思惑
若き勇者オーティスがそこで見たのは、哀れを通り越して余りにも惨めな民の姿だった。
彼は今、神聖ファイネルキア評議国との国境に近い、東方三王国の一つ、ダーヤ・タウルのマゴスと言う街に来ていた。
当初の予定としては、オーティス一行はダーヤ・ネバルの国から海岸線に沿って南下して帝国へと入り、人事不省に陥っている皇帝を見舞う為に皇城へ向かうと言う流れだったのだが、案内役を務めているリッテンとセリザーワの提案で、逆方向のダーヤ・タウルの国へと入ったのだ。
東方三王国の内、反魔王の旗幟を鮮明にしているダーヤ・タウル国民の士気を鼓舞し、更に魔王軍の進行に伴い、住む場所を追われて逃げて来た評議国からの難民を慰撫する為にと……その提案を、オーティスは一も二もなく受け入れた。
それこそが勇者の務めだ。
弱き者を助ける。
勇者とはその為に存在するのだから。
ダーヤ・タウルの国へと入り、都市から王城へ。そしてまた都市へとオーティス達は各地を訪問した。
その都度、熱烈な歓迎を受けた。
勇者は対魔王の切り札だ。
魔王を倒せる唯一の存在なのだ。
それがこの世界の理である。
そしてオーティスは最後に、北部にある都市、マゴスに到着した。
評議国との国境に近いと言うことは、対魔王軍の最前線と言う事だ。
ただ、その魔王軍はまだ評議国の中央部辺りで一進一退を繰り返していると言う話だった。
各国からの援軍部隊等が魔王軍を押し返しているらしいと、街にも伝わっている。
その所為か、マゴスの街もまだ穏やかな雰囲気であり、そこでまた歓迎を受けた。
市民は元より駐屯する兵士達からも、期待の篭った眼差しを向けられた。
オーティスは声援に対し、手を振って応える。
勇者こそ、弱者の希望なのだ。
だがしかし、彼の内面では常に大きな不安が渦巻いていた。
魔王エリウはともかく、あの魔王シングに勝てるのか?
神の御使いを仲間にしたとは言え、あの想像を絶する力を持つ男に、勝利する事が出来るのだろうか……
だがオーティスは、その不安をおくびにも出さない。
勇者が怯えるなど以ての外だ。
弱き者に希望を与える存在である彼は、常に胸を張り、前だけを見てなければならないのだ。
オーティスはそこから、ダーヤ・タウル軍の補給部隊と供に、街の郊外に設けられた難民キャンプを訪れた。
そこで彼とその仲間達は大きな衝撃を受けた。
酷い。余りにも酷すぎる。
荒涼とした大地に無数に並ぶ、立てた木の棒に布を掛けただけの簡易過ぎる住居。
それが無数に建ち並んでいる。
その数は優に万を超えるだろう。
そしてそこに住んでいるのは、評議国から命からが逃げ延びて来た、様々な種族の者達。
健康な者はかなり少ない。
怪我を負っている者や病を抱えている者が殆どであり、そして全ての者が飢えている。
木の枝のように痩せ細った子供達の姿は、オーティスの心にかなりの衝撃を与えた。
おのれ魔王軍め……魔王シングめ……
オーティスは拳を握り締め、魔王に対する怒りに心を熱くする。
仲間であるクバルトやシルクも、その気持ちは同じのようだ。
険しい顔をしながら、補給部隊と供に難民に食糧を配給していた。
マーヤも同じく、涙ぐみながら作業を手伝っている。
普段は五月蠅いだけの村のガキ供も同じだ。
だが、何故かリッテンとセリザーワだけは、少しばかり皆と様子が違っていた。
難民キャンプを、リッテンは蔑むような目で見ており、セリザーワは苦笑を溢しながら彼と何か話している。
オーティスはその光景に、強い違和感を抱いた。
その時、不意に辺りに鐘の音が幾つも鳴り響いた。
難民達は怯え、兵士達は慌てて走り出す。
その内の誰かが叫んだ。
『魔王軍の襲来だ』と。
★
「ぐへぇ……疲れたぁぁぁ」
俺は自室のベッドに倒れ込み、大きな吐息を漏らす。
まだ昼だけど、もうこのままグッスリと眠りたい気分だ。
四肢の筋肉が物凄く痛いし、肩も凝り凝りで、まるで鉄のように硬い。
今日は朝からエリウちゃんにリーネア、そしてヤマダの旦那に、戦闘訓練を施してやったのだが……いやもう、スゲェよ。
三者とも、有り得んぐらいのレベルアップですよ。
と言うのも、全てはダンジョンで得た新アイテムのお陰だ。
それらを装備したエリウちゃん達は、まるで別人の如く強くなってしまったのだ。
魔法を使わない、と言う縛りはあるものの、多種多様のスキルとアビリティを駆使し、三人相手に辛うじて勝てたものの……身体はもう、バテバテのバテだ。
ヤマダの旦那がダンジョンで手に入れたのは、『焔龍』と『凍虎』と言う名の二振りの剣。
そして金で出来た鉢金的な防具。
剣の方はそれぞれ火属性と氷属性に特化された切れ味鋭い剣で、焔龍は切り口を燃やし、凍虎は逆に切った箇所を凍らす。
更にその両刀が交わると、混沌魔法にも似た特殊効果が発動すると言う、中々のマジックソードだ。
そして黄金に輝く、頭に装着する鉢金と冠の中間のような防具だが……これがまた凄い。
身体能力の向上と知覚の鋭敏化。
更には俺の持つスキルである『ミランジュ』にも似た特殊効果も発動すると言う、ちょっぴり羨ましいアイテムだ。
ただでさえ強いヤマダの旦那は更にパワーアップし、普段は滅多に表情を変えない本人も、相好を崩しながら俺に切り掛かって来る。
強くなって嬉しいのは分かるのだが、中年男性に笑いながら切り掛かられる俺の身にもなってくれ。
もう堪らんですたい。
そしてリーネアの姐さんは、何か物凄くゴテゴテとした、ゴージャスな装いの黄金の弓をゲットした。
後は何かの黒い皮で出来た兜。
弓はアルティメット何とかかんとか……長い名前が付いていた。
これも中々に凄い弓で、見た目に反して物凄く軽く、取り回しも非常に楽だ。
そして極め付けが、透明の魔法矢を撃てること。
弓弦を引き絞るだけで、見えない矢が射出されるのだ。
もちろん、普通の矢も撃てる。
なので普通に射撃しつつ、その中に透明矢を混ぜるので、これがもう……躱す事が先ず不可能。
先の練習でも、何本か身体に刺さってしまった。
そしてその能力を補うのが、黒皮の兜だ。
ガンナーの能力を大幅に向上させる特殊効果が付与されているのか、姐さん曰く、敵の動く方向等がハッキリと分かるそうだ。
移動予測が出来ると言う事か。
いや本当に……リーネアもヤマダも、強くなり過ぎだ。
装備を少し変えただけで、これほどのレベルアップをするとは、少し予想外だ。
ぶっちゃけ、あのボンクラ勇者より、今はこの二人の方が強いだろう。
……
勇者の存在意義って……
ちなみにエリウちゃんは……やっとこさ、魔王らしくなった。
いや、魔王と言うより、何か忍者みたいになってもうた。
彼女が手に入れたのは、漆黒のマントが付随した胸鎧と、透き通る刃を持つクリスタルの剣。
正直に言って、エリウちゃんが一番強くなった。
装備効果の所為か、先ず速度が段違いだ。
俺の縮地スキルのように、あっと言う間に間合いを詰めて来ては息吐く暇も無い連続攻撃。
そして反撃を試みると……何と分身までした。
いきなり目の前で三体に別れた時は、思わず「うそーん」と素で驚いてしまった。
しかもそれまで例の重鎧や大剣を装備する為に割いていた魔力を攻撃や防御に使えるようになったので、シールド魔法を展開しながら至近距離で魔法をバンバンと放って来る。
まだ多少、物理攻撃と魔法攻撃の連携やモーションに多少の齟齬はあるものの……訓練を積めば、もっとスムーズに動く事が出来るだろう。
いやはや本当に……三人とも強くなったもんだ。
苦労してダンジョンを探索した甲斐があったと言うもんだ。
次回からは、魔法禁止の縛りを少し解く事にしよう。
そうでもしないと、俺の身体がもたないよ。
「ってか、俺も一応はアイテムをゲットしてきたけど……いまいち使い途が分からんのだよなぁ」
俺はゆっくりとベッドから起き上がり、強張った身体を解すように、肩を回したりする。
俺が手に入れたアイテムは、なんちゅうか……古代人が作ったような、骨を削って作り出した短刀……いや、ちょっと大きなナイフのような武器だった。
本当は、特に何も持って帰るつもりはなかったのだが、直感アビリティが何か囁くので、宝部屋を何とはなしに漁っていた時に見つけたものだ。
黄金の山の片隅に埋もれていた小汚い箱の中に入っていた。
異質な魔力等を感じるが、物品鑑定士ではない俺には、これがどのような効果のあるアイテムか、いまいち分からない。
酒井さんに見せたところ、
「何これ?」
と超困惑顔。
「骨食とか呼ばれている鵺殺しの伝説の短刀があるけど……これ、まんま骨じゃないの」
「ですよねぇ」
俺の世界にも、ドラゴンの骨から削り出したボーンソードと言う物があるけど……そもそもこれは一体、何の骨だ?
ちょいと気になり、例のデュラハンに見せたら、
「……何だこれは?」
と一言。
いや、それは俺が聞きたい。
デュラハンも、どうやら初めて見る代物のようだ。
ま、取り敢えず発見したので貰っておくとしよう。
何かしらの力はあると思うので、これをベースに博士に何か作ってもらうとするか。
「さてと…」
ベッドから這い出て大きく伸びを一回。
と、部屋の扉が開き、黒兵衛に跨った酒井さんが入って来た。
「シング。そろそろお昼の時間よ」
「へーい……」
「随分と、疲れた顔をしてるわねぇ」
「そりゃそうですよぅ」
俺はハァ~と息を吐き、彼女と黒兵衛を持ち上げて肩に乗せた。
そして部屋を出て歩きながら、
「朝も早くから訓練に付き合わされましたからね。特にヤマダの旦那はしつこくて」
ちょっぴり愚痴を溢す。
「僕ちゃん、練習は好きな方ですけど、ハードトレーニングはちょっとねぇ……もっとエレガントに鍛えたいです」
「強くなったのが嬉しいのよ」
酒井さんは笑いながら、俺の頬を抓った。
「それにしても、エリウもリーネアも、まさかあそこまで強くなるなんてね」
「ほんの少し装備を変えただけであの強さですからねぇ……ま、熟練者だから使いこなせていると言う部分もありますけど……何にせよ、古代のアイテム恐るべしですな」
「名物、と言われる類の貴重アイテムは大体がそうよ」
「まぁ、僕チンの世界でもそうですね。何でじゃろう?」
「失われた技術って物があるのよね」
「あぁ……博士が良く言ってましたね。現代科学でも再現できないアイテムが無数にあるって」
「刀なんか良い例よ。現代の刀工達がいくら努力しても、鎌倉期の名物に勝る物なんて絶対に造れないしね」
「なるほど。いや本当にダンジョンを探索した甲斐があったと言うものです。今現在、この世界では間違いなくあの三人がトップ3でしょうね」
今ならあの三人だけで、この世界を征服できるんじゃなかろうか。
「勇者は?」
「置いてきぼりです」
俺は思わずウハハハと笑ってしまう。
今の魔王ちゃんなら、一撃で勇者を仕留める事が出来ると思うぞ。
「ま、その勇者にも試練を与えるんですがね。と言うか、主に対象は摩耶さんですが……予定ではそろそろではないでしょうか」
「例の作戦?」
「ですです。博士と太っちょリッテンとの打ち合わせ通り、リーンワイズに指揮させた混成部隊を送りましたからね」
「そうね。摩耶の成長具合を確かめるには、中々に面白い作戦よね」
「はい。摩耶さんは……技術云々の前に、先ずは精神修養が一番です。だからこその、今回の作戦です」
俺はフゥ~と大きく鼻から息を吐き出した。
「酒井さんが常々摩耶さんに説教していたように、彼女に冷静な状況判断が出来るかどうか……この一年に渡る異世界生活で、どれだけ成長したか……ちょっと楽しみです。あとオマケですが勇者も」
「そうね。……全ての者を救う事は出来ない。どちらかを選ばなければならない。そう言う取捨選択のシチュエーションは、この先何度も訪れる筈よ。その時どう判断し、そして心の中の葛藤にどう自分自身でケリを付けるか……あの娘の真価が問われるわね」
「分かり易い善悪なんて、殆ど物語の中だけですもんね。現実には早々あるもんじゃないですよ。特に戦争に於いては……ぶっちゃけた話、正解なんてものは無いんですよ」
「最初は、難民の皆さんが可哀相、とか思っちゃうでしょうね」
「ま、見た目が悲惨ですからね。だから博士に事前説明をお願いしてるんですよ。難民だけど奴等はクズ野郎だってね。逆に魔王軍の部隊は、魔王軍だけど魔王軍に非ずな混成部隊です。しかも率いるはリーネアの兄ちゃん。摩耶さんもボンクラ勇者も、どう対処すべきかさぞ悩むでしょうが、その悩みこそが成長を促す……っと」
「どうしたの?」
「いや、通信です」
俺はこめかみに指先を当てる。
と同時に、
『シ、シング様』
脳内に響く声。
「ん?リッテンか?どうした?」
『そ、それが……』
「……ンなッ!?」
緊急報告を聞き、思わず素っ頓狂な声を上げて天井を見上げる僕チン。
肩に乗っている酒井さんが、
「ど、どうしたのシング?」
と尋ねて来るが、
「ち、ちょっと後で」
俺は慌てて懐から通信用の術札を取り出し、それを額に押し付けながら、
「リーンワイズ!!俺だッ!!応答しろ!!」
エルフの指揮官に急いで連絡を入れたのであった。