脱走
「172、173……」
俺がスクワットにいそしんでいると、柵の外にうごめく影を見つけた。
「お、おい! お前」
「あ、見つかっちった」
そこにはチンパンジーのトニーがいた。
「お前、どうやって檻の外に出たんだよ!?」
「……簡単さ。 鍵を持ってるんだ」
チャリン、と宙に投げてキャッチする。
「昔飼育員が鍵を無くしたことがあったんだけど、実は僕がくすねて隠しておいたのさ。 頭いいだろ? 君はジャンプで柵を越えるつもり?」
「……悪いか」
「ぷっ。 マジ? 2メーターはあるし、ジャンプで越えたところでどうやってこの園内から脱走するの?」
「昼間に脱走すりゃゲートを抜けられるだろ」
……しかし、昼間に園内に出れば騒ぎになる。
そうすれば飼育員が麻酔銃を持ち出すだろう。
勝ち目は薄い。
「やめときなよ。 今はね」
「今は?」
「まあ、その内分かるからさ。 そしたら君もそれに乗じて逃げたらいいよ」
意味深なことを言ってトニーはどこかに向かっていった。
どういうことだ?
「くうっ!」
俺の全力のジャンプでも、2メーターの柵越えは難しかった。
あと15センチの壁が越えられない。
そもそも野生から連れてこられて間もない最高のコンディションでそれだったし、限界があった。
「くそ、ロジャーさんみたいにはいかねえか」
ロジャーさんとは、世界的に有名なマッスルカンガルーのことである。
垂直飛び2.2メーターという記録保持者だ。
仕方なく、その日は諦めて寝た。
翌日、眠気眼で外を見ると、子供がはしゃいでいるのが目に付いた。
「とうっ、2段ジャンプ!」
ベンチを踏み台にして遊んでいた。
「そんなの1段ジャンプ×2じゃんか~」
俺は思わず子供の方に近寄り、柵をわしずかみにしてギシギシやっていた。
「うわっ、こわっ!」
子供が思わず逃げていく。
「2段ジャンプだと!? それだっ!」
夜中、トシローを起こした。
「んだよ」
「ちょっと付き合ってくれ、いいだろ?」
そういってトシローを連れ出して説明を始めた。
「いいか? まず、お前が柵の際でジャンプする。 そしたら俺がそれに合わせてジャンプして、お前を踏み台にする」
「お前、脱走でもするつもりか?」
「……そ、そんなわけねーだろ! ほら、あれだ! 飼育員の組体操の話聞いてたらちょっと面白そうだなって思ったんだよ」
「そんな話するか?」
「いいからやれって!」
トシローを無理やり説得して柵の際に立たせる。
そして、俺が駆け出すのと同じくらいのタイミングでとトシローがジャンプした。
くっ、若干早いか!?
俺がジャンプしたころにはトシローはジャンプを終えて着地したところだった。
ドゴッ……
トシローを踏みつけて俺は柵に衝突した。
ガッシャアアアアアン……
2匹は悶絶して柵の前でうずくまった。
「ジョー、てめ……」
「トシロ…… 早ぇんだよ……」
付き合ってられっか、そう言ってトシローは寝床に戻って行った。
くそ…… いいアイデアだと思ったのに。
そうやって悶々とした日々を過ごしていたある日、事件が起こった。
「ライオンが脱走したぞおおおおっ!」
飼育員が慌てて走っている。
「客を全員外に出すんだ! まずいぞ!」
おいおいマジかよ……
寄りにもよって、肉食で凶暴なライオンが檻を抜け出したのか?
「って、まさか!」
俺は思い出した。
少し前にチンパンジーのトニーが言っていた言葉。
「それに乗じて逃げなよ」
あの意味深な言葉はこのことだったのか?
確かに飼育員の意識がライオンに向かっていれば脱走のチャンスは増える。
だが、こいつは客を危険にさらす。
「あのバカ猿……」
その時だった。
「ウエエエエエエエエン、ママ~」
なんと幼い女の子が親とはぐれて泣き出していたのだ。
しかも、その鳴き声に反応して、外を徘徊するライオンが近づいていた。
「おいおいおいおい! やべえぞ!」
俺は逃げろ! とカンガル―語で叫んだが、当然通じない。
「トシローッ! 女の子を助けるぞっ!」
「わ、分かった!」
トシローはすぐさま踏み台になった。
今回は一時の猶予もない。
ぶっつけ本番だが、しくじれない。
「うおおおおおおおっ」
俺が助走をはじめ、トシローが構えた。
2匹は同時に身をかがめ、俺が一瞬早くジャンプ!
続けざまにトシローがジャンプした。
俺が空中で静止した時、トシローの体が足に触れた。
タイミングは見事に一致し、トシローを踏みつけて柵を越えることに成功した。
「ウエエエエエン……」
泣いている女の子の前に躍り出て、ライオンと対峙する。
「グルルルルルルル……」
「かかって、こいや!」