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三針目


真っ青な空のもと芝生の匂いを一杯に吸い込んで、遠くでサッカーボールを蹴る守を呼ぶ。僕らはいつもの裏山に来ていた。山のてっぺんに一本だけある桜の木が満開で、お花見がてら守を誘い出した。でも、僕の本当の目的はそこではなくマグの相談だった。

「なーに?」

サッカーボールを抱えながら戻ってきた守に麦茶を水筒のコップで差し出すと、「さんきゅ」と言って一気に飲み干す。そうして、改めて僕らは並んで芝の上に座る。心地よい風が吹く春の日だ。空が遠い。

「マグのことなんだけど」

「なんだ、まだ変なの?」

「うん、やっぱり夜中すごく暴れるんだよね」

そうして僕は昨晩、夜中にマグを連れ出した話をした。

「補導されなくてよかったな」

「いや、そこじゃなくて」

「でも、最近、不審者が出るからって警察が夜もパトロールしてるみたいだから気を付けた方がいいぞ。ほら、あの餌やりおじさん」

守の真剣な表情に気圧されて、「餌やりおじさん」の記憶を掘り起こす。その話題は、ここ一か月くらいの話でどこの誰だかも誰も知らない。でも、突如として現れたそのおじさんは無差別に飼い犬や野良猫などに餌を与える。そして、その餌を食べた動物はかなりの確率で死んでしまうそうだ。

「でも、餌やりおじさんは夜は出ないんじゃないの?」

「頭おかしい奴はわかんないよ。いきなり出てくるかもしれないじゃん。マグのことちゃんと見ておかないとやられちゃうかもしれないから気を付けた方がいいって、マジで」

心配自体はありがたいけど、守の心配は完全に今のマグの異変ではなくて「餌やりおじさん」の存在だった。

 守の顔から視線を外してずっと向こう、相原ニュータウンの方向を見る。桜が満開の川の土手が見えて、その先に豆粒ぐらいの大きさで僕の家らしきものが見えた。

その時、春の強い風がびゅうっと吹いて思わず目を閉じた。瞬間的に目を開けるとそこにはピンク色の桜の木が大きく揺れていていつもよりも大きく見えた。タンポポたちもその大きな頭をぶんぶんと揺らしていた。この調子で風が吹いていったら春休みが終わるころには桜が散ってしまうかもしれない。毎年のことだが咲くまでを待っているのは長いけど、いざ咲いてしまうとあっという間に散ってしまう。なんだか寂しい。年中桜が咲いていられるようになったらうんときれいなはずだ。真っ白な雪の中にピンク色の花を咲かせた大きな桜の木を頭の中にイメージした。そんな研究をする仕事に就くのも楽しそうだ。

「さぁとぉしぃ」

「ん」

「今どっか行ってたでしょ?」

「あ、ごめん」

 少しむっとした表情の守の顔を見て僕は目を覚ます。考え事をするとついつい周りが見えなくなっちゃう。僕の悪い癖だ。

 「里志が花見行こうっていうから出てきたってのに、一人でボーっとしてんなよなぁ。ねぇ、サッカー付き合ってよ」

 そう言って守は前髪をねじる。今日は6回目のはずだ。丘の上というサッカー場にするにはあまりにも傾斜がありすぎるそこで僕らは1対1のボール取りを始める。重力に逆らうことなく斜面を転げるボールを僕らは必死に追いかけ合う。

 桜の木に先駆けて新緑を手に入れた柔らかい芝の上を桜の花びらがふわふわ舞った。僕らのまだ高い声が大きな青空に吸い込まれて、長閑で穏やかな春の午後がゆったりと過ぎていく。結局マグの相談はほとんどできなかった。



ウイングがランディングしてからこちらの時間で既に5か月が経過した。特に大きな影響もなく修正は進んでいる。彼らはポータルと呼ばれるスマートフォンのように小型の機械でワームホールを生成し「飛ぶ」。まだ一つのポータルにつき、一名の移動が限界だが、理論上は大勢を移動させることも可能なんだとか。俺はそこに関する技術者ではないから詳しいことはわかないが、どうやら磁力を利用しているらしい。また、「飛ぶ」ためには日本国の政府の承認が必要であり、それが唯一もらえている機関こそ、我々が所属するこの組織なのだ。ヴィレッジは自身もウイングと共に一度ランディングしたものの、要件を済ませると早々に戻ってきた。それ故に、残してきたウイングが心配でたまらないのだろう。周囲のメンバーもその心配を重々察しているが、ウイングが副センター長という立場であり、かつヴィレッジの婚約者という立場であった。とはいえ、何せ彼らの一番のミッションは計画を滞りなく遂行すること。当然、私情を表立って持ち込むことはご法度である。

 モニターの右上に取り付けられている赤色のランプが点滅する。定刻通り通信の合図だ。俺はヘッドセットを装着する。

「こちら、オーキッド。通信を確認した」

「こちらウイング。こちらも通信を確認したわ。定時報告をさせてちょうだい」

薄暗いモニターの向こうには女性と思しき影が動いている。現代の技術ではこの程度の映像通信がまだ限界なのである。なにせ越えるるべきものが多すぎるのだ。

「OK 早速報告をお願いします。録音も回してます」

「157日目。こちらは計画通り進行しているわ。被検体は順調に成長していて、誤差はこちらの予測の範疇ね。ドッペルに関してもまだ目立った逸脱行為は見られないわ。恐らく、レールに乗れてるはず。そちらの数値では誤差は確認できてるの?」

オーキッドは手元のタブレットを操作しながら、ウイングが列挙していくことに関する数値を読み上げていく。

「ふぅ、大丈夫そうね。ありがとう、あなたの通信が一番端的で助かるわ。ヴィレッジは余計な質問が多くて困っちゃう」

「それもあなたのことを思ってじゃないですか」と言いかけたが、オーキッドはそれを飲み込み、「ありがとうございます」とだけ答える。危なかった。

「それじゃ、定時報告は以上で。ウイング、アウト」

ウイングのその言葉を最後にモニターが真っ暗になる。そこに映ったのはやせて不健康そうな白人の男だった。

ふぅーっと長めに息を吐いてオーキッドは自身の座っているイスに深くもたれ掛かる。

毎日のようにこうやって通信をして、報告を受けて、記録を取って。時々自分が何に関わっているのかを忘れそうになる。しかし、あの忌々しい「事件」を思い出し、そして自分が浮きあっているモノを再確認する。

幼いころから耳にタコができるほど聞かされた「人は皆、何かの使命を帯びて生まれてくる」という教えが、この40を迎える歳になって間違いがなかったと思うようになっていた。今は自分が何者で、何をすべきかよく分かる。これが世界のためだった。

「オーキッド、アウト」

ゆったりとした動きでヘッドセットを外すと、たった一人のモニタールームに沈黙の帳が下りた。

俺は、ここで未来を創る。



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