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伝説の勇者


 リーネアは静かに息を吐きながら弓弦を引く。

そして息を止め、一瞬の間を置いて矢を放つ。

それは一直線に、醜悪な面をした魔族のコメカミに吸い込まれていった。

そこでフッと一呼吸。

気温は低く、吐く息は真っ白だ。

更に次の矢を番え、素早く放つ。

キャラバン隊の護衛に襲い掛かっていた凶悪な魔族が、リーネアの一撃を受けてもんどり打って倒れた。

これで最後だ。

商隊を襲っていた魔王軍兵は全員討ち取った。


シング……いや、勇者スティングは、ヤマダと供にこのキャラバンを率いる小太りの男から何度も頭を下げられていた。

更には謝礼のような物まで貰っている。


リーネアはその様子を眺めながら、

(本当に……とんだ茶番劇ね)

心の中で大きく溜息を吐いた。


これで救った村や商隊の数は、十を超える。

そしてその十倍の数を超える魔王軍兵を打ち倒して来た。

それについては特に思う事は無い。

死刑予定の連中だとシングは言っていたし、確かに見た目や気配からして如何にも極悪な連中ばかりだからだ。

ただ、襲われた者達は……こちらも被害が出ている。

怪我程度ならともかく、死んだ者も大勢いる。

その事についてシングに苦言を呈したら、彼は爽やかな笑顔で、

「その辺の事もちゃーんと考えているよ」

と答えた。

何でも、元々が『シングちんの殲滅リスト』とやらに入っている連中だそうだ。

現に今助けたキャラバン隊は、表向きは普通の商売人だが、裏は奴隷商人だと言う話だ。

しかも非合法の。

少数種族の幼い子を攫っては売り捌いているとの事だ。


シングは少し鼻に掛ったような笑いを溢しながら言う。

「幾つかの街で勇者スティングの活躍を吹聴してくれたら、今度は魔王シングとして生き地獄を味あわせてやろう」


今のシングは、勇者らしい装いであった。

黄金をふんだんにあしらった全身鎧に、光り輝く白銀の剣。

そして雪のように輝く純白のマント。

物語に出てくるような派手な装いだ。

ただ、正体を悟られないよう、目元を覆うように半仮面を装着しているので少々怪しい感じはするが。


けど、こんな準備をしていたって事は、前々から考えていた証拠ね。


シングの着用している武具は、例のベルセバンのダンジョンから持って来たアイテムだ。

それに襲うべき村や商隊の情報に処断予定の魔族の部隊編成等々……入念な下準備をしている。

シングは大雑把に見えるようで、意外に用意周到な所があるようだ。

以前、黒兵衛が『仕事はテキトーやけど遊びの準備だけは徹底的にやるタイプの男や』とシングを評していたが、その通りね、とリーネアはその美しきかんばせに困った笑みを浮かべた。


「いやぁ~……思ったより、褒賞を弾んでくれたなぁ」

シングは笑いながら戻って来た。

手には布袋を下げている。

おそらく金貨などが詰っているのだろう。


リーネアは少し眉を寄せながら

「良いのシン殿?仮にも勇者が、助けたお礼にお金とか貰って……」


グロウティスやオーティスと冒険していた頃、何度もこのようなシチュエーションで人を救った事がある。

そして謝礼をと渡してきた者も幾人かはいた。

が、決してそれを受け取りはしなかった。

もちろん、全て拒絶したわけではない。

お礼に一晩、と宿を借りたぐらいの事はあった。

だがあからさまに金銭を受領した事は無い。

勇者ではなく、それではまるで俗物ではないか。

……

もっともそのお陰で路銀には常に困窮していたが。


だがシング、いや、勇者スティングは疑問を素直に面に浮かべたリーネアに笑いながら、

「くれるって言う時は、素直に受け取った方が良いんだよ」


「そうなの?」


「ああ言う輩からは特にね。下手に遠慮すると『これだから勇者は』とか『聖人ぶりやがって』とか陰口を言われるぞ。奴隷商人なんて言うアウトローな仕事をしている連中は、独自の物差しを持っているからな。それに合わせた方が好感度が上がるってなモンだ」


「シン殿は逆に、何か謝礼をと要求していたがな」

ヤマダが一人クスクスと笑っていた。


「わははは……良いんだよ。名誉で腹は膨れん。そもそも勇者は慈善事業家じゃないんだぞ。ただで助けて貰おう何てのは虫が良すぎる考えだ。それに、そのぐらい図々しい方が人の記憶に残るってなモンだしな」


「まぁ……言いたい事は少し分かるわ。オーティスも、それで良く愚痴を溢していたし」


「んぁ?愚痴?……助けた人の感謝が少ないとか?」


「ん~……似たような所ね。確かに、勇者だから助けるのは当たり前って考える民衆は多かったし……」


「だったらそーゆー連中は無視すれば良いんだよ。俺なら先ず、助ける前に謝礼について話をするぞ。金にならんと分かったら普通にスルーするし」

シングは吐き捨てるように言った。

「そもそもあのヘボ勇者は、自分の中で型に嵌め過ぎなんだよ。勇者の型ってヤツに。そんなに評判が気になるのか?下らねぇなぁ。勘違いしているようだが、勇者は人助けが仕事じゃないぞ」


「そうなの?」


「そうなのって……そうでしょうが。勇者の仕事は一つ、魔王を倒す事。これでしょ?」


「……そ、そうね。それは確かに……間違いないわ」

その通りだ。

オーティスやグロウティスは、行く先々で良く街や村を襲っていた魔獣やはぐれ魔族を退治していたけど……冷静に考えれば、それは勇者の仕事ではなく、自警団や警備隊、冒険者ギルドの管轄だ。


「極端な事を言えば、魔王を倒す為なら民の被害など二の次だ。いや、下手すりゃ街の一つや二つ、囮に使うかも知れん」


「それは本当に極端過ぎよ」


「難しく考えず、そのぐらいの軽い気持ちで勇者をやれって事だよ。もっとも勇者スティング様は、人助け優先だけどね」


「評判を高める為?」


「そーゆーこと。さて、着替えて一旦駐屯地へ戻るとしますか。お腹も減ってきたしね」



ダーヤ・タウル北部、広大な荒野と化した旧マゴスの街周辺に設けられた魔王軍駐屯地。

少し歩けば神聖ファイネルキア評議国との国境と言うこの地は、簡易的ではあるが幾つかの砦が構築され、要塞化が進んでいる。

駐屯する魔王軍は約一万。

リーンワイズ率いる混成旅団と魔王エリウ直属の近衛隊及び親衛隊が待機している。


現在の魔王軍の配置状況は、評議国北部から中央に掛けて進軍中のウィルカルマースの第一軍団。

スートホムス大山脈を抜け、西から評議国へと侵攻しているファイパネラの第三軍団。

そして南部諸国を壊滅させながら帝国領へと迫っているアスドバルの第二軍団。

ウォー・フォイの第四軍団は後詰めの即応部隊として幾つかの部隊に分け、魔王城を中心に扇状に分散配置している。


対して人類系国家群は、かなりの劣勢を強いられていた。

評議国は既に国土の大半が魔王軍に蹂躙され、前線は日毎に東へと移行している。

その評議国の北、北部の都市国家連合は国境を封鎖し、幾重にも防衛線を築いていた。

が、魔王軍に対しての積極性は無い。

声高に魔王軍に対しての徹底抗戦を主張しているが打って出る気配は全く無く、また評議国からの難民の受け入れも止めており、言わば消極的中立策を取っている状態だ。

要は魔王軍が攻めて来たら戦うが、そうでない限りは手を出さないと言う事である。


評議国南部に位置する東方三王国は、それぞれの国が異なる対応を見せていた。

評議国と国境を接するダーヤ・タウルは、当初は主戦論を展開しており、評議国からの難民も積極的に受け入れていたが、真なる魔王シングの魔法の一撃でマゴスの街とその周辺が灰燼と帰してからは、何のアクションも起こしていない。

現に魔王軍がこの地に駐屯基地を築いている間さえ、ただ傍観しているだけであり、何ら仕掛けて来る気配さえ無かったのだ。


東の海岸に面したダーヤ・ネバルは当初から中立を宣言しており、魔王軍とは一定の距離を保ちつつ、難民の受け入れも積極的ではないにしろ特に規制もしていなかった。

当初はそれで良かったが、現在ダーヤ・ネバル国内は大いなる混乱に巻き込まれていた。

難民の数が飛躍的に増大したのだ。

評議国の前線が下がる度に、難民はその数を増す。

特に北部都市国家連合が国境を封鎖してからは、行き場を失った種族は皆、ダーヤ・ネバルを目指した。

そこしか逃げ込む場所が無いからである。

更にダーヤ・タウルから逃げ出す者も現れ始めた。

マゴスの地に駐屯地を造られ、その圧力に耐え切れなくなったのだ。

結果として、ダーヤ・ネバルは許容量を大きく超えた難民の群れで溢れかえるようになってしまった。

そしてそれらが生み出したのは無秩序な混乱と地元民との軋轢。

食糧不足も深刻な問題になり、幾つかの都市で遂に難民が暴徒化し、そこへ国軍が投入されると言う事態を招いた。

騒ぎは沈静化したが、結果として残ったのは修復不可能なまでの深い溝であった。

ダーヤ・ネバル国民としては当然ではあったが、難民からすれば魔王軍と何ら変わりは無い。

いや、むしろ同種族の者も多かったので、その怨恨の度合いは魔王軍のそれよりも大きくなった。

弱き小動物が獣に襲われ住処を奪われる。

自然の摂理だ。

怒りや恨みは当然あるが、本能的な部分では納得は出来る。

しかし逃げ込んだ先で同じ小動物にまで襲われるのは、納得が出来ない。

最初から難民の受け入れを拒否していれば話は別だが、ご自由に、と国境を開放していたにも関わらず、いざ国へ入れば暴徒扱いで殺される者まで出る始末。

必然的に評議国から逃げて来た者達の怒りはダーヤ・ネバル国民へと向けられた。


そしてこの時期、一番平和だったのは皮肉にも親魔王の旗を掲げていたダーヤ・ウシャラクだ。

砂漠の国ペルシエラと国境を接しているダーヤ・ウシャラクは、既に魔王エリウに外交団を派遣し、魔王軍の動きに連動してオストハム・グネ・バイザール帝国を攻めると約定まで交わしていた。

現に国軍は帝国国境付近に展開している。

ダーヤ・ウシャラクは歴史的に、魔王に対する恐怖より帝国に対する恨みの方が遥かに強いのだ。


その帝国ではあるが、此方もまた、混乱と言う分厚い雲が全土を覆っていた。

シングの魔法によって引き起こされたバイネル火山郡の悲劇で、二十万将兵を失ったものの、その全兵力は未だ魔王軍を上回っていた。

にも関わらず、魔王軍の侵攻に対しては後手に……いや、殆ど何も出来ないでいた。

と言うのも、指揮系統が混乱しているからだ。

シングによって大将軍バンブルヤーズが戦死したのも大きいが、致命傷なのは皇帝ハルベルト二世が人事不肖の状態に陥ったと言うことだ。

現在の帝国は、図体はデカいが頭が無い状態なのだ。

更に皇帝不予と言う緊急事態は、時期皇帝の座を巡る宮廷内闘争の装いを帯び、それもまた魔王軍に対する軍の行動を掣肘する要因ともなっていた。

現在、時期皇帝候補に上がっているのは三人。

ハルベルト二世の異母弟であるドロイツァー大公。

そして叔父であるポートリンゲン公爵と、先々帝の娘婿に当たるリンデン侯爵である。

この三者にそれぞれ懇意にしている貴族達が後援に付き、派閥を形成しつつも当初は静かに宮廷内で争っていた。

そこまでは貴族社会では良くある光景だ。

が、魔王軍の侵攻と言う現状が、更なる混乱と無秩序を生んでいた。

魔王軍に対して早急に処置を取らなければ、と言う心理的圧迫感もあり、日増しに派閥間の争いは激しさを増していった。

その魔王軍に対してのスタンスも、新たな混乱を生む要因となった。

即ち、魔王に対して徹底抗戦か、それとも消極的攻勢により和平の道を探るのか、更には無血開城か。

それらが同じ派閥内でも揉める原因となり、そこから新たな派閥が産み落とされる始末。

候補に上がっている三人ですら、現状が掴めぬ程の混乱が生じていた。

現にリンデン侯爵の派閥では、侯爵本人ではなくその息子であるエイルマイヤーを推す派閥が新たに生まれたりもしているのだ。

そして貴族内の派閥争いは、軍内部の派閥争いへと普及する。

また、それぞれの派閥から別れ、第四の候補を推す新興派閥が生まれたかと思えば、地方貴族の中には帝国よりの独立を画策する者も出始めていた。

統制を失った巨大帝国は、徐々に崩壊の兆しを見せ始めていたのだ。



駐屯地へ戻ったリーネアは、軽く昼食を摂った後、広場に置いてある椅子に腰掛け弓の手入れを行っていた。

ヤマダは近衛隊員達と訓練に勤しんでおり、シングは保護した子供達に手を引っ張られながら、何処かへ行ってしまった。


リーネアは辺りを見渡し、思う。

(平和ねぇ…)

戦時中の駐屯地とは思えないほど、牧歌的な雰囲気がそこには漂っていた。

厳つい顔をした魔族兵と少数種族の者達が互いに交わり、和気藹々としている。

常に殺気立ち、難民に孤児、そして病人が屯する人類系種族の都市とは全く違う雰囲気だ。


シングが彼方此方に放っている諜報員の話だと、人類国家は殆どが混乱状態で殺伐としているそうだ。

逆に平穏なのは魔王軍の支配地域と魔王軍に与した都市や国家のみと言う事である。


「……魔王の領土が平和で、勇者を推している街や国が混乱しているなんて、世の中分からないものね」

何気にそう呟きながら弓の弦を調整していると、近くの草叢から、黒兵衛に跨った酒井が姿を表した。

現在、魔王軍の中で最もリーネアと親しい魔人形は軽く手を挙げ、

「あら?戻ってたのリーネア?」

そう言って彼女の足元へと近付いて来た。


「えぇ。つい一時間ほど前にね」

リーネアは傍らに弓を置く。

酒井はそんな彼女の膝の上に飛び乗り、ゆっくりとその肩に攀じ登りながら

「参謀部にいたから全然気付かなかったわ。で、ヤマダとウチの馬鹿は?」


「ヤマダは訓練をするって。近衛隊の所へ行ったわ」


「あら。それは可哀相に……ベンザム辺りがまたウンザリした顔をするわ」


「そうね」

リーネアはクスリと笑う。

ヤマダは訓練好きだ。

魔王軍の最精鋭である近衛隊や親衛隊の面々を相手に良く剣の練習をしている。

それは良いのだが、少々……いや、かなりしつこい所があるのだ。

リーネアにもそれは良く分かる。

幾ら訓練とは言え、毎日足腰立たなくなるまで剣で打ち合うのは些かどうかと思う。

故に最近では、ヤマダの姿を見ただけで逃げ出す隊員もいたりする始末だ。


「そんなに練習したけりゃ、シング相手にすれば良いのにね」


「シン殿が相手だと練習にはならないって言ってたわ。力の桁が違い過ぎて」

事実、ヤマダはシングの一撃であっさりと気絶した事もあった。

その時シングは『練習好きも良いけど、時間を決めないと。皆それほど暇じゃないぞ』と笑いながら言っていた。

その通りだとリーネアも思う。

「ヤマダもちょっと偏執的な所があるから……」


「ま、人それぞれね。それもまた個性よ」

リーネアの肩に乗っている酒井はクスクスと笑った。

「で、ウチの馬鹿は何処へ行ったの?」


「さぁ?子供達に連れられて何処かへ行っちゃったわ。森の方かしら?」


「あらそうなの?エリウが作戦について話したい事があるって探していたんだけど……」


「エリウ殿が?だったらシン殿を探さないと……」

と腰を浮かしかけるリーネアに、

「良いわよ」

笑いながら酒井がその頬を軽く叩いた。

「口実よ。分かるでしょ?」


「口実……あぁ、そう言うこと」

リーネアも思わず笑みが零れる。

エリウの気持ちは態度からバレバレだ。

近習の者は全員が知っている。

気付かないのはシングぐらいなものだ。

もしかして気付かないフリをしているのかも、とリーネアは最初はそう思ったが、どうも本気でシングは気付いてないらしく、その鈍さに驚き呆れたものだ。

同じ女性として、少しエリウに同情してしまう。

もっともそう言うリーネア自身、男女の機微にはかなり疎い方だが。


「そう言うこと。にしても、リーネアにも苦労を掛けるわ。悪いわね、あの馬鹿のお遊びに付き合ってもらって」


「……勇者の事?別に構わないわよ」

リーネアは軽く肩を竦めた。

「生きた的を射るのも良い訓練になるしね。ただ、シン殿の意図が全く分からないわ。何を考えているのかしら……」


「半分は思い付きで遊んでいるだけよ」

酒井は溜息混じりに言った。

そしてリーネアの長い耳に凭れ掛かりながら、

「エリウや参謀達は、シングに深慮遠謀があるような事を言ったりしているけど、殆どはその場の思い付きよ。単にこう言う事が好きなだけなの。その辺は子供よねぇ」


「そう?で、もう半分は?」


「多分、あの勇者を鍛えて上げる気じゃないかしら?やり方は分からないけど、その布石じゃない」


「オーティスを?」


「そうよ。前に言ってたわ。エリウを強くしたから今度はあのヘナチョコ勇者の番かなって。それに試練の洞窟で精霊の話を聞いて、少し思う所があるんじゃないの」


「確かに……そうかも知れないわね。精霊達に何か託されたのかも」


「色々と言ってるけど、別にシングはあの勇者を嫌ってるワケじゃないわよ?むしろ興味があるんじゃないかしら。……単に面白がっているだけかも知れないけど」


「そう?」


「だってもし仮に嫌っていたら、あの勇者はとっくにあの世よ」

酒井はそう言って、僅かに目を細める。

「シングは根は優しい男だけど、一度敵と認定したら容赦しないわ。それこそ女子供でも表情一つ変えずに殺すんでもの。その辺はヘタレていても魔王なのよねぇ」


「それは何となく分かるわ」

普通は敵と割り切っていても、相手の容姿や年齢によっては心の中で多少の躊躇いが生じる物だが、シングにそう言った甘い所はない。

酒井の言った通り、敵と判断したら女子供であろうと躊躇い無くその剣を振るうであろう。

そこがオーティスとは決定的に違うところだ。


「呑気そうに見えて結構な苦労人だからね。メンタルが鍛えられているのよ。それにしても、益々興味が湧いたわ。勇者を生み出す精霊すら滅んでいるなんて……千五百年前に何があったのかしら?この魔王軍の事が粗方片付いたら、もう一度魔王のダンジョンへ行って、あのデュラハンに話を聞いてみましょう」


「それは良いのだけど……」

リーネアは駐屯地を見渡す。

石や材木を運んでいる者もいれば、魔獣の世話をしている者や食料の入った木箱を荷台に積んでいる者もいる。

一応は即応態勢を取れるようにはしているみたいだが、呑気に木陰で昼寝をしている者達もいた。

全体的に緊張感が無く、少し空気が緩んでいる。

「これからどうするの?本隊の作戦は?」


「取り敢えず、ここに暫く駐留するわ。後は何もしない。せいぜい近隣をパトロールしたり、ちょっとした演習を行うぐらいね」


「それだけ?」


「そうよ。ここに留まり、評議国南部やダーヤ・タウルに圧を掛けるのよ」


「随分と消極的ね」

軽く驚きの混じった声でリーネアは言った。

「元勇者の仲間である私が言うのもちょっと何だけど……エリウ殿の近衛隊だけでも、ダーヤ・タウルの中央部ぐらいまでは楽に侵攻出来ると思うわよ」


「出来るわよ。ダーヤ・タウルどころかダーヤ・ネバルまでは余裕で侵攻出来るでしょうね」

酒井はそう言うと、おもむろにリーネアの耳元に顔を近づけた。

そして少し声を潜め、

「ただね、この辺りが限界なのよ」


「限界?」

酒井に倣い、リーネアも声を落す。


「そ。エリウ……いえ、ウチのボンクラ魔王は、この世界の今までの魔王とは違うでしょ?主に侵略と言う面で」


「どう言う意味かしら?」


「分からない?今までの魔王は、都市を破壊しながら侵略して行ったと聞いたわ」


「そう言えば、そうね。先代魔王のアルガスも、凄かったわ。帝国の首都まで破壊したんですから」

グロウティスの仲間として、数多の都市の惨状は見て来た。

都市は破壊された後に燃やされていた。

もちろん、そこに住んでいた者達は皆、虐殺された。

そしてそれは、先代魔王だけの話ではない。

その前も、またその前も……歴代の魔王は人類系国家を蹂躙して来たのだ。

都市どころかそのまま滅んだ国も幾つもあった。


「でしょ?けど、ウチの魔王は違うわ。今までの魔王は侵略するのみだったけど、シングは先ず統治が第一で動いているわよ。……偶に街ごと消し飛ばしたりもするけど、基本的にはちゃんと統治して魔王領へと組み込んでいるわ」


「そうね。確かにシン殿は今までの魔王軍とは決定的に違うわ。それこそ普通の国の軍隊みたいよ」

酒井の言う通り、今までの魔王は侵略するけど統治せずであった。

ただ破壊し、その街の財を奪うのみ。

大規模な山賊のようなものだ。

しかしシングは違う。

街を占領した後は、ちゃんとした統治を行っている。

その街が敵性住民しかいなかった場合は、それ等を追い出し、魔王軍に助けを求めて来た少数種族に与えているし、元から魔王軍に対し好意を寄せていた街などはそのまま何もせずに自治権を与えていたりもする。

故に、魔王領は急速にその版図を拡大した。

この一年で、既に大陸の半分近くは魔王の統治下に置かれている。


「ただねぇ……それが限界なのよ」

酒井は大きく溜息を吐いた。

何が限界なのだろうか?


「分からないリーネア?統治と言っても、素人には中々に難しい事よ」


「……あ、つまり……人材不足ってこと?」


「そうなのよ。武に秀でた者は大勢いるけど、行政能力に富んだ文官は少ないのよ。だから参謀本部は常に大忙しよ。一応、降伏した種族達の中から優秀な者を登用したりはしているけど、数は少ないわ」


「つまり、これ以上の侵攻は無理があると……そう言うことね?」


統治者にその能力が無ければ、街は混乱し荒れるだけだ。

それは魔王軍にとって枷になってしまうだろう。


「そう言うこと。何年か待てば文官も育つでしょうけど、そこまで待てないわ」


「……だから侵攻を緩めて、圧力を掛けて降伏を促していると……」


「その通りよ。ここへ来て方針を転換して街を破壊して行く……って事は出来ないですからね。これからの占領政策は、出来るだけ穏便に降伏させ、緩やかに魔王領へ組み込んで行く、と言う感じね」


「でも大丈夫かしら?」

リーネアは僅かに首傾げ、眉間に皺を寄せた。

「降伏したらそのまま自治を認めるって事でしょ?寛大な措置だけど、裏切る可能性もあるわよ。進軍中に補給路を断たれる危険性もあるわ」


「私もそう思うわ。ただシングがねぇ……裏切るなら裏切れば良いさ、とか呑気に言ってるのよねぇ」


「シン殿が?何か考えがあるのかしら?」


「裏切ったら街ごと消し飛ばすって。むしろどこか早目に裏切って欲しいとも言ってたわ。他の都市への見せしめにもなるし」


「……あ、もしかして勇者の件も、その事に連動しているとか……」

シングが演じる最強勇者スティングの活躍で、都市の裏切りを加速させるつもりなのか知れない。

勇者スティングの名声が高まれば、それに呼応して魔王軍に反抗する街も現れるだろう。

だが酒井は首を横に振り、

「買い被り過ぎよ、リーネア。多分、なーんにも考えてないわよ」


「そうかしら?」


「結果としてそうなる可能性もあると思うけど、本人はそこまで考えてないわ。さっきも言ったけど、単に遊んでいるだけ」

酒井は小さく鼻を鳴らした。

「けど、リーネアの言う通り、街に反乱の種を蒔く危険性があるかも。でも逆に、占領地域の忠誠の度合いを測る事も出来るわね。ん~……シングに少し言っておいた方が良いかも」


「そうね。シン殿なら、また何か妙案を思い付くかも……」


「だから、それが買い被り過ぎなのよ」

酒井はそう言って独り苦笑を溢したのだった。








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