09 夕食までの息抜き
それから、お昼と午後の授業を終えた私は、ただ圧倒されていた。お昼ご飯では、壮大な広さの食堂にお嬢様とメイドさんが数百人近くもいたし、ご飯は目にしたことのないようなフレンチ料理などが並べられていて、二階堂様と隣同士に座って食事をした。勿論、テーブルマナーを知らない私は一から教えてもらうことになった。
そして、午後の授業、授業中は後ろで控えているだけだから、やっと一息つけると思っていたんだけどそんなことはなく、教室を転々とする度にメイドさんたちに質問攻めにあっていた。
私はどっと気が思いやられて、これからやっていけるのか不安になった。
「頑張りなさい。しばらくしたら慣れるから」
そう言ってくれた二階堂様に宿舎の近くまで送ってもらったけど、それでも、授業中に同僚?の子達に長時間に渡って話しかけられたり、特にメイド服を着ているという点で、あの子たちに板挟みに合うのはきつかった。だって私ができる事と言ったら、顔を真っ赤にして愛想を浮かべるだけだったから。
とほほ、と肩を落としながら宿舎に入ろうとする。
「優凪ちゃーん!」
後ろの方から、優しい声音が聞こえた。
私はこの声の子を知っている。まだ出会ったばかりだけど、唯一この学園で、私が気兼ねなく接することのできる女の子。
「麦ちゃん!」
ふわったとした薄いグリーンの髪を靡かせながら、白い肌をした、目鼻立ちのくっきりした愛らしい少女はこちらに駆けてきて抱きついてきた。
「会いたかった……優凪ちゃん」
「私も会いたかったよ」
久しぶりの再会を果たしたようなヒロインのように、本当に悲しそうに呟きながら私の胸に顔を埋めてくる。
なんだか大袈裟な気はするけど、さっきまで知らない人だらけの中で揉みくちゃにされていたから、知っている人に会って、それがこうして喜ばれているというのは素直に嬉しく感じられた。
「よしよし」
落ち着かせるように撫でてあげると満足してくれたのか、麦ちゃんはそっと離れて身なりを整えた。
「ごめんね、はしたないところを見せちゃって。私、こう見えて寂しがり屋なところがあるんだ」
麦ちゃんは恥じるように目の下を赤くした。
「ううん、気にしないで。私も会いたいと思ってたから」
「……良かった」
にこやかに笑顔を浮かべたのを見て、やっぱり彼女は可愛いなー、と染み染みと感じた。
「そういえば、麦ちゃんを見かけなかったけど何してたの?」
いくら人が多いとはいえ、知った人の顔というのはすぐに見つけられる。だから、食堂の時も移動教室の時も、自然に麦ちゃんを目で探していたんだけど、朝の一件以降一度も見かけなかった。
「ちょっと用事があって、ごめんね。午後は外に出てたりもしたから」
「へー……お仕事は学園内だけじゃないんだね」
「うん。基本的に私たちはお嬢様たちの側近だから、普通の授業の日に、お嬢様が用事があって実家に帰ったりしなきゃいけない時に、お嬢様がメイドも一緒に来て欲しいって言いつけてきたら、付いて行ったりもするんだ」
中にはそれを悪用するようなお嬢様もいそうだと邪推してしまったけど、口には出さないでおこう。本当にそういうのがあったら怖いから。
てことは、麦ちゃんも今日は何か言いつけがあって出かけてたのかな?
「あら、あのお方は……」
「確か、二階堂様の側近になられた、名前は朝野様と言ったような気がします……」
麦ちゃんと立ち話をしていると、近くを通ったらしいお嬢様が、好奇心の眼差しを向けてきていた。
「一度、部屋に戻りましょうか」
「そうだね」
ここでは注目を集めてしまいそうなので、部屋に移動した。
部屋の中には、夕陽が差し込んでいた。
そんなに時間も経っていないし、この部屋には朝にちょっと居ただけなんだけど、なんだか静かな雰囲気と、他の誰もの視線もない自分たちだけの部屋ということに、すごく落ち着いた。
「ふー……疲れたぁ」
帰ってすぐに、うつ伏せに倒れこんだ。
「優凪ちゃん、先に着替えようね?」
「うん」
諭されるように麦ちゃんに言われて、少し気恥ずかしいけど、小さく頷いた。
メイド服からラフな格好に着替えると、いつもの生活に戻ったような気がしてホッとした。
私の、家から持ってきたジャージみたいな軽装とは違い、麦ちゃんはラフな格好なんだけど、家着っぽくない気品のある服を着ていた。多分、麦ちゃんの所作がそうだから、そう見えるだけだと思うけど……
麦ちゃんは立ち上がると、廊下にあるキッチンの方へと向かった。
「どうしたの?」
「優凪ちゃんって、紅茶は好き?」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ、甘い飲み物は好き?」
「好きだよ」
「わかった。ちょっと待っててね、今ミルクティーを淹れるから」
「あ、なら私も手伝うよ!」
「ありがとう。じゃあ紅茶は私が淹れておくから、私の方にある折りたたみ式のテーブルを、部屋の真ん中に開いて出して置いて」
「うん、わかった」
麦ちゃんのサイドの壁に、それらしい白いテーブルが綺麗に折りたたまれていた。それを取り出して開いて部屋の中央に置いた。
待っていてもやることがないのでキッチンに顔を出す。
麦ちゃんは、ティーカップに入った紅茶に足して、牛乳を注いでいる。
「何作ってるの?」
「ミルクティーだよ。ミルクティーは、紅茶に牛乳を注いで作れるの。もっと手間のかかる作り方とか、紅茶の葉によって色々変わってくるんだけどね……」
「へー……メイドさんっぽいね」
「メイドさんだからね?優凪ちゃんも淹れられるようにしよっか、教えるから」
ただでさえ疲れていて、覚えることも山のようにあったから、つい顔が引きつってしまうが……
「大丈夫、ゆっくり優凪ちゃんのペースで覚えていこう」
華のような笑顔と優しい言葉に、安心した。
テーブルにティーセットを乗せたお盆を置くと、麦ちゃんは「ちょっと待ってて」と言って、またキッチンの方に向かった。
そして冷蔵庫から何かを取り出すと、後ろ手に隠すようにして、私の隣に腰を下ろしリラックスするように足を崩した。
「何持ってるの……?」
「何だと思う?」
口許を綻ばして、楽しそうに言ってくる。
何を持ってきてくれたんだろうか?全く想像がつかない。冷蔵庫から取り出していたから、多分食べ物だとは思うんだけど。
「ギブアップ……」
降参と手を挙げた。
分からないけど、気になるな。
何だろう?
「正解は……ジャーン!」
「わ、これって……」
麦ちゃんが手の後ろから取り出して、テーブルの上に置いたもの。それは、可愛らしいちょこんとした取っ手がついた、四角い箱であった。
「うん、ケーキ。優凪ちゃんのために、お仕事の間の時間を使って買っておいたの」
「え!その、何でわざわざケーキを買ってくれたの!?私今日は誕生日でもないんだけど……いいのかな?」
「いいの、これはお祝いだから」
「お祝い?」
「そうだよ。今日は優凪ちゃんが、初めて私と出会って友達になってくれた日で。優凪ちゃんが、初めての私の同室の子になってくれた日で。そして、優凪ちゃんがこの学園に来てくれた記念日だから」
一言も恥ずかしい顔を見せないで、純粋な気持ち溢れる、天使のような笑顔を見せてくれた。
「それでケーキを買ってくれたんだ……」
「うん」
麦ちゃんの優しさが、気持ちが、身に染みていく。
私は本当に良い子と、私なんかじゃもったいないくらいに優しくて可愛い子と一緒になれたんだ。
「嬉しい、すごく嬉しいよ!ありがとう」
そう言って、私も笑いかけると、ニッコリと返してくれた。
「さあ、ミルクティーが冷めちゃうから、ケーキ食べよっか」
「そうだね」
ケーキの箱を開けてみる。中には、よだれが出てきそうくらいに、ベツ腹の食欲をそそってくる、ショートケーキとチョコレートケーキが入っていた。どちらも生地も苺も大きくて、凄くいいケーキだと一目で分かった。
ショートケーキとチョコレートケーキを、取ってきたお皿の上に乗せて、フォークと一緒に私の前に置いてくれた。
芳しい匂いがする。
「ホントにいいのかな?高そうだけど」
「気にしないで、記念日なんだから。それにね、今日は私にとっても記念日なんだ」
麦ちゃんは穏やかな薄いグリーン色の瞳で言った。
「え、どうして?」
「優凪ちゃんっていう友達が来てくれたことだよ。私にも同室の子はいたんだけど、途中でお仕事を辞めて居なくなっちゃったんだ……それからずっと一人だったから……だから、優凪ちゃんが来てくれたのが本当に嬉しくて、優凪ちゃんが来てくれたっていうだけで、私には特別な日なんだ」
そういえば今朝に似たようなことを言っていたっけ。私が来るまでは一人部屋だったから、崩した口調で、その日あったことを気軽に話せるような人がいなかったって。
「……じゃあ、二人の大事な記念日だね!」
「優凪ちゃん……」
麦ちゃんは、ちょっとだけ泣きそうな顔になったけど、嬉しそうに笑った。
「うん!」
それからは、夕食の時間まで二人でお茶会をしていた。
初めて飲んだ紅茶に牛乳を淹れたミルクティーは、ほんのり紅茶の味がして苦かったけど美味しかった。
一番美味しかったのが、麦ちゃんがわざわざ買ってきてくれたケーキで、口の中に広がっていく甘さと、舌の上を蕩けていくのですぐに平らげてしまった。でもその時食べたケーキは、大好きな友達と食べていたから、一人で普通に食べるより格別に美味しかったと思う。
「あ、やっちゃった……」
不意に麦ちゃんが、顔を強張らせて言う。
「え、何をやっちゃったの?」
「夕食の前にケーキ食べちゃった……」
気づいてからはもう遅い。
終わってしまったことは仕方ないと笑った。
読んでいただきありがとうございました。
今回は再投稿させていただきました、すみませんm(_ _)m
駄文ながら、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。