黄昏時の帝都
ついつい話し込んでいたら、いい時間になっていた。
別れ際、シルルちゃんが名残惜しそうな、それでいて何か言いたそうな素振りを見せたので、俺はにこやかスマイルで、
「なに、また会えるさ。あぁ……それとな、今オーティスの許にはヤマダとリーネアがいる。名前は知ってるだろ?そう、前代勇者の仲間だ。俺の事は彼等に聞けば分かるさ。シンノスケに会いたいと言えば案内してくれるかもな。ふふ……」
少々意味深な事を言って彼女達と手を振って別れた後、俺はチラリと、今出て来たばかりのカフェのテーブル席へと視線を走らせる。
そこにはカーチャ嬢といつもの二人。
俺はもう一度店へと戻り、彼女の前に腰を下ろした。
「よぅ、待たせたな」
「いえ。ところで魔王様、先程の女性達は?」
「偶然知り合った戦士と魔法使いだ。ふふ……あのボンクラ勇者の仲間になりたいらしく、二人で修行の旅をしているそうだ。いやはや、凄いね。二人ともお嬢様と呼ばれてもおかしくない家柄の出なのに、敢えて危険な冒険をしているなんてなぁ……うん、実に大したもんだ」
「勇者の仲間に……ですか」
俺はニヤリと笑う。
「オーティスと供に、魔王シングを倒したいとか言ってたな」
カーチャ嬢は目を少し見開き、困った顔で呟く。
「それは……何とも無謀な」
セレヴァとロセフも同意と言わんばかりに頷いた。
「俺もそう言ったんだけどねぇ……何でも魔王シングは親父さんの仇だそうだ。ま、それならしゃーないか」
「御父上の?」
「帝國南方での戦いで死んだそうだ。正直、知らんがなぁ……って感じだぞ。勝手に魔王領に攻め込んで来て、んで返り討ちに遭っただけじゃんか。それを仇と言われてもなぁ……殆どクレーマーだよ」
「……それで彼女達は……」
「一応、オーティスの居場所を教えておいた」
「宜しいので?」
「理想と現実のギャップを知るには良い機会だろう。それでも敢えてあのボンクラ勇者の仲間になりたいと言うのなら、それはそれで面白いしな。さて……腹も減っただろ?どこかで飯でも食いながら、調査結果でも聞こうか」
★
帝城近くにある、貴族の上屋敷や上級官僚の邸宅が立ち並ぶ閑静な高級住宅街。
外務官僚として日夜精力的に帝國の為に働く彼―オルドビース・ヴォルセイフ・ネイティアは、知性を感じさせる瞳に温和な光を湛え、一年振りに自宅を訪れた可愛い姪を玄関先で出迎えた。
「おぉ、久し振りだねシルル」
にこやかに微笑み、軽く抱擁する。
子供のいない彼にとって、彼女は姪と言うより自分の娘のような存在だ。
実際、帝都がまだ魔王アルガスに侵攻される前、オスト・ラレンツに在った頃は、自分も彼女の家も近くにあり、何かと忙しい両親や兄夫婦に代わって幼い彼女の面倒を見たものだ。
オルドビースは、ともすればだらしくなく崩れてしまいそうな頬の筋肉を引き締めながら、姪の幼馴染であり彼女の親友でもある女性に目を向けた。
「それにエディア君も……うん、二人とも元気そうだ」
「お久し振りです、叔父様」
「お久し振りです」
二人は礼儀正しく挨拶する。
彼女達も随分と大人びたな……
その成長を喜んでいいのか寂しく思っていいのか。
昔は二人して我が家に遊びに来た時は、挨拶もそこそこにオヤツを所望したものだが。
オルドビースは小さな苦笑を浮かべ、
「立ち話もなんだ、さぁ入ってくれ。そろそろ夕飯の準備も整う頃だしな」
そう言って屋敷の中へと誘う。
「もう少し早く連絡をくれたなら、もっと美味しい物をたくさん用意したのだがね」
「いえ、そんな……叔父様こそ、忙しいでしょうに」
「いや、今はあまりな」
そう言って、彼は肩を軽く竦めてみせた。
謙遜ではない。
本当に近頃は昔に比べて仕事量がぐッと減った。
何故なら魔王軍によって、他国が殆ど壊滅している状態なのだ。
現在、帝國が外交において注力している勢力は二つのみ。
日に日に緊張が高まっているダーヤ・ウシャラクと、そして魔王軍だ。
その他の国に関しては放置状態で、その分の余剰人員が廻って来ているので自ずと仕事の量は減ったのだ。
とは言え、量は減ったが責任の重大さは何倍にも膨れ上がったのだが。
「しかし、兄上が亡くなってからそろそろ二年か……どうだね?修行の旅は順調かね?家には帰っているか?義理姉さんに心配は掛けてないか?」
オルドビースが肩越しにそう語りかけると、シルルは笑顔で頷きながら、
「大丈夫です。エディアちゃんと二人で鍛えてますから……昔より大分強くなりましたよ。大抵のモンスタはー討伐できますよ」
「そうね。シルルの魔法は強いから……あ、家には偶に顔を出しますよ。そう言えば母さんから手紙を預かってたんです」
「あ、私も」
そう言って二人は肩に下げた鞄から、少し皺が寄っている手紙を取り出した。
「デボンさんと義姉さんから?なんだろうね」
オルドビースは首を傾げる。
兄嫁である義姉さんからの手紙は……ま、何となく分かる。
再婚に関しての事だろう。
ただ、エディアの母であるデボンさんからの手紙とは……非常に珍しい。
「母さん、叔父様のことを心配していましたよ。まだ一人身だし……」
あ、やっぱりその話かな……
懐に手紙を仕舞いながらオルドビースは思わず心の中で嘆息する。
先の魔王アルガス襲来時の防衛線において、妻は死んだ。
あれから十年以上の月日が経ったのだが、亡き妻を忘れた事はない……何て言うのは、殆ど物語の世界の話であろうか。
自分もまだ若く、時が経つにつれ思い出は風化して行くものだ。
日々の忙しさもあっただろう。
情が薄いと他人は言うかもしれないが、それが現実だ。
もっとも、子供でもいれば話は別だっただろうが。
うぅ~ん、義姉さんには悪いが、再婚はなぁ……
独りでも、今の所は困る事などは無いしな。
それに現在の情勢から言っても、それは色々と難しいだろう。
「ところで叔父様、一年振りに帝都へ来ましたけど……何か少し雰囲気が変わりましたね」
「そうかね?」
食堂へと続く扉を開けながら、オルドビースはシルルを見やる。
「オーティス様の所在を確認しようと思ったのですが、ギルドの方々も知らないらしくて……」
「それに精霊教会が封鎖されていましたが、何かあったのですか?」
「まぁ、色々とな。オーティス殿は行き先も告げずに旅立ってしまったのだよ。陛下との間に……少しばかり意見の相違があったりしてな。精霊教会も然りだ」
そう言葉を濁しながら、二人を食堂へと招き入れる。
食卓には、かなり豪勢な料理が並べられていた。
家で雇っている使用人が作った物もあれば、近くのレストランから取り寄せた逸品もある。
「そうなんですか?」
「私も詳しい事は知らないがね。いやはや、勇者殿は何処で何をしているのやら……」
「オーティス様は今、サンクメール地方に居ると聞きましたが」
「サンクメール?」
椅子に腰掛けようとしたオルドビースの動きが止まる。
「そうか……やはり南か。それを誰から聞いたんだい?」
「シンノスケ様です」
「シンノスケ……?」
「と、とっても強い方です」
何故か僅かに頬を赤らめながら、シルルは答えた。
「エディアちゃんも簡単に倒されちゃいました」
「……倒されたも何も……勝負すらして貰えなかったわよ」
「ほぅ…」
オルドビースは少し痩けた自分の頬を撫でながら、記憶の中から該当の名前を探し出そうとするが、
「シンノスケ……寡聞にして知らないが……ま、世の中には埋もれた強者と言うのがいるものだな。さ、それよりも冷めない内に食べよう。飲み物はワインで……いや、シルル達にはまだ早いかな」
「そう言えば叔父様、真なる勇者と名乗っているスティングと言う方を御存知ですか?」
シルルの言葉に、グラスへと手を伸ばしかけたオルドビースの身体がまたもや硬直した。
そして平静を装いながら、落ち着いた声で、
「その名を何処で?」
「シンノスケ様です」
「先程言っていた御仁か。ふむ……ま、勇者スティングと名乗っている者とは……少々あってな。その名は一部の者達しか知らぬのだよ」
オルドビースも会った事はないが、その者については皇帝から直接話を聞いている。
「……とろでだ。シルルもエディア君も……オーティス殿の仲間になりたくて、今も旅を続けているのかな?」
「そうですよ?」
さも当然だと言わんばかりの目を向けるシルル。
エディアも力強く頷きながら、
「その為に厳しい修行をしているのです」
「そ、そうか…」
オルドビースはワインのコルクを抜き、自分のグラスに少しだけ注ぐ。
そしてチラリとシルル達を見つめながら、意を決したかのように
「はっきり言うが、止めて置いた方が良い。いや、止めるべきだ」
と言った。
彼女達の身の安全の為でもあるし、何より帝國に仕える者としての諫言だ。
「現在、帝國は魔王軍と休戦中だ。それは知ってるな?そして出来れば、恒久的な和平を結びたいと思ってる」
「わ、和平?」
「魔王との間に和平って……相手は人間、いえ人類系種族全てを劣等種と呼んで遊び半分に殺したりもする魔族ですよ?そんな連中と和平って……オルドビースさんにとっても、魔王は仇の筈でしょ?」
エディアの言葉に、オルドビースはキュッと硬く唇を結んだ。
そしてグラスを軽く揺らしながら静かに言葉を紡ぐ。
「確かに……エディア君の言う通りだ。妻は魔王アルガスの軍による侵攻で命を失った。そして兄上は魔王エリウの軍勢との戦いで戦死した。仇といえば仇だし、私自身、その恨みを忘れた事はなかったが……」
「今は違うのですか叔父様?」
「陛下の御意思でもあるし……何より、私自身の考えでもある」
そう断言するかのように言う。
「理由は二つ。……一つは、現在の魔王とは対話が可能だと言うことだ。現に魔王エリウは、民への虐殺などは行っていない。占領した地域もなるべく平和裏に統治している。歴代の魔王とは違うな。そしてもう一つの理由は……絶対に勝てないからだ」
「魔王エリウにですか?」
「違う。実の所、魔王エリウも……言わば支配される側なのだよ」
「え?それって……」
「もしかして、魔王シングにですか?」
「そうだ」
オルドビースは頷き、グラスを傾けた。
咥内にワイン特有の酸味と甘み、そして若干の苦味が広がる。
「ここだけの話だが……私は外務官僚として、陛下と供にな、秘密裏に魔王軍との会談に出席した。その時にな、魔王シングが現れたのだよ」
「……」
「……」
「はっきり言おう。あれは人の手に負える者ではない。いや、人……人類だけではなく、あらゆる種族が束になっても勝てる相手ではない」
「そ…そんなに強そうなのですか?」
「そう言う次元の話ではない。知ってるかシルル?魔王シングは軽く睨んでだけで人を容易く殺せるのだぞ?魔法ではない。ただ見ただけでだ」
オルドビースはそう言うと、深い溜息を吐いた。
あの時の光景を思い出すだけで、今でも背中に鳥肌が立つ。
「実際、その場にいた陛下護衛の近衛隊長があっさり死んだ」
「死んだ…」
「会見の場で帝國の者を殺したのですか?」
「そうだ。ま、あの隊長の態度も悪かったがね。しかもだ、魔王は軽く手を振っただけで……今度は蘇らしたんだ」
その言葉に、シルルとエディアは絶句した。
それはそうだろう、とオルドビースも思う。
復活魔法を行使できるのは、最高位の神官か勇者のみ。
即ち、正義を体現する聖なる者のみであると言うのが、世界の理なのだから。
にも関わらず、魔王として数多の民を虐殺したシングは、事も無げに復活魔法を行使する。
有り得ない事象だが、実際にそれは目の前で起こった出来事だ。
「……あれはもう、魔王とか言うレベルではない。容易く人を殺し、また簡単に蘇らせる。もしかしたら……神と呼ばれる超常の存在なのかもな。正直な話、彼を見た途端に、それまでの魔王軍に対する恨みは消えたよ。圧倒的な恐怖と、そして何か惹き付けられるような不思議な魅力……そして神秘性。なぁシルルにエディア君。もし仮に君達の父がだ、戦争ではなく地震や雷と言った自然災害によって命を失ったら、その自然現象を恨むかね?魔王シングと言う存在は、まさにそれなんだよ」
「だから和平を結ぼうと?」
「そう言うことだ。まぁ……我々人間がだ、こんな事を言うのは何だが……もし仮にだ、オーティス殿が魔王軍に戦いを挑んだら、帝國は一切の援助をしない。いや……それならまだ良いが、最悪の場合、帝國は勇者の敵になるだろう」
「お、叔父様……」
「ゆ、勇者と敵対関係になるというのですか?帝國が?」
「そうだ。陛下の苦衷の決断だ。いや……陛下だけではないな。あの会談に出席した者全員が出した答えだ。人類種の背信者と言われようとも、魔王シング敵対するぐらいなら勇者を敵に回した方が良いと……あ、もちろん聡明な君達の事だ……ここでの話は他言無用だよ?この件に関しては、上層部だけが知っている話だ」
「……」
「……」
「まぁ、だから君達がオーティス殿を探して仲間にして欲しいと言うのは……正直、賛成できない。さっきも言ったが、止めて欲しいと私は思っている。とは言っても……シルルの意思が固いのも知っている。昔から妙に頑固な所があるからね。だからだ、もし彼に会ったら……それとなく伝えてくれ。最低限、帝國が魔王軍との休戦中は、面倒を起こしてくれるなとね。さもないと帝國は……ま、そうならない事を祈るが」
「……わ、分かりました」
「ちょ……待ってよシルル。魔王軍をスルーするって言うの?見て見ぬ振り?勇者様なのに?」
「で、でも……シンノスケ様も、休戦中は魔王軍とは戦うなって、そう言ってたわよ」
「ほぅ…」
「そうだけど……でも、勇者様が戦うって言ったら?」
「そ、それは……」
「その時は君達が……もし勇者の傍に居るのなら、出来れば無理矢理にでも止めてくれ」