ジミヘン
着いた先は郊外の田園地帯だった。
陽の高さからして、今は午後のお茶を愉しむ時間のようだ。
「ほへぇ……これが人間界の田園風景ですか」
「や、そんなエエもんやないで」
俺の肩に乗っている黒兵衛が呟いた。
「普通の郊外や。駅前に大きなショッピングモールもあるけど、少し歩けば住宅街の彼方此方に田んぼが点在しとる、日本中どこにでもある中途半端な田舎って光景やで」
「ふ~ん、そう言うモンかぁ」
「では、渋澤はここで待っていて下さい」
「は。くれぐれもお気を付け下さい、お嬢様」
謎の枯れ枝爺ぃにそう声を掛け、摩耶さんがスタスタと前を歩き出す。
俺は興味深気に周りの景色を見ながら、その後を付いて行く。
観光気分と言うのか、目に映るもの全てが新鮮だ。
「陽気も良いし、空気も透き通っていて実に爽やかですなぁ」
「……相変わらず呑気やな、魔王」
「ん?そうか?」
「そうよ」
と、摩耶さんのマントを捲りながら、酒井さんが顔を覗かせる。
「それにどこが爽やかなのよ。流れている川だってドブ臭いし……空気だって、シングの世界の方が綺麗でしょ」
「ん?ん~……ま、そうかも」
確かに、川の水とかは魔界の方が綺麗だよな。
ま、そもそも川辺に住む種族も多いし……
「でも、なんちゅうか……匂いが違いますよ」
「ドブ川の?」
「違いますよ。何て言うか、空気の匂いかな。実に爽やかで御座る」
「そう?排ガスって気になる人にはかなり気になる臭いよ」
酒井さんがそう言うと、摩耶さんもコクンと頷いた。
黒兵衛も俺の肩で、
「魔界の方が空気が澄んでてエエ香りやろうが」
と言う。
「や、意外にそうでもないぞ。もちろん空気は澄んでるかも知れんけど……匂いは様々だぞ。良い香りがするなぁ……と思ったら、実は肉食性植物の罠だったりとかするし、その辺に野生生物の糞尿や食べ散らかした残骸とか転がっている場合もあって中々になぁ……山に行けば腐肉の匂いと共に屍鬼とかも出るんだぜ」
「あ~……少し分かるな。濃い動物園の匂いやな」
「ま、俺の世界だと匂いも危険を察知するシグナルの一つだからねぇ」
その点、この人間界……特に俺が現在住まわせて貰っている周辺は安全だし居心地が良いよ。
歩いていても漂ってくるのはお腹が空きそうな匂いばかりだもん。
中でも『うなぎ』とやらの香りは中々に胃袋を刺激する。
今度摩耶さんに頼んで食べさせて貰おう。
「ところで、あの変態爺さんは置いてきて良いのですか?」
「渋澤は対人戦闘のプロですが、オカルトに関しては……それに、変態ではないですよ」
と摩耶さん。
「いやいや、変態以外の何者でもないですよ?何しろ初対面の俺の腹をいきなり撫でて来たんですし……コミュニケーションを高速で通り越してますよ。あ、それとももしかして……それが人間種の特殊な挨拶の仕方とか?だったら俺、摩耶さんのお腹も撫でるべきですか?」
「あ、あ…い、いえ、それは……その……」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ、シング」
「ほらやっぱり……あれは変な事だったんだ。だったらあの爺さんは、俺の中で変態に決定ですよ。要注意人物です」
「確かに渋澤の行動は不可解でしたが……多分、何かシングさんを試していたのだと思います」
「試す?お腹を触って?……性感帯でも探していたのかな?」
だとしたらあの爺ぃ……次に触ってきたら問答無用で魔王パンチを喰らわしてやる。
「そうではなくて、純粋に戦闘力とかを……」
「戦闘力?体を触って測るのですか?そんな特殊なスキルがあるのですか?」
「それは……」
「あ~……どうやろうなぁ」
と、黒兵衛。
「あの爺さんは格闘技のプロや。筋肉の付き方とかで分かるんやないか?」
「なるほど。でも僕ちゃん、格闘技……体術と言うのか?そう言うのって、殆どやった事は無いで御座るよ?ぶっちゃけ、産まれてこの方、殴り合いもした事が無い。まさに平和の象徴でごわす」
「だからそんなにヘタレているのね」
「な、何を仰る酒井さん。そもそも俺の世界では、戦闘の基本は武器に魔法、後は個々の特殊技能がメインですよ?素手で殴り合うとか……正直、そう言う系統の種族でもない限り、それは悪あがきっちゅうか無駄な抵抗って奴ですよ」
「そうなの?」
「そうですよぅ。大体さ、その格闘技とやらって、人バーサス人を想定してるんでしょ?俺の世界じゃ様々な種族がいるんですぜ?いくら素手で強かろうが、空飛ぶ種族や粘体系の生物には勝てないですよぅ」
あと巨大な奴とかにもな。
「あ、なるほどねぇ…」
「だから素手での戦闘を訓練する暇があったら、武器の扱い方を練習していた方が余程有意義ですね」
「せやけど自分、武器とか魔法を使えん状況やったらどないするんや?」
「え?逃げるけど?」
「うわ……」
と言うような顔を摩耶さんも酒井さんもした。
黒兵衛に至っては『ヘッ』と鼻で笑ってくれる。
中々に心外である。
「お、おいおい……何か間違ってるか?勝てないと判断したら逃げる。これ、超基本ですよ?」
遁走専用のスキルや魔法もあるしな。
「た、確かに。ある意味、そうですけど…」
「……まぁね。生物的には間違ってないわ。自然界ではそれが普通だけど、ただねぇ…」
「自分……魔王やで?社会のトップやで?」
「うん……ま、言いたい事は分かるよ。確かにその辺は各々の個性と言うか性格と言うか……そう言うのがあるよ。俺は逃げも隠れもせん、とか言う自分に酔ってる系の魔王だって確かにいるさ。でも俺は違う。俺は逃げも隠れもする。あまつさえ土下座もする。それが俺の信念だ」
「自分……ホンマに凄いな。信念だって、堂々と格好悪い事言うなんて……大したモンやで」
「ふふん、だろ?」
「あぁ……クーデター起こされた理由が良ぅ分かったわ」
「ありゃま」
「で、でもシングさんは、お優しい方だと思いますが……」
そう摩耶さんが俺をフォローしてくれるかのように言ってくれるが、不意に険しい顔つきになるや、おもむろに前方を注視した。
更に手にした杖をギュッと握り締める。
酒井さんも同じく括り付けられている紐を外してそのまま摩耶さんの肩に飛び乗り、黒兵衛は俺の肩に微かに爪を食い込ませた。
「こ、これは少々……拙いですね、酒井さん」
「そうね。嫌な予感が的中したわね」
「気を付けろや、魔王……」
「え?え~と……なに?何がどうしたの皆?急にそんな真剣な顔して……僕チン、ちょっと不安なんですけど」
「え?シングさん……」
「ちょっとシング。まさか冗談を言ってるワケじゃないわよね?」
「魔王……マジか?自分、何も感じないんか?」
「聞き様によってはエッチな台詞に聞こえるけど……何も感じないぞ?実に長閑な雰囲気と言うか……あ、そうだ摩耶さん。そろそろオヤツの時間じゃないでしょうか?」
「え、えと……冗談で言ってるワケ……ではないみたいですね」
「シング。アンタ……脳みそにカビでも生えたの?」
「せやで魔王。この禍々しい妖気……何も感じんのか?」
「妖気?……はて?妖気ってにゃに?」
魔力も隠れている輩の気配も……特に何も感知しないぞ?
「一応、危険察知スキルとかも持っているけど……反応無しですぞ?」
つまり危険は無いって事だ。
「え?え?それって……寒気とかも何も?」
「まさか肉体的に霊力とかを感じないのかしら……」
「や、単に鈍いだけやないか?」
「何を言うか。俺は小動物のように敏感な男ですぞ。例えば……ここから見える、あの庭に木が何本か生えている家があるでしょ?あそこの中で現在、誰か息も絶え絶えで倒れて……あ、死んだわ」
「ほ、本当ですか!?」
「そこが今から向かう家よ」
「マ、マジか魔王。妖気を感じへんのに、何でそないな事が分かるんや?」
「へ?分かるも何も……助けてオーラみたいな物を感知しただけだぞ?あと生命体反応スキル」
普通は山で狩り等をしている時に使うスキルだ。
獲物を見失わない為にね。
「と、とにかく急ぎましょう」
そう言って摩耶さんが早足で駆けて行く。
肩に乗っている酒井さんがズリ落ちそうだ。
「んじゃ、僕チン達も行きますかぁ」
「エエけど、怖くても逃げたらアカンで、魔王」
「分かってるよぅ。その辺はちゃんと弁えてる。それに逃げたら晩御飯抜きになりそうだし……」
そんな事を言いながら、目的のお家へと近付く。
ちょっと大きな日本家屋だ。
木で出来た門があり、庭があってその奥に母屋。
……なるほど。うん、ディテールもアニメと同じだ。
旧家……とか言うのかな?
ボロく朽ち果ててるようで……意外にしっかりとしている建築物だね。
「お邪魔しますぅ」
門を潜り、そこから庭を歩いて玄関先へ。
摩耶さん達は既に中へ入ってるみたいだ。
「尋常じゃない妖気やでぇ…」
肩に乗っている黒兵衛がそう呟くが、やはり俺は何も感じない。
もしかしてもしかすると、皆が俺をビビらせる為に適当な事を言っているのかもしれない。
ふふん、だがこの魔王ちゃんは騙されませんよ。
「お?摩耶さん達を発見……って、何してんだ?」
摩耶さんと酒井さんは、狭い廊下から室内を見ていた。
背後から首を伸ばして中を覗くと、小汚い黒の装束に身を包んだ頭がツルツルの人間が倒れていた。
毎日髪の毛を剃っているのだろうか、絶妙なてかり具合だ。
「ふむ……」
俺は部屋の中へと入り、思わずその川原の石のようにテカテカしている頭を手の平で叩いた。
ピシャンと良い音が響く。
「って、おま……何してんねん!?」
耳元で黒兵衛が吼えた。
「や、どんな手触りかと凄く気になって……音も良かったね」
言ってもう一度ピシャリと叩く。
「あ、あんなぁ…」
「で、コイツ……誰だ?」
「ま、坊主やな」
黒兵衛がそう言うと、酒井さんがトコトコと歩いて来て、
「おそらく野良の拝み屋ね」
「何それ?」
「組織に属していない、密教系の術士よ」
「ほへぇ……良く分からんけど、ギルドに属していない賞金稼ぎとか冒険者、って所ですか?」
「ま、そんな所かしら。多分、どこかで依頼を受けて調査しに来たと思うのだけれど……」
酒井さんはそのまま、転がっているツルツル頭を調べ始めた。
摩耶さんは少し離れた所からそれを見ている。
「外傷は無いし……凄い恐怖の顔。やっぱり憑き殺されたのね」
「例のビワボークにですか?」
「その可能性が高いわ。漂う妖気からして……」
と、酒井さんの言葉を遮る様に、不意にベンベンベンと摩訶不思議な重低音が辺りに鳴り響いた。
実に単調な音色だ。
音楽の素人か?
「しまった!?」
酒井さんが叫ぶ。
「や……開きましたけど?」
目の前にある襖と呼ばれるスライド式扉がスゥーと音も無く開き、現れたのは生まれて初めて見る異形の生物だった。
薄汚れた着物を着ている爺さんのような形だが、首から上が楽器なのだ。
おそらく、あれが琵琶と言う物なのだろう。
酒井さんの言う通り、リュートに近い。
そしてその楽器に目と口が付いているのだ。
「ほほぅ……これはまた、何とも珍妙な」
ビワボクこと琵琶牧々と言う九十九神とやらは、己の顔の中心を走っている4本の弦を自分で弾き、何やら小声でブツクサ言いながら段々と近付いて来る。
音色は単調だが、中々に器用なもんだ。
大道芸で喰って行けるかも知れん。
「でも声が……萌えヴォイスだったら完璧なのに、しゃがれた声の爺さんじゃなぁ……あ、そうだ。最近、往年のロボットアニメとやらに嵌っていて……おい、爺さん。昔のアニメの主題歌とか歌える?熱血風味のヤツ」
――ベンベンベンベンベン♪
「や、ちょっと五月蠅いんだけど…」
――ベンベンベンベンベン♪
「ちょ…近付く近付くな。音が大きいし…」
――ベンベンベンベンベン♪
「こ、困ったなぁ……もう」
俺はおもむろに腕を伸ばし、その楽器の柄と言うのかネックと言うのか……細い所を鷲掴むや、そのまま半回転しながら壁に打ち付けた。
グワシャッ!!と鈍い音を立て、木製の琵琶が粉微塵に砕け散る。
「こ、これがロックか!?虐げられし者の叫びなのか!?」
「ちょ、おま……ホンマに何してんねん!?」
黒兵衛がツッコんで来た
「俺の魂に火が点いた!!」
「……あんなぁ」
「や、だって……言う事は聞かないし五月蠅いし近付いて来るし……ちょっと怖くなっちゃって。てへへへ」
笑いながら俺は、手に残っていた楽器の一部を放り捨てた。
「で結局……何だったんだ、コイツ?」
「それが琵琶牧々です」
酒井さんを抱き抱えながら、摩耶さんが言った。
「ありゃ?もしかしてあっさりと解決?……捕獲どころか粉砕しちゃったけど」
ミッション失敗でペナルティはないですよね?
「どうやら九十九憑きに堕ちていたようですが……シングさん。大丈夫ですか?」
「ふへ?何がでしょうか?」
「い、いえ……私も酒井さんも不意を突かれ、少し麻痺状態になってしまったのですが……」
「はにゃ?別に何とも無かったですよ?」
「マジか魔王?」
黒兵衛が目を丸くして俺を見上げる。
「結構効いたで、あの琵琶の音。自分、どんだけ鈍いねん」
「ふん、あんなモンはただの雑音だ。ロックじゃねぇぜ」
「……何を言うとんのや?」
「ま、それは冗談だけど……特に何も感じなかったぞ?」
俺は黒兵衛を抱き上げ、自分の肩へ乗せる。
「スキルが反応したから、恐らく魅了系の効果が少しはあったと思うんだけど……セイレーン族とかに比べると、ちょっとなぁ……俺の魂には響かないよ」
「はぁ……そうなんか。ま、やるやないけ魔王。ちょっと見直したで」
「ふははは!!そうだろそうだろ!!伊達に餓鬼のころ苛められてたワケじゃないぜ!!精神耐性には定評があるのよ!!」
「……何で悲しい事を自慢気に言うんやか」
「ですが今回もシングさんに助けられました。ありがとう御座います」
摩耶さんがペコリと頭を下げた。
「い、いやいやいや……居候として当然の勤めですよ」
少しは役に立たないと、僕ちゃん単なるヒモですからね。
「それより、あの隣の部屋に転がってるツルツルテカテカはどうします?燃やします?それとも剥製?」
「剥製にしてどないすんねん。お前はどこぞのサイコパスか」
「や、あのテカリ具合が何とも匠で……」
「そこは警察に連絡を入れておきます」
摩耶さんは少し困ったような顔で笑うと、酒井さんを腰に結わい付け、
「さ、戻りましょう。帰れば丁度、晩御飯の時間です」
「今日の夕食は、何じゃろうなぁ。カレーかハンバーグだと嬉しいのぅ」
「……お前は子供か?」