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休日の魔王


 酒井魅沙希は、世間一般で言うところの生き人形だ。

意思を持ち、動きもすれば喋る事も出来る。

あまつさえ御飯まで食べる。

市松人形である彼女は、その存在自体が特S級の怪異だ。

しかも彼女は元は人間。

自分自身、それは分かってる事だ。

ただ、何故自分がこのような姿になってしまったのか……それは分からない。

その辺の記憶がまるで靄が掛かっているかのように、あやふやなのだ。

彼女自身、ハッキリと記憶が遡れるのは、ほんの三十数年ぐらいまで。

それ以前の事は殆ど憶えていない。

ふと、何気に昔の事を思い出したり、己の身の不思議さを解き明かそうと思ったりもしたが、日々の忙しさがそれを忘れさせる。

様々な場所で起こる様々な怪異の調査。

オカルト研究会として保護した九十九神等のか弱き怪異の世話。

そして己の教え子であり、友人でもある喜連川摩耶のサポート。

喜連川摩耶はしっかりしているように見えて、意外にドジな所が多々あるので、中々に目が離せないのだ。

そして最近、彼女を更に忙しくさせているのが……

「何してんの?」

部屋の扉を開けると、目に飛び込んで来たのは大泣きしている自称魔王ことシングの姿だった。

テレビを前に突っ伏し、声を上げて泣いている。

その傍らには使い魔の黒猫、黒兵衛。

どこか疲れたような顔で魔王を見つめていた。

全く……

酒井魅沙希は大きく溜息を吐いたのだった。



「うぉーーーーん……おろろーーーん!!」

ただいま僕チン、絶賛号泣中。

悲しい……

俺は今、猛烈に悲しい!!

この世の中、これほど悲しい事は今まであっただろうか……

いや、無い!!

「か、悲しいのぅ悲しいのぅ……おろろーーーん!!」


「一体、何がどうなっているのよ」

そう声を掛けてきたのは、何時の間にか部屋に入ってきた自立思考型呪い人形の酒井さんだ。


「しゃ、しゃかいしゃん。う、うぉぉぉぉん、うぉんうぉん……ぼぼ、ぼくは……」


「うわ!?き、汚いわねぇ……涙と洟でぐちゃぐちゃじゃない」

酒井さんは困ったような顔で、ハンカチを取り出して目鼻を拭いてくれるが……な、涙が止まらない。

次から次へと止め処もなく溢れてくる。

俺の涙腺は大決壊中だ。

河川域の住民は速やかに避難を。

「うぅぅ……うぉぉぉぉーん!!」


「ち、ちょっと……もう……黒ちゃん。一体この残念魔王に何をしたのよ」

「や、その……ちょっとな」


「黒兵衛は何も悪くない!!彼は俺に感動を与えてくれたんだ!!」


「鼻水を飛ばさないの!!まったく……隅の方でチーンしてなさいよ。……で、黒ちゃん。一体これに何をしたの?」

「わ、悪気は無かったんやで?ただ……何か面白いゲームはないかって言うさかい、ちょい昔の泣きゲーを薦めたら……御覧の有様や」


「うぉぉぉん!!悲しい……凄く悲しいよぅぅぅ……何が悲しいのか自分でも良く分からんけど」


「……眩暈がするわ」

「ワテはドン引きや」


「この世にハッピーエンドは無いんだ!!あるのは絶望と悲しみ……俺はもう、運命を信じない!!」


「黙ってなさいシング。はぁ……あのねぇ、黒ちゃん。魔王はゲームとかアニメに耐性が無いの。知ってるでしょ?だからすぐ感化されちゃうの」

「わ、分かってるんやで。せやから鬱ゲーは薦めんかったんや」

「そんなゲームやらしたら、間違いなく死んじゃうわよ、これ」

「せやね。まさか初期の泣きゲーでこれほど号泣するなんて……シナリオライターもビックリやで」


「あぅぅぅ……ぐすんぐすん」

俺は腕で目元をゴシゴシと擦り、ティッシュで鼻をチーンとする。

うむ、ちょっとだけ落ち着いたぞ。

「ふぅぅぅ……スッキリしたぜ」


「あら?もう大丈夫なの?」


「や、何か知らんけど、突然感極まっちゃって……いや、お恥ずかしい」


「感極まるどころか本気で狂ったのかと思ったわよ」

酒井さんはガックリと肩を落とし、疲れた溜息を吐いた。


「でもさ、俺……流した涙の分だけ、優しくなれた気がするよ」


「涙と一緒に脳細胞も流れ出たの?」

酒井さんはそう悪態を吐くと、部屋の中を見渡し、

「シング。アンタも少しは外へ出て体を動かしなさいよ。色々と鈍るわよ」


「むほ?あ~……黒兵衛と一緒に、散歩とかはしていますぞ?」


「コンビニへ行くのを散歩とは言わないの。全く……」


「うぅ~ん……確かに、鈍ってきたなぁ……とは思うんだけど、何をどうしたら良いのか、ちょいと分からなくてさぁ」


「だったらトレーニングルームを使えば良いわよ」


「トレーニングルーム?それって……何かテレビとかで見る、スポーツジム的な?」


「そうよ。屋敷の執事や常駐の警備員達が使ってる施設よ。摩耶に言って使えるようにしておくわ」


「ほほぅ……実はああ言う機械的な運動器具に、ちょいと興味があったんですよねぇ」

何しろ俺の世界には全く存在しない道具だからね。


「興味があるのは良いけど、だからと言って筋肉を見せびらかしたりはしないでよね」

「あぁ……やりそうや、コイツ。ああ言うのに嵌る奴って、何故か筋肉自慢とかしたがるし……」


「し、しねぇーよ!?ってか、そこまでムキムキにならねぇーよ。そもそも全く意味が無いじゃんか」


「そう?」


「そうですよぅ。その辺も人間と言う種族の不思議な所だと思いますぞ。日常生活で使わない筋肉を鍛えて、何をどうしたいんだ?ぶっちゃけ、あんなに筋肉が付いたら逆に動き難いと言うか、色々と仕事とかに支障を来たすだけだと思いますぞ」


「せやな」

黒兵衛が頷く。

「ま、あれは鍛えると言うより見せる事を基本にしてる筋肉やからなぁ」


「あれもまた娯楽とか趣味なのかなぁ。俺の世界……人間が言うところの魔界でも、筋肉の凄いのは確かに居たよ。街の鍛冶屋のおっさんとか。腕とか胸とかムキムキだったもん。けど、別に見せる為の筋肉じゃなかったしねぇ……逆に足とかは超細かったし」


「ま、何はともあれ少しは鍛えた方が良いわよ、シング。前に比べて少しふっくらとしてきたし」


「むぅ……それはいかんですな」

確かにお腹とか首周りが……

ただ、この人間界の御飯って美味しいからなぁ……ついつい食べ過ぎちゃうんだよね。

「と、そう言えばその摩耶さんは?今日は日曜とやらで学校が休みと聞きましたが……」


「今は勉強中よ。家庭教師が来ているわ」


「か、家庭教師!?何ともまぁ、厳しいようなときめくようなエロティカルのような……心騒ぐワードですな」


「また何か変な知識を吸収して……言っておくけど普通の先生よ。しかも女性」

そう言って酒井さんは、部屋に置いてある茶盆を引き寄せ、

「お茶淹れるけど、シングも飲む?」


「飲むで御座る。日本茶大好き」


「黒ちゃんは?」

「ワテは猫やで?」


「でも摩耶さんに家庭教師って……何か楽器とか絵とか、そう言った類の?」


「普通に勉強の先生よ。昔は嗜みとしてピアノとかお花とか色々と習っていた時期もあったけど……ま、色々と忙しくてね」


「ふ~ん……けど摩耶さんって、勉強とか凄く出来るイメージがあるんですけど……」

如何にもお嬢様って感じだもんね。


「出来るわよ」

酒井さんは湯気の立つ湯飲みを俺の前に置いてくれた。

「普通に出来る子よ。優等生なのよ」


「でしょうね。何となく雰囲気で分かります。けど、それだったら何でわざわざ……」


「学業より倶楽部活動を優先させてるからね。場合によっては何日も学校を休む事があるし……どうしても遅れがちになっちゃうのよ」


「ほへぇ…」


「魔王はどうなんや?」

と、お茶ではなくただの湯冷ましをペチャペチャと舌で舐めている黒兵衛が尋ねてきた。

「自分も一応は王族やろ?普通、王族って言うたら、色々専用の教師とかが付くんやないか?そないイメージがあるで」


「お、俺?俺はまぁ……いなかったよ」


「そうなんか?」

「魔界にはそう言う職業って存在しないの?」


「いや、ちゃんとありましたぞ。ってか、黒兵衛の言う通り、大抵の王族や上流貴族の子弟なんかには、勉強から剣術、魔法に薬学に中には酒の目利きとか色々と専属の教師が付くのが普通なんだけど……なんちゅうか、我が家は超放任主義と言うか子供の自主性に任せると言うか……ぶっちゃけ、田舎の小国の王にはそんなのは必要なかったんですよね」

そして予算も無かったしな。


「だからシングは残念な子に育っちゃったのね」


「ふは!?物凄く憐れんだ目で酷い事を言ってくれますねぇ。一応、勉強は普通に出来たんですぞ?礼儀作法だってヨハンに習ったし、剣術も城の警備隊長に教わって……」


「普通に出来たは嘘でしょ?どう見てもアンタは出来ない子よ」

「ワテもそう思う。せやけど話だけ聞くと、魔王の故郷ってのは物凄く辺境の国に聞こえるな。もしかして未開のジャングルか何かか?」


「ちゃんとした国だよ。そりゃ確かに、未開拓の場所も少しはあったりしたけど……ともかく、田舎ではあったけど辺境とか極地ではなかったぞ。気候も温暖で特に野蛮な種族もいないし、小さいけどダンジョンや遺跡もあったから、冒険者も頻繁に訪れていたしね。あと、僕ちゃん勉強は出来ました。赤点は取ったこと無いです」


「ふ~ん……でも、そんな平和そうな田舎の国だけど、謀反が起こったのよねぇ」

「魔王……ホンマは何かやらかしたんとちゃうんか?」


「や、前にも言ったけど、その辺の事情は本当に分からんのだよ。ただ、地政学的……とか言うのか?国の立地的に、ちょいと色々とあったから……結局はそれが原因かなと」


「どう言う事よ」


「ん?ん~……俺の世界も、この人間の世界と同じように沢山の国があるって言ったでしょ?んでさ、これも人間界と同じようにさ、超大国とかもあるワケなんですよ」


「その辺は何処の世界も同じなのね」

「ま、力有るモンが支配地域を拡大して行くっちゅうのは、ある意味自然の摂理やからな」


「人間世界だと、宗教や政治形態云々で国が大きくなったり同盟を結んだりとか……何かそう言う色分けってのがあるんじゃんか。俺の世界だとさ、支配している種族とか主に使用している魔法の系統とか……そう言うのでグループ分けされてるワケよ。んで、その中でも大きな国が四つあってさぁ…」


「話の流れからすると、それぞれ仲が悪かった感じね」


「まぁね。魔法系統もバラバラだし種族も違うし、けど国力はほぼ同じぐらいって事で、ライバル関係って言うの?まぁ仲は良くなかったですね。昔からしょっちゅう小競り合いを起こしていたし」


「それとシングの国とどう言う関係があるのよ?」


「……俺の国、その四つの国に挟まれていたで御座るよ。にんにん」


「……」

「そ、そらまぁ……難儀な立地やな。その四ヶ国の緩衝地帯に国を作ったようなモノやないか」


「だろ?まぁ……そもそもの建国が、その四ヶ国が争っている最中にどさくさに紛れて独立したような国だからねぇ……何代前の先祖がやったかは知らんけど。ただ、四ヶ国が互いに領有権を主張したり牽制したりしていたからさぁ、何とか微妙ながらも平和的に統治は出来ていたんだけど……終わる時は一瞬だったね。てへへへ」


「それで結局、何処の国が仕掛けて来た陰謀なのかは分からないの?」


「ん~……分からんし、まぁ……過ぎた事だからどうでも良いかなと」


「えらく淡白ねぇ」


「俺的にはどの国に対しても特に敵対心は持っていなかったし……ぶっちゃけ、政治とか外交からもまだ無縁な存在だったワケなんですよ。そもそもただの学生だったワケだしね。だから正直言うと、この世界に召喚されてラッキーだったって思っていますよ。もしあのまま魔界に居たら、間違いなく面倒な事に巻き込まれていた筈ですからね」


「面倒な事ってなによ?」


「え?分かるでしょ?何処かの国が俺の国に侵攻してきたんですぞ。他の三国がそれを黙って見ているワケないでしょうに」


「せやな」

黒兵衛が頷いた。

「多分今頃、ごっつい戦争が起こってるとちゃうんか」


「だと思うよ。だからこっちの世界に来て本当に良かったよ……」

あの世界に居たら、確実に死んじゃってたと思うしね。

「さてと、茶も飲んだし、そろそろトレーニングとやらをしてみますか」


「そうね。摩耶の授業もそろそろ終わる頃だし……あの子も少し運動不足だしね」



と言う訳で、摩耶さんに運動着を用意してもらい、大きな屋敷の一角にあるトレーニング施設にやってきた僕チン。

「ほほぅ……これは中々に凄いですねぇ」

現代スポーツ科学が何たらかんたら……細かい事はサッパリ分からんけど、ともかく様々な体を鍛える為の設備が並んでいる。

ただ……俺の目、即ち異世界からの視点で見れば、どれも拷問器具に見えちゃうから不思議だ。


「筋肉を付けるより、先ずは基礎体力を向上させましょう」

そう言ったのは摩耶さんだ。

長い髪を黄色のリボンで結び、赤色を基調としたトレーニングウェアを着ている。

中々に可愛い。

「だったら先ずは走りこみよ」

と、言ったのは魔人形の酒井さん。

特注なのか、摩耶さんとお揃いのウェアを着ている。

中々に不気味だ。

ぶっちゃけ、悪夢に出てきそうである。


「走り込みと言うと…」


「この最新型のルームランナーを使うわ」

酒井さんが何やら仰々しい機械を指差した。


「ふむ……形状からして、このベルトの上を走る感じなのかにゃ?」


「そうよ。このベルトが設定速度に応じて回転するから、足を動かすの。転んじゃダメよ」


「単純な仕掛けだけど……何か色々付いてますよ?目の前に大きなテレビとかあるし……」


「それは映像用。走る速度に応じて景色が流れるわ。もちろん、コースも選べるようになっているし、前から風が出てくる機能もあって、外を走っていると言う疑似体験が出来るようになってるの。で、他にも心拍数等を計測できるし装置も付いているし、あと坂道だと自動的に傾斜が付くようになっているわ」


「ほへぇ…」


「どう?凄いでしょ?」


「うん、確かに。けどさ、だったらいっその事……普通に外を走った方が良くないですか?」


「そう言うことは言わないの」


「了解ちまちた」


「じゃあ早速やってみましょう。摩耶も今日はちゃんと走るのよ」

と酒井さんが言うと、摩耶さんはグッと拳を握り、

「が、頑張ります」


「僕チンも頑張ります」


「じゃあコースと速度を選んでスタートよ」


「OKボス……」

俺は前面に付いているタッチパネルを操作する。

実にまぁ、我ながら手馴れたもんだ。

いやはや、こう言うシステムを作った者には素直に感心する。

確かに、この世界に来た当初は些か戸惑いもしたが……

何て言うのか、説明書とか読まなくても触っている内に自然に操作を覚える事が出来ると言うか、複雑そうに見えて実は単純と言う素晴らしいシステムだ。

……

何故か摩耶さんは操作に手間取っているようだけどね。


「んじゃ、走ってみますか」

スタートボタンをポチッとなと押す。

おおぅ、ベルトの回転に合わせて自然と足が……

あ、本当に風も吹いて来るし、巨大モニターに景色も……思ったよりも凄いなこれ。

「ってか、黒兵衛は走らんのか?」


「は?ワテは猫やで?犬ちゃうで」


「それもそうか」

ホッホッホッ…とリズム良く呼吸をしながら、ひたすら走る。

走る速度にちゃんと映像も連動している。

まさにバーチャルな感じ。

幻覚魔法にでも掛かった気分だ。

「と言うか……思っていたよりもキッツイな」


「おい。もう息が上がってきてるやないけ」


「い、いやいや。実際に走ると……足とか超痛ぇ」


「まだ二キロも走ってへんで」


「そ、そうなのか?」

うぅ~ん……実は今、体力の底上げの為に、スキルやアビリティの殆どをカットしている状態なんだよねぇ。

やっぱ素の状態だと中々に厳しいよ。

でもこの辛さが、俺の明日に繋がるのだ。

……

良く分からんけど。

「う、うぉう……い、息が……心の臓が……」


「ちょっとシング。あんた田舎育ちの癖に、もうへばってるの」

摩耶さんのルームランナーの機械の端に腰掛けている酒井さんが、呆れ顔で言った。

ちなみに摩耶さんは……あ、もう普通に歩いているや。

黒兵衛に到っては呑気に欠伸してやがるし。


「ぐ、ぐぬぅ……僕チンは田舎育ちだけど、温室育ちでもあるんだよぅ」


「ごちゃごちゃ言わないで走る。あと五キロよ」


「い、いえす・まむ」


「もちろん、それが終わったら他のトレーニングもありますからね」


「……」

初日なのに?

普通はもっとこう……マイルドなトレーニングから始めると思うんじゃがなぁ。










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