後の魔王軍、第三軍団長である
俺はリーネア姐さんにヤマダの旦那を引き連れ、黒兵衛と供に海に面している評議国東部を反時計回りの進路で北上していた。
現在我が魔王軍は、グレッチェ大森林の北、リフレ・ザリアから転進して来たウィルカルマースの第一軍が評議国北西部に侵攻。
そしてスートホムス山脈を超えてファイパネラの第三軍が西から侵攻中。
もちろん、慌てずにゆっくりと、周辺国家に圧力を掛けるのを目的とし、評議国をジワジワと侵食するように追い込んでいる。
東方三王国の一つダーヤ・タウルには、間も無くエリウちゃんが直々に指揮する魔王軍本隊が到着する筈だ。
酒井さん経由で彼女にそう命令を出しておいた。
俺の魔法で文明社会以前の荒地に戻ってしまった、難民キャンプのあったマゴスの街周辺に前線を築き、暫く駐留させる予定だ。
それと同時に、配下の諜報員達に、一つの噂を広めるように命じておいた。
即ち、『マゴスの街が地上から消えたのは難民のせいだ。そして勇者が余計な事をしたからだ。だから魔王自らやって来たのだ。そして次の標的は首都だ』
こんな感じの噂だ。
まぁ、俺がわざわざ流さなくても、この手の話は自然と発生するもんだ。
種族を問わず、とかく一般大衆は自己弁護の為に誰かに責任を負わせたがるものだしね。
勇者も肩身が狭くなると思うが、自業自得だと思ってくれ。
ともかく、これで暫くはこの国、いや東方三王国は混乱するだろう。
その間に俺は、北部で勇者に関しての調べものだ。
「ん~……無茶苦茶に賑わってますなぁ。物凄く殺伐とした雰囲気が漂っているけど」
俺達は消し飛んだマゴスの街から国境を越えて評議国へと入り、そこから東進してリーヴォチャスカと言う、妙ちくりんな名の港湾都市に来ていた。
評議国における海上貿易の拠点の一つと言うことであり、かなり大きな都市だ。
港を見ると、幾つもの帆船が錨を降ろし停泊している。
「シン殿の言う通り、物凄い人ね」
とリーネア。
街はバザールでも開かれているのかと錯覚するぐらい、数多の種族で溢れ返っていた。
しかしながら、活気に満ち溢れているとは言い難い。
先ほども言ったが、どこか殺伐とした雰囲気だ。
僅かに殺気すら感じる。
通りの横道に目をやると、物乞いなどに混じり病人まで転がっていた。
路地裏には、死体までもがそのまま放置されていたりする。
「諜報員の話だと、魔王軍の侵攻から逃げて来た中央都市部の連中が、どんどんと流れ込んで来ていると言う話だ」
「他国へ逃げずに、魔王軍の侵攻ルートから外れているこの街へ逃げて来たって言うこと?」
「それもあるが、ここから船で東の大陸へ逃げようと思っているのかもな」
「なるほどね」
リーネアが頷き、混雑している港の方を見つめる。
ヤマダの旦那は目を細め、
「しかしシン殿の言う通り、何か不穏な空気だな」
と呟いた。
「ディクリスに聞いたところ、海沿いの評議国東部は、中央と文化も風習もかなり違うらしい。そもそも住んでいる種族が違うのだから」
俺は露天などを眺めながら答えた。
「そこへ、自国とは言えあまり馴染みの無い種族が大量に押し掛けて来たんだ……そりゃ、彼方此方で揉め事なども起こるわな」
「そう言えば、二百年ほどぐらい前……だったかな?この辺りは幾つかの小国に分かれていたと聞いた事があったな。それが何時しか評議国へ統合されたと……そんな歴史だった憶えがある」
ヤマダの旦那が街並みを眺めながらそう言った。
「へぇ……そうなのか」
リーネアも頷き、
「評議国は、元々が異なる種族からなる小国が集まって出来た、寄り合い所帯のような国なのよ」
「なるほど。連合王国と言うわけか。道理で、国内の軋轢が多い筈だ。風習や食習慣すら違う種族同士を纏めるのは、生半可な政治力じゃ無理だからな」
俺はふむふむと頷きながら、彼方此方から漂う美味そうな匂いに目を輝かせていた。
黒兵衛も耳元で、「美味そうやなぁ」と呟いているし。
いや、本当に分かるぞ。物凄く美味そうだ。
何で露天に並んでいる料理って、どれもこう食欲を刺激するんだろうね。
人間界で食べたタコ焼きとかヤキソバを思い出しちゃうよ。
「ところでシン殿」
「ん?なんだいリーネア?あ、もしかして何か食べたい?あそこの串焼きなんか、物凄く美味そうなんじゃが……何の肉を焼いてるんじゃろ?」
「そうじゃなくて……何でこの街へ来たの?」
「ん?あぁ……ここでワイチェールと落ち合う約束でな」
「ワイチェール?」
「俺の飼っている諜報員の一人だ。主に評議国方面の情報を集めさせている」
「そんなのがいたの……」
「まぁね。元は評議国の少数種族で、色々とまぁ……地下活動を行っていた曲者だ」
「地下活動?」
「迫害を受けている種族を救う為にな。普通の政治活動も行えば、非合法工作も少しは……そう言う連中の一人だ。それが反魔王派の弾圧に遭い、リフレ・ザリアに逃げ込んで来てな。そこで偶々知り合った。中々に使えそうだったから、俺の直属にしたんだよ。実際、評議国内に独自の情報網も持っていてな、非常に有能だ。だから今ではこの地方の諜報部隊のリーダーを任してある。……女性だけどね」
「へぇ……シン殿は、色々としているわねぇ」
リーネアはどこか感心したように言った。
ヤマダの旦那も、
「情報はある意味、一番重要だからな」
と頷く。
「ま、そう言うこった。歴代魔王は武力で人類系種族を圧迫したが、魔王エリウは違う。ってか、そんな事が出来ないからな。何しろ魔王らしからぬ魔王だ。可愛いし。だから占領地の統治も恐怖ではなく、法により秩序を以って行う。その為には、様々な情報が必要なのよ」
「まるで魔王じゃないみたいね」
リーネアが少し複雑そうな笑みを浮かべた。
「ふ、そうだな。実際、一部の連中……魔王軍に保護された種族からすれば、エリウちゃんイコール英雄みたいなもんだしな」
俺は笑いながら素早く手を伸ばし、自分の胸元に近付いていた小さな手を掴んだ。
肩に乗っている黒兵衛が
「なんや、気付いてたんか」
と呟いた。
「まぁね」
俺は掴んでいる手を捻り上げる。
こんな人の多い、しかも初めて訪れる街な上に、そもそもここは敵地だ。
そんな所をスキルも使わずに散策するほど、俺は自信家でも自惚れ屋でもない。
……
ま、その辺りがヘタレと呼ばれる所以なんじゃが……
「ふ……俺様の懐を狙うとは、中々に大胆不敵。ふふん、面白いな」
掴んでいるのは、骨と皮だけの、かなり細い腕だ。
目の前に居るのは、痩せた男……いや少年だ。
年の頃は人間齢で十二、三と言った所だろうか。
実に生意気そうな目をしたガキだ。
少し尖った耳の先に、羽毛のような毛が生えている。
何族かは分からないが、純粋な人間種でない事は明らかだ。
そいつは俺から逃げようと必死に暴れているが、
「……ふん」
鼻を鳴らし、更に強く腕を捻る。
「汚いし匂うな。物乞いか?」
「……」
ガキは俺を睨み付けていた。
ほ、思ったより根性が座っている小僧だ。
ふてぶてしいが……どこか必死さも感じるな。
生きる為には犯罪にも手を染めるってか。
いやはや、世知辛い世の中ですなぁ。
この餓鬼をどうしてやろうかと考えていると、リーネアが困った顔で、
「ま、ここは人が多いからね。それで、どうするのシン殿?官吏に突き出す?」
と言って来た。
だが俺は首を振り、
「掏りは古来より、指を落すのが慣わしだ。しかもこの俺の懐を狙った……肩から切り落とそうか」
ちょっぴり脅しを交えながら、俺はガキを見下ろした。
名も無き浮浪児は真っ青になって震えていたが、その目は未だ俺を睨みつけている。
ほほぅ……軽くとは言え、恐怖系スキルで睨んでいるのに……それを耐えるか。
「かなり熟練した動きだったし、掏り以外にも色々とやって来たのだろうな。どこぞの盗賊ギルドにでも所属しているのか?」
「……」
「答えろ」
更に俺は強く睨みつける。
ガキは顔面蒼白ながらも、歯を食い縛りながら
「ひ、独り……だ」
声変わり前の少し甲高い声で答えた。
街行く人が、何事かと此方を見てくるが、餓鬼のみすぼらしい容姿を見て色々と察したのか、そのまま通り過ぎて行く。
「ほぅ……独り働きか。にしては、かなり年季の入った巧みな動きだったな。ふん……まぁ良い。先ずはお前の家族の所へ案内しろ」
この手の類は、大抵がダメ親か悪い親戚等に扱き使われているって言うパターンが多いからな。
俺の財布を狙った以上、そいつ等にも落とし前を付けてもらわんと。
だが目の前のガキは、震える声で、
「かか、家族なんか……いない」
「嘘を吐け」
俺は乾いた笑いを溢す。
「俺の目は誤魔化せんぞ」
ってか、餓鬼の吐く嘘って、挙動がおかしくなるから簡単に見抜けるんだよねぇ。
……
俺の嘘も酒井さんにはあっさりとバレるんじゃが……何でだ?
演技は完璧な筈なのに、不思議だよね。
しかし……
俺はガキを無言で見下ろす。
ふむ、家族が大事なのか?
自分が盗みを働くほどに?
ましてや俺の視線に耐えるほどに?
パターンとしては、両親が病気とか寝たきりとか……超不幸状態とか。
……
ま、関係ないね。
どんな理由があろうと、罪は罪だ。
「……ん?」
視線を探知し、俺はゆっくりと肩口から後ろを振り返る。
黒兵衛は当然として、ヤマダとリーネアも反応した。
視線の先、俺達から少し距離が離れた路地の陰に、フードを頭から被った者が佇み、此方を見つめていた。
「来たか」
俺は呟き、小さく手を振ると、また餓鬼に視線を戻し、
「おい、早く案内しろ。俺は今、少し腹が減って気が短くなっている。膾に刻んで魚の餌にされたくなかったら、とっとと歩け」
「……」
餓鬼は目に涙を溜め、俺に腕を掴まれたまま、トボトボと歩き出した。
リーネアとヤマダ、そして少し離れて謎のフード野郎が黙って付いて来る。
餓鬼の歩みは遅い。
その都度、俺は掴んだ腕に力を入れて急かす。
やがて餓鬼は街を出て……郊外の田園地帯も抜け、山間の小さな森の中へと入っていた。
そこに在ったのは、廃屋鑑定1級ぐらいのレベルの、ザ・掘っ立て小屋だった。
倒壊まで秒読み段階と言う、気合の入ったボロ小屋だ。
「ほぅ、中々に趣のある家だな」
俺は餓鬼の腕を放し、鼻で笑いながら家の中へと入る。
ふむ……
外はボロいが、中はもっとボロかった。
床すら疾の昔に朽ち果て、地面が剥き出しだ。
そんな狭い小屋の中に、十人ぐらいの餓鬼がいた。
男が二人、女が五人、良く分からんのが二人……
年の頃は5~10歳と言った所か。
全員がガリガリに痩せ細っており、いきなり入って来た俺に怯え、部屋の隅に集まって震えている。
「……ふん。これがお前の家族か?」
種族もかなりバラバラだな。
しかも殆ど何族か分からん、少数種族だわい。
「ここに住み着いて、それなりに年月が経っている感じだな。となると、魔王軍侵攻による戦争孤児ではないと……ふん、浮浪児かもしくは捨て子か。身寄りの無い餓鬼どもを集めて盗賊団ごっこか?」
俺は入り口に佇む餓鬼を睨みつけてやる。
餓鬼は唇を噛み締め、俺を睨み返していた。
「だが、境遇がどうあれ、罪は罪だ。どうせ今まで、散々盗みも働いて来ただろうしな。もちろん、ここにいる餓鬼どもも連帯責任だ」
そう言うと、リーダー格の餓鬼は何か叫ぶような声を上げるが、
「黙れ」
低い声で一喝。
ついでに恐怖のオーラも撒き散らす。
「今まで犯して来た罪を償う時が来たと思え。そもそもこの俺様から盗みを働こうとは……本来なら、生きたまま魔獣に食わせる程の大罪だぞ。命があるだけ有り難いと思え」
俺はそう言って餓鬼から視線を外すと、
「ワイチェール」
「……は」
入り口にいたフードを被った人物が一礼し、そのフードを外す。
灰色の短い髪をした、妙齢の女性だ。
金色に光る目と銀色の毛に覆われた耳を持つ、人狼系に近い種族の者だ。
「明日にでも馬車を用意し、ここに居る餓鬼どもを混成旅団へ送れ。リーンワイズが指揮し、現在はマゴス近辺に駐留している。そこでこの餓鬼どもを扱き使え」
「……了解しました」
「主な仕事は薪集めだ。それと三食腹いっぱいに食わせて暖かい寝床も用意しろ」
「……ははッ。早急に手配致します」
「ふん……おい、餓鬼」
俺は困惑しているリーダ餓鬼に、懐から何枚かの金貨を取り出して渡す。
「俺は腹が減った。街で何か適当に見繕って買って来い。ヤマダの旦那。悪いんですけど……この餓鬼と一緒に行ってくれませんか?さすがに、ここに居る連中分も併せると、餓鬼一人じゃ持って帰れないですから」
「ふ……了解した」
ヤマダの旦那は優しげな目で小さく頷いた。
餓鬼は更に困惑した顔をしている。
「ん?なんだ?さっさと行け。ここに居る餓鬼どもが腹が減ったと大合唱し始めたら敵わんからな」
俺は小屋から追い出すように餓鬼の背中を少し強く叩いてやった。
そして餓鬼とヤマダの旦那が出て行った後に、部屋の片隅でまだ震えているチビ餓鬼集団に近付き、
「やれやれ、面倒臭ぇ…」
ちょっぴり悪態を吐きながら、回復魔法を施す。
病気とか怪我までしている餓鬼がいたからな。
いやはや、本当にこの世界は……
弱肉強食は仕方ないけど、曲りなりにも国家があると言うのにね。
福祉政策はどーなっているじゃろうか……俺の世界より酷いよ。
「……ワイチェール」
「は」
「北部諸国はどうなっている?」
「は。それが……どちらも難しいかと」
ワイチェールが微かに眉間に皺を寄せて答える。
と、餓鬼どもを悲しげな目で見つめていたリーネアが顔を上げ、
「何の話だ、シン殿?」
「ん?ん~……実はワイチェールに命じて、北部諸国への最適な潜入ルートを探してたんだよ。場合によっては、あの港から船で北上するのもありかな、と思っててな」
「そうなの…」
「で、ワイチェール……難しいとは?」
「は。北部の都市国家連合は、陸路海路供に、軍を動員して封鎖を行い始めました」
「ほぅ……魔王軍を警戒してか?」
「表向きは防衛の為と言うことですが、実際は評議国からの難民の流入を防ぐ為と言う話です」
「……なるほどな」
俺はフムフムと頷きながら、部屋の隅で固まっている餓鬼どもに近付き、キョトンとした顔を向けている一番小さな餓鬼の頭を何気にクリクリと撫でた。
……うわ、髪がゴワゴワだよ。
満足に風呂も……ってか、この家に風呂は無ぇーし。
それどころか湯を沸かす道具も無いよ。
全く、野生動物と同じ生活だな。
「北部諸国は反魔王を謳っているが、内心では争う気がないと……そう言うことかな」
「おそらくは。難民の受け入れを拒否する事で、此方にアピールしているかと思われます」
「ふ~ん……ならば軍使を派遣して、少しばかり反応を見てみるか。ペルシエラのように積極的中立策を取って来るのなら、取り敢えずスルーしていても構わんだろう。ただ、後背を突かれると面倒だから……ちょっぴり脅しは掛けておくか」
俺はそう言うと、汚い小屋の中を見渡し、軽く肩を竦めながら、
「リーネア、それにワイチェール。悪いけど……街でタオルと、何か子供の服を適当に見繕って買って来てくれないか。古着で良いからさ」
「え…」
「駐屯地に子供の服は無いからな」
俺は懐から財布を取り出し、そのままリーネアに渡した。
「こんな事なら、マゴスの街を消し去るんじゃなかったな。ま、あれは不幸な事故だったんじゃが……住民を追い出して、そのまま駐屯地にすれば良かったわい」
「シン殿…」
「さて、俺はちょいと風呂でも沸かすか。飯の前に餓鬼どもを洗わんとな」
「え?お風呂って……」
「その辺に露天風呂でも作るさ。爆破魔法で地面に穴を開けて、そこを岩石魔法で固めて……後は水系魔法と火系魔法を使えば一丁あがりだ」
俺は笑いながら、もう一度餓鬼の頭を撫で、
「あ、言っておくけどリーネア……俺は別に慈悲深い男じゃないからね?あくまでも、エリウちゃんの評判を高める為の慈善活動の一環だからね」
「ふふ、そう言うことにしておくわ」
「……ふん。行くぞ黒兵衛。先ずは風呂に適した場所を探そう」
俺は小さく鳴らし、黒兵衛と供に小屋から出たのだった。
★
ふと、何かの気配を察し、リーネアは目が覚めた。
今は真夜中だ。
広さだけはそれなりにある粗末な小屋の中を見渡すと、シングは大の字になって、小さな鼾を掻きながら熟睡していた。
とても魔王の寝姿には見えないほど、無防備な姿だ。
とは言え、寝込みを襲うことはおそらく不可能だろう。
殺気を持って近付く者が居れば、即座に反応する筈だとリーネアは思う。
そんな彼の周りには子供達が集まり、寄り添うようにして眠っていた。
中にはシングの腕を枕代わりに寝ている幼い子も居る。
お腹いっぱいに食べる事が出来た所為か、全員が幸せそうな顔をしていた。
リーネアは静かに起き上がると、気配を感じる表へと出た。
そこにはヤマダの姿があった。
付き合いの古い戦友は腕を組み、星空の下にジッと佇んでる。
「……こんな夜中に、何してるの?」
リーネアは小さな声で尋ねた。
ヤマダはチラリと彼女を見つめ、僅かに肩を竦めながら、
「ふ……少し考え事をな」
そう言って、月の無い、星だけが瞬く夜空を見上げる。
そして小さな溜息を吐くと、
「つくづく、己の未熟さを実感していた所だ」
「未熟さ?」
リーネアは首を傾げた。
「そうだ。某も……そしてリーネアも、グロウティスの頃から各地を旅して来た。この評議国へも何度も訪れた」
「……そうね」
「勇者の仲間と言う事で行く先々で歓待を受けたし、上流階級の晩餐会等にも招かれた。だが……そんな華やかな世界の片隅で、まるで陰の中に隠されているかのように、このような厳しい世界が……いや、この国の種族間の軋轢については知っていたし、社会の暗部には薄々だが気付いていた筈だ。が、某はそれらを見ないように……敢えて陽の当たる場所しか歩いていなかったのかも知れない。ふ……我ながら勇者の仲間が聞いて呆れるな」
そう言って、ヤマダが力無い笑みを溢した。
「私も似たようなものね。自分から、そう言う場所へ近付かないようにしていたし」
「……オーティスは、よく弱者を守る為とか言っていたが……街を訪れても、貧民街などに行く事はしなかったな。だが……シン殿は違う。今日も、わざわざ路地裏を回っていたりもしたしな」
「……前にシン殿が言ってた事があるのよ。足跡がいっぱい残っている道を歩くのは冒険じゃないって。それはただ誰かの足跡を辿っているだけだって」
「言い得て妙だな。勇者の旅が街道の真ん中を堂々と胸を張って進む旅としたら、シン殿の旅は真逆だ。敢えて誰も通らない道を進んでいる。……だからこそ、常に新しい発見がある」
「……私も同じ意見よ、ヤマダ。この歳になって気付かされる事が本当に多いわ」
「ふ……オーティスには悪いが、シン殿の元を訪れて良かった」
ヤマダはしみじみと言った感じで言う。
その言葉に、心の中でリーネアは何度も頷いた。
シングと一緒に居ると、常に新しい発見があり、世界はまだまだ広いと実感出来るのだ。
「ふふ……実際、貴方は強くなったしね」
「はは……そうだな。だが、某はまだまだ強くなるぞ、リーネア。新たな愛刀『焔龍』と『凍虎』も、まだ完璧に使いこなせているわけではないからな」
ヤマダは腰に下げた自分の刀の鞘を軽く叩いた。
そして僅かに相好を崩すと、
「しかしシン殿は……優しい男だな」
「本人はエリウ殿の評判を高める為とか気紛れだとか言ってたけど……ふふ、下手な照れ隠しね」
「そうか。はは…」
ヤマダは小さく笑う。
そして再び夜空を見上げ、どこか遠い目をしながら、
「もし、今日の事が……掏りに遭ったのがシン殿でなくオーティスであったなら、彼はどう対処していただろうか」
「え…」
「あ~……普通に警備兵とかに引き渡すとちゃうか」
不意に響く声に、リーネアは少しビックリ様子で声の主を探す。
と、彼女の直ぐ足元に黒兵衛がいた。
全く気配を感じさせなかった。
まるで闇の中から忽然と姿を現したかのようであり、更にリーネアを驚かせた。
黒兵衛は金色に光る目で、前足を突っ張りながら背を伸ばすと、
「ま、あのポンコツ勇者やなくても、普通はそうやろう。ウチのヘタレ魔王が、ちと特殊なんや」
「まぁ……そうね」
「しかもあの勇者なら、軽くお説教でもしてそのまま無罪放免も有り得るで。そしてその後で、道を諭してやったぜ、みたいなドヤ顔をするんや」
黒兵衛の少し辛辣な言葉に、ヤマダは思いっ切り苦笑を浮かべた。
リーネアも
(あぁ……やりそう)
と、その場の光景が簡単に脳裏に浮かび、思わず吹き出してしまう。
確かにオーティスは、そう言う所……自己満足に浸ったりする事がママあるのだ。
「ま、ウチの魔王はお世辞にも、幸せな子供時代を過ごしたとは言えへんからな。あの生意気そうな目をした餓鬼に、何か感じるモノがあったんやろう」
黒兵衛はそう言って、自分の前足を舐め始めた。
「ただ、相手が餓鬼やったから良かったようなやモンやで。もし普通の大人やったら……」
「……その場で殺してた?」
「うんにゃ。背後関係を徹底的に洗った後で、関係者を全員始末……いや、何かの手駒にするかもな。殺すとしたら、扱き使った後でや。その辺はヘタレていても魔王やさかい、クールに事を進めるで」
「確かに……シン殿はその辺、徹底してるわね」
「酒井の姉ちゃんもそうやで。や、割り切ると言う点では、魔王より上かも。おっそろしいのぅ」
黒兵衛はヤレヤレと感じで首を小さく振ると、そのままリーネアに向かって軽くジャンプした。
そしてその肩によじ登りながら、
「ま、あの坊ちゃん勇者には、逆立ちしても真似できんわな」
「オーティスは若いし、人生経験が圧倒的に足らないからね」
「経験より、元からの性格やないか?歳と言う点では、ウチのボンクラ魔王とあんま変わらんで」
「そ、そうなの?シン殿も若いとは思っていたけど……」
「若いけど、経験だけは大人顔負けや。命懸けの濃い少年時代を過ごして来たって話やからな」
ヘッヘッへとリーネアの細い肩の上で笑う黒兵衛。
そんな黒猫に、ヤマダが小難しい顔をしながら尋ねる。
「もしあの時……オーティスではなく、シン殿が勇者としての立場であの場にいたら、シン殿はどう対処していたのかな」
「あ?あン時……あぁ、難民キャンプの事かいな」
「……うむ。某も色々と考えたのだが、中々に明確な答えが出なくてな」
「あれは正解の無い問題やで。解決方は人それぞれや。ただ、ワテも気になって、ヘタレに聞いたんや。そうしたら、先ずは会談を申し込む、って即答したで」
「会談……つまりリーンワイズ殿にか?」
「せや。それが最適解とか言うてたな。ってか、その為にリーンワイズの兄ちゃんを指揮官に選んだって話や。リーネアの姉ちゃんを介して、互いに名前と、そして立場を知ってる筈や。話し合いぐらいには応じるやろうって事や。あのボンクラ勇者がそれに気付けるかどうかって所やな。そもそもリーンワイズの兄ちゃんには事前に、勇者が会談を申し込んで来たら受けるように、って言うてたらしいで」
「……なるほどな。確かに、互いに置かれた状況は分かっている筈だ。しかし、何を話し合うべきか……」
「落とし所は、女子供は見逃すのと国境からの即時退去。これぐらいやろって言うてたな」
「男は殺すと?」
「まぁ。妥協点やないか?女子供の命を取るのは復讐者にとっても嫌やろうし、そもそも復讐の対象は、自分達を迫害してきた連中や。大抵は頑固な年寄りとか血気盛んな若造だけや。そいつ等だけは殺して構わんから出て行ってくれ……その辺で話し合いを進めるとか言うてたな」
「ふむ……分からんではない。が、勇者としての立ち位置からでは、それは些か難しいぞと思うぞ、黒兵衛殿」
「ワテもそう思う。せやけど、全てが納得する何て言う都合の良い解決法はあらへんからな。だから正解の無い問題なんや。切り捨てるべきは切り捨てる、そうクレバーに……って、どだいあの勇者には無理な話やな」
「ふ……ふふ、そうだな。オーティスには無理だ」
「だったら最初から完全にスルーしろとも、シングは言うとったな」
「スルー……無視すると言う事か?」
「せや。血に汚れた手で助けを求められても困るって話や。自業自得やから、自分達で何とかしろって事やな。勇者は他人の尻を拭うのが仕事じゃないで」
「……なるほどな。シン殿の解決法は、ある意味どれも真理を突いている。が、それによって勇者の評判はガタ落ちだ」
「せやな。けど、世間の評判を気にする勇者ってのも大概やで」
黒兵衛はククク…と嫌な笑みを溢した。
「ただ……ほんの少しは、ウチのヘタレも見習って欲しいモンや。あの馬鹿は周りを気にしなさ過ぎるで。この間も、パンツ一丁で城の中を呑気な顔で歩いとったしな。しかも寝癖をつけたまま。どんだけズボラなんや」
「あ、それは見たわ」
リーネアは思わず声に出して笑ってしまった。
「親衛隊の女の子達がキャーキャー騒いでたし。さすがに私もビックリしちゃったわ」
そしてその後で、酒井に激しく怒られているのも目撃したのだ。
「せやろ。現に今も大の字で高鼾や。とても魔王には見えへんで、ほんまに……ま、格好ばかり付けているよりは、遥かにエエんやけどな」