎を吹き上げ激しく燃えたのだ。
しかし、確かに凄い魔法ではあるが、森全体から見れば、極々僅かな箇所が燃えただけであった。
身体に例えるなら、爪の先を焦がした程度であろう。
この作戦はやはり無理があったかなぁ……
と思っていたら、シング様が魔法を使われた。
……
泣きたくなるぐらい怖かった。
シング様が手を振ると同時に、目の前に巨大な火の壁が立ちはだかったのだ。
正確な大きさは、正直分からない。
幅は数百メートル、高さは……魔王城よりも高かった。
そしてその火の壁は、ゆっくりと前へ倒れて行き……後はまるで押し寄せる波のように森を炎で侵食して行ったのだ。
その後で、酒井様も火の魔法を使われた。
これまた圧巻であった。
炎を纏った巨大な鳥を召喚なされたのだ。
羽根を広げたその大きさは優に三十メートルはあっただろう。
その巨大な火の鳥が合計六匹。
華麗に空を舞いながら、次々と森に火を点けて行く。
シング様は笑顔で手を叩き、何やら酒井様と話し込んでおられたけど……本当にあの御方達は、色々と桁が違う。
ちなみに噂で聞いた話だが、ファイパネラ様は部下達に、焔の女王の名を二度と使うなと厳命したらしい。
まぁ、あの力を見れば、その名前を使うのは確かに恥ずかしいと思うけど……
幾らなんでも比較の対象が違い過ぎるでしょうが。
「ん?ファイパネラ様は……煉獄の剣を使うのか?」
「あれがそうなのか?初めて見たぞ」
バイルが興味深気に目を細める。
ファイパネラ様の手には一振りの剣が握られていた。
そしてそれを軽く振ると同時に、刀身が黒い炎に包まれた。
切り付けた相手は消える事の無い暗黒の炎に焼かれる……だったか。
かなり特殊な魔法の剣と言う話だ。
ただ、剣技そのものに関しては、ファイパネラ様は余り得意ではないと聞いた憶えがあったような……
そのファイパネラ様が、片手で剣を構え、シング様と対峙する。
背中から生えた種族特有の小さな赤い羽根が、パタパタと動いている。
「……え?」
ファイパネラ様の姿が、何故かぼやけて見えた。
二重、いや三重に身体が重なってみる。
バイルも瞼を擦りながら、
「な、なんだ?まさかあれは……分身の魔法か?」
「……分からん。そもそもそんな魔法があるのか?」
「見たことは無いが、聞いた事はあるぞ。酒の上での話しだが」
「そうなのか…」
世界には何百と言う魔法がある。
だからバイルの言うように、あれが分身の魔法と言うモノかも知れない。
やがてファイパネラ様は、完全に三体に分かれた。
そして、それぞれが同じで動きで一斉にシング様に襲い掛かった。
正面、左右と別れ、手にしている煉獄の剣をシング様の頭上目掛けて振り下ろす。
が、シング様はスッと腕を伸ばし、向かって左側のファイパネラ様の手を掴んだ。
剣を握ってる手をだ。
それと同時に、他の二体のファイパネラ様の姿が掻き消える。
「おぉ…」
バイルの感嘆の声が聞こえてきた。
俺も同じく、低く唸る。
振り下ろされる剣を避けるでもなく、柄を握るその手を掴み、動きを止めるとは。
シング様はファイパネラ様の動きを完全に見切っていらっしゃるようだ。
何と言う動体視力だろう。
そのシング様の声が、微かに聞こえて来た。
「はは…我に幻惑は通じぬぞ」
幻惑?な、なるほど……あれは分身では無く、幻覚系の魔法だったのか。
「しかし面白い剣だな」
シング様は何をどうしたのか、ファイパネラ様の手から一瞬で剣を奪うと、それをニ、三度振ってみる。
が、炎は出ない。
しかし、その剣を空に向かって掲げながら、
「こうかな…」
そう呟くや、いきなり剣から炎が巻き起こった。
それも桁違いの。
ファイパネラ様の時は、黒い炎は刀身に纏わり付くように出ていたのだが、シング様の場合は……何と言うか、剣から巻き起こっていると言うのだろうか。
天まで届く炎の剣のようになっている。
剣から伸びる炎の高さは何十メートル……いや、何百メートルだろうか……良く分からない。
シング様との訓練を控えている各部隊の精鋭達は、ただ呆然と、その炎の剣を眺めていた。
ファイパネラ様ご自身も、口を開けて空高く伸びる炎を見つめている。
それからシング様は、ファイパネラ様に剣を返し、何やら言っていた。
途切れ途切れでしか聞こえなかったが、何か戦闘の構成は面白いが剣の技術がそれに追い付いていない、と言うような事を言っていたような気がする。
いや、本当に……何なんだろう、あの御方は。
今更ながら思うが、訓練とかの必要はないんじゃないか?
「次はウィルカルマース様か……」
「その次は、いよいよ俺達だな」
「そうだな」
俺は大きく溜息を吐いた。
あぁ……気が重い。
「ところでベンザム。あいつ等は一体、何だ?」
「あいつ等?」
「ほれ、魔王様のいる所の脇に……」
バイルが軽く顎を動かし、エリウ様のいらっしゃる本陣を指した。
「あぁ…薄汚いエルフと人間の男か」
俺は軽く肩を竦める。
「人間?」
バイルが少し大きな声を上げた。
「何でこんな所に人間が?」
「シング様が捕まえたらしい。帝国の間者だそうだ」
「は?帝国の?」
「そうだ。折角だから訓練を見せようとか……シング様が仰ってな。何かお考えがあるに違いない」
「ほぅ……あのエルフどもも?」
「あれは酒井様だ。最初シング様は、エルフに相応しき惨めで悲惨な処刑をと仰っていたのだが……酒井様がそれを止めてな。それどころか、魔王エリウ様に襲い掛かろうとしたあの女エルフを、エリウ様やシング様のお側へ置いておくようにと言ったらしい」
「ど、どう言う事だ?」
バイルが思いっきり首を捻る。
「分からん」
俺は素っ気無く答えた。
「ただ、幕僚のドゥルバス殿は、三つの政治的効果を狙ったのかも、と言っていたぞ。一つは、魔王エリウ様の豪胆さを知らしめる為。自分を暗殺しようした者をペット代わりに傍に置いておけば、知らぬ連中は色々と考えるだろ?もう一つは反抗的な他種族に対し、暗殺者でも降伏すれば命は助けるぞと言う宣伝。そしてもう一つは、エルフどもの恨みを逸らす為、と言うことらしい」
「最後のはどう言う意味だ?」
「それはあれだ、バイル。エルフの国はシング様の手でたった一日で滅んだ。もちろん、まだ抵抗している連中もいるが、実質的には滅んだも同然だ。そして、あの女エルフはその原因を作った張本人だ。普通ならとっくに死んでいる存在だ。それが悠々と、魔王様の傍で生きている。……生き残った者や家族を殺された者達は、どう思う?魔王軍より、あの女の方を恨むんじゃないか?」
「ははぁ…なるほど。いや、頭の良い方達は、本当に色々と考えるなぁ」
「俺もそう思う」
「しかしベンザム。魔王様のお側にエルフって……親衛隊が良い顔をしないんじゃないか?特にティラさんとか」
そう言ってバイルは、チラリと横を見る。
居並ぶ戦士達の中に、その女性はいた。
親衛隊の証である蒼いサッシュを掛けた、鋭い目付きの女性だ。
特徴的な耳の形状からエルフ族に見えるが、その額から二本の小さな角が生えている。
ブラッドレイエルフと言う、かなり特殊な種族だ。
親衛隊には他にも、ダークエルフやスペクタリィ等のエルフ系種族がいる。
この近衛隊にも、それなりの数はいる。
「ま、彼女にとって普通の森妖精なんてのは殺意の……と、始まるか」
シング様の元へ、ウィルカルマース様が歩いて行く。
こちらもファイパネラ様同様、かなり蒼い顔をしているが……さて、どう仕掛けるかな。
「ベンザム。俺はウィルカルマース様の戦闘を見た事が無いのだが…」
「俺もだ。あの御方は、直接戦闘より謀などで敵を翻弄されていたからな。確か風系魔法を使うと聞いたが……」
そんな事をバイルに話していると、いきなりウィルカルマース様は両の手を大きく天に向かって掲げた。
その瞬間、シング様の足許から大きな竜巻が巻き起こった。
自分達の方にも、身体を吹き飛ばす程の強烈な突風が叩き付けて来る。
「こ、これは……凄い。何て魔力だ」
両の腕で顔をカバーしつつ、その様子を見ていると……シング様は、普通に竜巻の中から出て来た。
そして普通に歩き、普通にウィルカルマース様を叩きのめした。
竜巻は、一瞬で消えてしまった。
「……」
更にシング様は「お手本」とか何とか言いながら、片腕を空に向かって伸ばした。
不意に、辺りが真っ暗になった。
空を見上げると、何時の間にか草原を覆うように黒雲が立ち込めていた。
雲の中では稲光が走っている。
先程まで、雲一つ無い晴天だったのに……
と、その暗黒色の雷雲は、丁度シング様の真上でゆっくりと回転をし始め……いきなり消えてしまった。
思わず俺は
「はぁ?」
と呆けた声を上げてしまう。
シング様は笑いながら
「そう言えば、魔法は使わない約束だったな。すまんすまん」
そのような言葉が聞こえて来た。
どうやら、途中で魔法を打ち消したらしいが、一体どのような魔法を見せる気だったのか……物凄い魔力の圧力を感じたのだが。
……
と言うか、この距離であのレベルの魔法を使われると、ここいいる者達は全員、死んでたんじゃないか?
「さて、いよいよ俺達の番だな、ベンザム」
バイルが拳を打ち鳴らした。
こいつには恐怖心が無いのか?
そう思いつつ、草原にいるシング様を見ると、なにやら木の棒を手にし、それを振っていた。
いや、棒ではない。
焚き火に使う、ただのちょっと長めの枝だ。
「おいおい、シング様もちょっと俺達を舐め過ぎじゃなぇーか。こっちは五十人近くもいるんだぜ」
「そ、そうかぁ?」
本当に舐めていたら、手足を縛って目隠しまでするんじゃないのかな?
「さ、行くぞベンザム。シング様にせめて一太刀浴びせててやろうぜ」
バイルは気合充分と言わんばかりに胸を反らして草原と歩いて行く。
まぁ、確かにこっちは五十人超だ。
しかもシング様は自分に幾つも制限を付けられている。
一太刀とは言わないまでも、一掠りはぐらいは出来るかも知れない。
「良し」
俺も自分自身に気合を入れ、シング様の元へと歩き出す。
そして戦闘訓練が始まり……
地獄を見た。
後で聞いた話だが、俺達が一本の木の枝で蹂躙されて全員が救護室へ運ばれてから、何と魔王エリウ様がシング様に挑まれたらしい。
結果は……エリウ様の勝利だった。
何十合か打ち合った後、エリウ様の太刀を浴びて、シング様は大きく吹っ飛ばされたとの事だ。
うん、さすがは我等が魔王様だ。
……
と、訓練に参加してない奴等は言うかも知れないけどさぁ……
まぁ、そう言う事だろうな。
シング様は恐ろしい方だけど、意外に優しい所もあるし、結構エリウ様に気を使われているようだしね。
……
その優しさの一欠片でも、俺達に向けて欲しいよなぁ。




