幕間・とある夜の密談
深夜、帝都近郊の都市クメエラの宿の一室に集まった四人の男達。
場の雰囲気は宴会などのそれではなく、引き絞った弓弦のようにピンと張り詰めた緊張感が漂っている。
そしてその男達の表情は様々だった。
「いやはや、随分と面白い事になってきたねぇ」
そう口を開いたのは芹沢だ。
いつもの飄々とした感じで、小さな丸テーブルを囲むように座ってる男達、シルクにリッテン、ディクリスを見やる。
「……で、どーすんのさセリザーワ様」
憮然とした表情で言ったのはシルク。
どこか落ち着かない様子でガシガシと乱暴に頭を掻き、少し不貞腐れているような口調で尋ねる。
その様は種族特有の童顔と相俟って、まるで駄々を捏ねる子供のようであった。
「どー考えてもさ、罠だよ絶対」
「ま、そうだろうね」
芹沢は笑いながら、テーブルに置かれたお茶の入ったカップを手に取った。
と、リッテンがゆっくりと腕を組み、
「敢えて罠に飛び込む……と言うことですか?」
静かな声でそう尋ねた。
「ふふ、昔から虎穴に入らずんば……この世界だと、竜の卵は竜の巣の中とか言ったかな?わざわざ向こうから誘ってきたんだ。乗った方が面白いじゃないか」
芹沢はそう言って、ズズ…と小さな音を立てて、微かにミントのような香りがするお茶を啜った。
オーティスが明日の帝都訪問を止め、このまま東の港町から船で北上しようと唐突に言い出したのは、夕食を取っている時であった。
何でも街で独り情報を集めている時に、精霊教会の司祭を名乗る人物に出会い、是非とも力を貸して欲しいと……その為に教会本部のある場所まで案内すると、そのような誘いを受けたとの事であった。
そう得意げに語るオーティスを見た時、裏の事情を知る者達は皆、呆れた表情を隠すので精一杯であった。
リッテンが軽く溜息を吐き、ツルリと毛の生えてない自分の頭を撫でながら呟く。
「しかしオーティスは一体何を吹き込まれたのか……」
芹沢が静かにグラスを置いた。
「確か、彼の話を要約すると……真なる勇者スティングは偽の勇者で、精霊教会の聖女や信者を殺した大罪人だ。しかも皇帝まで誑かしていると。で、その正体は魔王の手下だと……だからこのまま帝都に行くのは危険だから、正統なる勇者であるオーティスは精霊教会本部に来た方が良い。そこで新たな精霊の力を云々……だったかな?実を言うと笑いを堪えるのに必死で、詳しくは憶えてないんだよ……はは」
「……困った勇者ですな」
「吹き込まれたと言うより、オーティスさんがどうして見ず知らずの者の話をそう簡単に信じる事が出来るのか、私にはそれが不思議でなりませんよ」
とディクリス。
「いやね、最初は私も、オーティスさんがセリザーワ様のように危険を承知で敢えて敵の罠に……とか考えたのですが、どうも彼は本気で信じているようで……いや、本当に何を考えているのか」
長年、諜報員として様々な情報に接してきた彼にしてみれば、オーティスの行動は理解できなかった。
純真無垢な子供や判断力の乏しくなった年寄り、ならまだ辛うじて分かる。
が、オーティスは若いとは言え、それなりに経験を積んできた冒険者だ。
しかも勇者でもある。
それが何故こうも容易く明らかに胡散臭い話を信用するのか。
彼は自分の中で、情報を精査する事が出来ないのだろうか?
「もしかして、何か魅了系の魔法を掛けられたとか……」
「そう言う痕跡は見受けられなかったねぇ。ま、オーティス君に接触してきた司祭とやらの話術が巧みだったとか……後はまぁ、彼自身の問題だろうね。人間、悩んでいる時ほど自分に都合の良い話ばかり信じたくなるものさ。皇帝に対する不信感に後ろめたさ。勇者スティングに対する劣等感……そう言った様々なマイナス的な思考は、安易な逃げ道を模索したがるものなんだよ。それに帝都へ行くのが余程嫌なんだろう……散々渋っていたしね。いやはや、不登校児と一緒だよ」
芹沢はそう言って小さく鼻を鳴らした。
と、シルクが椅子の背に大きく凭れ掛かり、天井を見上げながら、
「今日の昼にさ、ディクリスさんと話してたんだよ。帝都でエディア達を勇者スティングに引き合わせようとかさ」
「ディクリス君から聞いたよ。いや、実に面白い……とは言え事態がこうなった以上、暫くは保留だねぇ」
「で、その魔王は何か言ってたかい?連絡したんでしょ?やっぱり驚いてた?」
「さすがに、ちょっと驚いていたよ。精霊教会が何かしらのアクションを起こすのは想定していたみたいだけど、まさかオーティス君の方に近付いて来るとはねぇ……ま、かく言う私も驚いたしね」
「その司祭とやらもさ、やはり異世界から来た化け物なのかなぁ」
「いや、違うと思うよシルク君。奴等もそこまで数は多くない筈だし、今はオーティス君と敵対しているわけではないからね。多分だが、裏の事情を知らない人間の一信者だろうね」
「しかし、精霊教会の本部がヨモツヒラサカ島にあるとは……私も知りませんでしたよ」
とリッテン。
「あの教団は元々、秘密主義な所も多かったですし、そもそも勇者やら精霊やらの情報については、ある種のタブーみたいな所がありましたから」
そう言うと、その後を続けるようにディクリスも眉間に軽く皺を寄せながら、
「私達も、北部地域ではあまり諜報活動を行っていませんでしたからね」
「まぁ、大国の諜報機関と言っても、世界中の情報を満遍なく集めるなんて事は出来ないからね。私の住んでた世界もそうだが……各国それぞれ、情報収集の強い地域、弱い地域と言うのはあるからね。ふふ、しかしヨモツヒラサカ島か。随分と洒落が聞いてると言うか……奴等も故郷が恋しいのかな」
「そうなので?」
「私達の世界……いや私の国の固有名詞だよ。ま、一般的ではないがね」
「でもさセリザーワ様。奴等の狙いは何処にあるんだい?」
シルクがそう尋ねると、芹沢は微かに首を横に振り、
「それはまだ分からないねぇ」
そう言って苦笑を溢した。
事実、奴等の戦略的目標が未だ分からない。
殆ど無秩序と言うか行き当たりバッタリな行動を取ってくる。
現に周辺国を巻き込んで魔王軍に反抗したが、今はそれも沈静化し、今度はオーティスだ。
もし仮に全てが計算づくの行動だとしたら、敵はかなりの知恵者であろうと芹沢は思った。
「……オ-ティス君に何かする為か。はたまた正体不明である私やマーヤについて調べる為か……勇者スティングを誘き出す為か。奴等の出方が分からないと言うより、そもそもの目的がどうにもねぇ……ま、それを探る意味でも、この罠には掛かる意味はあると思うよ。ただ一つ言えるのは、オーティス君の命が脅かされる心配はないだろうね」
「そうなのかい?」
「奴等に取っては貴重な駒だからね。それに命を奪う理由も無ければ必要性も無い」
芹沢はそう言ったものの、百パーセント安全かと言えば、答えは否だ。
確かに、オーティスの命を奪うのはデメリットしかない。
何故ならまた一から自分達に都合の良い勇者を創らなければならないからだ。
しかも肝心の精霊は既にこの世には存在しない。
(その辺の事情を敵が知っているかどうかは分からないが、敵の行動パターンが読めないのはちょっと怖いねぇ)
そんな事を芹沢が思っていると、ディクリスが
「しかしセリザーワ様の言う通り、敵の意図が何処にあるのか分からないと言う状況で敢えて罠に掛かりに行くと言うのは、かなり危険な事なのでは?」
と彼の気持ちを代弁するかのような事を言った。
芹沢は大きく頷き、
「まぁ危険さ。しかし私達の方が有利な立場ではあると思うよ、ディクリス君。何しろ掴んでいる情報が多い。敵は私達の正体を知らないが、こっちは知っている。それだけでもかなり有利だろ?」
「なるほど。事前に準備が出来ると……」
「そう言うことだよ。ふふ、しかし本当に面白いねぇ」
「面白がってばかりだよ、セリザーワ様。オイラはかなり不安だよ。オーティスは勇者だから仕方ないとして、エディア達には危険過ぎるんじゃないかなぁ」
「ま、危険だろうね。けど、危ないから待っていなさいとも言えないだろ?言っても聞かないと思うしね」