夜の乙女会議
魔王城敷地内にある親衛隊居住区。
パジャマ姿のティラは、自室に集まった面々を前に、
「と言うわけで、また皆さんの知恵をお借りしたいんです」
そう切り出した。
部屋の中央に設けられたテーブルの上には、お菓子やジュース、酒の類が並べられている。
それらを囲むように座っている見目麗しき乙女達は超困惑顔だ。
両の手でグラスを持っている酒井魅沙希は、
「ついこの間も同じような事を言ったわよねぇ」
溜息混じりに苦笑を溢した。
「それで、今度はどうしたんだ?」
そう口を開いたのは魔王軍本隊の筋骨逞しいダークエルフであるティムクルス。
パジャマではないが、ゆったりとした木綿のシャツにショートパンツと言うラフな格好だ。
彼女は手にした酒の瓶を開けながら、ティラを見つめる。
忠義に篤い親衛隊員は微かに頬を膨らませ、
「城に戻ってから三日……エリウ様、殆どシング様と会っていません。寂しン坊です」
そう不満を口にした。
周りの者は少し呆れ顔だ。
ティムクルスから酒を注いでもらっている魅沙希は困った笑顔を浮かべ、
「休暇とは言え、エリウは実質的な指導者ですからね。色々と忙しいから仕方ないじゃない。ま、あのヘタレは惰眠を貪っているだけだけどね」
城に戻ってから部屋でゴロ寝かリッカ達と遊んでいる姿しか見ていない。
本当に男って怠け者ねぇ、と魅沙希は思う。
「それで、そのシング様は現在何処に?」
そう尋ねたのはティラの親友であるペセルだ。
薄紅色の柔らかそうな生地で作られた寝間着に身を包んだ彼女は、リーネアからグラスを受け取りながら尋ねた。
ティラは微かに眉を顰め、
「今夜は男だけの宴会と仰ってました。お忍びで街へ繰り出すと……」
「あぁ……そう言えば、ウチのセレヴァとロセフも呼ばれてたわね」
と、参謀部所属のカーチャ。
如何にも貴族と言った感じの清楚な感じのネグリジェを着ている彼女は、グラスを傾けながら、
「いきなりシング様に誘われたって、二人供凄く困惑していたわ」
「エリウ様にも声をお掛けになれば良いのに……」
ティラの言葉に、魅沙希は小さな笑い声を上げた。
「男同士の付き合いってのもあるのよ。それにエリウが参加したら、場の雰囲気が変わるわよ。そもそも街へ気軽に行ける身分じゃないでしょ?住民達はパニックになるわよ」
何しろ自国の王、それも魔王が供も連れずに遊びに行くこと等、常識的に考えても出来よう筈がない。
平和で民主的な魅沙希の国でさえ、時の最高権力者が気軽に街の飲み屋へ繰り出すなんて事は絶対にない。
この封建主義的な世界なら尚更であろう。
「シン殿は平気で出歩いているけどね」
リーネアがそう言うと、魅沙希は眉間に皺を寄せて答える。
「あの馬鹿は変装もしているし、そもそも気安いのよ。誰もあんなフランクに接してくる男が魔王とは思わないでしょ」
聞いた話だと、街では遊び人のシンさん等と呼ばれている有名人だそうだ。
馴染みの店も幾つかあるとの事。
人間界とは違い、動画や写真などで顔が知られているわけでもなく、街の住民はシングの名前は知っているがその姿を見た者は殆どいないのだ。
ティラは唇を尖らせ、
「エリウ様、今夜も独り寝です」
そう言って乱暴に酒を呷った。
「それが普通よ」
魅沙希は呆れ顔でティラを見つめる。
もしも同衾している者がいたら、それはそれで大問題だ。
「そもそもエリウの事ばかりじゃなくて、貴方はどーなのよ?」
「はへ?私……ですか?」
自分のグラスに手酌で並々と酒を注いでいるティラは顔を上げた。
既に頬が少し赤らんでいる。
「そうよ。エルフの年齢ってのは良く分からないけど、貴方もそろそろお年頃でしょ?恋の一つや二つ経験していてもおかしくない歳よ。誰か良い人はいないの?」
「そ、そんな……私如きがシング様とだなんて……エリウ様に申し訳ないです」
「……何言ってんの?」
思わず目が点だ。
「ふふ、仕方ないわよ酒井殿」
リーネアが魅沙希のグラスに桃色の酒を注ぎ足した。
「実際にシン殿は異性に人気があるしね」
「それが分からないのよねぇ」
確かに、シングは女性からの人気が高い。
本拠地へ戻ると同時に、城務めのメイド達が歓喜の声を上げたぐらいだ。
思い起こせば、喜連川の屋敷にいる時もメイド達が頬を染めながら何やら囁き合っていたものだ。
魔王として何か異性を惹き付ける様な魅力的なモノがあるのかしらねぇ……性格はウ○コなのに。
見た目は確かに格好良いが、それだけでは説明できない何かがあるような気がする。
実際、人間形態以外の魔族の女性からも慕われていたりする。
摩耶の家で保護している妖怪達からも然りだ。
「エリウもそうだけど、みんなアレを買い被り過ぎなのよ。人間界にいた頃はそれはもう……寝てるか遊んでるしかなかったわ。グータラの見本ね。仕事だって基本的にはサボる事しか考えていないし」
魅沙希がそう愚痴を溢すと、チビチビとグラスを傾けているカーチャが、
「それだけ世界が平和だったと言う事ではないですか?」
そう尋ねた。
生まれた時から周りに他種族がいるのが当たり前な彼女にとって、自分と同じ人間種だけが住む世界と言うのは非常に興味がある。
「そうでもないわよ。確かにこの世界よりは平和だったけど……その分、性質の悪いのがいっぱいいたわ。胸糞の悪くなるような輩も大勢いたしね」
魅沙希は小さく鼻を鳴らし、テーブルの上の焼き菓子を摘んだ。
「で、そう言うカーチャはどうなのよ?貴方こそ御年頃よ。と言うか、そろそろ結婚を前提にした人を見つけないと……」
「け、結婚……ですか?」
カーチャは目を瞬かせた。
そのような話、身内からも出た憶えも無い。
「そんな事は今まで一度も考えた事がありませんよ」
「王族になるんですから、そろそろ候補者ぐらい決めておかないと……色々と揉める原因にもなるわよ。あの二人はどうなの?」
「論外です」
と、どこか冷たく断言。
「前にも言いましたけど、セレヴァとロセフは弟のようなものですし……そもそも私にはそう言う話はまだ早いです。色々とやるべき事が多いですし……お歳と言えば、最年長はリーネア殿では?」
「わ、私?」
「そうねぇ……リーネアは確かに適齢期ね。誰か良い人はいないの?」
「全くいません」
「……確かにリーネアの周りには男っ気が無いものね」
魅沙希は笑った。
唯一いるのはヤマダだが、あれは対象外だ。
頼れる仲間であると魅沙希も認めるが、異性としてはかなり問題がある。
「ペセルやティムクルスは?親衛隊や魔王軍の女性士官達はどうなのよ?何か良い話はないの?」
魅沙希に話を振られた、ふんわりカールの髪が特徴的なペセルは僅かに小首を傾げ、
「あまりそう言った話は聞かないですね。ただ……」
「ただ、なに?」
「やはり口の端に上るのはシング様の事が圧倒的に多いですね。親衛隊もそうですけど、本隊の方も……ティムクルスさんの所の女性達も、色々と騒いでましたよ」
「ん…そうだったな」
片目のダークエルフはグラス片手に難しい顔で頷いた。
シングが部隊視察に訪れた時などは気合の入り方がかなり違っているし、中には戦場なのに化粧している者もいたぐらいだ。
「……はぁ~」
と、魅沙希は大きな溜息を吐いた。
「何でみんな、あの馬鹿タレに興味があるのかしら」
正直、分からない。
「優しいし強いからではないですか?」
とペセル。
「私も、もし仮に……その……シング様が寝所へお召しになったら、拒否はしませんよ。ティラちゃんもそうよね?」
「もちろんです」
即答である。
そしてグイッと大きくグラスを傾け、
「シング様が求めるのならいつでも馳せ参じます」
鼻息も荒くそう言った。
周りの女性達は少し引き気味だ。
「何か頭痛がしてきたわ。ま、そもそもアイツにそんな度胸はないから安心だけど」
それは確信を持って言える事だ。
もしもシングが軟派な男であったなら、疾の昔にエリウに手が付いている筈だし、この魔王城でハーレムすら築いているだろう。
下手すれば既に何人か子供が生まれているかも知れない。
「ですがシング様も男です」
「その前にヘタレよ。と言うかティラ、飲み過ぎよ」
床に転がる空ボトルが目に入る。
かなりの数だ。
「飲まなきゃやってられません」
目が据わっているティラは更に自分のグラスに酒を注いだ。
「私にはシング様が分かりません。エリウ様の気持ちに気付いている筈なのに、いつも無視してます」
「いや、何も気付いてないわよ、アレは」
「朴念仁の糞野郎です」
余りに不敬な発言に、周りの者達は驚きの顔を浮かべるが、魅沙希は声を出して笑った後、
「ま、ティラの言う通り、アレは脳に欠陥があるってレベルで鈍いわよね。それに確かにウ○コだし」
「うぅぅぅ……こうなったらシング様に直接お尋ねするしかありません!!」
「……かなり溜まってるわね、この娘」
魅沙希はリーネアと顔を見合わした。
ティラは生真面目な分、色々とストレスを溜めやすいのだろう。
「明日、シング様に直談判します。私かエリウ様、どちらを選ぶのですかと!!」
「す、凄い事を言い出したわね」
「う…うぅぅ…」
と微かな唸り声上げた次の瞬間、ティラはいきなりテーブルに突っ伏した。
そして部屋に響き渡る小さな寝息。
「……潰れちゃったわ」
「大丈夫ですよ、酒井様」
と、ペセル。
酔い潰れたティラの背中にタオルケットを掛けながら、
「明日には全て忘れていますから……いつもこんな調子なのですよ」
「都合が良い酔い方ね。って言うか、夜会と言うよりティラの愚痴を聞いただけのような気がするわ」
魅沙希は溜息を吐くと、クイッと大きくグラスを傾けた。
★
魔王城ガルバンディーナから少し下った所にある城下町、ベルエーレ。
魔王領内において最大の都市である。
当然ながらそこに住む住人は様々な種族で構成されており、それ故か単一種族が住む都市ほど洗練はされてはいないが、またそれが却ってエキゾチックな魅力を醸し出している。
料理で例えると、他の大都市が整然とした懐石料理なら、この都市は何でも有りの寄せ鍋だ。
だからこそ面白い。
怪しげな店もいっぱいあるしね。
もっとも、治安には力を入れているので見た目よりは遥かに安全だ。
「と言うわけで、今夜は無礼講で宴会だ。美味い酒と飯を食べ、日頃のストレスを解消してくれぃ」
繁華街の路地裏にある、行きつけの少々年季の入った飲み屋の二階の小座敷で、俺はグラスを掲げながら困惑顔の男達にそう語り掛けた。
本日の飲み会メンバーは、カーチャ嬢の所の兄ちゃん二人に旧タウル王国近衛隊のマーコフとアッカムと言う二人。それと近衛隊のベンザムに参謀部所属の魔族が数名と言った面子だ。
後はヤマダの旦那と監視役に黒兵衛。
ついつい飲み過ぎると酒井さんから漏れなく厳しい折檻が待っているので、それを防止する為に連れて来た。
ちなみに今回の飲み会に、所帯持ちは誘っていない。
折角の休暇だし、家族サービスに専念させないとね。
「や、無礼講言うても、そないなこと真に受ける奴はおらへんで」
黒兵衛が早速、何やら焼き魚に齧り付きながら答えた。
「いやいやいや、本当に無礼講だ。何を言っても、この場限り。立場などナッシング。俺の事は気さくにシンちゃんとでも呼んでくれて結構。シン公でも可だぞよ」
実際、この店の大将は俺の事をシンさんと呼んでいるしな。
そもそもこの界隈では、俺は魔王軍幹部のどら息子で無職の穀潰し、遊び人のシンさん等と呼ばれている有名人なのだ。
「い、いや……しかしシング様。それはさすがに……」
「ベンザム。俺の事はシンさんと呼べ」
言って俺は、ハーフエルフの近衛隊員のグラスに酒を注いでやる。
「この街の連中は、俺の顔を知らん。ここは俺のストレス解消、息抜きの場なのだよ。分かるか?此処で正体がバレると、俺の数少ない娯楽が減るんだ。だから何が起きようとも、俺はこの街では遊び人のシンさんなのだ」
「は、はぁ…」
「がははは、ともかく呑め。そして食え」
俺はベンザムやその他の面々のグラスに酒を注いでやった。
うむ、これぞ野郎どもの宴。
女には分からん漢同士のコミュニケーションなのだ。
「ず、随分と御機嫌ですね」
「仕事を全力でこなし、そして休む時は休む。それが俺の信条だベンザム」
そう言って俺は酒を呷る。
うむ、美味い。
城にある上等な酒も良いが、場末の酒場に置いてある謎の酒もまた良しだ。
と、器用に骨を避けながら焼き魚を頬張っている黒兵衛が顔を上げ、
「何が全力や。忙しい時もサボってるやないけ……」
「がははは、怠けているように見えるが、さに非ず。あれは深く考え事をしているのだよ」
「ホンマに口だけは達者な奴やで」
「だーはっはっは♪」
俺は大きくグラスを傾けた。
うんうん、やはり野郎だけで呑むのは楽しいなぁ。
女の子がいると、どうしても気を使っちゃうしね。
と言うわけで、追加の酒を頼みつつ、
「ところでアッカム。ボーラル領の統治はどうだ?忙しいか?」
元タウル王国近衛隊で、新米領主となった若者に声を掛ける。
彼は眉間に深く皺を刻み、
「い、忙しいです。ティザー達にも手伝ってもらってますが……元々私は跡継ぎでもないので、その……そう言った教育は受けてなくて……」
「ま、そう言う時は出来る奴に任せとけ。領主だからって何でも自分でする必要は無いぞ。要は、出来る奴を見極めて登用する。それが領主の大事な仕事だ」
「は、はぁ……そう言うものですか」
「そう言うもんだ。ま、中にはカーチャ嬢のように何でも出来る優等生な者もいるが、そんなのは特別だ。俺なんか何も出来ないから、酒井さんや参謀達に丸投げしているしな」
言いながら、アッカムのグラスに酒を注いでやった。
そしてその隣に座る彼の親友に視線を移し、
「マーコフも今の内に出来そうな奴を見つけておけよ。お前もその内にリストバーンの門地を継ぐのだからな」
「あ、有難う御座います。ただ、僕的には……別に家を継がなくても……このまま魔王軍にいた方が気侭に過ごせるかなぁ~と」
「ははは……正直だな、お前。だがその気持ち、凄く分かるぞ」
そうなのだ。
人の上に立ちたいとか出世欲が乏しい者にとって、領主やら何やらだの、所詮は重荷でしかないのだ。
面倒臭いだけなのである。
それは良く分かる。
「俺も魔王なんて名乗っているが、別になりたかったワケじゃない。俺は本当は冒険者かニートになりたかったんだ……」
そう少し遠い目で言うと、何故か漬物まで食べ始めている黒兵衛が情けない顔で、
「何を言うとんのや、お前は?」
そうツッこんできた。
「うひひひ……と、酒の席で仕事に関連した話は無粋だな。ベンザム、酒の追加を頼む。もう無くなったわい。しかし……なんだ、男だけの集まりで話題に上がるとすれば、先ずは女の話だろうな。この中で誰か彼女がいる奴とかおらんのか?」
「絡み方がオヤジやないけ。ウザいのぅ」
「偶には良いじゃねーか。戦争中とは言え、恋バナの一つや二つぐらいはあるだろうし……ま、場合によっては死亡フラグになりそうだがな」
俺は笑いながらその場にいる野郎どもを見渡すが……おいおい、全員困った顔をしているぞよ。
「なんだなんだ、情けない奴らだ。おい、ロセフ。それにセレヴァ。歳から言えばお前たちは一番、青い春真っ盛りじゃないか。誰か気になる娘とかおらんのか?」
「あ、いや僕は……その……」
カーチャ嬢付きの見習い騎士は互いに顔を見合わせ、何やらゴニョゴニョと口篭った。
と、マーコフがグラスを傾けながら、
「セレヴァとロセフは同じ人に恋焦がれてますからねぇ」
そう言って訳知り顔で頷いた。
「そうなのか?友人にして恋敵か?中々に乙なシチュエーションではないか。うむ、背中が痒くなるぜ。んで、誰だ?俺の知ってる女の子か?」
そう尋ねると、「え?」と言うような顔をした。
それも全員がだ。
ヤマダの旦那でさえ苦笑を浮かべている。
「え?え?なんだ?何がどうした?」
「お前はホンマに、その手の事には疎いのぅ」
と黒兵衛。
自分の前足を舐めながら、
「二人の態度を見てれば分かるやないけ」
「ふにゃ?」
マジか?
誰だ?
こいつ等は良く見回りなどに付き合わせているが、全く気付かなかったぞ。
……
よもやリッカじゃなかろうな?
だとしたら、カーチャ嬢には悪いが始末するしかないんじゃが……
と、首を捻っている俺のグラスにベンザムが酒を注ぎながら、
「この二人にとって、忠誠の対象はイコール恋する御方なのですよ」
ん?
んん?
忠誠の対象?
「…………あ、もしかしてカーチャ嬢か?」
「そない眉間に皺を寄せて考える事か?バレバレやないけ」
俺は黒兵衛の頭を掴み、そのまま放り投げた。
「はぁ……しかしカーチャ嬢か。なるほど。確かにカーチャ嬢は可愛いと言うか格好良いし、頭も切れる。しかし、かと言って他者を見下すようなクールさは感じないし、中々の傑物だ。惚れるのも充分に分かる。うん、お前達……女性を見る目はあるようだな」
ただ、性格が少しキツそうなんだよなぁ……僕ちゃん的には少し苦手だ。
「しかし、なんちゅうか……かなーリ難しいと思うぞ。難易度は特S級だ」
「そ、そう言うものでしょうか?」
とロセフ。
セレヴァも小難しい顔で俺を見つめていた。
「まぁな。少し耳の痛い……現実的な話をするが、この世に身分差ってのは存在する。悲しい事だがな」
平和な日ノ本の国だって、大金持ちと庶民との間には大きな壁があったのだ。
アニメとゲームでそう学んだ。
封建制度が主体のこの世界なら、それは尚更顕著であろう。
ってか、何故かヤマダの旦那がウンウンと頷きながら盃を傾けているが……
旦那にも、過去に何か似たような事があったのかな?
「仮にだ、もしどちらかがカーチャ嬢と恋に落ちたとしても、周りが素直に祝福するか?答えは否だ。親族の中の誰かが確実に反対するだろう。身分高き者にとって、恋と結婚は別物だ。よしんばそれを乗り越えたとしても、領民の反応はどうだ?二人を祝福するか?それも否だ。救国の英雄と呼ばれるような実績持ちならともかく、一介の護衛騎士では……中々に領民の理解や支持は得られん」
もっとも、偽装結婚だけして、恋人を愛人として傍に置いておくと言う裏技を行使する領主もいるがね。
「ま、でも……可能性はゼロじゃない。この世の中、何が起きるか分からんからな。例えばいきなりロードタニヤにドラゴン級のモンスターが現れて暴れるとか……それをお前達が退治するとか……あ、なんか面白そう。やってみるか?」
もしやるとしたら、色々と協力するぞよ。
そう言う茶番劇は好きだ。
面白いし。
もちろん、ちゃんとしたシナリオを作るぞ。
ただし、用意するモンスターは本物だがな。
その辺はこのシング監督、リアリティを追求したいのだ。
だが二人は互いに顔を見合わせ、フルフルと首を横に振った。
「ははは……ま、そうだな。ぶっちゃけ、死ぬ確率の方が高いしな。そもそもバレたら僕ちゃん、酒井さんに逆さ磔にされた上に百叩きされるわい。わははは」
「そう言うシング様…いや、シンさんはどうなので?」
とベンザム。
「何か艶っぽい話はないのですか?」
「俺?俺はそもそも結婚しているぞ?」
そう言うと、その場にいる全員が固まった。
微動だにしない。
グラスや盃を手にしたまま、目を見開いてマジマジと俺を見つめている。
「そ、そうなんですか?」
「まぁな。ま、ゲームの中だけど」
「……は?」
「セーブデータの中は嫁ばかりだ。好色な皇帝もビックリな後宮を築いているぞよ」
何しろ苦労して攻略したからな。
フラグ管理とか、メモまで取っていたし。
けど、ランダム要素があるゲームは難しかったなぁ……
何度リセットを押した事か。
「え、え~と……それは一体、どのような意味で……」
「そのままの意味だが?」
そう真面目な顔で答えると、黒兵衛がどこかウンザリしたような口調で言う。
「みんな、コイツの言う事は真面目に聞かん方がエエで?馬鹿が伝染るからな」
「がははは♪ま、酒の席だ。俺の話の半分は冗談と思え」
俺は笑いながら酒瓶を手に取るが、ありりり?もう空っぽじゃわい。
誰か酒を頼んでくれと言おうと思ったが、少々トイレに行きたくなったので、ゆっくりと席を立つと同時に、廊下側から、
「シ、シンさん!!」
店員の一人がどこか慌てた様子で声を掛けて来た。
この店で修行している若い兄ちゃんだ。
通称はヤス。
狐系の獣魔族である。
まだまだ半人前だが、中々の頑張り屋さんだ。
俺が城を抜け出してこの店で独り酒を愉しんでいる時など、良く話に乗ったりもしてくれる。
「おぅ、どうしたヤス?」
「や、性質の悪い客が店の前で暴れおりやして……大将が応対しているんですが、どうにも手が付けられなくて……」
特徴的な三角耳をピクピクと動かしながら、ヤスは困り顔だ。
「にゃに?この遊び人のシンさんお気に入りの店で暴れるとは太ぇ野郎だ。よっしゃ、いっちょ俺が片付けてやる」
「お、おいおい」
黒兵衛が俺の足を叩く。
「自分、良い感じに酔ってんなぁ」
「がははは♪先生もお願いしやす」
言うと頬が赤らんだヤマダの旦那が愛剣を片手に、
「どぉれ…」
と立ち上がった。
「……お前もかい」
「だーはっはっは……不埒な狼藉者は成敗じゃい。皆の者はゆっくり酒でも呑んでてくれぃ」
そう言って俺は、ヤマダの旦那と供に部屋から飛び出したのだった。