シンノスケの諸国漫遊紀/其の四
恐怖を顔面に貼り付け、直立したまま微動だにしない謎の刺客達を放置し、俺はバルジェス爺さんの元へと近付く。
「よぅお爺ちゃん。無事だったでやんすか?」
そしてそう気さくに声を掛けた。
爺さんは微かに溜息を吐くと、服に付いた埃を払いながら
「何とかな。助けてくれてありがとう、お若いの」
「なに……しかし爺さん、アンタ一体何をしたんでやんす?精霊教会の連中に命を狙われるなんざ、徒事じゃねぇでやんすよ。もしかして聖女様の下着でも盗んだのかい?」
「そういう御主こそ、精霊教会とは何やら因縁があるようじゃが?」
爺さんの目が僅かに細まる。
「おや?どうして分かったんで?」
「奴等を教会の者と見抜いたからのぅ」
「あ~……そりゃそうでやんすねぇ。普通に見れば、ただの強盗の類と勘違いしやすからね」
俺は肩を竦めながら答えた。
「なに、あっしは教会の連中とちょいとイザコザがありやしてね。この黒尽くめの連中に襲われたりもした経験もあるんでやんすよぅ……へっへっへ」
「ほぅ……襲われたとな」
「そう言うことでやんすよ、バルジェスさん」
「ふむ。しかしお若いの、ワシの名を一体何処で……」
「あぁ、ジルコフさんに聞きやした」
「そうか。ジルコフ殿か」
「で、さっきも言いやしたが、あっしは実は人材斡旋業も営んでおりやして……あぁ、立ち話もなんですね。どこかでゆっくりと話をしたいんでやんすが……」
「……ワシの家に来るか?ま、大した物は無いが、礼もしたいしのぅ」
「はは、こりゃどうも、お気遣い無く」
言って俺は手にしていたバスケットを軽く掲げた。
「実は酒と料理を持って来てるんですよ。そろそろ夕飯の時間でやんすからね」
「そりゃありがたい。何しろワシは独り身じゃからのぅ」
爺さんは笑いながら歩き出す。
「こっちじゃ」
少しヨボヨボとした足取り。
が、体幹はブレてない。
何より周囲に注意を払っているのが気配で分かる。
ふ~ん……僕ちゃんにも警戒しているってか。
もし仮に俺が今背後から攻撃しても、余裕で躱すだろう。
うん、さすがだねぇ。
そんな事を思っていると、肩に乗っている黒兵衛がテレパスで脳内に話し掛けてきた。
『おい、魔王』
にゃ?なんだ?
『あれ、どーすんのや?』
あれ?あれとは一体……
『アホ。放置している忍者もどき供や』
あぁ、忘れてた。取り敢えずティラ達に連絡して持って帰るように言おうか。尋問は酒井さんに任せよう。
★
爺さんの家は、街の中心からやや外れた所にある、何の変哲も無いちょいと寂れた雑貨屋の二階であった。
良く言えば歴史を感じさせる情緒的な古民家建築物。
悪く言えば倒壊間近の中古物件だ。
ゴキブリとかネズミとか超居そうな雰囲気。
う~ん、知名度から言えばもっとマシな所に住めると思うんじゃが……悟られないように身を隠しているのかな?
しかしこの爺さん、一体何者なんでしょうかねぇ。
腕が立つだけじゃなく、教会の連中に命を狙われているとは……益々興味が湧いて来ましたぞ。
そんな事を考えながら、バルジェス爺さんの小ぢんまりとした部屋で、持って来た料理と酒を並べながらディナータイム。
ちょいと度数の高い酒を勧めつつ、軽い世間話などで緊張を和らげ、更に気付かれないように魔力を最小限まで抑えた魅了系魔法を駆使しているので、爺さんの口は時と供に滑らかになった。
何だかんだ言って、会話に飢えていたのだろうか。
この街の暮らしぶりから昔の冒険譚まで勝手に話してくれる。
と、いきなり爺さんは神妙な顔付きになると、
「……魔姫エーサルを知っているか、お若いの」
唐突にそんな事を言い出した。
「エーサル…」
はて?どこかで聞いた覚えがあるが……
『おいおい、このアホゥが』
脳内に響く馬鹿猫のダミ声。
『エリウの姉ちゃんの母ちゃんや。前にティラの姉ちゃん達から聞いたやろ?』
……おぉ、そうだったそうだった。
道理で何処かで聞いた名だと思った。
しかし、そっかぁ……エリウちゃんにもお袋さんがいたんだぁ。
『当たり前やろ』
僕チンにはいないよ?
『お前は部屋の隅に固まってる抜け毛と埃の中から生まれたんや。だから残念な子なんや』
衝撃の事実をありがとう。
「エーサルねぇ……確か現魔王の母君でやんしたね。確か十年以上前に前代の勇者の罠に掛かって討たれたとか話を聞いた覚えが……」
「勇者か」
バルジェス爺さんは小さく鼻を鳴らし、グラスの酒を呷った。
「ま、世間ではその方が受けが良いからの」
「違うでやんすか?」
「……エーサルを殺ったのはワシじゃよ」
「ほ、ほぅ…」
おいおい、マジかこの爺さん。
黒兵衛もビックリした顔をしているじゃねぇーか。
そら驚くわい。
魔王軍にとっては勇者以上の最重要指名手配犯のようなモンだぞ。
……
ま、そんな事は俺には関係ないけどね。
「ま、正確にはちと違うがな。ただ、エーサルを襲撃した実行犯の一人であったのは確かじゃ」
爺さんはそう言って、酒精を含んだ大きな息を吐いた。
そして軽く身を乗り出すよと、
「……御主、ギルメスと言う男を知ってるか?」
「ギルメス?あぁ、知ってるでやんすよ。前代からの勇者パーティーの魔法使いでやんしょ?ま、死んだでやんすけど」
ってか俺が殺したし。
「ヤツとは同郷でな。ま、幼友達と言うヤツじゃ」
「そうなんで?」
「エーサルを襲撃する話を持って来たのは、そのギルメスなんじゃよ」
ありゃま。
「ほほぅ……それは前代勇者のグロウティスに協力って事で、その襲撃を思い付いたって事でやんすか?」
「いやいや、当時はまだグロウティスは勇者ではなかったし、ワシも会った事は無かった。そもそも彼は無名の一戦士であったからの」
「……ほへぇ、何か込み入った事情があるみたいでやんすねぇ」
爺さんは軽く頷き、どこか遠い目をしながら語る。
「ふ……そう言う仕事を依頼されてな。ワシもギルメスも生まれは北部で……ま、北は精霊教会の影響力が強くての」
「なるほど。話の流れから察するに、依頼元は精霊教会と……ふ~ん」
段々と、面白い話になってきましたねぇ。
「隠してはおったが……何となく察した。ま、当時のワシは修行に明け暮れておったし、腕に自信もあった。が、名を売る好機に巡り合う事は無くてな。そこにギルメスを介してワシに話を……と言うことじゃ。ヤツは教会に入り浸っておったからのぅ」
「しかし何で精霊教会が?」
「ワシの推察だが……いや、確信とも言えるが、勇者を誕生させる為に魔王との間に戦争を引き起こしたかったのじゃろう」
「……ほぅ」
「当時、魔王アルガスの存在は知っておったが、人間の国、特に東の国々ではそれほど脅威ではなかった。もっぱらアルガスは支配地域周辺のエルフや獣人達と定期的な小競り合いを続けているだけであったからの」
「それが一変したと」
「……そうじゃ。魔姫エーサルを誘き出し、ワシ等が討ち取った。此方もかなりの被害じゃったがの。何しろ生き残ったのはワシとギルメス、後は精霊教会の信徒らしき者が一人……それだけじゃ」
「で、そこから魔王の進撃が始まったと」
「そう言うことじゃ。ま、当然であろうな」
爺さんはそう言うと、更に神妙な顔になった。
思い詰めたような顔だ。
「長く……凄惨な戦いじゃった。正直、ワシは魔王とその軍勢を甘く見ておった。ギルメスや教会の連中はどうか知らんがな。次々と都市が滅び、大勢の人々が殺された。魔王にしてみれば報復なんじゃろうが……何も知らない者達からすれば、それは一方的な虐殺であったんじゃ」
「……ふむ」
ま、当然の結果だよねぇ。
俺でもそうするし。
「ワシは出来るだけの事はやった。街を救い、人を救い……旅を続けた。ギルメスと供に駆け出しの冒険者だったグロウティスを巻き込んで、彼方此方の国を渡り歩き魔王軍と戦った。……とんだ茶番じゃよ。自分が引き起こした争いだと言うのにな」
「で、それが嫌になってここへ流れて来たと?」
「グロウティスが精霊の洞窟へ向かい、勇者の力を得ると言った時にの。何かもう……罪悪感とは違うが、色々と醒めてしまって……丁度、ヤマダやリーネアも新たに加わったし、ワシが抜けても何とかなると思ったんじゃ。ま、ギルメスの奴は色々と言ってきたがの。脅しに近い事も言っておったわ。実際、パーティーを抜けてから幾度と無く刺客が襲ってきたからの」
「精霊教会でやんすか?」
「しかあるまいて。何しろワシは知られたくない秘密を知っておるのじゃからのぅ。教団にとってはさぞ目障りなんじゃろう」
「……なるほどねぇ。魔王と勇者の争いの裏に精霊教会がいるって知ってるのは、爺さんとギルメスだけでやんすからねぇ」
「有り体に言ってしまえば、そう言うことじゃな。しかも、多分これは初めてではないじゃろう。人間にも色々とあるように、魔王とて常に好戦的とは限らんからの。が、此方から仕掛ければそうもいかんだろうに」
「つまり、魔王と勇者の戦いってのは、大昔から常に仕組まれていたって事でやんすかぁ」
辻褄は合うな。
教会が勇者を造り上げても、敵が居なければ話にならんしね。
「……教会の暗部はな、遥かに深いんじゃよ」
「暗部でやんすかぁ。しかしバルジェスさん、今まで良く生き延びてきたでやんすねぇ」
「ん?まぁ、この辺りは精霊教会の影響力が少ないからの。それに奴等もそれどころではなかったのじゃろう。何しろ勇者グロウティスが死んでしまったからな。相撃ちだったとは言え、それで魔王軍が瓦解したと言うワケではないし、まだまだ勢力的には魔王軍が圧倒していたのじゃからな。それに彼方此方の国で混乱も続いていたからの」
「それで何とか今日までって事でやんすか」
「出来るだけ目立たぬようにして来たからの」
そう言い終えると不意にバルジェス爺さんは背筋を伸ばし、真剣な眼差しで俺を見つめ、
「それでお若いの……そろそろ始めたらどうじゃ?」
「……ふぇ?いきなり何を言い出すんで?」
どうしたんだ爺ちゃん?
もしかして酔った?
「御主、魔王軍の手の者じゃろ?ワシをどうする?捕らえるか?それとも殺すか?ま、それでも構わんが……色々と潮時じゃしな」
「何にもしないでやんすよぅ」
俺は笑いながら、空になっている爺さんのグラスに酒を注ぐ。
「ってか、何であっしを魔王軍と思ったんで?」
「先程の魔法を見れば分かる。……人間に見えるが、あの魔法は人の成せる業ではないからのぅ。お主、上位魔族じゃろ?」
「御明察、恐れ入りやした。とは言え、魔族だからって魔王軍とは限りやせんぜ?あっしは貧乏魔族の三男坊、徳俵シンノスケと言う風来坊でやんす」
「……」
「バルジェスさん、過去を悔いるならキチッと清算してからの方が良くないですか?それほどの腕をお持ちなんだ、教会の連中に一泡吹かせるぐらいは出来るでしょうに」
「……なるほどな。確かにヌシの言う事は最もじゃし、ワシもそれは考えた。だがな、さっきも言うたが教会の暗部は予想以上に深く、暗いんじゃよ。一般信者はともかく、司祭クラスともなると……中には人ではない、得体の知れぬ者もおる。ワシ一人では返り討ちに遭い、そして真相はそのまま闇の中……と言うことじゃな。ただの犬死にじゃよ」
「その為の真なる勇者スティングですよ、バルジェスさん」
俺はここぞとばかりに勧誘を掛けた。
「どうです、さっきも言いましたが彼のパーティーに加わっては?ヤマダの旦那やリーネア姐さんも居ますぜ」
「ヤマダとリーネアが?グロウティスの息子と一緒に居ると聞いておったが……」
「情報が古いですねぇ」
「ま、それは否定せん。ワシ自身があまり人と話すことも少なかったからの。それに人々の話題も、殆どが魔王軍絡みの事ばかりじゃ。勇者の話はあまりな。ところで、真なる勇者とやらは何故に精霊教会と事を構えておるんじゃ?勇者と言うからには、敵は魔王じゃろうに」
「魔王エリウは別に悪じゃないですからね。歳相応の可愛い娘でやんすよ。ま、そっちの方は駄目な方の勇者に任せるとして、真なる勇者であるスティングは、この世界を覆う巨悪を成敗する事をモットーとしているんでやんす。それが精霊との約束ですからね」
「……巨悪か。しかし巨悪と言えば、魔王シングとやらはどうなのじゃ?噂では何十万もの人を殺め、都市も幾つか滅ぼしたと聞いたが……」
「ナイスガイです」
「……は?」
「良い子ちゃんですよ、彼は。ま、それはともかくとしてスティングと合流しましょう。集合地点まであっしが案内しますよ」
「……そうじゃな」
暫し考えた後、バルジェス爺さんは小さく頷いた。
そしてどこか吹っ切れたような笑顔を向け、
「教会と渡り合える戦力があるのなら、それに協力した方が良いじゃろう。自分の過去に決着を付ける時じゃな」
そう言って、美味そうに酒を呷ったのだった。