寝る子は育つ。しかし腐る時もある。
酒井さんと共に元の世界へと戻ると、倒れている火前坊のツルツル頭を、黒兵衛がベロベロと舐めている所であった。
猫舌で何度も繰り返した所為か、舐めている箇所が赤くなっている。
ヒリヒリと少し痛そうだ。
「どう黒ちゃん?そいつの具合は?」
「身体もボロボロやし、妖力もかなり減ってるで。回復するには少し掛かりそうや」
黒兵衛は少し疲れた顔を見せながら言った。
「それより、どやった?あの坊主どもは」
「始末したでごわす」
俺は鼻息も荒く答えた。
「ゲーム機の恨みは結界内で返したでごわすよ」
「そら良かったな」
「さて、摩耶を起こさないと……」
肩に乗っている酒井さんは、そのまま固まっている摩耶さんの肩へと飛び移ると、額に貼ってあったお札を剥がした。
それと同時に摩耶さんが何度か瞬きを繰り返し、
「さ、酒井さん!!」
「あ~はいはい。落ち着きなさい、摩耶」
「お、落ち着きなさいって……あの人達をどうしたんですか!!」
「シングがお仕置きをしたわよ」
「したで御座る。ツルツル頭を百叩きの巻で御座るよ、にんにん」
「シ、シングさん……」
「さて、と」
酒井さんはおもむろに、袂から携帯を取り出した。
……
人形サイズのスマホだ。
物凄く小さい。
おそらく、芹沢博士のオリジナルだろう。
「……あ、もしもし?慈海?私よ……分かるでしょ?」
酒井さんは不敵な笑みを溢しながらスマホ片手に話している。
「そうよ。酒井魅沙希よ。慈海……あんた、随分と私に舐めた真似をしてくれたわねぇ。全部、あの宋念とか言う坊主から聞いたわ。隙あらばこの私を……は?誤解?なに寝ぼけたこと言ってんの?取り敢えず、覚悟は良いかしら?……説明?今更何を……は?使者を寄越す?……アンタが自分で来なさいよ。もちろん、何か手土産を……手土産の意味は分かるわよねぇ……え?宋念?知らないわよ。あの火前坊と激しく戦ってたみたいだけど……全滅したんじゃない?私の関知する所ではないわ」
酒井さんはフンと大きく鼻を鳴らし、一方的に通話を切った。
「さて、これで少しは時間が稼げると良いけど……」
「さ、酒井さん」
「話は後よ、摩耶。先ずはそこの火前坊を治療しないと。シング。あんた治癒系の魔法は?」
「ふにゃ?僕チンですか?もちろん不得手です」
「そうなの?」
「自己治療方面に特化しているせいか、他者の治療は……一応は使えるけど、効果に対して魔力の消費が半端じゃないんですよ」
「何となく、アンタらしい感じね。ま、私もあまり得意な方じゃないけど」
そう言って酒井さんは摩耶さんの肩から飛び降りると、火前坊の元へと近付き、その頭にお札を一枚貼り付けた。
そして指先をそれに当てながら、何やら短く詠唱。
火前坊がくぐもった声を上げ、微かに目を開く。
「に…人形の妖……それに異国の人か……」
「治療中よ。今は目を瞑って寝てなさい。話は起きたら聞くわ」
「……すまぬ」
火前坊は目を閉じ、そしてまた荒い息を吐き始めた。
「それで酒井の姉ちゃん。これからどないすんや?」
ベロベロと毛繕いしながら黒兵衛。
酒井さんは微かに眉根を寄せ、横たわる火前坊を見つめながら、
「先ずは話を聞いて……全てはそれからね」
「ワテとしては、あんま関わらん方がエエと思うんやけどなぁ……何か、ものごっつ面倒な事になりそうやで」
俺もそう思う。
「……そうね。直接的には私達と関係は無いと思うんだけど……何か色々と気になるのよねぇ。辻褄が合わない所も多いし……」
「そうなんか?」
「火前坊は調伏十三流に封じられていた大妖。それが封が解けて逃げ出した。それを明王隊が追っていた。けど、円順坊主が持っていた謎の書を奪ってまた逃走した」
「奪ってと言うか僕チンが渡したんですどね。わははは」
「で、それを使って火前坊は何かをしようとしている。が、調伏十三流は事前にそれが分かっていた。そこで調伏十三流は待ち構えていて……ちょっとキナ臭いわねぇ」
「どの辺がや?」
「実はついさっき、宋念坊主から聞き出したんだけど、慈海は火前坊を捕らえろと命令したらしいのよ。けど、浄徳……だったかしら?その坊主は、火前坊を追い詰めるだけで良いって……何か、色々とおかしいわよね。命令系統が一本化されてないのかしら?そもそも捕らえろだの追い詰めろだの……前にも言ったけど、何で滅しようとしないのかしら?調伏十三流は、妖怪を見つけたらその場で退治するってのが基本方針の筈なんだけど……」
「……なるほど。魔王……自分はどない思う?」
「ふにゃ?あっしですか?」
摩耶さんと一緒に壊れたゲーム機の破片を集めていた俺は顔を上げ、ポリポリと頬を掻きながら、
「う~ん……退治しないのは、普通に考えれば理由は二通りあるんじゃね?一つは相手が強過ぎるから。もう一つは何かしらの利用価値があるから。そんな所だろうねぇ」
「そうね。私もそう思うわ。調伏十三流的には、この火前坊には利用価値がある。この妖怪を使って何かをしたい的な事が……異なる命令は……うぅ~ん……内部の派閥争いかしら?慈海は捕らえろと言って、浄徳とか言う坊主は追い詰めろと……うぅ~ん……」
「追い詰めろって、精神的じゃなくて物理的って事ですよね?となると、このファイヤー坊主を罠に掛けるって事か、はたまた追い詰めた先で何かやらせたいのか……と考えられますね」
「……そうね。しかし慈海は捕らえろと命令出して、円順とか宋念とかの明王隊で火前坊を追い詰め、手傷を負わせたと。これって、浄徳とやらの命令とは違うわよね。利用価値があるにしても、慈海は捕らえようとして……けど浄徳はそのまま逃がしてその先で……うぅ~ん、やっぱり情報が不足しているわね」
「……慈海ってのは、酒井さんの知り合いでしたよね?」
「知り合いって言うか、昔ちょっとね。沙紅耶と組んでた時に、知り合って……もちろん、友好的な関係じゃなく、どちらかと言うと敵対関係に近いけど」
酒井さんはそう言って、摩耶さんを意味深な目で見つめた。
「ま、ぶっちゃけて言うと、沙紅耶の仕事の邪魔をして来たわけなのよ。それで色々とね」
「へぇ…」
「で、その慈海がどうしたの?」
「や、この慈海ってのは、なんちゅうか……あんまり考えてない輩じゃなかろうかと思って。ファイヤー坊主の利用価値とかそう言うのは深く考えず、単に逃げたから捕まえてまた封印しておこう……と、その程度しか考えていなかったのでは?何か行き当たりばったりな感じがするんですよねぇ……本気で捕らえようとするなら、最初から明王隊でしたっけ?それを全部隊繰り出して、一気に捕らえれば良いんですし、利用する気なら監視して泳がせて置けば良いだけですし……何か、やってる事が場当たり的なんですよね。こう言うのを弥縫策って言うんでしたっけ?」
「……なるほどね」
「逆に浄徳って輩は、何か策士的な匂いがプンプンとしますねぇ。ちょっと穿ち過ぎな気もしますが、もしかしてこのファイヤー坊主の封を解いたのは、実はこいつの仕業って線も……」
「確証は無いけど、その可能性もあるかもね」
酒井さんは顎に指を掛け、低い唸り声を上げた。
黒兵衛も猫の癖に小難しい顔で、
「浄徳ってヤツがわざと火前坊を逃がした。そして何かしようとしている。けど慈海はそれを知らん。異なる命令が出たのも理解できるな」
「だろ?」
ちなみに摩耶さんは、何故かキラキラした瞳で俺を見つめていた。
な、なんじゃろう?
ちょいと怖いぞ。
「ただ、あくまでも俺個人の考えだし、証拠も無いからあくまでも憶測ですけどねぇ」
「何にしても、この火前坊が回復しないと始まらないわね」
「どれぐらいで回復しそうで?」
「全快は時間が掛かりそうだけど、普通に歩いたり話をするぐらいなら、一晩も寝れば大丈夫よ」
「なるほど。ところで……僕ちゃん、今晩はどこで寝れば良いので?」
部屋はぐちゃぐちゃだし、すぐそこで火前坊がウンウンと唸ってるし……
「ん?ここで寝れば良いじゃない。火前坊も見張ってて欲しいし……アンタなら平気でしょ?」
「え~……僕ちゃん、こう見ても意外にデリケートなんですよ?寝る時は落ち着ける場所で静かに……」
「……あぁ?」
「冗談です。野宿も経験済みです。便所の隅でも寝れます」
「でしょ。なら問題は無いわね。あ、黒ちゃんも一緒にお願いね。シングだけだと心配だしね」
★
――その夜……
ゲームで遊べないので漫画を読みながらいつしか眠っちゃっていると、不意に頭の中で小さな警報音が鳴り響いた。
動体スキル反応だ。
薄っすらと目を開けると、闇の中で金色に光る黒兵衛の瞳が見える。
やれやれ……
軽く溜息を吐き、俺は寝返りを打ちながら面倒臭げに呟いた。
「おい、ファイヤー坊主。何処へ行く?便所か?」
「……」
「助けてやったのに、礼も言わずに出て行くのはどうかと思うぞ」
「……すまぬ。だが貴方方にこれ以上の迷惑を――」
「――寝てろ。その身体じゃ無理だ。ってか、俺の勘だが……罠だぞ。連中はお前さんが来るのを万全の態勢で待ち構えていると思うぞ」
「……」
「とにかく朝まで寝ろ。んで飯食って身体を回復させろ。そして話を聞かせろ。場合によっては助けてやるから……あ、ちなみに言っておくけど、この部屋からは出れんぞ。酒井さんが万が一を考えて強力な結界を張っていったからな。あと、お前が逃げ出すと僕チン、号泣必至の折檻を受けるし……俺の身の安全の為にも、取り敢えず今は寝てろ」
「……すまぬ」
「気にすんな。んじゃ、お休みぃ」