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ゲッティング・ベター


 その男の登場によって、緊張は更に高まった。

空気はまるで粘着物のように身体中に纏わり付き、鳥肌が立つ。

息は乱れ、手足は汗に塗れ膝が勝手に震え出した。

本能が、絶対に抗えない存在だと認識していた。

それは帝国側の人間のみならず、魔王軍の幹部、そして魔王エリウもまた同様であった。


こ、これが……この男が……真なる魔王シング……か。


その身体から仄かに黒い霧のような立ち昇らせている男から、ハルベルト二世は目が離せない。

もちろんそれは彼だけではなかった。

その場にいる全員が、その男の一挙手一投足を固唾を呑んで見守っている。

もちろん、興味があるからではない。

自分の身を守る為にだ。


何と言う存在感……

一体いつからそこに……いや、どうやって現れたのだ。


ハルベルト二世の困惑を余所に、男、いや魔王シングはゆっくりと肘掛に立てた腕に頬を預けると、

「魔王であるエリウとロードタニヤ辺境伯令嬢にして我が軍の参謀であるでカーチャの会話に割って入るとは、些か無礼な猿だな」

そう言って近衛隊長を見つめた。

ハルベルト二世の耳に、家臣の喘ぐような息遣いが聞こえる。


「会談をしてやると言ったが、何か勘違いしていないか?」

シングの目が細まる。

刹那、ドサッと言う鈍い音と供に微かにテーブルが揺れた。

ハルベルト二世を始め、全員の視線が音のした方へと流れる。

そこにはテーブルに突っ伏し、ピクリとも動かない近衛隊長の姿があった。


な、なんだ……?


シングの笑い声が響く。

「ははは……所詮お前等はこの程度だ。分かるか?お前等人間は、我が睨んだだけで呆気なく死ぬ程度の脆弱な存在だ。生かしておいてやるのは、何か雑用にでも使えるかもと思ったからに過ぎん。ふふ……交渉すれば何とかなると思っていたのか?」

言ってシングがゆっくりと皇帝を見やる。

そしてニヤリと口角を吊り上げると、

「……なーんちゃって」

いきなり剽軽で砕けた口調に変わった。


「……は?」

思わずハルベルト二世は呆けた声を上げる。


「はは……冗談だ、冗談」

シングが気さくな様子で笑うと同時に、場を支配していた重い雰囲気が一変した。

身体を震わす程の淀んだ瘴気の様なモノは消え失せ、どこか清涼とした空気が辺りに広がる。


「じ、冗談……」


「シング様」

少し大きな声を上げたのは魔王エリウだった。

僅かに頬を膨らませ、非難めいた目付きで真なる魔王を見つめている。


「はは、悪かった悪かった。怖がらせてしまったか?」


「こ、怖かったです……」


「それは申し訳なかった。なに、黙って最後まで見ていようかと思ったが、少しばかりイラッとしたのでな」

そう言って、試すような視線をハルベルト二世へ投げ付けながら、どこかおどけるように肩を竦めてたみせた。


と、魔王エリウの隣に座るウォー・フォイが小難しい顔で口を開く。

「しかしシング様。冗談と申されましても、些か……」

その視線が、微動だにしない帝国近衛隊長に向けられた。


「ん?あぁ……ちょっと見ただけで死んでしまうとはな。この程度で警備の責任者とは……何とも情けない奴だ」

シングはそう言って、指をパチンと鳴らす。

それと同時に、くぐもった声を上げながら近衛隊長がモゾモゾと動き出した。

「ふ、心臓が止まっただけの単純死だ。外傷も無ければ時間も経ってないから、簡単に蘇らせる事が出来るな」

その光景に、皇帝を始め帝国の者達は一斉に息を飲んだ。


し、死者を蘇らせた?

復活魔法だと……馬鹿な。


皇帝とその臣下は、驚きを隠そうともせずに近衛隊長を凝視する。

それもその筈である。

何しろ復活魔法は聖なる領域の魔法と定義された特殊な術である。

高位の神官か勇者のみにしか行使できない魔法であると言うのが、この世界の常識だ。

その常識が今、至極あっさりと目の前に座る男に覆されたのだ。

しかも相手は正義とは対極の魔王である。


「さて……少し喉が渇いたな。ティラ」

シングが少し大きな声を出すと、天幕が捲れ上がり、親衛隊のハーフエルフが颯爽と現れた。

「こ、これはシング様……何時の間にお出でに……」


「悪いが、お茶を頼む。あぁ、皆の分もな。帝国の者達も一息吐きたいだろうに」


「は、畏まりました。早急に準備を整えます」

軽く頭を下げ、踵を返す。

が、魔王エリウが彼女を呼び止めた。

「ティラ、少し待つが良い」


「はッ!何でしょうかエリウ様?」


「シング様の分は私が淹れよう」


「……ぇ」

と、小さく響く戸惑いの声。

ハルベルト二世が声のした方に素早く視線を動かすと、そこにはにこやかな顔のシング。

だが、気のせいかも知れないが、その顔が少し強張っているようにも見えた。


「あ、あ~……エリウが淹れてくれるのかい?」


「はい。あれからペセルに習いました。凄く上達したと皆も褒めてくれます」


「そうなのかティラ?」


「……はい」


「む、むぅ……な、ならば我の分はエリウに頼もうかな」


「はい」

魔王エリウは恥じらいがちに微笑んだ。

その姿は人類の敵である魔王ではなく、まるで恋する乙女のそれであった。

隣に座るウォー・フォイが微笑を溢している。


これは……

ハルベルト二世は二つの間違いに気付いた。

それは真なる魔王が決して恐怖だけで魔王やその幹部達を支配しているワケではないと言うこと。

そしてもう一つは、帝国の存続などと言う甘い考えを持ってこの会談に挑んでしまったこと。


魔王シング……

帝国以前に、この男の存在は人間と言う種族の存亡にも関わる。

何しろ少し睨んだだけで人を殺してしまうのだ。

脅威と言うレベルではない。

絶対的捕食者を前にした小動物の気持ちが今なら良く分かる。


ハルベルト二世は平静を装いながら、魔王シングを横目で見る。

見た目は……普通の青年だ。

ただ、不思議な魅力を放っていた。

先程は恐怖しか感じなかったが、今はそれ以上に、人を惹き付ける何かを感じる。

それに、あの背後の黒猫と不気味な人形は一体なんだ?


「さて……」

天幕を出て行く魔王エリウの背中を見つめていたシングが、おもむろに口を開く。

「カーチャよ。先程、帝国の申し出を論外と断じた理由は何かな?」


「は」

軽く頭を下げ、末席の若い女性が滔々と語り出す。

「先ず第一に、テクサ河以北を割譲すると申し出がありましたが、かの地は帝国の直轄領ではなく、貴族の支配する地。無理矢理にでも帝国が我等に譲渡すれば、色々と問題も出ましょう。帝国内のいざこざで終われば良いでしょうが、それは確実に我等にも飛び火します。そもそもそこに住んでいる住民の問題もありますし、また工作員を忍ばせる事も容易でしょう。此方が平和裏に統治しようと思っていても、中々に難しいかと」


「……なるほど。魔王軍の腹に爆薬を忍ばせるようなモノか」


「次に我等とダーヤ・ウシャラクの関係もあります。仮にウシャラクと帝国との間に戦乱が起き、ウシャラクが我が軍に助力を求めて来た場合、帝国との和平協定を楯にそれを拒否するのは些かどうかと思います」


「そうだな。あの国は数少ない友好国だ。だとすれば……我が魔王軍としては、帝国は先ずダーヤ・ウシャラクとの間に何かしらの平和協定を結んで欲しいな。魔王軍との交渉はその後だ」


「はい。その通りですが……ウシャラクと帝国との間には長年に渡る確執もありますし、現ウシャラク王の為人からして、和睦するのはかなり難しいでしょう。そもそも現状では我等が有利な立場でもありますし」


「ふ……と言うことだが、どうかね皇帝?」

魔王シングは余裕のある笑みを湛え、皇帝を見つめた。

ハルベルト二世も微笑で返すが、内心では呪詛の言葉を吐いていた。


くそ、この女……一瞬で看破したか。

帝国的には領土を割譲し、魔王軍に屈服したように見せ掛けつつも、その足元を掬う幾つもの策を用意していた。

割譲地の住民の大規模反乱も想定の内だ。

魔王軍が力で反乱を抑え込めば、間違いなく悪評が立つ。

所詮は魔王の軍だと。

それはやがて他の占領地域へと飛び火し、魔王領は混乱に陥るであろう。

また、ダーヤ・ウシャラクとの間に不和の種を蒔くのも策の一つであった。


ロードタニヤ辺境伯令嬢とか言ったな。

ハルベルト二世は自分の対角線上に座る若い女性に目を細めつつ記憶を辿る。

確か……ダーヤ・タウル北部の貴族だとどこかで聞いた覚えが……うむ、さすがに分からんな。

あの辺りの歴史は複雑だからな……

しかし辺境伯と言うからには、旧王家に縁の者であろうか?

それがどのような経緯で魔王軍へ参加しているのか……情報が不足しているな。


「なるほど。実に最もな意見です。これは少し我等も色々と考えを改めねば……しかし実に聡明な方ですね。ロードタニヤ辺境伯令嬢殿と仰いましたが……ダーヤ・タウル王国の貴族で?」


シングは軽く頷き、

「そうだ。ま、タウル王国は最早存在しないがな。それにロードタニヤは近い内に王国として独立する。それ以外にも、我が軍に参加している人間の貴族も随時独立させ、連合王国を形成させるつもりだ」


「……ほぅ」


「ふ……帝国にも、独立を企む貴族がいるであろうな」


そいつ等をいつでも動かせるぞと脅しているのか?

「はっはっは……確かに仰る通りで。しかしそれはどの国にも言える事では?」


「ふふ、そうだな。我の支配する地域とて、反乱の火種は燻っていよう。それに魔族や異形種の中にも、良からぬ事を企む者がいるかも知れん。……だからこそ面白い」


「面白い?」


「少しぐらい反抗的な方が楽しめるではないか?そうは思わないかね、皇帝?」


「……楽しくはないかと」


「人間らしい意見だな」

シングはそう言うと、ハルベルト二世から視線を外し、ウォー・フォイを見つめた。

そして静かな口調で

「現在の最前線地帯を境界に、時限付きの休戦協定。その線で会議を進めろ」


「は!!」

ウォー・フォイが恭しく頭を垂れた。

「して、時限付きと言うことは……期限は如何ほどに?」


「その辺は帝国との話し合い次第だが……そうだな、大体半年程度かな。それぐらいあれば、帝国も色々と準備が出来よう。あの馬鹿勇者も多少は強くなって戻って来るだろうし、それにウシャラクの王もそれぐらいは我慢出来るだろう。ま、それはあくまでも我の意見だ。細かな所はエリウと相談して決めるが良い」


「ははッ!!」


「……と言うことだが、どうだね皇帝?」


「我等としては恒久的な和平を望んでいますが……」


「戦もせずに和平は結べんよ。もちろん降伏も然りだ。だって……面白くないだろ?」


「……」

く、糞が!!

どこまでも人類を甚振る気持ちなのか……この魔王がッ!!


「さて……そろそろエリウが戻って来るかな」

シングはそう言って、天幕を見つめながら小さな溜息を吐いた。









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