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五針目


 「へぇーマグくんがねぇ」

 お姉さんがルイボスティーをストローでかき混ぜながら話を聞いてくれている。カラカラとなる氷の音が夏を連想させる。僕は今日までのマグの変化と午前中の遠征について話し終えたところだった。

「とりあえず、学校の裏山まで連れて行ったんですけど野原に放してもクンクンしてるだけで意外と動かなくて」

 「広すぎてびっくりしちゃったのかしらね。それにしても、毎日観察日記をつけてるなんて里志君らしい」

「あ、ありがとうございます(お姉さんに褒められた!!)」

心の声がばれてしまわないようにお姉さんに注文してもらったカフェオレのグラスから僕は顔が上げられない。

「マグくんは何かを伝えたいのかしらね」

お姉さんがちょっと遠くを見ながらひとりごとのように言う。

「え、どういうことですか?」

「分からないけど、里志君に何か伝えたいんじゃないかなぁっていう私の妄想よ」

 そう言ってふふふ、と笑う。

 「マグが僕に伝えたい事って何だろう……」

「うーん、ご飯がもっとほしいとか、散歩に連れて行ってほしいとか、なんだろね。でも、マグくんの思いを里志君なら聞いてあげられる気がするわ」

 お姉さんはどこか楽しそうだった。

「とにかく調査を続けます」

「おー、その意気だ少年!応援してるわ」そう言ってお姉さんは僕の背中をぼんと叩く。そして、そのまま僕の耳の所まで顔を寄せて「何かあったらいつでも相談してね」と囁いた。お姉さんの甘い匂いがした。ずるい。これは非常にずるい。僕の顔はきっと真っ赤だ。

「はい」と消え入るような声で返事をして僕はカフェオレを一気に吸い上げた。

お姉さんはそのまま「ちょっとお手洗い」と言って席を立った。残された僕はお姉さんの言葉を反芻していた。マグの気持ち、か。時々、人間のような表情を見せるようなマグはいったい何を考えているのだろう。僕はマグが満足する飼い主でいられているんだろうか。ペットではない、僕からしたらマグは家族なんだ。お母さんに許されることならご飯もお風呂も一緒がいいし、僕の寝相がとんでもなく改善するのであれば一緒に寝たいぐらい。そんなマグの気持ちを僕はどこまでわかってあげられているのかと聞かれたらすごく不安になる。

 帰ったらマグに直接聞いてみよう。しゃべれない彼は何か僕にサインをくれるかもしれない。

「たーだいま」

気が付くとお姉さんが何かを抱えて戻ってきた。「またマスターに借りてきちゃった」とオセロをテーブルにおく。ここのカフェではマスターが趣味で集めたボードゲームを貸してくれるんだ。ここに来るまで僕は、ボードゲームはスマホのアプリでしかやったことがなかったらすごく新鮮だったのを覚えている。

「それじゃあ、いざ尋常に」真剣な表情でお姉さんが最初の一手を置く。

今までのところ26戦24勝で僕が勝ち越している。お姉さんは極端にオセロが弱い。

 「里志君は大人になったら何になりたいの?」

「獣医か科学者か、プログラマーです」僕はお姉さんの白をひっくり返す。

「夢がいっぱいあっていいね。私は小学校の時なんかお嫁さんになりたいしか言ってなかったよ。大好きな子がいてね」お姉さんの一手で今度は黒が白になる。

「なれそうなんですか」「どう思う?」「ノーコメントで」

微妙な質問と返答の応酬のなか、お姉さんの悪戯っぽい表情に惑わされることなく僕は着実に黒を広げていく。すでにお姉さん陣営は壊滅の危機だ。

「相変わらず遠慮がない少年ね…」

「勝負は本気でやります。手を抜いたら失礼なので」

「花を持たせるっていう言葉もあるのよ」

「お姉さんがすでに花だから大丈夫です」

「やるわね、男子小学生。きっといい大人になるわ」

パチパチと白黒がひっくり返っていく。そして、盤上は着々と黒色に染まっていく。

「だめだ!また私の負け!なんでこんなに弱いのかしら」

 「お姉さんは僕が置かれたらいやだなぁっていうところに絶対置かない特徴があります」

「なにそれ、初耳よ。私はここが一番と思ったところに置いてるのに」

「じゃあ一番置きたくないなぁって思ったところに置いてみたらどうですか?」

お姉さんは「なるほど!」とポンと手を打つ。そして、直後に「なんでやねん」と突っ込む。

「もう私は私の意志では勝つことができないのかぁ」

わざとらしく肩を落としたお姉さんは、それほど悔しそうではない。

「あら、もうこんな時間。晩御飯になっちゃうから、里志君、今日はここまでだ!」

「はい。カフェオレごちそうさまでした」

席から立って僕はお姉さんに深々と頭を下げる。

「え、わたしごちそうするって言ったっけ?」

「あれ」沈黙。直後に噴き出すお姉さん。

「つけとくわね。大きくなったら倍返しよ」

ニヒヒと効果音が聞こえそうな笑顔で笑ったお姉さんと別れると僕は、全力ダッシュで帰宅した。お父さんにもお母さんにも怪しまれることなく晩御飯に合流して今日も一日が終わっていく。

春休みもあっという間に折り返しが近い。この間にマグの謎の変化は落ち着くのだろうか。心配だけど観察を続けるしかない。何かあったらお姉さんに相談も忘れないようにしないと。



 飲み水を求めて食堂に入った瞬間にぎょっとしてしまった。ヴィレッジが食堂に一人、遅れた昼食を採っていた。蛍光灯に照らされた彼の背中は非常に疲れていた。ほとんど寝ていないように思える。

「お疲れさま」

私が声をかけるとヴィレッジはゆっくりと顔を上げてスプーンを持ったままの片手を上げた。

「やぁ、おつかれ、ジェイド」

やっぱりヴィレッジの声は疲れていた。「日本人は本当に働き者なのね。あなた、全然休んでいないようだけど大丈夫なの」思わずそんなことは本人が一番分かっているはずなのに言ってしまう。

「いま、休んでいるところだよ」そう言ってヴィレッジは肩をすくめてジャガイモのポタージュを一口すすった。そして、「日本人でもサボるやつはサボるよ」と付け加える。

「そんな日本人もいるのね」

「とはいえ、ウイングが頑張っている中、自分だけ楽できないんだ。俺たちには責任がある、そうだろ?」

私たちが何度も確認してきたことだった。私たちは使命がある。あんな事件は起こしてはいけない。たった一つのきっかけで世界が破滅という結果を招いたあんなことは。

「そうね。でも、あなたがここで倒れてしまったらそれこそ、私たちが失敗してしまうわ」

「気持ちはうれしいんだ、ジェイド。本当に感謝してる。でも、僕は倒れないし、まだやらないといけないことが山のようにあるんだ。すべては、絶対うまくいく。僕は確信してるんだ」

「ええ、もちろんね。ごめんなさい。そう言えば、さっきウイングから臨時で通信が入ったの」

「問題発生か?」ヴィレッジが急に身を乗り出す。

「いいえ、上方修正の報告よ。予定の修正が思ったよりコントロールできているみたい。予定通りの介入を行っている過程でドッペルの反応が思った以上に良いみたい。さすがね」

「そうか、ならよかった。まぁ、誰だと思っているんだよ」

この疲れた顔で笑う背の低い日本人の両肩に世界の運命が懸かっているなんてとんでもない話だ。私だったらとっくに潰れてしまっている。

「じゃあ、せめて今だけでもゆっくり休んで」

「あぁ、ありがとう」

私はミネラルウオーターのボトルを一本手に取ると食堂を後にした。モニタールームに続く長い廊下を一人で歩きながら離れ離れで互いの任務を遂行する二人の気持ちを推し量った。とんでもない恐怖だ。なにせ、戻ってこられるかだって不確かな中だ。日本とはお隣さんなんて呼ばれた私の母国では金以上に重宝されたというジェイド(翡翠)の名をもらってから人生をこの仕事に捧げることを誓ったわけだが、やっぱりそこまでの覚悟があるかと言われると分からない。先の大戦に伴う暴動で失った旦那と3歳になったばかりの息子。私は彼らに顔向けできるような生き方をしてるのだろうか。分からない。だから、確かめる。冷たい水を胃に一気に流し込んで気持ちを奮い立たせて、私はモニタールームのキーパットに暗証番号を入力した。

 音もなく開いた扉の向こうで私は未来を創る。



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