『空想とは夢に想いを馳せること』-ジャーナリング-
明けまして、おめでとうございます!!(激遅すまぬ...)
空想、空論。嫌われてるけれど、私は結構好きだったりする。それは、未来に希望を見いだすことだと思うし、なによりロマンのあることだから。現在、過去に焦点を当てると暗い気持ちになるのは、変えられないからだと思う。どうしようもなく理不尽で固定されているのが、過去。予測不可能な絶えず影響を受けて姿を変えていく現在。ジッと見ていたら鬱になりそうだ。人は未来を見るべきだと私は思う。現実逃避かもしれないけれど、どうか許して欲しい。未来は綺麗だ。過去は黒色かもしれない、現在は灰色かもしれない、未来は白色かもしれない。未来を見て人は手を繋ぐ。過去の恨みも、現在の戸惑いも、未来の期待が解消してくれると思う。人は未来を見るべきだ。未来はきっと優しい、いつか来る優しい世界を信じることができるとしたら。それは現在でもなければ、過去でもない。未来だ。きっと未来は温かくなる。そう信じたい。人は遙か昔から未来に想いを馳せてきた。こうなればいいな、ああなればいいな。平和な世の中になればいい、理不尽で死ぬことがないような世界を見たい。そうして今まできた。そしてこれからも、その想いはずっと未来に向けられて、繋がれていくだろう。過去は信じられない、現在はもっと信じられない。けど、未来は信じたいと思う。人の優しさはきっと未来を見た時にでてくるのかもしれない。といっても、懐疑的な人もいるだろう。それでも良い。これは、私の夢だ。未来は良くなる、と考えたい一人の人間の書いたものだ。間違っている、という意見も。同意の意見も。それは同じく未来へと引き継がれる。そうやって今まで来た。それは祝福であり、未来が変わらず続いていくことを約束してくれるものだ。未来というのは、空想なのだろうか。私は、空想でも空論でもどちらでもいい。人は前を向いて歩いていくということができる生き物だと私は信じているから。どうしようもない今をどうにかしたい、という向上心を持つ生き物だと私は想うから。そうやって今まで来た。未来は自由だ。未来は夢だ。未来は希望だ。未来は私にとって祝福に他ならない。馬鹿げていると思うだろうか、それはそれで結構。私も貴方も一人の人間なのだから、私は貴方の意見を尊重したいと思う。読んでくれて、ありがとう。
読んでくださってありがとうございました!ちょっと昨年末から感想返しが億劫になってしまい、感想返しが滞っておりまして本当に申し訳ないです。自分のことで恐縮なのですが、ちょっと感想返せるか解らない状況がこれからも続くと思います。なので感想を戴いた方々にはこの場を借りまして、感謝と謝罪を申し上げます。本当にいつもありがとね。感謝してます。
今年が皆様にとっても良き一年のとなることを祈っております!