敵の数はコミケ会場一日分の入場者数です
翌朝、陽が少し昇り始めた頃に行軍を再開。
寝ぼけ眼でタコ助の背に揺られながら魔王軍は街道を東へ東へと進む。
そして昼過ぎに最終防衛陣地とやらへ到着。
馬防柵や木塀、幾つかの見張り台も設置されている、簡素な砦だ。
防衛陣地と言う割には、兵を休ませる事は出来るが、防御能力的にはそれほど高くはないように見える。
そこでウォー・フォイ麾下の第四軍と合流。
四貴魔将直属の軍と言う事で、相変わらず多種多様な異形種が揃っているが、少しばかり魚類…いや、水に関係した魔族が多そうだ。
ワニ顔をした半馬人や羽根の生えたウナギ。二足歩行の亀みたいな種族もいる。
中々バラエティに富んでいて面白い。
酒井さんも俺の頭上で『凄いわ……妖怪みたい』と興奮気味だ。
ま、それは良いのだが……
この俺に向かって、敵意をぶつけて来る者や侮蔑の表情を浮かべる者が、結構な数いた。
まぁ、俺は見た目が人間種と同じだから、分からんでもないのだが……中には露骨過ぎる態度を取ってくる奴や、あからさまに喧嘩を売って来る残念な輩が何匹かいたので、そう言う奴はその場で折檻してやった。
炎で包んだり体を百分割にしてやったりテニスボールぐらいに圧縮してやったりと……ま、折檻じゃなく単にブチ殺しているだけ何だが、30匹ぐらい処理していたらウォー・フォイが慌てて素っ飛んで来たので、これぐらいで勘弁してやるとしよう。
俺は寛大な男だからな。
さて、敵軍の動きだが、参謀によると明日の午前には接敵予定だとか。
一度、直に敵軍を見たいと思っていた俺は、単騎陣地を後にし、街道を更に東へ。
左手に白煙を噴いている山々、バイネル火山郡とやらを眺めながらタコ助の全力疾走で駆けていると、遠目からではあるが、敵軍を発見。
そこから右手に広がる森の中に身を潜めつつ、視認できる距離まで近づいて観察してみるが……いやはや、圧巻だ。
十八万、と数字で聞いていてもピンと来なかったが、直で見るとその規模の大きさに圧倒された。
黒兵衛が、
「こない仰山の人間を一度に見るのは初めてやでぇ」
と呟いているが、もちろん俺も初めてだ。
ってか、自分の世界でもこれほどの兵力を揃えた軍は見た事がない。
ちなみに酒井さんは暫く絶句した後、一言、「これは無理ね」と呟いた。
俺もそう思う。
無理だ。
エリウちゃんの魔王軍では、まともに戦ったら、いやまともじゃなくても、これは勝てねぇ。
数の暴力と言う言葉がしっくりと来る大軍団だ。
魔王軍の兵士は、個々の戦闘力は確かに強い。
人類系種族の倍以上は強い。
が、敵の数は十八万。
対して現在の魔王軍は、本隊と第4軍を併せても二万未満だ。
単純戦力比で9対1。
話にならん。
「魔王軍が相手出来るのは、せいぜい六万前後としても……それでも十万以上の敵が無傷で残っているか」
「それはどうかしら」
頭上で酒井さんが俺の髪を軽く引っ張りながら言った。
「相手は用兵の天才の将軍様って話でしょ?エリウの指揮能力がどれぐらいか知らないけど……かなり分が悪いんじゃないかしら?」
「……なるほど」
敵は二つ名持ちの名立たる大将軍、つまりSランクの強ユニットだ。
巧みな用兵でこっちの力を簡単に封じ込んで来るだろう。
兵の基本戦闘力から単純に敵軍五~六万人ぐらいは討てるだろうと想定していたが、些か甘かったようだ。
良くてイーブン。下手すりゃ敵軍数千人の被害に対して此方は全滅、ダメだこりゃって可能性もある。
「うぅ~ん……しゃーない。ここは予定変更ですな」
当初の計画では、異形種族の特異な能力や魔法、更には参謀達の考えた奇策を用いて敵を翻弄しつつ、エリウちゃんの指揮能力や四貴魔将の戦闘能力を確認し、機を見て僕ちゃん華麗に登場。
派手な攻撃で敵を蹂躙。そして圧倒的勝利。
魔王軍強ぇぇぇ。敵国民はビックリ仰天。助けて神の御使い様!!
な~んて事を考えていたけど……うん、アカン。無理。
「予定変更って、具体的にはどうするのよ?」
「エリウちゃん達が敵と戦っている時に、タイミング良く僕ちゃんが登場……と言う流れでしたけど、最初から僕チンが出ます。初手、5八シングです」
「……そうね。それが無難ね」
「あの数ですからねぇ……エリウちゃんの軍が何か策を弄しようにも、その前に飲み込まれる方が早いでしょう。それに、なまじ乱戦になると範囲魔法が使えないですからね。ま、初戦ですし、出来るだけ兵は温存しておきましょう」
「でもシング。あんた勝算はあるの?」
「ふぇ?僕チンですか?もちろんありますよ。何しろこの世界の最高峰である勇者パーティーがあの体たらくでしたからねぇ……数は多いですが、まぁ何とかなるでしょう。それに言い方はちょっとアレですけど……実験には最適かなと思いまして」
「実験?」
「そうですよ。この世界における魔法の威力や、効果範囲に消費魔力量などを検証するには絶好の機会ですよ」
この世界の魔力濃度からして、ギリギリまで発動魔力値を抑えれば、最上位の極大魔法も放てるんじゃなかろうか……七星剣の予備魔力タンクもいっぱいだしね。
偶には使わないと。
「でも……良いんですかねぇ?その、いっぱい殺しちゃう予定、カッコ笑いなんですが……摩耶さん、怒らないですかねぇ?」
「は?今更なに言ってるのよ……今まで散々、坊主達や聖騎士を始末してきたじゃないの」
どこか呆れた口調で酒井さんが言った。
黒兵衛も、
「無辜の民を虐殺するワケやないやろ。これは戦争やで?向こうはお前を殺す気で向かって来るんやで?それでも自分、手加減するんか?」
「あ、それもそうか」
なら何の躊躇いもないわい。
あくまでも正当防衛だ。
それに摩耶さん達を見つけ出す為の布石でもあるし、ここは一つ遠慮無く殺らしていただくとしよう。
「けど、化けて出たりとかしないですよね?物凄い怨霊になったりしないよね?」
それが一番の心配だ。
一万人の敵より一体の幽霊の方が俺は怖い。
「大丈夫や」
「ほ、本当か黒兵衛?その根拠は?」
「無い。せやけど、人間以外の種も普通におる世界なんやし……大丈夫やないか?あの軍を見てみぃ、何や凄いのもおるやんか」
「ふむ…」
確かに。
軍団の先頭を歩いているのは、確か南部諸侯連合とやらの、マウ……ガイトだったかな?
そんな名前の巨人種だ。
普通の人間の背丈は余裕であるであろう巨大なタワーシールドを持ちながら、悠々と行軍してやがる。
……
むしろあの種族は魔王軍側じゃないか?
「まぁ、幽霊云々は物凄く怖いけど、化けて出て来たら酒井さんに何とかして貰うとして……一先ず戻りますか。帰る頃には丁度晩飯の時間でしょうし」
「そうね」
と酒井さん。
「けど、直に敵を見る事が出来て本当に良かったわ」
「ですね。百聞はなんとかですよ。この目で敵を確認してなかったら、明日はどうなっていた事やら……間違いなく、直前になって右往左往してましたね」
★
第4軍駐屯最終防衛陣地、と言えば聞こえは良い単なる辺境の簡素な砦の中で、魔王軍首脳部は顔を顰めながらテーブルの上に広げられた地図を凝視していた。
会議室内の空気は非常に重い。
物理的な息苦しささえ感じる。
敵は南部諸侯連合とオストハム・グネ・バイザール帝国の合同軍。
魔王討伐軍の総数は約二十万。
その内十八万が西進し、明日には戦端が開かれるであろう。
彼我の戦力比は九対一……例え如何なる奇策を弄したとしても、一時凌ぎにもならないかも知れない。
いや、そもそも奇襲などに代表される奇策を用いようにも、この地の地形ではかなり難しい。
魔王軍から見て左手には、今も活発な活動を続けているバイネル火山郡。
そこから緩やかな斜面が続き、右手には名も無き深い森と、そこから続く大草原地帯だ。
兵を伏せるには、先ず右手の森しかない。
が、斜面だ。
下方からの奇襲は無理が有り過ぎる。
それに相手は、魔王軍にとっては憎き敵であり、また同時に恐るべき相手でもある大将軍バンブルヤーズだ。
此方の動きぐらい、容易に見抜くであろう。
エリウは整えられた綺麗な柳眉を指先でなぞりながら、溜息を一つ吐いた。
(ダメだ……勝てない)
戦力差が有り過ぎる。
愚かなゴブリンでもハッキリと分かる程、こちらが不利だ。
(ど、どうしよう……)
シングは、自分を有効に使え、と言った。
シングの力を借りるとすれば、自ずと作戦は一つしかない。
この砦に篭っての防衛戦だ。
敵を引き寄せつつ、シングに威力のある魔法を放ってもらい、敵軍に何度も出血を強いた上で撤退まで追い込む。
これしかない。
だが、二つほど問題があった。
先ずこの砦が敵の猛攻に耐えうるかどうかだ。
最終防衛陣地とは言っても、元々ここは侵攻の為の補給基地の一つだ。
亜人種が攻めて寄せて来るのを想定して造られてはいない。
そもそも魔王軍は、敵地へ侵攻してこその魔王軍だ。
防衛戦と言う概念その物が、前魔王の死後、已む無く生まれたものなのだ。
故に、砦や城における防御機能そのものが、まだまだ発展途上なのである。
城を敵地へ侵攻する為の拠点と捉えるか、領土防衛の為の拠点と捉えるか、それが魔王軍と人類系種族の軍との大きな違いでもあった。
その違いが、ここに来て魔王軍を苦しめているのだ。
そしてもう一つの問題が、北部の動きだ。
最新の情報に依れば、酒井魅沙希の看破した通り、敵はグレッチェの大森林を遅い速度ではあるが侵攻中との事だ。
総数はこちらも約二十万。
エルフのブリューネス王国と神聖ファイネルキア評議国の支援部隊の合同軍だ。
この北部からの侵攻に備える為、ここであまり時間を割く事は出来ない。
しかし篭城して戦う以上、敵を撤退に追い込むまでには時間が掛る。
(ならばいっそ、この砦から出て……)
エリウはそう考えるが、即座に首を横に振った。
(それこそ自殺行為だ)
砦から出れば、一気に敵の大兵力に飲み込まれるだろう。
シングが如何に強くても、雲霞の如く押し寄せる亜人種どもを全て喰いとめる事は不可能だ。
何処かから漏れた敵が一気に砦を抜くだろう。
そうなれば魔王城は陥落する。
それは即ち、魔王軍そのもの壊滅だ。
「……ウォー・フォイ」
エリウが良き意見を求め、脇に控える重臣に声を掛ける。
その時、まるでタイミングを見計らっていたかのように、部屋の扉がノックされた。
「どうした?」
近衛がシングの来訪を告げた。
同時に、部屋に居た幹部達が一斉に起立する。
「……ふむ」
現れたシングはいつも通りであった。
両の肩に黒兵衛と酒井魅沙希を乗せ、胸を張り、威厳に満ちた態度でゆっくりと室内へ入って来る。
それだけで場の空気は引き締まる。
まさに王者の風格だ。
(シング様は凄いなぁ)
その都度、エリウは思っていた。
自分には到底真似できないと。
あの恐ろしかった父でさえ、これほどの圧倒的な、他者を威圧する威厳は持っていなかった。
シングは室内を一瞥すると、軽く頷いた。
そして彼が次に放った言葉に、エリウは思わず驚きの声を上げてしまった。
「長の会議、ご苦労だな。だが、もう終わっても良いぞ?明日は忙しくなるから、今日は酒でも飲んで休め」
「え?え?」
終わっても良いって……え?何が?
「シ、シング様……それは一体、どのような意味で……?」
「そのままの意味だ、エリウよ」
シングは微かに鼻に掛るような笑いを溢した。
「昼に敵とやらを見に行ってきたのだが……ふ、あの軍に策などは通用せん。故に、作戦会議などは不要だ」
「で、では明日は……」
「ふむ、その事だが……この戦、指揮はエリウに任せると言ったが、あれが相手では些か荷が重かろうと思ってな。初戦で兵を無駄に死なすのも勿体無いし……明日は最初に我が出てやろう」
「シ、シング様が……ですか?」
「そうだ。全軍出撃し、敵の眼前に布陣。そこで私が敵を粉砕してやろう」
シングは事も無げに言った。
十八万もの敵軍の正面に堂々と立ち、自ら屠ると。
「ふふ、何を驚いた顔している?」
「い、いえ、その……」
「安心しろ、エリウ。敵を倒す方法など、幾らでもある。例えば……そうだな、我が不可視知の魔法を使い、誰にも悟られず敵首脳部全員の首を刎ねるだけでも、奴等は大混乱に陥るであろう」
「た、確かに」
エリウはコクコクと頷いた。
敵の指揮官や参謀がいきなり全滅すれば、シングの言う通り敵軍は大混乱に陥るは必定だ。
ましてや敵は大軍でしかも混成部隊。
一度混乱が起きれば、鎮めるのは難しいだろう。
そうなれば、寡兵と言えども魔王軍に勝ちを拾うチャンスはある。
敵は大軍だが、指揮する者が居なければただの烏合の衆だ。
(さ、さすがシング様……)
「だが……それでは些か興が無いな。そうは思わぬか、エリウよ?」
「え?」
(き、興が無いって言われても……)
「ふ……折角の好機だ。明日はお前に、魔王の本当の戦いと言うものを見せてやろう。楽しみにしておれ」
シングは微笑むと、踵を返してそのまま部屋を出て行こうとするが、ふと足を止めると、
「お、そうだ……ウォー・フォイ」
「は。何でしょうかシング様?」
今や実質的筆頭幹部となったウォー・フォイが、畏敬の篭った目でシングを見つめる。
「な、なに……大した事ではない。幽……いや、少し尋ねたい事があるのでな。すまぬが後で部屋に来てくれ」
「畏まりました」
「う、うむ。それでは皆のもの、大儀であった。今日は休むが良いぞ」




