アセトアルデヒド
バルジェス爺さんの家を辞した後、あっちへフラフラこっちへフラフラと覚束無い足取りで帰宅の徒につく僕チン。
火照った顔に当たる夜風が実に気持ち良い。
「いやぁ~何らかとっても愉快な気分だねぇ~……うひゃひゃひゃ」
「飲みすぎやで、自分」
と呆れた声で肩にしがみ付いている黒兵衛。
「爺さん家にあった酒まで呑んで……ベロベロやないけ」
「なぁに、まらまらホロ酔いよ」
「嘘吐くなや。呂律すら廻ってへんやないけ。ホンマにこの酔っ払いは……酒井の姉ちゃんに見つかったら、泣くまでシバかれるで」
「頭が固いんれすよ、あの人は。ま、人形らかだ本当に硬いんれすけどぅ……うひゃひゃひゃひゃ」
「……自分、怖いモン知らずやな」
「良し、黒兵衛。もう一軒行こう、もう一軒」
「ドアホ。とっとと帰って寝ろや」
言って俺の頬に軽く猫パンチ。
「まらまら宵の口じゃーい」
黒兵衛は大きく嘆息した。
「あんなぁ、明日は忙しいんやで?明後日にはあの爺ちゃんと出発やから、明日中に全部の仕事を片付けなきゃならんのやで?」
「……」
「なんやねん、その不思議そうな顔は?」
「僕チンに仕事なんかあっらっけ?」
「残念ながらあるんや。お前みたいな駄目魔王でも、名目上はトップやからな。色々と決裁しなきゃならん事もあるし、そもそも明日は外交会談とかもあるんやで」
「……」
「あ?なんや?どうした?」
「……気持ち悪くなってきら」
なんだか胃の辺りがムカムカしますぞ。
「ホンマに残念な男やな。そもそも種族的に毒に対して抵抗があるとか前に言ってなかったか?」
「そうなんらけど、何故かアルコールに関しては効果が薄いんらよぅ。ま、その方が愉しいからエエけろ……うげぇぇぇ」
口の中に酸っぱいものが込み上げて来た。
「イザと言うときに困るやろうが」
「そん時は完全無効化の魔法を使うよぅ」
「なら今使えや」
「……なんか勿体無いのら」
「本当にお前は……」
「ん?ろうした?」
黒兵衛が耳を動かしながら目を細めていた。
前足の爪も肩に少し食い込んでいる。
「気付かんのか?何や殺気が……」
と黒兵衛が呟くと同時に、いきなり目の前に巨大な門の様な扉が出現した。
ふにゃ?な、なんら?
酔い過ぎて幻覚でも見てるのかにゃ?
等と少しでも気を抜けば落ちそうになる瞼を支えながら謎の扉を見つめていると、
「く、来るでッ!!」
黒兵衛が吼えた。
刹那、軋むような重い音を立てて謎の扉が開くや、そこから現れる人影。
心臓を槍で突かれた様な圧倒的な殺意。
足の爪先から頭頂部へと駆け抜ける戦慄。
俺は「うひぃ」と声にならない声を上げるや、黒兵衛を両の手で頭上に掲げながら華麗なる土下座(特殊戦技)を決めた。
「……アンタ、何時まで遊んでるの?」
頭上から響く、聞き慣れた声。
恐る恐る顔を上げると、そこにはリッカに抱えられた魔人形の酒井さんが、それはもう地獄の鬼も死んだフリをしちゃうぐらいの形相で立っていた。
って言うか、魔法も使ってないのに一瞬でアルコールが分解され酔いが醒めた。
何て恐ろしい……
「エリウ達が遅くまで仕事してるって言うのに、こんな時間まで遊び呆けて……」
腹の底に響くような低い声。
俺は分身するような勢いで首を横に振り、
「いやいやいや、遊んでないですよ?連絡したじゃないですかぁ」
「何とかってお爺さんの事ね。その割には随分と御機嫌じゃないの。お酒は美味しかった?」
「酔ってないです」
いや本当に。
酒精分は酒井さんの声を聞いただけで蒸発してしまったのだ。
俺は『エヘヘ』と愛想笑いを浮かべながらリッカから酒井さんを受け取り、肩に乗せた。
代わりに黒兵衛をリッカに手渡す。
「あ~……ところで、例の忍者モドキはどうなりました?」
肩に乗った酒井さんは俺の頬を少し強めに抓ると、
「別に……単にこの街の動向を探りに来ただけみたいね。何しろ魔王や各国の重鎮が集まるんですもの。会談の内容とかを探りに来たんでしょう。それ以外の情報は特になかったわ。と言うか聞き出せなかったわ。何か特殊な魔法が掛けられていたみたいなのよ。教会について聞き出そうとした瞬間、全ての記憶が抹消されたみたい。全員、言葉すら忘れて赤ちゃんみたいになっちゃったわ」
「ありゃま」
記憶操作系の魔法か。
まぁ、諜報員に掛けるには最適魔法だけど、中々に用意周到じゃないか。
「で、どうしました?」
酒井さんは軽く肩を竦めた。
「始末したわよ。生かしておく方が哀れだわ」
「確かに」
「それで?そっちのお爺さんの方は?何か面白い話でも聞けた?」
「……まぁ、色々と」
俺はゆっくりと歩きながら、バルジェス爺さんから聞いた話を掻い摘んで話す。
酒井さんは時折ウンウンと頷いて話を聞いていた。
リッカも真剣な顔だ。
「――と言うわけで、あの爺さんも山あり谷ありモハメドアリな人生を送っているんですよぅ」
「アンタ本当に異界の魔王なの?ま、それはともかく……結果的に、エリウの両親は連中に殺されたようなものね」
「ですね。まぁ、奴等が歴史の裏で動いていたと言うのは予想出来てはいた事ですけど……思ったより、その根は深かったと言う事で。あ、一応……デリケートな部分は他言無用って事で」
「そうね。エリウはともかくティラとかは暴走しそうだし……」
「まぁ…ね」
何しろ親衛隊の女の子達の殆どは、エリウちゃんのお袋さん、エーサルさんに助けられ、そのまま彼女付きの武官として魔王軍に入ったのだ。
真実を知ったら問答無用でバルジェス爺さんを殺し、教会に突撃を敢行する知れない。
うむ、実におっかねぇ。
「あぁ、そう言えば少し面白い話を聞いたわ」
と、酒井さんが俺の耳を引っ張った。
「面白い話?」
「えぇ、帝國の使者の一人からね。何となく雑談をしている時に出た話だけど……ま、簡潔に言うと、今から約千年前にバイネル火山が大噴火を起こし、大陸南部から西部に掛けて大規模な地震などが発生したって話よ」
「バイネル火山」
はて?何処かで聞いた覚えがあるような無いような……
「アンタが爆発させた山よ」
「あぁ、そう言えばそんな名前でしたね。ってか、一介の使者が何でそんな事を知ってるんで?今まで色々と調べた筈ですが……」
「かなりの読書家って話よ。人間界にも居たわね、その辺の学者より詳しい知識を持ってる人って」
「へぇ、雑学王の類ですか」
「そう言うこと。仕事で勉強しているより、趣味で勉強している方が効率が良いのかもね。で、その彼曰く、その時の大地震はかなりの広範囲に渡ったそうよ。その所為で滅んだ国や都市も幾つかあったみたい。それに魔王領でもかなりの被害が出たって話なのよ。詳しい事は帝國の大図書館に資料としてあったらしいけど……魔王アルガスの侵攻に伴い、建物ごと灰になったって話よ。だから今では詳しい事は分からないのよね」
「ふ~む、地震ですか」
そう言えばベルセバンのダンジョンが滝壺に沈んでいたのも、落石などで川の流れが変わった可能性もあると推測していたんだが……なるほど、大地震か。
「その地震の影響でダンジョン深くにある結界の一部が破られた、もしくは一時的に穴みたいなものが開いた……って可能性もありますねぇ」
「そうね。地震が発生した時期と精霊教会の成立や人間の勇者の誕生と……どれも時期が近いわ」
「こりゃいよいよ、あのデュラハン君に話を聞かないといけませんな。クライマックスが近いでごわすよ」
「ま、その前に色々と終わらせなければならない事も多いけどね」