良し、先ずは話し合いだ
「随分と大胆な事をしてきたなぁ……少し予想外だね」
俺は半ば感心しながら呟いた。
肩に乗っている酒井さんも
「そうね。さすがは優秀と言われるだけの男ね」
そう言って小さく笑う。
黒兵衛は俺の腕の中で惰眠を貪っていた。
しかしまぁ、何を言ってくるか楽しみだな。
俺達は今、帝国との間の最前線地帯に来ていた。
暫定的な国境だ。
本日は此処で、帝国との二回目の秘密会談が行われる。
何故、駐屯地ではなくこの場所かと言うと……
何と戦争中にも関わらず、帝国の皇帝自らが会談に来ると言うのだ。
だから両国の中間であるこの地を選んだわけだが、ふふ……中々に面白い。
ま、エリウちゃんには少々荷が重いような気もするが、これもまた勉強だ。
ちなみに俺達は今、完全不可視知の魔法にて姿も気配も消している状態。
こっそりと会談の様子を覗うのだ。
もちろん、エリウちゃんにも内緒にしてある。
ま、お手並み拝見と行こうかねぇ。
★
帝国皇帝、グレアム・バーツネス・ハルベルト二世・ドウィ・オストへイムを乗せた馬車がゆっくりと停まる。
だがすぐには降りない。
面倒な事ではあるが、皇帝としての品位を保つ為にはそれなりに準備も必要なのだ。
鎖鎧を装備した護衛の騎士達が並び、別の馬車から大臣や近衛隊長が降り、辺りを警戒する。
その間、皇帝は身だしなみを整えた。
ハルベルト二世は乱れた服を直し、魔獣の皮と金糸を以って織られた豪奢なマントを羽織る。
そして腰に王錫を差しこみ、準備は完了だ。
ハルベルト二世は鏡を前に自分を一瞥し、その格好が恥ずかしい物ではないかと確認する。
これは言わば外交的戦闘服だ。
何しろ勇者以外では人間としてはおそらく初めて、魔王エリウと対面するのだ。
人類種最大の国家の代表としての対面もあるし、何よりみすぼらしい服を着て侮られるのは我慢ならない。
(先に派遣した外交団も、魔王との直接対談は実現しなかったと言うしな)
当然と言えば当然だ。
大陸の半分以上を既に支配下に置いてある魔王が、一使者に気軽に会う訳がない。
だが今回は違う。
自分が赴くと伝えた所、魔王もならば会おうと言う流れになったのだ。
ハルベルト二世としても、その可能性は低いだろうと思っていたのだが……
外交儀礼は守る、と言うことか。
ハルベルト二世が呟くと同時に、馬車の扉がノックされた。
「陛下。そろそろ良いですか?」
近衛隊長の声だ。
「うむ。分かった」
短い受け答えの後、馬車の扉がゆっくりと開く。
帝国皇帝が座乗する馬車に相応しい、堂々たる開け方だ。
控える近衛隊長の先に、外の光景が見える。
先ず目に入ったのは草原。
そして道を作るかのように向かい合って直立している近衛の姿と、実務を担当する大臣や外交書記官の面々。
その奥にやや盛り上がった大地があり、そこに巨大なテントが設けられていた。
そこが今回の会談場所なのだろう。
ハルベルト二世は大きく深呼吸をし、大地に降り立つ。
そして威風堂々たる振る舞いで歩き出すと同時に、近衛の者達もそれに追随する。
ハルベルト二世の視線は、巨大テントに向けられていた。
そこには金の鎧に青いサシュを掛けた魔王軍の兵が並んでいた。
皆、女性だ。
(これはまた……美しいな)
殆どがエルフの近縁種の者達であった。
情報部の報告から推測するに、魔王エリウ直属の精鋭である親衛隊と呼ばれる面々であろう。
今の魔王軍は、十年前に人類種国家を蹂躙した魔王アルガスの軍とは大きく違う。
かつての魔王軍は、それこそ魔族や異形種供の集団に相応しい、絵に描いたような粗野で野蛮な荒くれ者達の集まりであった。
言わば数だけは多い野盗とモンスターの集まりだ。
だが現在の魔王軍は、洗練された軍だ。
見た目が凶悪な異形の者達でさえ、どこか気品すら漂っており、秩序もある。
決して侮れない存在だ。
その親衛隊の中の一人が一歩前へ進み出ると、自分の胸を軽く叩くようにして拳を添え、生真面目な態度で口を開く。
「お待ちしておりました。自分は魔王軍親衛隊のティラと申します。帝国皇帝、グレアム・バーツネス・ハルベルト二世・ドウィ・オストへイム殿ですね?」
姿も美しいが、声もまた美しい。
ハルベルト二世は余裕のある笑みを浮かべ、
「お初に目に掛る。如何にも、余がオストハム・グネ・バイザール帝国皇帝である」
仰々しくも尊大にならないように気さくに応じた。
だが女性であれば好意を抱くであろう笑みを受けても、その生真面目な表情は些かも崩れない。
皇帝としてはやや肩透かしだ。
……なるほど。
公私混同はしない主義か、はたまた職務に忠実なのか……
どちらにしろ、かなり教育が行き届いているな。
つまり、臣下の者から篭絡すると言う手は使えないと……
やはり魔王軍相手に、外交の手管は通用しないか。
「では、此方へ……間も無くエリウ様も参られます」
見目麗しいエルフ系種族の後に続き、天幕を捲って巨大なテントの中へと入る。
付き従うのは秘書官に近衛隊長、そして外務担当大臣に書記官が数名だ。
兵達は表で待機している。
(ほぅ…)
テントの中は外から見るよりもかなり広かった。
天井も高く、照明系の魔法の効果であろうか、隅々までかなり明るい。
そしてその中央に重厚な長いテーブル。
左右対称に幾つかの椅子が並べられており、中央突き当たりの上座には、豪奢な椅子が一つ。
玉座であろうか。
だが、豪奢ではあるがかなり妙な形をしていた。
背凭れに当たる部分の左右に、飛び出すようにして小さな椅子のような物が添え付けられているのだ。
まるで蟹の目のようである。
その奇妙な形をした椅子を眺めているその視線に気付いたのか、先程の女性騎士が静かな声で、
「あれはシング様の御椅子です」
そう言って、ハルベルト二世を上座へと誘う。
「もちろんシング様は居られませんが、万が一お見えになった場合に備えて用意しているのです」
「なるほど」
噂どおり、魔王軍では真なる魔王シングが最上位であると言うことか。
椅子の置き場所でそれが良く分かる。
しかし、何故にこのような形なのかは分からない。
やがて表から微かにざわめきが沸き起こると、天幕が開かれ、魔王軍の面々が入って来た。
先頭を歩くのは若い女性……いや、少女と言っても良いだろう。
歳は十七歳前後だろうか。
だが人間ではない。
彼女の側頭部からは、額に掛けてせり出すようして曲がった角が生えているのだ。
それがどこかあどけなさを残す顔立ちと相俟ってかなりアンバランス感がある。
(俗に言う魔族種か。一体何者だろうか……)
着ている服は豪華だし、マントも立派だ。
それに角に付けているアクセサリーは、かなりの物である。
そんな彼女はゆっくりとした足取りで、テーブルを挟みハルベルト二世の正面に立った。
皇帝の心に微かに動揺が走る。
まさか……この小娘が魔王エリウなのか?
魔王エリウは漆黒の鎧を身に着けた身の丈二メートルを超える女丈夫だと聞いていたが……なるほど。
鎧の中は普通の魔族の女子であったか。
確かに、鎧を脱いだ姿を見た者はいないが……想像していたよりも遥かに華奢だな。
ハルベルト二世は微かに目を細め、素早く目の前の人物を観察する。
にこやかな顔で握手を求めつつもポケットには毒が塗られたナイフを忍ばせてある、そんな魑魅魍魎が跋扈する貴族社会で培われた彼のスキルだ。
(ふむ、威圧感はそれほど感じないな。威厳もあるし、部下からの忠誠も厚いがようだが……)
魔王にしては覇気が少ないような気がする。
それに些か緊張の色が見え隠れするのは、こう言った事に不慣れだからだろうか。
だが決して侮ってはいけない、とハルベルト二世は気を引き締めた。
例え経験不足な未熟者であろうと、相手は魔王だ。
一瞬にしてこの場にいる者を殺すことだって出来る存在だ。
もちろん、外交の席でそのような蛮行が行われる事はないであろう。
そうでなければ、そもそも最初から会談等には応じない筈だ。
それに自分の国に相手を呼び付けるのではなく、こうして両国の中間の地にて、互いに対面で座を設けると言うことは、一応は帝国の面子も考えての事であろう。
しかし、それはあくまでも人類系種族の考え方だ。
此方の常識が魔王に通用すると楽観的に考えるのは少し危険であろう。
(……とは言え、その危険を承知で私は乗り込んで来たのだがな)
国家を守るのが皇帝の責務でもあるし、何より交渉事には自信がある。
魔王自らが会談に応じるとは思わなかったが、それはそれで好都合だ。
手玉に取ることは不可能でも、相手の言動から思考を読み取れば、この先何かとやり易くはなるだろう。
ハルベルト二世の視線が、後に続く者に向けられた。
魔王の直ぐ後ろを歩いているのは、魚のような顔をした異形種の者だ。
情報から推測するに、おそらくは第四軍を指揮するウォー・フォイであろう。
魔王軍の最高幹部だ。
(確か魔王城に常駐していると報告があったが、この前線地にまで出て来たのか)
それに続く者は……此方も魚介類、蛸にも似た異形の者だ。
瞳に知性を感じる事が出来るので、おそらく参謀か何かであろう。
ただ、自分の見ている物が瞳であればの話だが。
その後も数名、異形の種族が続く。
如何にも魔王軍と言った面々だ。
やはり先に会った親衛隊と呼ばれる者達の方が軍の中では異質なのだろうか……
(おや?)
ハルベルト二世の目が僅かに見開かれる。
一番最後の者は、人間種に近い……いや、自分と同じ人間だ。
歳若い女性である。
それに歩き方からも気品を感じる事が出来る。
おそらくは貴族出身であろう。
しかもかなり上流の。
生まれた時から皇族である自分には感覚でそれが分かる。
親魔王軍派であるダーヤ・ウシャラクからの出向者か……
いや、違うな。
ウシャラク人にしては品が有り過ぎる。
それに着ている服は、北部地方に多い物だ。
評議国には人間の貴族は居ない筈だが……ならばダーヤ・タウル北部か?
それとも都市国家連合……
どちらにしろ、魔王軍に投降、もしくは降伏した貴族の娘だな。
しかし……
ハルベルト二世は小さく唸った。
この会談に出席を許されていると言うのは、それなりに地位があり、知性も高いと言うことの証だ。
生え抜きではなく、投降した者でも列席を許される……それも人間が。
つまり魔王軍では、中途採用でも才が有れば幹部に抜擢される。
種族や出自に関係なくだ。
(魔王エリウ……小娘ではあるが、やはり油断は出来ないな)
能力主義と言うのは、出来そうで中々に出来ない代物だ。
自分が建国者なら簡単ではあるが、代々続く王家ともなれば古参の者や大貴族も多いし、また様々なしがらみを抱えている。
自分自身、先代の跡を継いだばかりの時は中々に上手く行かなかったものだ。
しかし……魔王軍ともなれば、我が強い古参の幹部も多い筈だが……
この小娘にそれらを抑え付けるだけの力があるのか?
甚だ疑問だ。
確かに報告では、軍事にしろ外交しろ、前面に出て指揮を執っているのは魔王エリウと言う話ではあるが……
ハルベルト二世の脳裏に浮かぶは、遠隔視魔法で見たあの若い男の姿だ。
魔王シング……
奴が魔王エリウを介して魔王軍を掌握しているのだろうか。
実を言うと魔王シングに関する情報については、驚くほど少ない。
その殆どが噂レベルのモノでしかないのだ。
彼奴の恐るべき力や蛮行等は話には良く聞く。
眉唾な話も多いであろうが、ともかく異常な力を持つと言うことだけは分かっている。
だが、その他に関してはサッパリだ。
その性格も分からない。
魔王エリウや幹部に対してどれぐらいの影響力を持っているのかも分からないし、ましてや魔王軍内部での立ち位置も実は不明だった。
だから先程、ここにある玉座に関しての話を聞いた時に、噂話も馬鹿に出来ないなと軽く驚いたぐらいだ。
おそらくこの会談も、魔王シングの意向ではないだろうか。
だとすれば、少し早まったか?
いや、私が出向くであろう事を想定していたのかも……
ともかく、この会談で少しでも帝国にとっての利を得られれば良しだ。
それに魔王シングの情報も。
あの男がその圧倒的な力で魔王エリウや幹部達を押さえ付けているとすれば、付け入る隙は有る筈だ。
元々が粗野で野蛮な種族の集まりである魔王軍だ。
仲違い、とは言わないまでも、シングに対する反抗の芽を埋める事は出来るかも知れない。
やがて魔王エリウ以下の者達が、帝国の面々と対峙するようにそれぞれ椅子の前に並ぶ。
最初に口を開いたのは魔王エリウだった。
容姿と同じく、まだどこか幼さが残る少し甲高い声で
「良くぞ参られた、帝国皇帝よ」
少し硬い口調である。
ハルベルト二世は笑みを浮かべ、恭しく頭を垂れると、
「私どもから要請した会談を承知していただき、誠に有難う御座います」
如才なく挨拶を返す。
「うむ」
と魔王エリウは頷いた。
何処か少し芝居掛っているな、と皇帝は思うが、当然それはおくびにも出さない。
「では早速始めようか」
魔王軍の面々が席に着き、その後に帝国の面々が続く。
ハルベルト二世は優雅な所作で座ると、対面に座る魔王エリウに好意的な笑みを浮かべる。
対外儀礼で培ってきた外交的な微笑だ。
もちろんその内面では、目まぐるしく知性の雷が迸っている。
(さて、先ずはどのように口火を切るか……)
スッと視線を隣に座る外務大臣へと向ける。
だが、それより少し早く魔王エリウが僅かに微笑み、
「そう言えば、精霊教会とやらの神官を数名、捕縛して持って来てくれたと聞いた。感謝する」
「いや、なに……此方も不穏分子を処理できて幸いですよ」
ハルベルト二世はにこやかにそう返した。
(スティングとやらの助言を聞いて、先ずは正解か)
ハルベルト二世は安堵すると同時に心の中で僅かに顔を顰める。
実際、精霊教会とやらを調べたが、分からない事が多かった。
一般の信者は何も知らないようではあるし、特に資料等も見つからなかった。
だが、皇帝に害を為した上に聖女が人間ではなくアンデッドの類だったと言う事実は、その組織ごと充分に処罰に値する。
何れ折を見て、帝国内より駆逐する必要があるな。
ただ、どの程度の反撥が予想されるか……国務大臣と相談しておいた方が良いだろう。
「ところで魔王殿。精霊教会ですが……一体何を調べておいでなのか。出来ればお聞かせ願いたいのですが」
「知らぬ」
魔王エリウの返答は実に素っ気無い物であった。
思わず虚を突かれたハルベルト二世は微かに目を瞬かせる。
知らぬ?知らぬとは……此方には教えないと言うことなのか?
「シング様が直々にお調べになっていることだ。私は詳しくは知らぬが……」
そこで一旦、魔王エリウは言葉を区切るや、微かに口角を吊り上げ、
「お前等人間種の薄汚い陰謀の証だとか言っていたな」
それは侮蔑であり、また見え透いた挑発でもあった。
実際、魔王エリウの顔はほんの僅かではあるが緊張で強張っていた。
ふふ、思った通り交渉事には不慣れか……
演技が甘いな。
皇帝の目が細まり、その視線が素早く自分の側近達に流れる。
交渉事に慣れた外務官達は平然とした顔をしていたが、護衛役の近衛隊長などは憮然とした表情を隠そうともしない。
馬鹿が……
相手の挑発に乗るな。
何を言われても澄ました顔をしていろ。
そう心の中で舌打ちしながら、皇帝は笑みを浮かべ、
「はは、これはまた手厳しい。ですが人間以外の他の種族にも狡賢い上に残忍な輩は大勢居ますがね。そう、ベーザリアのエルフのようにね。さて……」
ハルベルト二世は、ゆっくりと隣に座る外務担当大臣を見つめる。
少し頬が扱けた細身の貴族は頷き、
「前回の協議でも申しましたが、我々が望むのは魔王軍との恒久的平和です。戦いは望んでおりません。終戦宣言を行い、帝国との間に和平条約を結んでいただければ幸いです」
そう言って、魔王エリウを見つめた。
童顔の魔王はゆっくりと背凭れに身体を預けると、ハルベルト二世と同じように自分の隣に視線を走らす。
独特な顔をしている魔王軍第四軍団長であるウォー・フォイは頷き、
「ならば我々の答えも、前回の協議同様、否ですな。そもそも事を有利に進めている我々が戦を止める理由はありませんからな。もっとも、和睦ではなく無条件降伏と言うのなら話は別ですが」
無条件降伏ときたか……
さすがにそれは呑めんな。
状況からして、確かに帝国は不利ではある。
が、まだ本格的に魔王軍との間に干戈を交えてはいない。
戦ってもいない相手に降伏などすれば、貴族や民衆からの反撥はかなり大きいだろう。
それに、そもそも相手は魔王の軍なのだ。
どのように統治されるか分かったものではない。
下手をすれば遊び半分で民が虐殺される可能性だってあるのだ。
「我々が用意出来る条件としましては……」
言って外務担当大臣がハルベルト二世に軽く目配せをし、
「帝国領、テクサ河以北を魔王軍に割譲します。それと他の国に関しては、帝国として一切関知しません」
「ほほぅ」
ウォー・フォイの瞳に、僅かに驚きの色が広がる。
他の面々も感心したように頷いたりしているが、対して帝国側は全員渋い顔だ。
(ふ、仕方あるまい……)
方針の転換だ。
前回の協議では、帝国は人類系国家の代表として魔王軍に対して和平を呼び掛けると言うスタンスを取っていたが、今回は違う。
あくまでも自国優先。
他の国に関しては魔王軍の御自由にどうぞと言う、言わば大国としてのプライドをかなぐり捨てた最大限の譲歩だ。
(国家存亡の危機だ……)
それも止むを得ないとハルベルト二世は考える。
他国には悪いが、帝国の犠牲になってもらおう。
「なるほど。我が軍と他国の争いに帝国は関与しないと……ふむ、どうですかなエリウ様?帝国からの申し出、それほど悪くはないと考えますが?」
ウォー・フォイから話を振られた魔王は静かに眼を閉じ、
「ふむ……カーチャ、どう思う?」
と一言。
魔王軍の参加者が一斉に、出入り口に近い末席に座っている女性へと視線を走らす。
短い髪をした歳若い女性は小さく頷くと、知性を感じさせる透き通った声で、
「論外かと存じます」
(……ほぅ)
此処まで譲歩しても拒絶するか。
ふふ、やはりこの女、只者ではないな。
ハルベルト二世は興味深く、カーチャと魔王に呼ばれた人間の女性を見つめた。
「なるほど、カーチャは反対か。して、その理由は?」
「は。それは……」
と、その女性が意見を述べようとすると同時に、バンッと何かを叩く音が室内に鳴り響いた。
重厚な造りのテーブルに拳を打ち付けていたのは、帝国の近衛隊長だ。
歴戦の戦士の証である傷のある風貌を赤らめ、カーチャを睨み付けている。
(ば、馬鹿が)
ハルベルト二世は即座に部下の無礼を咎め、その非礼を詫びようとしたが……喉まで出掛かっていた言葉を強引に飲み込んだ。
此処は先ず、様子見だ。
愚かな部下の態度に、魔王とその家臣がどのように反応するのか……この際、試してみるのも面白い。
その対応に因っては、此方の対応を変えれば良いだけの話だ。
だが、そんな皇帝の思惑は大きく外れた。
激昂した近衛隊長が何かを言い掛けようとするが、その場でいきなり震え出したのだ。
しかも顔面蒼白になりながら。
そして、それはやがて近くの席にも伝播して行った。
(な、なんだ?何が起こって……)
刹那、困惑するハルベルト二世の身体にも異変が起こった。
呼吸が出来ないほど空気が重く感じる。
背中には鳥肌が立ち、全身が自分の意思とは関係なく震え出す。
(ま、魔王が……何かしたのか?)
歯をカチカチと鳴らしながら魔王軍の面々へと顔を向けると、何と彼等も震えていた。
しかも魔王エリウまでもがだ。
(い、一体何が起きてる?)
その時、不意に静かな声が直ぐ近くから聞こえた。
慌てて顔を向けると、そこは玉座。
空席だった筈のその場所に、若い男が足を組み、腰掛けていた。
その背凭れに付いていた小さな椅子らしき場所にも、異様な形状の人形と不気味に目を光らせている黒猫が座っている。
(ま、魔王……シング……)
男は見下すような視線で帝国の面々を見つめると、微かに口角を吊り上げながら言った。
「ふぅ……本来なら、お前ら如き下等な人間種は地に這い蹲り、エリウに対して慈悲を嘆願するのが筋であろうに……それを敢えて対等に扱ってやろうと席を設けたは良いが……増長したか、人間?」