レッツお仕置きタイム
カーチャ嬢を始め、その場にいた者達は混乱していた。
爺ィやメイドさん達はあたふたとしており、若い兄ちゃんは思考停止の顔面蒼白状態。
厳つい顔の戦士長も、秒毎に表情をコロコロと変えている。
が、一番混乱していたのは、実は俺達だ。
「え、えと……どう言うことだ?」
魔王軍が攻めて来た?
ここへ?
なんで?
え?見間違えじゃね?
「お、おい魔王。どーゆーこっちゃ?」
「それは俺が聞きたい」
「まさか、エリウの姉ちゃんが進軍を指示したとか……」
「エリウちゃんはそこまで馬鹿チンじゃないぞ?それに酒井さんもいるし……仮にそうだとしても、何かしらの連絡は入る筈だ」
「どこぞの部隊の独断専攻とかは?」
「あの駐屯地にいるのはリーンワイズ指揮下の混成旅団にエリウ直属の精鋭部隊だ。愚連隊もどきの連中じゃねぇ」
俺は顎に指を掛け、小さく唸る。
と、そこへまたもや別の兵が駆け寄り、新たな情報を伝える。
街に屯していた傭兵集団が、いきなり彼方此方で暴れ始めたそうだ。
住民にもかなりの被害が出ていると言う話だ。
何でも奴等は魔王軍に雇われたとか何とか……
兎にも角にも、いきなり集団で住民を襲い始め、建物等を破壊しているとの事だった。
むぅ……
館の外から聞こえて来る悲鳴や破壊音などが、益々大きくなってきた。
戦士長は混乱から立ち直ったのか、何やら指示を出している。
カーチャ嬢は難しい顔で、何か考え込んでいた。
「ふむ……魔王軍が傭兵をねぇ」
俺はゴリゴリと頭を掻き、
「黒兵衛。どう思う?」
「怪しさ爆発や」
「だよね。しかし、いきなりこんな面白イベントが発生するとは……直感に従って良かったにゃあ」
俺は笑いながら再び浮遊魔法で空高く浮かび、街を鳥瞰する。
更に遠隔視魔法、天翔る鷹妖精を複数発動し、眼前に幾つかのウィンドゥを展開させた。
「先ずは傭兵とやらだが……」
手を軽く振り、宙に浮かぶウィンドゥの一つを拡大。
様々な甲冑に身を包んだ荒くれ戦士達が、住民を殺しては略奪行為に勤しんでいる映像が映し出される。
「……おやおや」
大胆不敵な強盗集団と言った感じだ。
そこへ警備の兵達が駆け付け、応戦しているが……分は悪い。
力量差もあるが、逃げ惑う住民達が邪魔だ。
混乱し捲くっている住民の波に飲み込まれている警備兵に対し、傭兵どもはお構い無しに住民を殺しながら警備兵達に襲い掛かっている。
「街の彼方此方で散発的に起こる蛮行に、対処する為に分散する警備兵か。……ふむ、これは陽動かな?」
今度は魔王軍とやらを拡大し、
「お、おいおい…」
思わず苦笑を溢してしまった。
確かに、魔王軍の旗らしきものを掲げている。
種族も様々だが、殆どが人類種の系等だ。
亜人種や魔族の類は見えない。
それに装備も貧相で、軍と言うよりは山賊に近い。
「魔王軍を騙るにしても、これはちと酷ぇなぁ」
本当の魔王軍は、もっとちゃんとした装備をしている。
エリウちゃん側近の親衛隊なんか、黄金の鎧を身に付け実に煌びやかだ。
黒兵衛が「ヘッヘッへ」と苦笑いを溢し、
「なんちゅうか、本物を見た事が無いヤツがイメージだけで創った魔王軍って感じやな」
「だな」
俺も小さく鼻で笑い、その動きを観察する。
「見た目は山賊だが……動きに無駄が無いな。しかも街の南から数手に分かれて進行中……か。ふふん、何となく見えて来たぞ、黒兵衛」
「そうなんか?」
「まぁな。僕チン、それほどパープーじゃないし」
言いながら俺は街を指差し、
「山賊の類じゃねぇな。目的を持った軍の動きだ。目指す先はこの領主館……しかも数手に分かれて進んでいるのに、道にすら迷ってねぇ。初めての街なら、間違い無く路地裏で迷子になると言うのにな」
「下調べは充分って事かいな」
「だな。しかも領主代行のカーチャ嬢がいると言うこのタイミングだ。恐らく、前々から入念に計画を練っていたのだろうな」
俺は指をパチンと鳴らし、展開している遠隔視魔法を閉じる。
「敵の数は七から八百……対して領主館は警備兵が彼方此方に分散している状況と……なるほどね。奇襲と陽動を連動させた作戦か。ふん、余程カーチャ嬢が邪魔らしいな、ダーヤ・タウル王国は」
「あいつ等、王国軍なんか?」
「そうとしか考えられん」
俺は懐を弄り、この辺りの地図を取り出す。
「見ろ黒兵衛。奴等は南の街道を通り、この街へ攻めて来た。もし仮に魔王軍なら、西の街道を通る筈だ。駐屯地は西にあるんだからな。そもそも俺達がここに来る途中、魔王軍の兵には出くわさなかっただろ?本物の魔王軍なら、行軍速度からして俺達より先行している筈なのにな。それにだ、もし南から魔王軍が攻めるのなら、駐屯地から大きく迂回して幾つかの街や都市を経由しなきゃならん。だが、そこはまだダーヤ・タウルの領土だ」
「魔王軍の仕業に見せ掛けた粛清か何かって事かいな……」
「多分……いや、それ以外にも思惑があるのかもな」
俺はもう一度、遠隔視魔法を展開させる。
今度は街ではなく、更に南の方角へと魔法範囲を広げると、
「やはりか」
ここから少し離れた山の麓に、陣を敷いている騎士の一団を発見した。
統一された軍装からして、明らかに正規軍だ。
ふむ……ふむふむ、なるほど。
察するに、頃合を見計らって『救援に来ましたぁ』って登場する気かな?
酷ぇマッチポンプだ。
……
ま、俺も偽勇者として同じような事をやっている最中だから、あまり人の事は言えんがね。
しかし、目的は何じゃろう?
ある程度は分かるが……ここはやはり、首謀者を捕まえて直接聞くのが早いか。
「で、どうするんや魔王?」
「ふにゃ?ん~……今暫くは様子を見ていようか」
ゆっくりと降りながら、俺は黒兵衛にそう答えた。
「助けんでエエんか?街の住民、むっちゃ殺されとるで」
「ふは?助ける?おいおい……俺は別に正義の味方じゃないぞ?」
どちらかと言うと悪だ。
何しろ魔王だし。
「そもそも街ごと吹っ飛ばしたりして既に何十万も殺してるんだぞ?今更、助けに来たぜって正義面すんのは、ちょっと違うだろうに」
「まぁ、確かにそうやけど……」
「もちろん、ここが特に魔王軍と関わりの無い街や村だったらそれも有りだけどさぁ……一応は、魔王軍と敵対している国の街なんだぜ?ぶっちゃけ、これは内輪揉めじゃんか。わざわざ俺が介入するのもアレだぜ」
俺は笑いながら黒兵衛の痩せてゴツゴツとした頭を撫でた。
「とは言え……魔王軍の名を騙るのはちょっと不快だな。自分の行いで悪評が広まるのは構わんが、知らんヤツの罪まで被るのはな。ふん、自分達の行為の代償が如何なるものか、身を以って教えてやるとするか」
★
塀の外から響いてくる混乱の音が、益々大きくなっていた。
風に乗り、何かが焼ける焦げ臭い匂いも漂ってくる。
ロードタニヤ辺境伯領主代行であるカーチャは唇を噛み締め、館の正門前にて防御の為の大楯を並べている警備兵の動きを見つめていた。
戦士長であるジルコフの普段の訓練の賜物か、緊急事態に動揺することなく冷静に事態に対処しているのは見事である。
参ったわね……
斥候に出した兵の報告を聞き、カーチャは眉を顰めながら唇を噛み締めた。
まさか、こんな明らさまに仕掛けてくるなんて……
「ここは我等が支えます。お嬢様はレダルパへ避難を」
兵を指揮しているジルコフが、カーチャに向かって苦い顔で言った。
だが彼女は首を横に振り、
「無理ね」
と簡潔に一言。
そして軽く肩を竦めると、
「敵はかなり用意周到よ。おそらくレダルパへ通じる街道にも伏兵を配しているでしょうね」
「東の街道をですか?まさか魔王軍がそこまで進出しているとは思えませんが……」
「違うわよ、ジルコフ。あれは魔王軍じゃないわ。おそらく……いえ、間違いなく、ダーヤ・タウルの正規軍よ。魔王軍に偽装してはいるけどね」
カーチャは確信を持って言える。
あれは決して魔王軍ではないと。
「まさか…」
ジルコフは眉間に皺を寄せ、唸った。
そんな戦士長の表情を見て、カーチャは笑みを浮かべる。
「馬鹿王子の求婚を断った意趣返しかしら?」
「……」
「ともかく、逃げ出すことは不可能ね。いえ、一つだけあるかも」
「まさか敵中を突破なさると?」
「この兵力では無理よ。逃げるとしたら、西ね」
「西?西の街道ですか?」
ジルコフが訝しげな視線を向ける。
「ですが西には魔王軍の駐屯地が……」
そう、この街から西の方角には、かつてマゴスと言う街があったが、魔王により廃墟にされ、今では魔王軍の前線基地が造られていると言う話だ。
「そこへ逃げ込むのよ」
カーチャの言葉にジルコフは一瞬息を飲むと、即座に首を横に振り、
「い、いやいや……お嬢様、さすがにそれは……」
「分かってるわ。もし私が魔王軍に逃げ込んだりしたら、ロードタニヤ辺境領はお仕舞いよ。王国は面倒な茶番劇を演じることなく、堂々とこの地を征服する大義名分が得られるわ」
カーチャは小さく鼻を鳴らした。
元々この地方は、ダーヤ・タウルの領土ではなく、ロードタニヤ家も王国の貴族ではない。
長い歴史の中で、何時しか王国に組み込まれていただけだ。
だから領主も領民も、独立的な気風が強い。
王国としても、そんなロードタニヤに対しては辺境伯の称号を与え、他の貴族とは別格の扱いをしてきたが、潜在的には反乱を起こしかねない危険な存在として、常に監視対象としてきたのだ。
「むぅ……何と言う姑息な。これだからタウルの王族どもは……」
ジルコフは大きく口を曲げた。
そして絞り出すような声で、
「しかしお嬢様、このままでは……現在、この館に残っている兵は僅か百……敵は眼前にまで迫っておりますぞ」
「……そうね」
カーチャは細い指先で自分の顎を撫でる。
「間違いなく、ここは陥るわね」
この領主館は防御に優れているとは言え、百足らずの兵では全てをカバーする事は出来ない。
もちろん、街に散らばっている兵を全て呼び戻せば話は別だが、この混乱の最中では無理だ。
仮に籠城が出来たとしても、そもそも援軍が来なければ意味が無い。
来るとすればレダルパからだが、そこまで連絡兵が辿り着ける可能性はかなり低い。
それに運良く現状を報告出来たとしても、レダルパからこのノイエルまで何日掛かることか……
日数に比例し、領民の被害は大きくなるだろう。
「お嬢様…」
カーチャは暫しの黙考の末、小さく頷き、
「……良し。やっぱり西へ逃げるわ。もちろん、出来るだけ領民も連れてよ」
「そ、それはかなり難しいのでは……」
「分かってる。けど、見捨ててはいけないわ。それに敵も余り深追いはして来ないでしょう」
カーチャが断言すると、ジルコフは僅かに首を傾げた。
「分からない?もし追撃途中に魔王軍の斥候にでも見つかったら、それこそ奴等は大慌てよ」
「なるほど。しかし問題は、魔王の出方かと……」
「魔王エリウ?」
「いえ、もう一人の魔王の方で……お嬢様もマゴスの街の惨劇はご存知でしょう?それに帝国にブリューネス王国、また評議国への侵攻と……全て真なる魔王シングとやらの策謀と聞き及んでいます。それに魔法一つで十万以上の兵を殺したと……」
「それは聞いたわ。本当に有り得ない力ね。噂だと、異世界より来た最強魔王とか……本当かどうか知らないけどね」
「そのような恐ろしい魔王が、果たして我等を受け入れてくれるのかどうか……」
ロードタニヤ領内では最強の部類に入る戦士長の顔に、薄っすらとだが恐怖の色が浮かぶ。
その事について、カーチャは特に何も思わない。
何故なら彼女自身、本音を言えば怖いからだ。
「その辺は賭けね。けど、魔王シングは降伏した者には寛大に接していると聞いたわ。助けを求めに来た者を殺したりはしないでしょう」
「ですが…」
と、戦士長ジルコフが何か言い掛けたその刹那、
〈動くな!!〉
辺りに響く声と同時に、時が止まった。
いや、時が止まったのではない。
身体が動かなくなったのだ。
手足も硬直し、微塵も動かせない。
自由に動けるのは首から上のみ。
ただし声を発する事は出来ない。
なな、なに?
何が起きたの?
カーチャは動揺しながら辺りを見渡す。
静まり返った空間の中で、皆が皆、味方も敵もただ無言で顔を動かしているだけの異様な光景が広がっていた。
「やれやれ…」
不意に近くから響く声にカーチャは驚き顔を向けると、自分の直ぐ脇に、見知らぬ男が一人立っていた。
焦げ茶色の髪をした、若い男だ。
柔らかそうな皮のズボンにありふれた布の服と、薄汚れた少し厚手の不織布のマントを羽織った、一見すると各地を放浪しているジプシーのような姿ではあったが、腰に下げた剣はそのどこかみすぼらしい格好とは裏腹に、王侯貴族が持つような立派な装飾が施された逸品であった。
そしてその男の肩に、覆い被さるようにして痩せた黒猫が一匹乗っ掛かっている。
その男はチラリと横目でカーチャを一瞥すると、そのままゆっくりと歩き出しながら、
「魔王軍を僭称する輩と街で暴れている傭兵もどき。それとこの街に潜入しているであろう工作員の類は、今すぐ領主館の前へ集合。駆け足」
静かな声ではあったが、何故かハッキリと耳に響く。
まるで脳に直接声が届いているかのようにだ。
こ、この男は一体……
やがてガシャガシャと金属が擦り合うような音を立てながら、武装した一団が街の彼方此方から駆け足で館前に集まってきた。
その中には街で見掛けた露天商の男もいる。
更には館の警備兵も何人か含まれていた。
全員が無言だが、その顔は蒼褪め、恐怖の表情が張り付いている。
カーチャは眉を顰めながら、目の前にいるジルコフに視線を走らす。
斜め後ろからでは優秀な戦士長の表情を覗う事は出来ないが、かなり難しい顔をしているのは間違いない。
謎の若い男は「ふん…」と小さく鼻を鳴らすと、集まって来た一団を見渡し、手前にいた半鎧を身に着けた小太りの男に向かって口を開いた。
「お前、ここで四つん這いになれ」
街を蹂躙してきたのか、返り血を浴びた男はビクンと身体を震わせながら、ギクシャクとした動きで若い男の前に手と膝を着いた。
「小汚い椅子だが、まぁ良いか」
男は呟き、傭兵もどきの背中に無造作に腰掛けた。
そして足を組み、軽く息を吐くと、
「頭が高い。跪け」
その言葉と同時に、まるで臣下の礼を取るように集まった者達が一斉に片膝を着き、頭を垂れた。
「……街の衆は自由にして良し。負傷者の手当てに当たれ」
男がそう言うと、街の彼方此方から大きな吐息とざわめきが沸き起こる。
だが、館の前にて動けなかった領民の内、何人かは駆け出して行ったが、大半がその場に留まり、微動だにしない自称魔王軍を囲み、怒りの形相で睨み付けていた。
それどころか、何事が起こっているのか確かめようと、更に彼方此方から人が集まって来るようであった。
若い男は軽く首を回し、少しだけ気だるそうな声で、
「隊長役は誰だ?立て」
跪いている集団の中から、少し立派な鎧を身に着けた男が立ち上がった。
貧相な体格の男だ。
まばらな口髭を生やしたその顔は蒼白で、額に大量の汗が浮かんでいる。
「嘘偽り無く、真実のみを話す事を命じる。……所属部署と氏名は?」
「か…ぐ……」
男は顔面の筋肉を総動員し、何かに抵抗しているようであったが、その努力とは裏腹に、まるで勝手に口が動いているかのように淡々と言葉を紡ぎ出す。
「お、王国軍……王都第三騎士団……隊長、アキレム・コーモフ」
「……ふん、やはりか」
謎の若い男は足を組み直す。
そしてゆっくりと腕を上げると、街の南を指差し、
「で、あの山の麓にいる連中は?」
山の麓……?
カーチャは目を細め、その指先を追う。
街の南の街道の先には、確かに名も無き小さな里山が幾つかあるが……まさか、そこにも王国の正規軍が?
「王国……第二騎士団……」
「なるほどね。察するに……魔王軍に扮したお前等が領主館を襲い、その後で控えている王国軍が助けに来る……そう言う茶番を演じるつもりだったと……そう言うことか?」
「は…はい」
「で、その目的と真意は?知っている事を全て話せ。簡潔にな」
謎の若い男の心に直接響いて来るような不思議な声色に対し、王国騎士団と名乗った男は必死になって抵抗を試みるが、その口は容易く主を裏切る。
「一つ、王国の潜在的な敵であるロードタニヤ辺境伯の排除とその領土の接収。一つ、領主代行殺しによる魔王軍の非道さを広め、兵や領民の戦意を高める。一つ、魔王軍に対し中立や融和策を唱える他の貴族達への見せしめ。一つ、魔王軍の意識をロードタニヤに向ける。一つ……」
「あぁ……もう良いや。なるほどねぇ、一石二鳥どころか三鳥も四鳥もある計画だな。この欲張りどもめ」
若い男は呆れるような口調で言った。
カーチャも心の中で呆れている。
良い事尽くめに聞こえるが、杜撰な計画だ。
もしどこからか秘密が漏れたらどう対処するのだろうか。
他の貴族達の反発は必至だし、内乱すら起こる可能性すらあるではないか。
謎の男も同じ考えだったのか、
「しかしまぁ、随分と笊な作戦だなぁ。バレた時、どう対処するつもりなんだ?」
「ま、魔王軍の脅威による国家存亡の緊急事態だ。非情なる手段もこの際は止むを得ないと……それでも逆らう貴族や領民は……」
「あ~……違う違う。俺が聞きたいのは、お前達の計画が魔王軍……特に魔王シングにバレた時の対処方法だ。ぶっちゃけ、彼は絶対に許さんと思うぞ?何しろお前等のしでかした事を魔王軍の所為にされるんだしな」
「その点は大丈夫だと……あの魔王の言うことは誰も信じないと……」
「……そりゃそうか。何しろ何十万の兵や民を殺し、街まで吹っ飛ばした男だからな。はっはっは」
男は軽く手を打ち、笑った。
「ところでもう一つ尋ねるが……お前やその手下どもは、王国軍の兵だろ?家族は王都とやらに住んでいるのか?」
「そ……そうだ。ここにいる者は皆、王都に住居がある。王国騎士団は王家直属のエリートなのだ」
「ふ~ん……もちろん、王族や大臣とかの重臣も、王都に住んでるんだろ?」
「あぁ……当然だ」
「ちなみに、王都は何て言うんだ?この辺りの地理は詳しくないと言うか、余り説明を聞いてないもんでな」
「タ、タウル……ネア・タウル」
「タウル・ネア・タウルね。良し分かった」
男は大きく膝を打ち、ゆっくりと立ち上がった。
そして実に何気なく、まるで今日の天気の事を話すような口調で、
「なら早速、その王都を消しに行こう」
そう言って、今まで自分の腰掛けていた傭兵もどきの兵士の頭を軽く叩いた。
瞬間、その兵士は一言も発することなく、いきなり煌く粉……まるで塩のような物になって崩れ落ち、そのまま風に乗って何処かへ飛び去ってしまった。
その兵士の着ていた鎧だけがガランと音を立て地面に転がってる。
「ん?何を驚く?お前達も今から死ぬぞ?その後で、お前達の家族も皆殺しだ」
「な…あ……」
「さっき言っただろ?魔王シングは絶対に許さないと」
魔王……シング?
え?
まさか、この男が……
カーチャは目を丸くし、目に前にいる男の背中を見つめる。
その男、魔王シングは乾いた笑いを溢すと、不意に口調を改め、どこか威厳のある低い声で言う。
「ふん、随分と我も舐められたものだな。我が軍が国境を越えて駐屯していると言うのに、お前等は呑気に内輪揉めとは。おっと、誤解するなよ、王国の騎士よ?我とこのロードタニヤ辺境領とは、何の繋がりも無いぞ。偶々だ。偶々、我は気分転換に散歩がてらこの街を訪れただけだ。そうしたらこの状況だったと言う話だ。ふふ……王国はツキにまで見放されたな。さて……」
魔王シングはやおら片手を振り上げると、
「先ずはアレを消そうか」
そう呟き、上げた腕を振り下ろす。
刹那、巨大な爆音が南の方角から鳴り響き、ついで強烈な突風が街の中を縦横無尽に駆け巡った。
街の住民達が悲鳴を上げ、その場に蹲る。
体の自由が効かないカーチャや街の警備兵は、咄嗟に目を瞑った。
一体、何が起きたというのか。
「ふむ……範囲や威力を制限すると、やはり魔力の消費が大きいな。かと言って、そのまま使うとこの街にまで被害が及ぶし……加減すると言うのは、中々に難しい」
魔王シングはそう口の中で呟くと、小さな笑い声を上げ、
「山の麓で出番を待っていた王国の兵は皆殺しにしたぞ。少し山まで消し飛ばしてしまったがな。森の小動物達には申し訳ないことをした。さて、次はお前達の番だが……ふむ、お前は色々と話してくれたし、最後に何か言いたい事があれば言って良いぞ」
そう言って指をパチンと鳴らすと、ただ一人突っ立っていた王国の騎士、アキレム・コーモフは唇をワナワナと震わせ、
「お、お前が……魔王……」
「いきなりお前呼ばわりか。まぁ構わんが……その通りだ。我が魔王シングだ。……なんだ?予想していた姿とは違って驚いているのか?」
確かに……
カーチャは心の中で頷いた。
魔王シングの話は、彼方此方から聞いていた。
その容姿に関しても。
ある者は頭から巨大な山羊の角を生やした悪魔のような姿だったと言い、またある者は赤く光る目と耳元まで裂けた口を持つ亜人種だと言った。
中には死神のように髑髏であった言う者もいた。
だが現に今、目の前に居る男は……人の目を引くには充分な容姿を持っているが、普通の人間に見える。
それもかなり若い。
年の頃は自分と同じぐらいだ。
もちろん、それは見た目だけであろう。
百人の群集の中に紛れていても見分けがつくような、どこか特別な存在感を放っている。
心を魅了して止まない、独特のオーラを感じるが、何故か魔王の名に相応しいような邪悪さは感じられない。
それどころかむしろ神々しささえ感じる。
これが……この男が魔王シング……
……
聞くのと実物を見るのとでは、大違いね。
「で、他に言うことは無いのか?」
「あ…う……た、助けて……下さい」
「……凄いなお前」
どこか呆れた口調でシングは言った。
「自分達の非道を棚に上げて、命は惜しいってか?だが……ふむ、良いだろう。その倣岸さに免じて、命は助けてやろう」
予想外の返答に、男は泣き笑いのような顔を浮かべる。
が、シングの放った次の言葉に、その表情が凍りついた。
「ただ、我は直接お前に何もしないが……この街の住民はどうかな?お前達の蛮行によって命を奪われた者も多い筈だ。彼等がお前を許すとは思えんが……ま、それは我の預かり知らぬ所だ」
「あ…お、お助けを……」
「慈悲を求めるのは我ではなく、住民にでは?」
シングは首を横に向ける。
その視線の先には、動かない王国の騎士達を取り囲むようにして立っている住民の群れ。
彼等の瞳には、憎悪の炎が宿っていた。
「はは、自業自得と言うヤツだな。自分の犯した罪だ。己の命で贖え。さて、残りの連中だが……」
魔王シングが跪いている一団を見渡す。
と、その内の前方にいた集団が、いきなり地面に突っ伏した。
「ん?なんだ?一睨みしただけでアッサリと死んだぞ?やれやれ、騎士だと言うのに恐怖に対する耐性値が低いな」
し、死んだ?
え?
な、何をしたの……
カーチャは微かに口を開け、動かなくなった王国兵を見つめる。
魔王シングの近くにいた二百人余りが、土下座をするような格好でそのままピクリとも動かない。
「ま、良いか。では残りの者……自分の持つ武器で、自分の足の腱を切り裂け」
シングの言葉に、王国の者達が無言で自分の足首を切り裂いて行く。
もちろん、その顔は恐怖と苦痛に歪んでいた。
「ふん、これで逃げる事は出来ないな。では自由にして良し」
言うや、、彼方此方から悲痛な叫び声を湧き起こった。
自分の足首を押さえ、悶絶しながら地面を転がる。
とても王国のエリート騎士とは思えないほどの醜態だ。
中には四つん這いのまま、その場から逃げ出そうとする者までいる。
もちろん、被害に遭った街の住民が見逃す事は無く、あっと言う間に取り囲まれ、その場に押さえ付けられていたが。
魔王シングはそんな光景に小さく鼻を鳴らすと、振り返り、カーチャを見つめた。
そして薄い笑みを溢しながら、
「元々この地は我が軍の支配地域でもないし、直接被害を受けたのは我ではないしな。こいつ等の処分は領主である君に任そう。ま、我なら全員、縛り首にするがな。っと、失礼……自由にして良し」
指を軽く鳴らすと同時に、カーチャの身体に自由が戻った。
突然感じる四肢の感覚に、思わず前のめりに倒れそうになる。
「え…あ…」
声も戻ったが、乾いているのか微かに喉が痛んだ。
「さて、今から王都を消しに行くが……ふむ、辺境伯代行殿」
「え……あ…な、なんだ?」
「申し訳ないが、荷馬車と兵を少し貸してくれないか?」
「……え?」
カーチャはキョトンとした目で、魔王を見つめた。
彼が何を言っているのか、その真意が分からない。
「なに、そのまま都市を消すのは少し勿体無いからな。幾らか賠償金を貰っても良いだろう。もちろん、この街に対する賠償も含めてな」
「つまり……王家の財を奪うから、それを運ぶ者が欲しいと……」
「そう言うことだ。あぁ、だがこのロードタニヤが魔王軍と手を結ぶとか傘下に入ったとか言うわけではないぞ?あくまでも、我個人との一時的な雇用契約だ。素性がばれないように、変装するのも有りだ」
魔王シングはそう言って、実に爽やかな笑みを溢したのだった。