プロローグⅠ
「このシェルターエリアは最も象徴的で中心的な場所であり耐熱性と通気性を併せ持ち――――」
白い口ひげを生やした白衣姿の壮年の男性が、彼ら東都理科大学物理学部の学生たちにその蜂の巣を模した八角形構造を細かく解説していく。学生たちはその一言一句を聞き逃すまいと手元のタブレットのマイク部分を男性の方へと傾け自動音声文字起こし機能で記録を取っている。
ここ蜂の巣シェルターは世界に先駆けて日本の開発チームが完成させた核シェルターである。東京都の地下深く地下鉄を避けるようにち密に設計されたこの巨大シェルターは都民のおおよそ三割である200万人を収容することが可能なとてつもない規模で設計された。その一部にはもともと都民向けの地下備蓄倉庫なども含まれている。そのため、面積だけで言っても世界一であることは間違いない。しかし、世界一なのは面積だけにとどまらず使用されている技術の数々も日本が世界で初めて実現をしたようなものが数多く使用されている。
例えば、今まさに解説役の男性が指し示した今はただ真っ白なだけの天井。無機質な天井にも見えるそれには、精巧なプロジェクターによる空の映像を映し出すためのスクリーンである。突如として美しい青空が映し出され学生たちから歓喜の声が上がる。しかもそれは創作物ではなく世界中に置かれた観測カメラをもとに映し出されるライブ映像だ。ただし、それだけであれば何も物珍しい技術ではない。問題はそれを管理するAI、つまり人工知能の方である。彼または彼女が映し出す空の映像はその空間にいる人間たちの状態をスキャンしたうえで、今最も求められている天候を映し出すようにされている。掻い摘んで説明すれば、人工知能がその場にいる人間の体温、心拍数そのほか身体的な所見をもとに人間の心理状態を判断して最適な環境づくりをするということである。しかも、自発的に。開発者はかの人工知能に「アトモス(空気)」と名を与えた。アトモスは疑似的な天候管理の他、空調管理、室内栽培植物の管理、備蓄の在庫管理などこのシェルターを維持するための一切を取り仕切っている。つまり、人がいなくてもアトモスはシェルターを己の力のみで維持することが可能となった。
世界唯一の被爆国の意地か、はたまた技術大国としてのプライドか。アトモスこそ、あの大戦からと止まることなく日本が進み続けた集大成ともいえる存在である。新年度を迎える来月4月の初日に完成を迎えるわけだが、そこに先駆けてこの一大プロジェクトに関わっている教授を有する大学の学生を招いて先行公開をしているわけだ。
「日本も核の傘の中にいつまでいられるか分からないもんね」
「あぁ、最近の情勢を考えるといつ何があってもおかしくなさそうだよな」
男性の説明をよそに学生たちも思い思いの感想を口にしている。
10年前に埼玉県で発生したビル倒壊事故で偶然、視察で来日していた米国の通商関係の要人が巻き込まれて亡くなったことに端を発し、今や世界中が緊張している。タイミングとしても日本と米国の貿易摩擦問題が大きくなり、米国が規制を強めていたのに時を同じくしたこともさらに事態の深刻化を招いた。
今や、日米に限らずそこに関わり連なる数多くの国々の間で小競り合いや牽制のし合いが発生している。
全ては些細なことから。このドミノがどこへ倒れていくかは誰も知らない。そう、人間は未来を見通す力は持っていない。人間は。
学生たちは白衣の男性に連れられてさらにシェルターの奥へと進んでいく。
アトモスの奥へと。