11 まずは、春音ちゃんを知りたい
「待って――春音ちゃん!」
あんなに小さくて可愛い子なのに、びっくりするくらい早い駆け足で逃げて行く。背中がどんどんと遠のいていく。
「……追ってこないでください! ……ごめんなさい。さっきのことは忘れてください! なかったことにしてください!」
そう言って、一段ギアを上げた春音ちゃんに、引き離されないとばかりに食らいついていく。
「できないよ! ……そんなこと。 ……聞いちゃったもん! ……正直びっくりしたし、今もドキドキしてるけど、このまま春音ちゃんを知らなかったことなんかできないから!」
もう膝は限界だし、ハアハアという息遣いも間に合ってないし、全身がクタクタだけど根性で距離を詰めていく。
「……やめてください! ……恥ずかしいです。来ないでください!」
「それでも私は……はあはあ……私を……好きって……言ってくれた子を……一人にはしないよ!」
私の言葉に想うところがあったのか、駆けていた春音ちゃんの足が遅くなったから一気に距離を詰める事ができた。
大振りに振られている、か細い少女の腕を掴んだ。
「……あ」
「掴まえた。これで、もう逃げられないね?」
諭すように、笑顔で春音ちゃんに言う。
しかし、元から体力が悲しいほどにないので、全身がクタクタで地面にしりもちをついてしまった。さらには、久しぶりに走ったせいで顔と全身から汗が流れていて気持ち悪い。
「優凪様……」
悪いことをしてしまったとばかりに、申し訳なさそうな顔をしながらも、手を伸ばしてくれる。私はその手を取ってゆっくりと立ちあがった。
「へへへ、全力で駆けっこしたのなんて中学生の時に、妹と大喧嘩した時以来だよ」
おかしいでしょ? ……と笑うと、「そうなんですね……妹さんがいらっしゃるんですね……」と、だけ言って。なんとも言えない顔で身を抱くようにした。見た感じ、私に告白してしまったことで迷惑をかけてしまっていて申し訳ない……という感じだ。
「春音ちゃん、話はお風呂でしよっか。私汗かいちゃったし……」
言いながら、ほらね? ……と、汗ばんでいる腕を見せる。
今からさっきのお風呂場に戻るのは、春音ちゃんには酷だと思ったけど、そうでもしないと、話ができそうにないから、ちょっとずるいやりかただけど、春音ちゃんを追っかけたせいでかいた汗を利用した。
「……分かりました」
私の申し出に、春音ちゃんは観念するように頷いた。勢いで告白してしまったせいで動揺しているだけで、根は真面目な子らしい。
お風呂場に戻ってくると、ある程度湯に浸かっていたらしい麦ちゃんは顔を赤くしていて、春音ちゃんを連れて戻ってきた私たちを交互に見てから、にっこりと笑顔になった。
「私は充分湯に浸かったから、上がって外で涼んでるね?」
この館は、街にある銭湯をそのまま持ってきたようなものなので、くつろげる、広い畳のあのスペースがあり、リクライニングチェアなどもある。おそらくそこで待っていると、言ってくれているのだろう。
今回は麦ちゃんに甘えさせてもらうとしよう。
「では」
麦ちゃんが春音ちゃんに一礼すると、春音ちゃんは九十度くらいの深いお辞儀をした。
「…………」
「…………」
残された私たちは何をしゃべったらいいか分からない。試しに春音ちゃんの方を見ると、凄い速さで目を逸らされてしまった。
そうだった。私はこの子に告白されたんだった……。
正直、私は外の世界でずっと暮らしてきて、つい最近ここに来たばかりなので、女の子が女の子を好きと言うことに、ついていけてなくて、実感も感じれていない。だけど、この子の気持ちは本物なら私はしっかりと向き合わなければいけない。
「とりあえず、あそこのお風呂に入ろっか……」
適当に視界に入った人の少ないお風呂を指さすと、春音ちゃんは小さく首を上下した。
肩を並べて湯に浸かる。
シャー、と絶え間なく排水口からでてくるお湯の音が心地よくて、疲れた体に染みて眠くなってくる。おまけに銭湯特有の、視界が真っ白な湯気で、暖かい空気なので、尚更睡魔が襲ってくる。
「……大丈夫ですか?」
こくりこくりとしていると、心配そうにした春音ちゃんのアイドルのような顔が覗き込んできた。
「うん、大丈夫だよ。ちょっとうとうとーってしちゃっただけだから」
全く私は、告白してくれた子の前で何をしているんだか……。
「眠いなら無理をなさらないでくださいね? ……お風呂で睡眠なさったら大変ですから」
心配してくれて、そう言ってくれる。
春音ちゃんは、普通の会話をしていると、普通に話してくれるようだ。告白されたらすぐに答えないといけないと思っていたけど、純粋なこの子の表情を見ていたら、そう急いで返事をする必要もないように思えた。
「告白のことだけど……」
「……は、はあい!」
私が突然そう切り出したので、春音ちゃんは逃げ出すように湯船から立ち上がる。
……なので、間髪入れずに逃がさないように腕を掴んだ。
「逃げないの」
「……はい」
逃げられないと分かったのか、湯に顔半分まで浸かり、ぶくぶくとお湯で泡を立てている。
「河童さんみたいだね」
「……ち、違います」
おかしそうに笑いながら言うと、ムッとした、それでも愛らしい顔で抗議してきた。
「そういう顔もできるんだね」
「ち、違います。 ……なんかその、すみません」
「ううん、別に謝る事じゃないよ」
さて、本題に移ろう。
「告白の話だけどね……」
「……っ!」
今度は逃げないで、けれど、春音ちゃんは張りつめたように息を止めた。
「私は、つい先日まで普通の暮らしをしていたんだ……」
「普通……ですか?」
全く予想外の話になったらしく、目を丸くして聞いてきた。
「そう。メイドさんとかお嬢様とか全然いない、この学園の外の世界で普通に十何年も暮らして来たんだ」
「そうだったんですね……」
興味深そうに聞いている。
なんとなくそう思っていたけど、春音ちゃんは私と麦ちゃんとは違って、はじめからそういう生活をしていた子のようだ。どうして、メイドをやっているかは分からないけど。
「だからね、この学園に来てから、はじめてのことだらけでびっくりして、その度に悩んだりして、空回りは……してるかのかな? ふふ。とにかく、今は目の前のことでいっぱいいっぱいなんだ……」
「……あ、なるほど」
私が何を言いたいのか悟ったのか、悲しそうに目を伏せた。
「だからね、もうちょっと待っててくれる? ……もっと色々落ち着いてから決断したいし、春音ちゃんがどういう子かを知りたいって気持ちもあるんだ」
私の正直な気持ちをはいた。
「…………ダメかな?」
「……ダメじゃないです。私ももっと優凪様のことを知りたいですし、私のことを知りたいって言って貰えて凄く嬉しいので……」
半分くらいまで顔が湯に浸かってしまったので、春音ちゃんの表情は、はっきり見えないけど、目の下を赤くしながら上目遣いでそう私に言ってくれた。
多分、人見知りで、臆病で、弱気な子だけど。とても優しくて、人想いで、可愛い子だということが……この数回の会話のやりとりで分かった。
「……では、優凪様……。まずは……お友達から……私の……お友達になってくれますか?」
おそるおそるという感じに、緊張した声音で言う春音ちゃんに、
「もちろん!」
と、満面の笑みで頷いた。
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