フラワーオブエビル/勇者の誇りと情熱を
あれがヨモツヒラカサ島か……
セリザーワこと芹沢は微かに揺れる船上から目を細め、前方より段々と近付いて来る島影を見やる。
波は穏やかであり、ここまでの船旅は至って快適であり平穏だった。
しかし心に何かザワつくモノを感じる。
それは島が近付いて来るにつれて余計に顕著だ。
つまり、本能が危険を察知していると言う事かねぇ。
芹沢は潮風で少しゴワついている髪を撫で付けながら、何気に皆の様子を覗う。
ヨモツヒラサカ島にあると言う精霊教会の総本部。
教会そのものが真なる悪であり、その正体は千五百年近く前に日本から飛ばされて来た黄泉の邪神達の巣窟……その事実を知っているのはディクリスにリッテン、そしてシルク。
そう、シングと繋がりのある者達だ。
彼等は固い表情で近付く島を見つめていた。
張り詰めた緊張が此方にまで漂ってくるような感じだ。
まぁ、仕方ないかねぇ……と芹沢は思う。
何しろ敵の本拠地へと乗り込むのだ。
しかも敵は恐ろしく強い。
緊張するなと言う方が無理であろう。
ふと、視線を横に向けると、摩耶の姿があった。
彼女は先に襲ってきた連中が教会の手の者とは知らない。
にも係わらず、戦闘を控えた時のような静かな緊張を保っている。
何か感じる物があるのだろう。
それに引き換え……
芹沢は静かに息を吐いた。
陽気な顔で船員達と談笑しているのは、当代の勇者オーティスと、彼の友人である巨漢のクバルト。
両者とも先の戦闘で教会からの刺客により殺されたが、シングによって蘇った者達だ。
……まぁ、クバルト君は仕方がないとして……何も感じていないのかねぇ。
とは言え、オーティス君があからさまに緊張していては教会の者達の警戒を招きかねないのも事実だし……ま、このままで良いか。
芹沢は僅かに苦笑を溢すと、オセホビット族のシルクを呼んだ。
「なんだい、セリザーワ様」
「いや、今の内にシルク君にこれをね」
言って腰に下げた小さな布袋を手渡す。
「自家製の術札に、ちょっとしたアイテムだよ。敵は冥府の化け物だからねぇ……対闇属性に特化した物を幾つか作ってね」
「ありがとう、セリザーワ様。でも、これで勝てるのかい?」
「いやぁ~……先ず勝てないね」
芹沢は朗らかに笑った。
「そ、そうなのかい?」
「あくまでも護身用のアイテムだよ。敵を倒すアイテムではないし、そもそもこの戦力ではねぇ」
「マーヤ様でも勝てないのかな」
「敵は神の眷属だからね。マーヤは確かに強いが……まぁ、充分に作戦を練り、必要なアイテムを揃えれば何とかできるかも知れないが……現状では厳しいねぇ」
芹沢がそう言うと、シルクは腕を組み、少しだけ下唇を突き出しながら唸った。
「ふふ、そんなに心配することはないよシルク君。勝つことは出来ないけど、防御に徹すれば何とかなるさ」
「……魔王が来るまで辛抱するって事だね」
「そう言うことだ。連絡によれば新しい仲間も出来たと言う事だし……ふふ、どんな人物なのかねぇ」
「でも結局さ、奴等はオーティスに何をする気なんだろ?何か力を与えるとか言ってたけど……」
「ふむ…」
芹沢は顎に手を掛け考える。
シルクの言った通り、そもそもの敵の狙いが分からない。
敵は黄泉の眷属神……仮に本当に力を与えるとしても、それはロクな力ではないだろう。
「ふふ、オーティス君を闇堕ちでもさせるのかな」
「闇堕ち?なんだいそれ?」
「悪に染めるって事さ」
「それって魔法か何かでかい?」
「精神作用系の魔法……と言う手段もあるかもね。オーティス君は心に隙が多そうだからねぇ」
「……」
「まぁ、そんなに心配する事はないさ。もし仮に、オーティス君が闇堕ちして敵の意のままに動く存在となってしまっても……弱いからね」
「……」
「そう言う意味では、心配なのはむしろマーヤの方だよ」
芹沢がそう言うと、シルクは頭を乱暴に掻き毟った。
「そうだね。マゴスの難民キャンプの時も……かなりの期間、塞ぎ込んでいたからね。そう言う意味ではマーヤ様は心が弱いのかも」
「まぁ、弱いと言うより経験が不足している所為かも。それに優し過ぎるからねぇ……そう言った心は闇堕ちし易いんだよ。いやはや、どうしたもんかねぇ。最悪の展開を想定するだけで胃が痛くなるよ」
「オイラもさ、セリザーワ様」
★
白地に金糸銀糸で縁取られた豪奢なローブを身に纏った男の前に、温和な顔をした初老の男性が恭しく頭を垂れる。
「報告します、ヤマナー枢機卿様。ただいま勇者オーティス様が港に着いたと連絡が……」
「……そうか」
枢機卿と呼ばれた男が、ゆっくりと頷く。
短く刈り揃えられた顎鬚に鋭い眼光。
分厚い胸元に広い肩幅。
そしてその身から自然と醸し出される圧倒的な威圧感。
聖職者と言うより何処か武人然とした男は小さな息を吐くと、
「案内してまいれ」
言葉少なくそう言って軽く手を振った。
一介の司祭であろう初老の男性は再び恭しく頭を下げ、足早に去って行く。
「……勇者か」
と、どこか侮蔑するように枢機卿が呟く。
「大智雷め。一体何を企んでるのか」
★
「……あれが勇者か」
島の港が一望できる小高い丘の上に、村人が着るような簡素な布の衣服に身を包んだ男が一人佇んでいた。
少し痩せ気味の何処にでも居るような優男ではあるが、眼光だけはまるで猛禽類のようにやけに鋭かった。
その男の視線の先には、今着いたばかりの船。
降りてくる人々の中には勇者一行も含まれていた。
彼はそっと自分の片目に手を添える。
そして空いているもう片方の目に意識を集中。
瞳が鈍く光る。
『分析』
男の持つ特殊技能の一つだ。
文字通り、対象の能力値等を測定するポピュラーでもあり使い勝手の良い技能だ。
ただ同じような能力を持つ魔法である『鑑定』や『探知』とは違い、測定深度が技能の熟練度に左右される場合も多いし、何より観測対象が生物の場合、相手に察知されてしまう可能性が高いと言うリスクもある。
だがそれでも、魔力を消費しない技能と言うモノは実に重宝だ。
「これはまた……酷いな」
脳内に開示される勇者オーティスの能力値を見て、思わず呟いてしまった。
それ程に酷かったのだ。
ふ~む、この能力を得てから数百年、様々な勇者の能力を見てきたが……これほどとは。
多少腕に覚えのある街の冒険者と変わらんではないか。
……
いや、年齢から考えれば上出来だが……しかし……
男は軽く首を振り、分析対象をオーティスの後ろを歩く男に変える。
『分析――妨害』
男は察知されないよう、瞬時に能力を切った。
……ふむ、なるほど。分析が失敗と言うのはママある事だが、よもや妨害とは……予想通りあの者、倭からの転移者か。しかもかなりの強者と。となると報告にあったあの二人の少女も……
男の顔に薄い笑みが浮かんだ。
彼等がどう動くか見定め、出来れば助力を求めたい所だが……説得はかなり難しいだろうな。
何しろ私は黄泉大神に連なる者……人からすれば邪神であろうし。
しかし、やらねばならん。
この世界を滅ぼさない為にも……
男は意を決したかのように唇を固く閉じ、踵を返した。
腕利きの部下からもう一つ報告があったのだ。
それは港以外の場所に、見知らぬ小船が漂着したとの事であった。
予想通り、か。
おそらくは勇者スティングと名乗る者であろう。
その正体は未だに分からない。
が、この世界の者ではないだろうと確信を持って言える。
強過ぎるのだ。
更に言えば、人間ではないとも思われる。
やはり異世界の神、又はそれに類する者と考えるのが妥当か。
しかし、それが倭の転移者とどう繋がっているのか……
それに、真なる魔王とやらもだ。
何をしたいのかが全く読めない。
「……ともかく、今は倭からの転移者とスティングと接触する事が肝要。ま、賭けではあるがな」
男はそう独りごち、小さな溜息を吐いたのだった。