愚者達の歌
「ほほぅ……あれが王都か」
街道から少し外れた小高い丘の上から、俺は王都タウル・ネア・タウルとやらを見下ろしていた。
人間界のビルぐらいの高さはある塀がグルリと大きな街を囲み、その中央に王城が見える。
この世界の大きな都市は、大抵がこういった造りだ。
「何でこんな風に、街ごと塀で囲んでるんじゃろね?発展が阻害されるだけじゃんか」
塀の外にも、ある程度は家々が広がっているが、大抵は農場か牧場だ。
肩に乗っている黒兵衛が、
「危険が多い世界やからや。脅威となるモンスターや危険な異種族も多いやろ?ゴブリンとか。ワテらの世界でも、古代の都市はこう言う形態が多かったで。蛮族の侵入を防ぐ為にな。そう言う意味では、ワテらの住んでる日本は昔から平和やったで」
「ふ~ん…」
俺は頷きながらチラリと後ろ見やる。
カーチャ嬢をはじめ、ロードタニヤの兵達が直立不動の姿勢を取っていた。
うんうん、逃げ出さずにちゃんとここまで付いて来たね。偉い偉いと。
俺はここに至るまで、言った通り目に付いた村や街は全て破壊してきた。
ただし、領民の虐殺はそれほどやっていない。
別に憐れんだとか情けを掛けた、と言うことではない。
単に面倒になったのと、後は魔力の節約だ。
いくらこの世界が人間界より魔力濃度が高いとは言え、魔法の大量使用はやはり身体に堪える。
それに本番(王都)で魔力が足りないとなったら本末転倒もいいところだ。
ま、そうは言っても、あの何とか男爵やその兵などは皆殺しにしてやったがね。
これで多少は、生き残ったバーニャ村の連中も幾らかは溜飲が下がっただろう。
「しかし、ふ~む……厳戒態勢だな」
王都を囲む塀に設けられた幾つかの城門は全て閉じられていた。
人々の往来は全く無し。
まるで籠城しているかのようだ。
「逃げ出した街や村の連中が駆け込んだみたいだな。ま、それは予想していたけど……問題は、どんな話が広まっているかだろうねぇ」
街道沿いの街を破壊しながら歩いていたが、俺は一度も『魔王でおじゃる』とは名乗らなかった。
普通に歩きながら、いきなりスキルや少々の魔法で蹂躙しただけだ。
それに後ろから付いてきたカーチャ嬢達にも、ロードタニヤの旗は隠せと言っておいた。
襲われた連中は、俺達を何だと思ったのだろうか……
噂は色々と尾鰭が付いて広まるモノだし、どんな風に膨らんでいる事やら。
とは言え、誰も魔王が独りで攻め込んで来たとは思うまいて。
「ま、何にせよ警戒はしているって事だな」
そう呟くと、黒兵衛も目を細め、
「予想以上にチキンな王様やな。普通はその辺の街の住民が逃げて来たからって、門を閉ざすまではせーへんで」
「だな」
黒兵衛の言う通りだ。
これが普通の街だったら、危険を感じて封鎖も有りだと思うが、ここは王都だ。
何十万規模の住民が暮らす大都市だ。
たかだか数百人の住民が逃げ込んで来たからと言って、全ての門を閉ざすまでの事をするだろうか。
「普通は、何が起きたか一軍を調査に向かわせると思うんだけどねぇ」
「ここまで王国の兵とは一度も出会わへんかったな」
「何か企んでいるのかな?」
「や、後ろめたい事が多いから慎重になってるだけやろ。それにカーチャの姉ちゃんの所に騎士団を派遣したやないか。そこからの連絡も無いから、色々と疑心暗鬼になってるとちゃうんか?」
「ふむ……なるほど」
取り敢えず危険が近付いているっぽいから引き篭もっておこうって感じかな?
「で、どないするんや?」
「そうだなぁ……」
節約したので魔力の残量は充分だ。
極大レベルの魔法一発で都市ごと壊滅させる事は出来るが、先にお土産と賠償金を貰わないとね。
取り敢えず、先ずは近付いて反応を見てみるか。
馬鹿チンな王様も見てみたいし……うぅ~ん……
俺はもう一度背後を見やり、
「辺境伯代行殿」
「な、何でしょうか?」
カーチャ嬢が足早に俺の元へと寄って来る。
「何故に奴等は城門を全て閉じ、戒厳令を敷いているの分かるか?」
「わ、分かりかねます。魔王殿の存在も我等の事も知らない筈ですが……」
「そうだな。我も分からん。小心が過ぎると思うが……取り敢えず辺境伯殿は堂々と、旗を掲げて城門まで近付いてくれないか?反応を見てみたい。あ、もちろん何も知らない態を装ってだ」
「反応を……なるほど」
カーチャ嬢は何かを悟ったのか、コクコクと頷いた。
うんうん、頭の良い子は説明の手間が省けて助かるよ。
「それで魔王殿は……」
「不可視の魔法を使って近くに居る。それに一応、辺境伯殿達が怪我をしないように魔法を掛けておこう」
「あ、有難う御座います。それでもし、玉座に近付く事が出来ましたら……」
「愉しいショーの始まりだ」
俺はニッコリと笑みを溢し、視線を王都へと戻した。
と、肩に乗っている黒兵衛がちょいちょいと俺の頬を前足で叩き、小声で
「で、どないするんや?」
「どうもこうも、言った通りだ。分からんか、黒兵衛?」
「分からへん」
「説明をお願いします魔王様、と言ったら教えてやる」
「ワテの爪はオドレの頚動脈に触れてるんやぞ」
「おふぅ……何て恐ろしい飼い猫なんだか」
俺は黒兵衛の眉間辺りを指先でコリコリと撫でると、
「カーチャ嬢達にはそのまま、王都に近付いてもらう。さも近くに来たので謁見しに来ましたって感じでだ」
「エエんか?姉ちゃんは王国の敵やろ?いきなり攻撃されるとちゃんか?」
「その可能性は低いと思ったから、提案したんだ。カーチャ嬢は確かにダーヤ・タウルの潜在的な敵だ。と同時に、王国の有力貴族の一人だぞ。いきなり問答無用で攻撃すれば色々と不味いだろ……だから奴等は敢えて魔王軍のフリをしたりと手間を掛けて謀殺しようと企んだのだからな」
「あ~……せやな」
「その大貴族がわざわざ王都を訪れたんだ、無碍に追い返すことは出来ないだろ?それにだ、奴等は外で何が起きているか分からん状態だ。カーチャ嬢の元へ派遣した騎士団の行方とかな。そんな状況下なら、先ずは話を聞いてみようと思うのは、至極当然の事だとは思わないか?それに城に招き入れれば、人知れず始末する事も出来るしな。奴等にしてみれば、物凄く都合の良い展開だろうに」
「なるほどな。んで、ワテ等は透明化で付いて行くと……おもろいな」
「そーゆーこった。んじゃ、先ずは保険の意味も兼ねて、全員に防御魔法を掛けておこうか」
★
ダーヤ・タウルの王城は、豪華絢爛、夢のお城……と言うモノではなく、どちらかと言うと幾つもの塔が連なった無骨なデザインの、戦争と言う実用面を重視して造られたかのような城であった。
高い塀に囲まれた街の一番奥、深い水堀に囲まれそれは佇んでいる。
元々東方三王国は、長年に渡る戦乱の末に生まれた国だからとカーチャ嬢が説明してくれた。
なるほど。
言われてみれば確かに、街並みも普通の都市とは違い、整然と区分けされた家々が並んでいるワケではなく、道も複雑に入り組み、まるで迷路のようになっている。
侵攻して来た敵兵がいた場合、間違いなく迷う造りだ。
もっとも平時には物凄く不便そうではあるが。
宅配関係の仕事していたら、確実に発狂する事だろう。
「ですが城の中は外見とは打って変わってかなり豪奢です」
と、城門へと続く大きな橋を渡りながらカーチャ嬢。
彼女の隣を歩いている俺は「ほぅ」と声を漏らした。
もちろん、不可視の魔法で声はすれども姿は見えずな状態だ。
「なるほどな。色々な国を見てきたが、文化が変われば城や街の建築様式も様々だな。それに料理も。ふ、これだから観光は愉しい」
「か、観光ですか?」
「我からすればそのようなモノだ。ところで辺境伯代行殿。この国の王はどのような人物だ?」
ぶっちゃけ、馬鹿だと思うけど。
「国王は……正直分かりません」
カーチャ嬢は前を見つめながら小さな声で言った。
「実は会った事がないのです」
「ん?謁見した事がないと?」
「はい。王は五年ほど前より病気療養中との事で……国政は第一王子とその側近が執っているのです。御存じなかったのですか?」
「知らんな。いや、参謀部から何か報告はあったとは思うが、殆ど無視していたしな」
だって報告書とか読むの面倒だもんね。
小難しい事は酒井さんに丸投げしてたし。
「もちろん、脅威と成り得る障害なら話は別だが……そもそも自分の歩いている道の先に小石が落ちていて、その石を詳細に調べようと思うかね?普通は蹴飛ばして終わりだ」
「は、はぁ…」
「で、その第一王子とやらは、どのような者だ?」
「馬鹿です」
即答だった。
あまりに早い答えに、思わず『ふひひ』と妙な笑い声を溢してしまった。
「そうか……馬鹿なのか」
「はい。しかも自分を賢いと思っている性質の悪い馬鹿です」
「だろうな」
今までの魔王軍に対しての対応からも、何となく分かる。
一貫性が無いと言うか行き当たりバッタリと言うか、ともかく常にチグハグなのだ。
難民キャンプの時も、あれだけ魔王軍を挑発するかの如く国境沿いにキャンプを造っておきながら、いざ俺がマゴスの街ごと吹き飛ばしてやったら、その後は沈黙。
これ見よがしに街の跡地に駐屯地を作っても、何も仕掛けて来ないし……何がしたいんだ奴等は?
先のカーチャ嬢の襲撃も、上手く行ったとしてもその後の事後処理をどうするかはあまり考えていないような感じだし……ともかく場当たり的に、思い付いたら即行動に移しているのだ。
……
王子は実はまだ園児とか?
「辺境伯代行殿は、その馬鹿王子の事を良くご存知のようだが?」
「社交界で何度か会った事がありますし、実は求婚された事がありまして……」
「ほ、ほほぅ……それは何とも」
カーチャ嬢に求婚か。
ま、確かに彼女は見た目は綺麗だけど、性格はかなり……ま、好みはそれぞれか。
「多分、私と結婚すればロードタニヤ領を吸収出来ると思ったのでしょう」
カーチャ嬢はどこか小馬鹿にするように小さく鼻を鳴らした。
「なるほどな。何と言うか……浅慮が過ぎるな」
「その場の思い付きで行動を決定する傾向が強いようです」
だね。
ちょうど俺もそう思っていたところだよ。
「しかしそのような愚か者が国政を預かり、国は乱れないか?そもそも国王は何も言わんのか?」
しかも五年前から療養中と言う話だったな。
普通は退位して然るべきなんだが……
「……その事についてですが、貴族達の間で密かに流れている噂がありまして……」
「噂?」
「はい。国王は病気ではなく、実は王子によって幽閉されていると言う噂です」
「ほぅ……なるほどな。しかしそれが事実だとしても、五年もの間隠し通す事が出来るのか?そもそも騒ぎ出す貴族や他の王族はおらんのか?」
「正直、分かりません。私が父の名代として中央社交界に出たのは二年ほど前ですし、それまではずっと領地にいましたので……ただ、第一王子の側近には有力な大貴族が大勢いると聞いてます」
「ふむ、なるほど」
「それに聞いた話ですと、第二王子は……」
「第二王子?弟か?……粛清されたか?」
「いえ。ダーヤ・ウシャラクへ亡命したと、そんな話を耳にした事があります」
「ほぅ…」
ダーヤ・ウシャラクは、当初から親魔王を宣言している中々に賢明な国だ。
ただ、東方三王国はそれぞれ仲があまり良くなく、交流も少ないと聞いていたが……
「しかし王族の亡命とは、結構な事だぞ。民衆は騒がんのか?」
「民には海を渡った遠国へ留学していると、そのような話が広まっています。それにそもそも、ウシャラクへの亡命と言うのも、私的にはその信憑性を疑っています」
「……そうだな。もし本当に亡命したのなら、ダーヤ・ウシャラクが何か発表する筈だしな」
俺がウシャラクの王なら、タウルに侵攻する大義名分を得たようなモノだし、先ずは堂々と発表して貴族や民衆の動揺を誘うぞ。
「しかし第二王子については色々な話が出ているようだが……正直な所、行方知れずと言うことか。ま、この場合は恐らく始末されているな。もちろん、他の王族も然りだ。国王だって既に死んでいるかも。ミイラになってるけど生きてるって言い張っているだけかもな。ふふ……」
「か、可能性はありますが、そこまでするでしょうか?確かに第一王子は物凄い馬鹿ですが、残忍な性格ではないと思いますが……」
「その馬鹿を担ぎ上げている連中の仕業かもな。ふん、国が滅ぶ際には必ずと言って良いほど暗愚かもしくは猟奇的な王が現れるな。そして近くに侍る不忠の者達と。歴史が証明しているわい」
そんな事を話しながら水堀の上に掛った幅の広い石橋を渡り、そのまま城の敷地内へと入る。
中庭に衛兵達が屯しているが、今の所は殺気は感じない。
そこで空の荷馬車を引いて来た兵達と別れ、カーチャ嬢と戦士長、そして御付の若い兄ちゃん二人は、出迎えの近衛兵を先導に城の中へと入って行った。
もちろん透明状態な俺も、黒兵衛を肩に乗せブラブラとした足取りでその後ろを付いて行く。
ふむ……なるほどね。
カーチャ嬢の言った通り、中は結構豪華絢爛な造りだな。
要塞のような無骨な外観とは違い、城内は実に煌びやかだ。
今歩いている通路も、城のイメージからは石造りの冷たい床に壁には松明と言った質実剛健的な光景が想像できるのだが、実際は全然違う。
研き抜かれた大理石の床には絨毯が敷かれており、天井にはフレスコ画。
そこから下がるシャンデリアからはまるで雪のように細かな光が零れ落ちている。
ん~……成金趣味全開って感じですな。
ま、王城だからそれなりに豪奢なのは分かるけどさぁ……
そもそもなんで廊下の彼方此方に鎧とか飾ってあるんだ?
わざわざ土台を作って、変な胸像や良く分からん壷も置いてあるし、まるで美術館だよ。
ちなみに俺の城にはそんな工芸品や美術品の類は置いてなかった。
いや、餓鬼の頃は確かに有った筈だけど……
気が付いたら何時の間にか無くなっていた。
今更だけど、あれは誰かが勝手に売り払ったんじゃないか?
「……もうすぐ玉座の間です、魔王殿」
微かに横を見ながら、小声でカーチャ嬢が言う。
お、いよいよか……
ちなみに僕ちゃん、君の横じゃなくて後ろにいるんだけどね。
廊下を進むと、突き当たりに大きな扉が見えた。
左右には鎧を来た兵が二人立っている。
先導役の近衛兵がそそくさを脇に退くと同時に、扉がゆっくりと開いていった。
ほほぅ…
儀式や典礼、謁見に使われるであろう玉座の間は、予想通り煌びやかで仰々しい造りの巨大ホールであった。
ただ、玉座そのものは今まで見てきた物とは大分違う。
普通なら、玉座と言うのは数段高い所に設けられるのだが、その高さが尋常ではない。
玉座に至るまでに階段が設けられているのだが、十段以上はある。
しかも御丁寧に手すりまで付いているではないか。
ほぇ~……ま、これも文化の違いってヤツか。
そう言えば人間界のテレビで見た、古代中国の皇帝の玉座も、こんな感じだった覚えがあるな。
ん~……東方三王国は、基本は人類系種族が多いけど、他種族も住んでるからな。
それに国境に接した評議国は多種多様な種族が住んでいるし……中には巨人種もいるからね。
謁見で王を見下ろす形になるのは、やっぱ不敬に当たるから、わざわざこう言う造りにしたのだろうか?
ま、その辺は学者じゃないから分からんけど。
その玉座には、カーチャ嬢曰く馬鹿王子が座っていた。
やや薄い金髪で、だらしのない笑顔を溢している。
その瞳に知性の色は無い。
人間界で知った言葉に『チャラ男』と言うのがあるが、まさにそんな感じだ。
しかもまぁ、諸侯の謁見を受けると言うのに、傲岸不遜な態度だな。
肘は着いてるわ足は組んでるわ……
名目上は国王ではなく王太子の身分だと言うのに、なんちゅうか覇王然とした態度だよ。
それに周りにいる側近も達も、これまた……権力を弄んでいる輩の集まりって感じですな。
大臣に官僚に……宮廷魔術師みたいなのもいるけど、どれも頭悪そう。
それに馬鹿王子の後見役みたいな大貴族様も、何か偉そうに踏ん反り返ってやがるし……やれやれだねぇ。
俺は『ヘ…』と小さく鼻で笑いながらカーチャ嬢の横に並び、歩調を合わせながらホールの中を進んで行く。
ちなみに彼女の背後には護衛役の戦士長。
その両隣に若い兄ちゃん騎士が控えている。
さて、カーチャ嬢はどう対応するのかにゃあ……
彼女は背を伸ばし、大貴族の風格を漂わせながら堂々とした振る舞いで歩く。
そして玉座の前でこれ見よがしに仰々しく右腕を振りながら頭を下げて臣下の礼を取ると、
「お久し振りです、王太子殿下」
これまた言葉は丁寧だが全く敬意の篭ってない口調で言った。
しかも『殿下』と言う単語を強調してだ。
テメェは王ではなく単に後継者の一人だろ、と言う事を暗に込めている感じだ。
慇懃無礼と言っても良い態度であり、玉座の近くに控えている者達は鼻白んだ顔をしているが、当然ながら馬鹿王子は全く気付いていない。
相好を崩し、
「これは辺境伯令嬢。久しいな」
馬鹿特有の少し甲高い声を上げた。
「しかし珍しいな。園遊会にも滅多に顔を出さないそなたが、急に謁見を申し出てくるとは」
「近くまで来ましたので。顔を見せないのは些か無礼かと」
どうでも良い、と言わんばかりに素っ気無く淡々とした口調でカーチャ嬢。
と、メタボ確定の二重顎大臣が微かに困惑した顔で、
「ほぅほぅ、近くまで来たと。はて、王都近郊に何か用事でも?辺境伯令嬢殿は、御自分の領内を巡視するなど精力的に統治を行っていた筈。ここ最近はマゴスに近いノイエル辺りに滞在していると聞いておりましたが……」
「……私の事を良くご存知なようで」
カーチャ嬢は目を細めて大臣を睨み付ける。
領地が汚され、ましてや領民が虐殺された事への怒りが再び湧いてきたのか、その声は微かに震えていた。
「ところで王太子殿下。一つお尋ねしますが、何故に王都の門を閉ざしているので?中へ入れない商人達が困惑した顔で列を成しておりましたが」
「う、うむ、その事だが……」
馬鹿王子はチラリと重臣達に視線を向ける。
後見役の一人だろうか、ジルコフ戦士長に匹敵するほど体躯の良い壮年の男が咳き払いを一つすると、
「なに、大した事ではない。近郊の街に住む領民が少し……良く分からんが騒いでいてな。まぁ、魔王軍が直ぐ傍に駐軍していると言う情勢下だ。念には念を入れて警戒をな。そう言えば王国騎士団には出会わなかったかね?今頃は街道を進んでいる筈なのだが……」
「王国騎士団ですか?はて……なぜ王都に駐屯している筈の騎士団が街道に?」
「魔王軍に対しての特別な軍事行動中でな。それで辺境伯令嬢殿、王国騎士団とは出会わなかったかね?」
「いえ、王国騎士団は見掛けておりませんわ、リヒタール侯爵閣下」
敢えて騎士団を強調しながらカーチャ嬢は言う。
『くく…』
思わず笑ってしまった。
そう、カーチャ嬢は確かに、騎士団は見ていない。
見たのは魔王軍に扮した野盗のような輩達だけだ。
「そうか」
「辺境伯令嬢殿はチムター街道を通ってこの王都にまで来たのかね?」
別の貴族がそう声を掛ける。
「そうですが、それが何かヴィッター伯爵?」
「いや、その街道を通ったのなら、スワイザー男爵の領地を通った筈。そこで何か見なかったかね?」
「……スワイザー男爵はヴィッター伯の御一門でしたわね」
そう言うとカーチャ嬢は実にわざとらしく小首を傾げ、
「いえ、実は街道を進んだのは最初だけでして、途中から山道に入りましたので……あぁ、そう言えば山の中で男爵の所の領民達に出会いました。何でもいきなり魔王軍が襲って来たと口々に言っておりましたが、多分集団で夢でも見たのではないでしょうか?魔王軍の駐屯地からスワイザー領まではかなり距離がありますし、侵攻して来たと言う情報も入っておりませんので。おそらく、魔王軍の名を騙った野盗どもにでも襲われたのでしょう。領民達曰く、男爵の館も襲われているとか言っておりましたが、さすがにそんな事はないでしょう」
くく……
こりゃまた、面白いねぇ。
カーチャ嬢の大嘘に、全員が超困惑顔だよ。
まさか騎士団が襲う街を間違えた?とか思っている顔だよ。
馬鹿王子はポカーンと口を開けて呆けているし、大物貴族達は超難しい顔だ。
大臣に至っては死人みたいに顔色になってるよ。
「しかし……仮にもし本当に男爵の領地が襲われているとしたら、それは間違いなく、魔王軍の名を騙った愚か者達の仕業ですね。頭の悪い連中です。少し調べれば直ぐに真相が分かると言うのに……もしこの事がかの真なる魔王と呼ばれる者の耳にでも入ったら、実に大変な事です。誰しも、自分の知らぬ所で自分を騙り悪さをしている者がいたら怒りを覚えますからね。ふふ、首謀者は生きたまま地獄を味わうでしょうね。何しろ相手は魔王ですから。とは言え、それは先ず杞憂に過ぎないでしょう。私はこの国に、そんな頭の悪い連中が住んでいるとは思いませんので」
は、はっはっは……強烈な皮肉だね。
肩に乗ってる黒兵衛も、小さな声で『ブニャブニャ』と笑っているし。
「……もちろん、全て冗談ですけど。ほほほ……」
カーチャ嬢はニッコリと笑顔を溢し、馬鹿王子を見つめた。
「じ、冗談?」
「そうです。実を言いますと……男爵領の事なんて、私は何も知りません。領民にも会っていません。一体、何があったのですか?」
言ってカーチャ嬢は、チラリと視線を横に向ける。
……ん、そうだな。
カーチャ嬢も少しは溜飲が下がったみたいだし、そろそろ締めるか。
俺はゆっくりと、足音を立てずに玉座へと至る階段を上り、そしておもむろに、馬鹿面下げている王子の髪を掴むと、そのまま軽く引っ張ってやった。
「うひぃ!?」
王子は素っ頓狂な声を上げ、けたたましい音と供に玉座から転がり落ちて行く。
「へ、陛下!?」
大臣が叫ぶ。
それと同時にバンッと大きな音が開き、衛兵が雪崩れこんで来た。
もちろん俺は気配察知系スキルで、扉の前で待機していたこの連中の事は知っていたがね。
ふん、完全武装とは……
合図と同時に、カーチャ嬢達を捕縛しようとか考えていたのかな?
どこまでも愚かな連中だ……
俺は指をパチンと鳴らし、不可視の魔法を解除した。