悩むのは若さの特権かもね
ダーヤ・タウルのマゴスの街を後にしたオーティス一行は、そのまま国境を超えてダーヤ・ネバルへと戻り、そこから海岸沿いの街道を南進していた。
いくつかの港町を経由しつつ、目指すはオストハム・グネ・バイザール帝国だ。
そこからの予定としては、未だ人事不肖に陥っている皇帝を見舞い、その後、南方にある暁の洞窟を目指すと言うものだ。
暁の洞窟……そこでかつて、オーティスは聖剣ルイルシベールを手に入れた。
父グロウティスが使っていた勇者の剣、グラリオルスよりも更に強力な力を秘めた剣だ。
その剣も、今では道具箱の肥やしとなっている。
魔王シングにあっさり叩き折られ、直す事も出来ずにそのままだ。
その話を聞いたセリザーワが、ならばその剣を手に入れた場所へ行こうと提案してきたのだ。
彼の話だと、その剣を修理するに必要な特殊な鉱物がまだ残っているかも知れないと言うことである。
それが手に入れば、より強力な剣に改造出来るかもしれないとも言った。
オーティスはその提案に即座に乗った。
セリザーワがアイテム製作のプロである事はマーヤから聞いていたし、実際彼女が使っている少々邪悪な造詣をしたマジックスタッフもセリザーワのお手製らしい。
もし、セリザーワ様の手でルイルシベールが蘇ったら……
あの男に、一太刀浴びせる事が出来るかもしれない。
いや、必ず出来る筈。
神の御使いの力を得た剣ならば、それも可能だ。
憎きあのシングを倒す……
数日前まで塞ぎ込んでいたのがまるで夢であったのかのように、オ-ティスは興奮した。
あの後、勇者オーティスは懊悩していた。
罪の意識に苛まれ、夜も眠れなかった。
目を閉じれば、自分が殺した哀れな種族達の顔が鮮烈に思い起こされる。
特に自分を悪の手先と罵った男の顔は瞼にまで焼き付いているかのようだ。
そんな日々が数日ほど続いたが、何とか今は立ち直る事が出来た。
確かに、自分は少々早合点してしまった。
セリザーワやリッテンが言ったように、彼等の話を聞き、もう少し冷静に状況を見極めるべきだった。
しかし自分は誤った事をしたとは思わない。
何故なら自分は勇者であり、相手は魔王軍なのだから。
オーティスは思う。
難民を襲ってきた魔王軍の兵士には同情する。
復讐したい気持ちも理解できる。
しかし彼等は、悪魔と契約したも同じだ。
復讐する力を得る代わりに、その魂を魔王に売り渡したのだ。
確かに哀れではある。
が、勇者として見逃す事は出来ない。
魔王とその手下は、全て打ち滅ぼさなければならないのだ。
それが勇者の務めなのだから。
そんな彼に対し、セリザーワは、
「随分と、独善的な自己正当化だねぇ」
と、どこか皮肉めいた口調で言った。
だが、
「それでも立ち上がり、前を向いて歩き出したのは良い事だ。……ウチのマーヤも見習って欲しいよ」
そう言って、寂しげな笑みを浮かべたのだ。
神の御使いマーヤは、まだ立ち直れないでいた。
傍にいるのはラピスだけだ。
そのラピスに、マーヤの様子を尋ねるのだが、
「ふぇ?まだ生きてますよ?」
と、要領を得ない返答ばかりだ。
マーヤ様は優し過ぎるから……
オーティスは馬車の中で、腕を組みながら唸った。
僕のように、相手は魔王の手下だと割り切れれば良いんだけど……
そんな事を考えながら、前を行くもう一台の馬車を見つめた。
オーティス達は、馬車を三台も借り上げていた。
最初は二台であったが、マーヤが独りになりたいと言っているので、もう一台余分に、彼女専用に借り上げたのだ。
馬車と言っても、貴族が乗るような豪華なものではなく、幌が付いただけの荷馬車のような簡素な物だ。
だがそれでも、三台分ともなればかなりの費用が掛る。
御者も雇わなければならない。
そもそも本来は、マーヤが独りになりたいと言っても二台で充分に対応出来るのだが、例の親衛隊を称する村の餓鬼供がいるので、定員的にどうしても三台必要なのだ。
勇者と言っても、オーティスは特に金を持っていると言うワケではない。
各国や各地の豪商からのサポートがあるとは言え、冒険は基本的に自腹だ。
魔王軍の兵を倒したからと言って褒賞が貰えるわけでもでなく、むしろ消耗品などの装備費用などを考えると赤字だ。
だから旅は、いつもカツカツであった。
時には冒険者ギルドの仕事を引き受け、路銀の足しにしていたぐらいだ。
そんな彼からすれば、馬車を三台も借りると言うのは、とんでもない贅沢であった。
オーティスとしては費用の事を考えると気が気でない。
しかしその心配は杞憂でもあった。
と言うのも、今回の旅の費用は、全てセリザーワ持ちなのだからだ。
異世界よりこの地に降り立ち、一年近くも辺境の村に篭っていた筈なのに、セリザーワは何故か裕福であった。
常に懐が潤っているのか、立ち寄る街で妙なアイテムなどを見つけては気前良く買っている。
何より、泊まる所もそれなりに高級な宿ばかりだ。
勇者であり、また冒険者でもあるオーティスからすれば、旅と言えば基本は野宿であり、宿を使うのはかなり疲労が溜まっている場合や、特別な事情がある時ぐらいだ。
それに泊まる所も、出来るだけ簡素な宿にしている。
その辺はオーティスが田舎育ちで、華やかな場所があまり得意ではないからではあるが。
だがセリザーワは
「私は昔から、アウトドアがどうも苦手でねぇ」
等と言う。
アウトドアの意味がいまいち分からないが、野宿はしたくないと言う事だろう。
だが長い冒険生活で倹約が身に付いているオーティスとしては、自分のお金じゃないとしても、少しばかり落ち着かない気分になってしまう。
そんな彼を見てセリザーワは、
「お金を持っている者が景気良く使う。そうしないと経済は回らないよ」
と嘯いたりもした。
「それに私には、有り難い事にお金持ちのパトロンが付いていてねぇ……費用は全て、シ…その方持ちだ」
実際、リッテンの部下と言う者が、セリザーワに木箱を届けたりもしていた。
特に大きくもなければ小さくもない、ごく一般的に流通している普通の大きさの木箱だ。
一度中を見せて貰ったが、その中には大量の金貨が詰まっていたのだ。
共通貨幣である金版はともかく、何故か各国の通貨まで大量に混じってはいたが、木箱いっぱいの金貨と言えばかなりの額だ。
四人家族なら数年は遊んで暮らせる。
それが数週間置きに、セリザーワに届けられるのだ。
セリザーワ様のパトロンって、誰だろう?
物凄いお金持ちみたいだけど……
豪商か、はたまた王侯貴族……
いや、その前にどうやって知り合ったのだろう?
オーティスは些か気にもなったが、あまり詮索するのは良くない事だろう。
実際、懐事情を気にしなくても良い、と言う気楽な旅が出来ているのだから、それはそれでオーティスとしては有り難い。
「しかし、思ったより往来が少ないな」
オーティスは幌の一部を切って作られた集光窓を覆っている布を捲り、外の景色を眺めながら呟いた。
今通っているのは、帝国からダーヤ・ネバルに評議国、そして北部都市国家連合までを海岸線に沿って貫く、大きな隊商道だ。
流通の大動脈の一つであり、いつもは荷馬車が列を成し、大変混雑している道である筈。
それが今は驚くほど少ない。
オーティスは帝国を目指している難民達で通行不可能になっているかもと危惧していたが、その予見は全くの大外れであった。
……そうか。帝国も、今は西と南から魔王軍に圧迫されているって話だったな。
評議国からの難民達は、戦火から逃れる為に逃げて来たのだ。
なのにわざわざ別の危険地帯へと向かいはしないだろう。
くそ、魔王軍め……いや、魔王シングめ。
塗炭の苦しみを味わっている難民達の姿が思い出され、オーティスの心に正義の炎が灯る。
早くヤツを何とかしなければ……
このままでは、この大陸にある人類系国家が全て滅んでしまう。
けど、今の僕じゃ到底ヤツには勝てないし、頼みの綱のマーヤ様は……
と、不意に馬の嘶きと供に、馬車が停まった。
オーティスはシルクとクバルトと顔を見合わせ、様子を伺いに表へと飛び出す。
見ると先頭の馬車が停まっていた。
セリザーワにリッテン、そしてどうでも良い餓鬼どもが乗る馬車だ。
マーヤとラピスは二台目で、最後尾がオーティス達である。
何だろう?
セリザーワとリッテンが馬車から降りており、何やらフードを被った男と対峙していた。
馬車の直ぐ脇に、一頭の馬が横付けされている。
男は二人に何か語り掛けていた。
ここからでは当然聞こえないが、『魔法障害』とか『通信が不調で』とか、良く分からない言葉が途切れ途切れに聞こえて来る。
あ、もしかして例のパトロンと言う人の使いかな?
セリザーワは男からいつもの木箱を受け取り、リッテンもまた、少し小さ目の、綺麗な装飾が施された宝石箱のような物を受け取っていた。
いつもはその太い体を反り、堂々としているリッテンが、えらく恐縮した様を見せている。
何だろう……
リッテンさんが畏まるなんて、珍しいな。
オーティスが近付いて行くと、その男は振り返り、フードを外しながら人好きのするような笑顔で
「やぁオーティスさん。久し振りですね」
「デ、ディクリスさん」
オーティスは小走りにディクリスの元へと駆け寄る。
同じ情報屋でも、どこか自分を見下しているかのような態度を取るリッテンより、腰の低いディクリスは遥かに好感が持てる人物だ。
「お久し振りです」
「はは、オーティスさんも元気そうで何よりです」
ディクリスは人の好い笑顔を浮かべた。
「ディクリスさんがどうしてここに……あ、もしかして何か特別な情報でも?」
「えぇ……まぁ、特別と言うか定期連絡ですよ。いつもは部下に任せているんですが、今日は少し込み入った話もありましてね。私が直接に来たワケですよ。ついでに、このまま帝国まで同行しようかと」
ディクリスはそう言って、セリザーワとリッテンに視線を戻す。
そして一転して笑みを消し、鋭い顔付きになると、
「魔王シングが自ら動きました」
と一言。
「ッ!?」
あの男が……動いた?
まさか、本格的に侵攻を開始したんじゃ……
「……だろうね」
セリザーワはさして驚きもせず、静かに頷いた。
そしてメガネを外し、それに息を吹きかけながら、
「そうなるだろうとは予見していたよ。鼎の軽重……つまり沽券に関わる問題だからね」
え?沽券に関わる?
それって、どう言う意味だろう?
傍で話を聞いていたオーティスは首を傾げる。
そんな彼を見て、セリザーワは目を細めた。
「分からないかね、オーティス君?」
「えぇ、魔王が自ら軍を指揮して攻めて来たって事ですか?」
「ん~……合っているようで、少し違うかな」
セリザーワは自分の細い顎を手で擦り、ディクリスに視線を戻しながら、
「で、具体的には?」
「はい。……ここから少しばかりオーティスさんには耳が痛くなるような話ですが……エルフのリーンワイズが討たれたと報告を受けた魔王シングは激昂し、供廻り……これがヤマダさんとリーネアさんなんですがね。彼等を連れて魔王城を飛び出し、そこから僅か三日でオーティスさん達に敗れた部隊の許へ着いたそうです。そして既に死亡していたリーンワイズを復活させた後、例の難民キャンプへ向かいまして……」
「ま、魔王があのキャンプへ……」
しかもリーネアとヤマダを連れて?
え?何であの二人を?
しかも供廻り?
まさかリーネアとヤマダは、シングの手下にでもなったと……
セリザーワは「ふむ」と呟き、
「それからどうなったのかな?……ま、予想は付くがね」
「難民キャンプは壊滅しました」
ディクリスは淡々とした口調で簡潔に言うと、軽く肩を竦めてみせた。
「魔王シングの魔法一つで、キャンプ地は地上から消え去りました。……それと、魔法が強過ぎたと言うか……その余波で、難民キャンプだけではなくマゴスの街と近隣の二つの村も一緒になって消し飛びました。あと近くにありました山も幾つか。現在、ダーヤ・タウル北方の国境地帯は、荒涼とした大地だけが広がっています」
キャンプ地と……マゴスの街も消えた?
……消えた?
え?
「で、ディクリスさん。消えたって……ど、どう言う意味ですか?」
「え?いや、どうもこうも……そのままですよ、オーティスさん。あの場所にはもう何もありません。ただ荒れた大地が広がっているだけです」
「じ、じゃあ……住民とかは……」
オーティスの問い掛けに、ディクリスは無言で口を曲げた。
それがマゴスの街に住んでいた人々の運命を如実に物語っている。
そ、そんな馬鹿な。
あの街にはたくさんの人が住んでいた筈なのに……
一瞬で、全てが奪われたと言うのか?
「これが先程の答えだよ、オーティス君」
セリザーワがそう言って、まるで何かを観察しているような目で勇者を見つめる。
「要は面子の問題だな。末端の兵が討たれるならともかく、指揮官クラスの者が勇者に討たれたんだ。しかもリーンワイズと言うエルフは、魔王シングが自ら登用したと聞く。魔王軍全体から見れば大した被害ではないだろうが、魔王としては見過ごす事は出来ないだろうね。だから彼は自ら報復措置を……まぁ、マゴスの街は、そのとばっちりを受けたと言うワケだな」
「……」
「それに付随してですが、ちょっと良くない話が広まっていまして……」
とディクリスが困った顔で口を開く。
「実はマゴスや周辺の村々が消失したのは、勇者オーティスが余計な事をして魔王を怒らせたからだと……勇者がしゃしゃり出なければ被害は難民だけで済んだのにと、そんな話がダーヤ・タウルの彼方此方から上がり始めましてね。いや、本当に口さがない連中ってのはどこにでも居るモンですよ」
「街が消えたのは……僕のせい?」
「あぁ……気にしなくて良いよ、オーティス君」
セリザーワが笑いながら、オーティスの肩を叩く。
「人はとかく責任転嫁を図りたがるモノだ。誰しも自分で責任を取りたくはないからね。ふん……そもそもそれを言うなら、最初から難民を受け入れなければ良いだけの話だ。魔王からの難民引渡し要請を無視したのは自分達だと言うのにね。君もそう思うだろ?」
「え…えぇ」
「ふふ……しかしオーティス君、勇者と言うのは実に因果な職業だね。命を懸けて、そんな身勝手な事を言う連中も守らなければならないとは。しかもそう言う連中に限って、直接魔王軍の被害に遭った訳ではないしね」
「……」
オーティスは俯き、唇を噛み締める。
それは、前々から……いや、駆け出しの頃から思ってはいた事だ。
感謝して欲しいとは言わない。
だが、勇者だから助けて当たり前と思われる事は、ちょっと許せない。
命懸けで戦った後に、至極当然だと言わんばかりの顔で『ご苦労様』と軽い一言で済まされた時は、何ともやるせない気持ちになってしまう。
亡き父の後を継ぎ、勇者に成り立ての頃は、それで良く落ち込んだりもした。
理想と現実のギャッと言うのだろうか。
そもそも勇者と言うのは、それほど軽い存在なのだろうか。
そんな時は、フィリーナがよく慰めてくれた。
ギルメス老も、
『民は長いこと勇者に依存してきた。それ故、何時しかそれが当たり前と思うようになったのだ。色々と慣れ過ぎたのだよ、民は』
そんな事を言っていた。
少しばかり成長した今のオーティスには、あの口煩かった老人の言葉が何となくだが理解できる。
だが皮肉な事に、最近は魔王シングのせいで勇者がかなり持て囃されている。
どの街を訪れても、歓迎される。
それがまた却って、オーティスをやるせない気持ちにさせていた。
「ふ~む…」
セリザーワが小さく唸る。
「しかしそんな噂が出るとは……これから先、オーティス君には辛い事になるかも。その内、悪者にすらされかねんよ」
「わ、悪者?僕がですか?」
「そうだよ。魔王を倒せない勇者が悪い、とか言い出す馬鹿も現れるかも知れないね。……困ったもんだ」
「……」
「ま、その話は置いておくとして、私としては難民キャンプの件より、エルフの指揮官を蘇らせたと言う方が気になるね。魔王シングが凄まじい破壊魔法を使うのは分かるが、まさか復活魔法まで使う事が出来るとは。正直、驚きだよ」
「確かに、セリザーワ様の仰る通りで」
ディクリスは頷いた。
話を聞いているリッテンも大きく首を縦に動かし、
「復活魔法を使えるのは高位の神官か治癒士、それと勇者のみと……それが世の定説ですから。確かに驚きですな」
「その辺の話も、一度魔王シングに会って話したいものだねぇ」