ゆめのくに
気が付けば真唯と共に見たこともない道を歩いていた。小奇麗な住宅街の中の広い道路には、真っ昼間の割に人通りが多く、その代わり車はほとんど通らない。閑静な住宅街を、真唯と二人しばらく無言で歩いた。真唯と会うのは中学の卒業式ぶりだった。しかし少しも懐旧の情にかられることはなかった。
しばらく歩くと左手に大きなマンションのような建物が現れた。入り口がガラス張りのそこから、強めのパーマで髪が茶色く傷んだおばさんが出てくるのが見える。おばさんはガラス扉の内側についている鍵を開けて出てくると、しっかりとまた鍵を閉めた。
マンションなのに、エントランスを出るときにも鍵がいるのかと不思議に思い見ていると、ふいに思い出した。そういえば、ここは前にも通った。その時もまたこの光景を不思議に思ったのだった、とその時になってやっと思い出したのだった。
どうやら真唯も思い出したらしい。じっとマンションを見つめている。中からもう一人おばさんが出てくる。買い物袋のような大きなカバンをさげているから、スーパーにでも行くのだろうか。
ふいに後ろに人の気配がして、振り返ると小学校の頃の友達の尚美がさっと通り過ぎて、おばさんが開けたガラス扉が閉まる前に手で押えた。
「入ります」
「はい、どうぞ」
尚美がそういうと、おばさんは少しも不審がらずにドアを閉めずに出て行った。
「うまいね」
真唯が笑って、尚美が開けているドアからさっと中に入った。
「早く入ろう」
躊躇したが、尚美に促され後に続いた。
中はひんやりと冷えて、外の明るさに慣れていた目には薄暗く見えた。外にいた時には気付かなかったけれど意外と人の声がそこかしこからしていて、通路中に反響しているようだった。壁や床が石でできているからだろうか。
不法侵入だと言うのに、真唯は少しも臆せず進んでいく。昔から大胆な子だった。入り口から奥へと向かう道と右へ向かう道があり、真唯はキョロキョロと確かめてから何の理由もなく右を選んだ。
「ねぇ、大丈夫かな。見つかるよ」
「大丈夫だよ」
真唯は振り返りもせずにそう言った。仕方ないのでついていくと、左手にいくつかドアが出てきた。ドアには小さな丸い窓が付いていて、大学の教室のようだった。中をのぞくと、ワンピース型の制服を着た少女が一人並べられた机の真ん中に座っている。真唯がそおっとドアを開けて、机より低く屈んで中に入っていく。二人して真唯に続く。入ってから、教壇に教師らしき女性がいることに気付いた。こちらの姿は絶対に見えているはずだが、そんなことは気にせずにワンピースの少女に近づく。真唯は彼女の隣まで来ると、しゃがんだまま話しかけた。
「なにしてるの?」
「勉強。終わるまで出られないの。もう三日もここに閉じ込められてる」
「ひどい!」
人権侵害だ、と思わず声が出た。ワンピースの少女はこちらを順番に見回して、悲しそうに眉を下げた。
「でも、ここでは大人の言うことは絶対なの。絶対に、絶対なの」
「出してあげるよ」
思わず口をついてそんな言葉が出た。だってこんなこと、許されるわけがない。二十一世紀にもなって、こんな風に軟禁して勉強させる学校や塾があっていいはずがない。
「どうやって?」
「立ってこの部屋を出るんだよ」
尚美が事もなげに言った。確かにそうだ。こちらが手出しする必要もなく、それだけでここを出られる。
「ほら、あの先生だって少しも私たちに気付いてないよ」
尚美が教卓に肘をついてこちらを見ている教師を指さした。教師はこちらを見ているけれど、見ていなかった。
「できないよ。無理だもん。ごめんね」
ワンピースの少女はまた悲しそうに目を伏せた。三人はその部屋を後にした。
来た道を戻って入り口まで来ると、先ほど行かなかった奥へと向かう道を歩き出す。真唯は二人に相談することも、承諾を得ることもせず堂々と先頭を歩く。
道をまっすぐ進むと、唐突に太陽の明かりが差し込んでくる。中庭だった。広い校庭のようなそこで、小学生から高校生くらいまでの子供たちが一緒くたになって遊んでいた。
真唯はすぐそばで大縄跳びをしていた高校生くらいの集団に近づいて、タイミングを見計らってさっと縄に飛び込んだ。真唯は中学の頃ハンドボール部だったので、ジャンプは得意なのかもしれない。
遊んでいた子たちが振り返って、期待した目でこちらを見るので続いて二人も飛び込んだ。一回飛んで、すぐに抜ける。三人は大縄跳びの列に加わると、前後にいる子たちと話し始めた。
「ねえ、あなたたちもしかして外から来た?」
後ろにいた少女が声をかけてきた。人懐っこい笑みを浮かべた、元気でかわいらしい子だった。
「そうだよ」
「いいなぁ、外のこと教えてよ」
「外から来た人、初めて見る!」
「外ってどんな感じ?」
「どうやって入って来たの?」
三人が外から来たと知ると、大縄跳びは即中止になって、皆が集まって質問攻めが始まった。
「ていうか、なんで外を知らないの?」
真唯が尋ねる。その通りだ。外が外がって、一つの建物から出たことない人間なんているはずがない。
「みんなここから出たことないもの」
「どうして?」
「どうしてって、出られないから」
「なんで?」
「出ちゃだめなの」
「だからなんでさ」
「出ちゃだめだからだよ。そんなことより、外のこと教えてよ」
「外って、別に普通だよ」
教えてと言われても、同じ日本で暮らしていて何が違うと言うのだ。大縄跳びだって外でも中でもしている。
「それより、この施設の中、案内してよ」
真唯が言うと、大縄跳びをしていた少女たちは嬉しそうに「いいよ!」と口々に答えた。
ふと校庭を見回す。そういえば、ここには女しかいない。
校庭を建物沿いに進む。どうやらここはさっき通った時に見た教室のすぐ反対側なのだろう。そのまま進むともう一度建物の中に入ることができた。さっき出てきたところのちょうど反対側だろうか。エントランスからあのまま右に廊下を進んでいても校庭に出られたのだな、と思う。
道案内をしてくれる少女たちはきゃあきゃあと騒がしい。外からの来訪者が嬉しいようだ。
「お姉さんたち、どうしてここに来てくれたの?」
「ちょうどここの前を通ったからだよ」
その時、真唯が一つのドアの前で立ち止まった。小窓から中を覗いて、そおっとドアを開けるとまた低くしゃがみこんで中に入っていく。みんなしてそれに続く。
中にはスーツを着た恰幅のいいおじさんがいた。高級そうなシックなソファが二つ向かい合わせに置かれており、部屋の奥には豪華な机が一つ。それに向かっておじさんは座っていた。壁際には透明のトロフィーケースがあり、いくものトロフィーが飾られ、反対側の壁には名もない画家のなんとも言えない絵が飾ってあった。まるで校長室のようだったと今にして思う。
おじさんはぞろぞろと入って来た集団に少しも気付いていなかった。しゃがんだところで隠れているわけでもないのに。皆で部屋を一周してまた廊下に出た。おじさんは終ぞ反応しなかった。まるで見えていないかのようだった。
「さっきの部屋に行こう」
真唯に連れられてワンピースの少女がいた部屋の前に来る。小窓から中を覗くと、やはり先程と少しも変わらず彼女が机に向かっていた。
「もう行った方がいいよ」
「うん、ヤバいよ。出たほうがいい」
「早く、逃げて」
突然、少女たちが先程の校長室のような部屋を振り返って口々に言い始めた。やはりあの部屋がまずかったのだろうか。ここに入って見た男はあのおじさん一人だけだった。
「でも」
ワンピースの少女が軟禁されている部屋を振り返る。
「ううん、だめ。すぐに逃げて」
半ば強引に押されるようにして三人は外に続くガラス扉の前に戻って来た。
「ねぇ、何かあげるよ」
この子たちが可哀想に思えて、どうしようもなくそう言った。自分が何を持っているのかわからなかったが、何かしてあげたかった。
「ほんとに!?」
「うれしい! 何をくれるの?」
肩掛けのカバンを開けて中を見ている間に、少女たちのほうも各々のポケットを探る。
「じゃあ私はこれあげる」
「これも持って行って」
彼女たちは駄菓子屋で売っているようなちんけな棒状のスナック菓子や固まったゼリーのようなおやつをくれた。
「お菓子は持ってるんだね」
そう言って、自分のカバンの中にあったコンビニの大きな鶏ささみを渡す。
「わぁすごい!」
「これって外の食べ物!?」
「初めて見た! おいしそう!」
それからもう一つ、カバンの中のペンケースを中身ごと渡した。
「ありがとう!」
少女たちは口々にお礼を言って、心底嬉しそうにはしゃいでいたが、すぐに三人をガラス扉の外へと押し出した。
「また来てくれる?」
「また来るよ!」
去り際に三人はそう答えた。ガラス扉越しに少女たちに手を振る。次に来る時は、彼女たちをここから出してあげたい。
そうして気が付くといつもの自分の部屋のベッドの上だった。




