嵐の前に
「……は?」
と小さな声を上げたのはシルクであった。
ここはオストハム・グネ・バイザール帝國の中規模都市、クメエラ。
帝都オスト・サンベールまで馬で約一日と言う距離に位置する、ありふれた街である。
オーティス一行は、ここに宿を取っていた。
ここで帝都、即ち皇帝周辺の情報を探ろうと言う訳だ……表向きの理由としては。
実際の所は、単にオーティスが帝都に入るのを渋ったからである。
シルクはディクリスと供に、情報を探っていた。
情報と言っても特に最初から目的のようなモノがある訳でもなく、単にここ最近の帝國軍の動きや信憑性の低い噂話などを集めていただけだ。
そもそも皇帝や宮廷の話など、一地方都市で集められる筈も無い。
そしてそれらが一段楽した所で、通りに面した小さなカフェで遅い昼食を摂っていた所、そこにフラリと現れたのが最近パーティーに加わったばかりのシルルとエディアだった。
ちなみにオーティスはクバルトにマーヤ、ラピスと供に行動している。
セリザーワはリッテンと一緒だ。
「え~と…」
シルクは少し乱暴に頭を掻いた。
対面に座るエディアから、思いがけない話を切り出されたからだ。
隣に座るディクリスも、いつもの柔和な表情に微かに困惑の色を浮かべている。
ま、参ったなぁ…
まさかとは思うけど、何か感付いているとかだったら……迂闊な事は言えないよ。
「勇者…スティングの事を聞きたいって…ど、どう言う意味なのさ?」
「え?いえ、特に意味は……ただ、街で少しスティング様の話を聞いたもので……」
エディアがそう言うと、シルルもウンウンと小さく頷いた。
「へ、へぇ……そうなんだ」
スティング様か。
最初にエディアに出会った時、彼女はオーティスのことを『勇者オーティス様』と呼んでいた。
それが何時しか『オーティス殿』に代わり、今では『オーティス君』だ。
シルルは『オーティスさん』と呼んでいる。
意識してじゃなく、自然とそう呼んでるんだよなぁ……その内に呼び捨てになるかも。
「けど、何でオイラに?」
「前にセリザーワ様が仰っていて……シルク殿はスティング様とお会いになった事があると」
「……うん」
「それで、どのような御方なのですか?」
「ど、どのようなって言われてもなぁ」
シルクは困惑の表情を隠しながら言葉を選ぶ。
当然だが、その正体が魔王シングとは言えない。
「つ、強いよ。凄く……強い人だよ」
「そうですかぁ」
エディアの瞳が輝く。
その煌きは、英雄や勇者に憧れる少女のそれであった。
「あ、そう言えばスティング様は少し前にオーティス君達を助けたとも聞きましたが……」
「あ~……うん、助けられたよ。オーティスを蘇らしたのもスティングだしね」
「復活魔法……やはりスティング様は勇者なのですね」
「え?やはりって……どう言う意味だい?」
シルクがそう尋ねると、エディアは一瞬だが身体を硬直させ
「え、えと…復活魔法も使えますし……そ、その……」
何故かしどろもどろだ。
隣に座っているシルルと時折、顔を見合したりもしている。
……あぁ、そう言うことか。
シルクは心の中で苦笑を溢す。
つまりは、オーティスはとても勇者には見えないと……ま、実際にオーティスは……本当の勇者じゃないし。
オーティスを真の勇者だと思っているのは、おそらくシルクの親友であるクバルトだけであろう。
芹沢は元より、最近では一切の真実を知らない筈の摩耶ですらどこか懐疑的な目でオーティスを見ていたりもする。
「でも、どうして勇者様が二人もいるのでしょうか?」
エディアの疑問は当然と言えば当然であった。
勇者は一時代に一人と言うのが、ここ数百年の定説だ。
もちろん、裏の事情を知っているシルクとしては迂闊に答える事が出来ない。
「さ、さぁ?」
どこかぎこちなく首を傾げると、隣に座るディクリスはいつもの柔和な笑みで、
「魔王が二人居るからじゃないですかね」
そう答えた。
「な、なるほど」
「もっとも、力の差は歴然としていますが……どうやらエディアさん達は、スティングさんに興味が御有りのようですね」
「え?あ~……はい」
エディアは戸惑いながらも小さく頷いた。
隣に居るシルルもだ。
「ふむ……でしたら、どうでしょう?一度直にお会いしてみては?」
「え…」
と驚きの声を上げたのはエディアとシルル、そしてシルクであった。
★
「……あんな事言っちゃって、良いのかい?」
二人が店を出て行った後、シルクはエールの入ったグラスを手に、ディクリスの対面に座り直しながら少し顰めっ面で言う。
ディクリスはいつもの人当たりの良い微笑で、少し度数の高い蒸留酒の入ったグラスを掲げ、
「面白くなって来たじゃないですか」
陽気な声で答えた。
シルクはこれ見よがしに大きな溜息を吐く。
「ディクリスさん。まるでセリザーワ様みたいだよ」
「ふふ、シング様もこういう展開の方がお好みでしょう。あ、もちろん連絡は入れておきますがね」
そう言って、ゆっくりとグラスを傾けた。
シルクも同じくエールを一飲みし、
「でも実際さ、魔王シングは……どうするんだろう」
「どうする、とは?」
「あの二人にさ、正体を明かすのかどうかって事さ」
「それはシング様次第でしょう。ただ私が思うに……正体を明かすのはまだ先だと思いますよ」
「そうなのかい?」
「あの方は他者を鍛えたりする事がお好きなようですからね。元々エディアさん達は才能もありますし……それにリーネアさん達もいます。あの二人は今よりもっと強くなるでしょうね」
「そっかぁ」
シルクは軽く頷き、残ったエールを飲み干した。
そして酒精の混じった溜息を吐き、
「はぁ……ますますオーティスが惨めに思えてくるよ」
呟くようにそう言った。
最近、仲間にして欲しいと言ってきた有望な若者が二人、いきなりスティングに会いに行くとなれば、それこそオーティスにとっては好い面の皮だ。
自分は勇者ではないと言われてるも同じなのだから。
「ですがあの二人にとっては良い事だと思いますよシルクさん」
「……まぁね。強くなりたいのならそうだけどさぁ……けどあの二人は魔王を倒したいとも言ってたぜ」
「だから正体を明かすのはまだまだ先なんですよ。それにオーティスさんの元に居ても、魔王は倒せないですよ。何年経ってもね」
「スバリ言うね、ディクリスさん」
「ですが事実でしょ?」
「……」
「事実はいつも耳が痛いものです。そもそもあの方に挑もうと考える事自体、おこがましいと言うか……分かるでしょ、シルクさん」
シルクは難しい顔で頭を掻くと、給士を呼んでエールをもう一杯注文した。
「オーティスも、努力はしてるんだけどなぁ」
「それは否定しません。セリザーワ様も良く『スポ根だねぇ』と仰っていますから。……スポ根の意味は分かりませんがね。しかしオーティスさんと言えば、この先どうするのでしょうかねぇ」
「どうって?」
「シルクさんも、セリザーワ様やリーネアさん達から話は聞いたでしょ?」
「……かつて世界を滅ぼし掛けた化け物の事だね。聞いたよ。セリザーワ様達の世界の古い邪神って話だったけど……この間オイラ達を襲って来たのは、その手下なんだろ」
「えぇ、そうです。そしてあの洞窟から出てきたのが古代の勇者ティーンバムと……いや、正直なところ、色々と話が壮大過ぎまして……もうね、勇者だ魔王だなんて言ってる場合じゃないと思うんですよ」
「セリザーワ様も同じような事を言ってたね」
「で、オーティスさんです。彼はまだ知らないですが……この先、真実を知ったらどうするのかと思いましてね」
「……」
「話に因れば、かつて勇者リートニアと魔王ベルゼバンは互いに手を取り、その邪神に挑んだそうですが……果たしてオーティスさんは、魔王エリウ様やシング様と共闘なさるのかどうかと……」
「……オーティスが仲間になったって、あまり戦力にはならないよ。むしろ足を引っ張るだけさ」
「……」
シルクの放った毒のある辛辣な言葉に、一瞬だがディクリスは絶句してしまった。
彼の言った言葉は、確かに一理ある。
あの自称勇者が仲間になったとて、到底敵には立ち向かえないだろう。
が、友人であるシルクがそれを口にする意図は……何処にある?
敢えて彼を貶め、これから先の戦いから身を引かせる為……彼の命を守る為だろうか。
「それにさ、多分……オーティスは仲間にならないと思うよ」
シルクはそう言って、小さく鼻を鳴らした。
ディクリスは少しだけ眉を顰め、
「この世界が滅びるかどうかと言う瀬戸際でも?」
「……そうさ。何しろオーティスの中には、魔王シングに対する憎しみしかないからね」
シルクは思う。
オーティスは恩讐に囚われていると。
手に血が滲むまで剣を振るうオーティスの努力の原動力はそこにあると思うのだが、それが却って勇者としての彼の成長を妨げている要因のなのかも。
そりゃ確かにさ、自分の好きな子が殺されたんだし……や、正確には違うけど……オーティスはそう信じてるし……
復讐したい気持ちは分かるけどさ、勇者としてそれはちょっとなぁ……
勇者の剣は正義の剣だ。
復讐の為の剣ではないと思うのだが……
「それはまた……随分と狭量な。世界の運命より個人的な復讐を……それで良く勇者と名乗れますね」
シルクは、自分の考えていた事と同じような事を言ったディクリスに目を見張ると、小さな声で
「……返す言葉も無いよ、ディクリスさん」
そう言って新しいエールを呷った。
「しかし困りましたね。これは仮定の話じゃなく……セリザーワ様より最新の情報は聞きましたか?」
「聞いたよ。あの例の黒い奴等が彼方此方で暴れてるって。それで魔王シングがリーネア達を連れて走り回っているって……そう言えばさ、セリザーワ様はそろそろ収拾を付ける段階かな、とか言ってたけど、どう言う意味なのさ」
「おそらくですが……この戦争を終わらせるって意味じゃないですか?」
「この戦争って、魔王軍と人類国家の戦争をかい?」
「そうです。この辺りで和平を結び、巨悪に対して共闘しよう……と言うことでしょうか。まぁ、それだけ事態は切迫していると言う事でしょうね。何しろ相手はかつて神や精霊を殺し、この世界を滅ぼし掛けたと言う邪神ですからね。シング様も、このまま放置しておいては色々とマズイとお考えになったのでしょう」
そっか。
言われてみれば確かに……この世界が滅亡するかもって時に、生きてる者同士が争ってる場合じゃないよな。
シルクは心の中で頷くが、不意に眉根を寄せ、
「……その話さ、オーティスは信じると思うかい」
ディクリスにそう尋ねた。
「証拠も有りますし、生き証人も……いや、あの方はアンデッドですが……」
「そ、そうじゃなくてさ」
「はは、分かってますよシルクさん」
ディクリスは深刻な話に似つかわしくない朗らかな笑みを浮かべた。
「信じる信じないより、信じたくないでしょうね……オーティスさんは」
「……だよね」
「何しろ自分も父も……その前もまたその前も……この数百年間の全ての勇者が、邪神の手下どもの思惑によって作られた単なる駒だったワケなんですから」
「……あの爺ィが憎いよ」
シルクは歯を剥き出し、小さく唸った。
「ギルメス氏の事ですね」
「そうだよ。あの爺ィがオーティスを巻き込んだのさ。フィリーナもね」
「……運命、と言う言葉は好きではありませんが、これも必然だったのでしょう。オーティス君の父が勇者になった時からのね」
「どういう意味だい?」
「分かりませんか?シング様に依れば、あの連中の目的は名を馳せた勇者の家族や仲間などを殺し、勇者に恐怖と絶望を与え、その怨みや復讐心を糧にしていると……もしオーティス君の父である勇者グロウティスが魔王アルガスを討伐していたとしたら、オーティス君はあの黒い連中に殺されていたでしょう。彼の故郷に住む者達もね。でも結果はグロウティスとアルガスの相打ちだった。そしてオーティス君は勇者の遺児で、しかもそれなりに強かったと。ギルメス氏でなくても選択肢は限られていたでしょう」
「……そっか。そう言う意味では運命だったんだよね」
「ま、何にせよ……明日には帝都です。色々と忙しくなりそうですね」