シンノスケの諸国漫遊紀/其の三
昼飯を食い終えた俺は、黒兵衛とリッカと供に領主館へと戻って来た。
ロードタニヤの本拠地にある建物であるからにして、このレダルパの街では一番立派な館ではあるが、近々独立王国となる上に近隣の旧タウルから独立した小国を束ねる連合国の王が住むにしては……些か手狭だ。
ってか、少し見窄ぼらしい。
やはり統治者たるもの見た目も大事だ。
民衆を安心させる為にもね。
と言うことで、近い内に近郊に城を建てる予定である。
既に縄張りも終わってるらしい。
ちなみに労働力に関しては問題ない。
その為に捕虜もいっぱいいるからね。
さてと…
リッカをティラ達に預けた後、俺は黒兵衛を肩に乗せたまま、ブラブラと廊下を突き進む。
そして突き当たりの扉をノックし、
「入るぞ」
と一声掛けておもむろに扉を開けた。
「こ、これはシング様」
そこに居たのはロードタニヤ辺境伯。
カーチャ嬢の親父さんだ。
そして髭モジャ戦士長のジルコフ。
二人は慌てて席を立ち、平伏しようとする。
その顔には緊張の色が濃く漂っていた。
「あぁ、そんなに畏まらないでくれ」
俺は手を振って苦笑いだ。
「会議の最中だったか?まぁ、二人とも座れ」
陽気な遊び人のシンノスケから重々しい雰囲気を纏った魔王としての演技をしつつ、部屋の中央に置かれているソファーに腰掛ける。
そしておもむろに、
「一つ、尋ねたい事があるのだが……なに、この街で腕の立つ爺さんを知らないか?」
そう切り出した。
「……は?」
対面に腰を降ろそうとしていた二人は途中で動きが止まり、互いに顔を見合わせる。
「し、失礼ですが、腕が立つとはどのような意味で……強いと言う事ですか?」
「うむ、そうだ。人間にしてはかなり高レベルの者だ」
言って俺は詳しく容姿等を伝える。
辺境伯は眉を微かに寄せながら、
「多分ですが、御隠居さんのことではないかと……」
「御隠居?」
「街外れの聖人とか賢者とか呼ばれている方です。名前は確か……」
「バルジェスです、閣下」
と、ジルコフ。
彼は自分の顎鬚を擦りながら、
「少々変わり者と言うか偏屈と言うか……些か気難しい性格をしていますが、その腕はシング様の仰る通り確かです。おそらくロードタニヤで一番でしょう」
「ほぅ」
「十数年前にこの街へフラリとやって来てから色々と……街の為に戦ってくれたりもしました。当時は魔王アルガスの侵攻に伴い、世界の至る所で混乱が起きていましたからね。この辺境領にも難民などが押し寄せて……ま、難民と申しましても、中には素性の知れない怪しき輩も多いわけで……そんな時、色々と助けてくれたのが彼の御仁なのですよ」
「なるほど。街の治安を守ってくれたと言うわけか」
「はい。ですので、正式に閣下に仕えてはと申し込んだりもしましたが……まぁ、固辞されまして。ですが、さすがにあれ程の御仁を市井の者としていてはロードタニヤの沽券にも関わりますので、そこは何度も頼み込みまして……今はこの街のギルドの特別顧問をやって貰っています」
「ふむ…」
俺は小さく頷き、ゆっくりと天井を見上げる。
と、俺の隣で寝そべっている黒兵衛がテレパスで話しかけてきた。
『なんや、奇特なオッチャンやなぁ。腕が立つのに名誉や地位も求めんて……そら賢者とか言われるわな』
だな。ただなぁ……得てしてそう言う人間って、何か裏の顔とかあったりしない?
『またお前は……と言いたい所やけど、確かにそう言うのも無いとは言えんな。実際、裏で悪事を働いているけど表の顔は慈善家ってパターンもあるからな。リッテンのおっちゃんもそう言う感じやし』
むしろ俺的にはそう言う人間の方が好きだな。逆にマジモンの聖人とかは信じられん。何か闇が深そうだし。
「しかしシング様」
辺境伯が少し不安そうな顔で俺を見つめる。
「どうしてバルジェス殿の事を……」
「ん?……なに、昼に偶々街で見掛けてな。少し興味が湧いたのだ。あれ程の腕を持つ人間はヤマダぐらいしか知らないからな」
「なるほど。そうでしたか」
「ふ、この動乱の時代、あれだけの男が表に出ず世捨て人のように隠遁生活をしているのは勿体無い。……ま、その動乱を招いている自分が言うのも何だがな」
「はは…」
「そこで、出来れば我が傘下に加えたいと思ったのだ。住んでいる場所とかは分かるかね?」
★
と言うわけで黄昏時、俺は黒兵衛を肩に乗せ、街を歩いていた。
向かう先はバルジェスと言う名の老人の家。
老人とは言っても、実はそれほど歳は取っていない事が分かった。
おそらく、若い時の過酷な修行とかで老けてしまったのだろう。
「しかしわざわざ会いに行くなんて、余程あの爺さんが気になるんか?」
黒兵衛が耳元でそう囁いた。
「あぁ、気になるねぇ……凄く気になるよ。直感も囁いているし」
言って俺は手にした籠を軽く持ち上げる。
中身は近くの料理屋で作って貰ったオカズの類に酒類が少々だ。
これを手土産にあの爺さんの家にお邪魔するのだ。
「はぁ、そうなんか」
「まぁな。何しろ俺の魔法を破りやがったからな。やっぱ只者じゃねぇーや」
「マジか?」
黒兵衛が少しだけ目を大きくした。
「ま、スキルや魔法で強化していない単純魔法だけどな。ゲーム的に言えばバニラってヤツだ。それでも人間レベルで俺の尾行魔法を撒くとはねぇ……普通は絶対に気付かんと思うんだが」
「あぁ、せやから昼飯食ってる時に驚いた顔してたんか。で、気になったと」
「そう言うことだ。それだけ高レベルの人間種は、この世界だとヤマダの旦那ぐらいしか知らん。そんな超達人の人間がだ、帝国の首都とかならともかく、地方の一都市に埋もれているってのがちょっと気になってなぁ……」
「なんや事情があるって事かいな」
「その辺も聞いてみたい。好奇心が超刺激されるよ。……出来れば仲間に加えたいなぁ」
「魔王のか?」
「ま、表向きは勇者スティングの仲間って事で」
言って俺は足を止めた。
目の前には普通に道が続いている。
が、微かに空間に歪がある。
目を凝らすと……おやおや、何やらバトルが始まってるじゃないですか。
しかもお目当てのバルジェス爺さんが、何やら得体の知れない連中に囲まれている。
「おい、魔王」
肩に乗っている黒兵衛が俺の頬を小突いた。
「分かってる」
「結界かいな」
「そんな大層なモンじゃねぇなぁ……音と視界の遮断ぐらいか。ま、一般人には有効だとは思うが……益々、あの爺さんが何者か気になるねぇ。それに襲ってる連中も」
「敵は何者やろう」
「さぁ?取り敢えず物取りの類じゃねぇな。ま、話を聞けば分かるんじゃね?」
「十人ぐらいおるで」
「ん~……じゃ、七人ぐらい殺して残りを捕らえようか」
★
ふふ、何と言う幸運。
頬に古い傷痕が残る男は口元を覆う黒い布の下で微笑んだ。
とある密命を帯び、この街へと潜り込んだ。
まさかそこで偶然にも、10年もの間探し続けていた男に出会おうとは……
覆面の男は小さな手振りで配下の者達に命令を下す。
『殺せ』
ただそれだけの至ってシンプルな命令。
捕らえる必要も話を聞く必要も無い。
遠巻きに男を囲んでいた者達がジリジリと距離を詰める。
その時だった。
「おぉ~い、何してんだ?」
不意に背後から響く声に、男は素早く前方へジャンプしつつ身体を捻り背後を見やる。
そこには一人の若い男が立っていた。
ありふれた布の服に少しゆったりとしたズボン。
腰には護身用だろうか小振りの剣を下げている。
そして片方の手には蔓で編んだバスケット。
怪しい所は無い。
いや、肩に乗せている黒猫が不気味に金色の目を光らせているのが妙に気になるが……どうやら買い物帰りの街の住人らしい。
どうしてここに?
結界が破られた……というワケではなさそうだ。
となると、極稀ではあるが、迷い込んでしまったと言う事か。
……哀れな。
「何者だ?」
男は鷹揚の無い平坦な声で尋ねる。
別に聞く必要も無く、一瞬で始末すれば良いのだが、せめて名前ぐらいはと言う軽い気持ちからだった。
「へ?あっしですか?」
その若い男は微かに首を傾げ、呑気そうな声でそう答えた。
「あっしはシンノスケ……遊び人のシンさんとか呼ばれてるケチな野郎で御座いますよ。あっはっは……いやね、実はとある人を探していて街を彷徨っていたら、何やら大きな音が……そこで何かと思ったら、いるじゃないですかぁ」
と、若い男の視線が、部下達が囲んでいる男に向けられる。
「バルジェスさんですね?探しましたよぅ」
その言葉に、覆面の男の顔付きが変わった。
警戒心が一気に跳ね上がる。
この若造……何か知っているのか?
だが若い男はそんな事は気にせずに、どこか陽気な声で話を続けた。
「いやぁ~……昼の捕り物を見ましてね。この人は只者じゃないと思いまして……へぇ、あっしは実は人材斡旋業みたいな事もしておりやしてね、彼方此方に伝手があるワケなんですが……どうですバルジェスさん、その腕を魔王軍で揮ってはみませんか?」
「ま、魔王軍?」
と驚きの声を上げたのは、囲まれている初老の男であった。
周りの敵に警戒しつつ、その目は謎の若い男を見つめている。
「ありゃ?何か御不満で?この街の人は親魔王派が多いと聞いたんですが……まぁ、バルジェスさんは人間ですし、色々とあるでしょう。じゃあどうです?真なる勇者スティングのパーティーに加わりませんか?」
「勇者……スティング」
バルジェスと呼ばれた初老の男は訝しげな表情を溢した。
逆に覆面をした男は警戒態勢から戦闘態勢へと切り替わる。
こいつ……
この結界に入って来たのは偶然ではないのか?
どうする……殺るか?
いやいや、先ずは情報だ。
この若い男の放ったスティングと言う名。
それは今、自分たちが追っている一番重要な男の名だ。
しかもその調査は完全に行き詰っている。
何しろスティングと言う名前以外、年齢も出生地も顔すらも分かっていないのだ。
ふふ、幸運は続くものだな。
「貴様、スティングと関わりがあるのか?」
覆面の男は瞳に殺気を宿らせ、静かな声で問い掛けた。
「はへ?や、何者だと言われましてもねぇ……そちらさんこそ、何処のどちらさんで?」
男の布の下に隠された口角が僅かに吊り上がる。
「……やれ。ただし殺すな」
その言葉と同時に、バルジェスを囲んでいた者の内、三人が瞬時に向きを変え若い男に飛び掛り、閃光の抜き放ち。
手にした刃が男の腕、足、胴を致命傷にはならない程度で切り裂く……筈であった。
「な゛ッ…」
若い男は呑気そうな顔で佇んでいた。
微動だにしていない。
手にしたバスケットもそのままだし、肩に乗っている黒猫は欠伸まで溢している。
にも拘らず、足元には三人の部下が倒れている。
此方も微動にしないが、その意味する所は全く違っていた。
な、なんだ?
何が起こった?
死んだ……奴に殺された?
若い男はフゥ~と小さな溜息を吐いた。
そして頭を掻きながら気怠そうな声で言う。
「ありゃりゃ……敵対行動でやんすねぇ。なら此方も、少しばかり遊んでやるとしやすかぁ」
刹那、景色が一変した。
夕闇迫る黄昏時の空は真っ赤な血の色に染まり、風も無いのに無数の黒雲が物凄い速さで流れている。
何より気温だ。
全身を凍て付かせるほど寒い。
膝も自然に震える。
だが、吐く息は全く白くない。
そんな不可思議な状況の中、若い男が口を開いた。
その口調は先程までの軽妙さは消え失せ、低く重厚な威厳のある声であった。
「ふ……そんなに怖がるな。全員は殺さん。生け捕りにして情報を聞き出したいからな。あぁ……逃げる事は不可能だぞ。既に結界を張ってある。お前達の脆弱な結界もどきとは違い、俺の結界は俺を殺さない限り解く事は出来んぞ」
「き、貴様……一体何者だ」
「ふふ、さぁてねぇ」
男は薄い笑みを溢した。
その瞬間、覆面男は自分の身体が冷たい氷の刃で貫かれたような感覚に襲われた。
それは死んだと錯覚させるほど圧倒的な恐怖と絶望感。
声を発する事も出来ないし、呼吸すら儘ならない。
「ほぅ……闇、冥系に耐性があるのか。ふむ、只の人間ではないようだし、その黒尽くめの格好……成る程、精霊教会とやらに関係があるのかな」
わ、我等の正体を?
コイツは一体……
男の目が細まる。
そして、
「ではお前等に、本当の恐怖と言う物を教えてやろう。……幻影虚構宮」
指をパチンと鳴らすと同時に、目の前の景色は再び一変した。