3‐1
昼時の春の柔らかい日差しに包まれて、冬樹はうっすらと目を細めた。
そよそよとゆるやかな風が髪を撫でてゆく。
(いい天気だな…。お腹も一杯だし、こんな暖かいと授業サボって昼寝でもしたくなるな…)
思わず出そうになる欠伸をかみ殺して、冬樹はそんなことを考えていた。でも実際は、そんな呑気なことを思ってる場合ではないのだけれど…。
左右からガッチリと両腕を掴まれて連れてこられたのは、ある意味定番…と言ってもいい人気の少ない体育館裏だった。体育館への渡り廊下から少し外れて、コンクリート敷きの上を歩いて来たので、皆上履きのままである。
ある程度校舎からの死角に入ると、三人は示し合わせたように足を止めた。
「まさかお前がこの学校の新入生だったとはな。奇遇だなぁオイ」
ゴツイ男が嬉しそうに、いやらしい笑顔を向けて覗き込んでくる。
「………」
両脇を固めていた男二人は、やっと冬樹の腕から手を離すと、そのまま逃げられないように冬樹を取り囲み、退路を断った。
「こないだは邪魔が入ったけど、今日は逃げられないぜ?どうするよ?おチビちゃん」
「助けなんか呼んでも来ねェぞ?ここは滅多に人なんか来ねェからな」
「覚悟するんだな」
そう口々に、三人は笑いながら言った。
ニヤニヤと人の顔を覗き込んでくる目の前の男の襟元に付けられている校章の色は、二年生のものだった。
(年上だとは思ってたけど…まさか、この学校の上級生だったなんてね。…でも…何ていうか、ホントに制服似合わないな…)
無表情でそんなことを考えている冬樹だった。だが、無言で大人しくしている冬樹を『ビビッている』と勘違いした男達は、余裕の笑みで言葉を続けた。
「でも、まぁ…泣いて謝るってんなら許してやらないこともないぜ?勿論、条件はあるがな」
そう言って不意に手を伸ばしてきたので、冬樹は反射的に一歩後ろへ下がろうとした。…が、二人の男が後ろに詰めていて下がることは叶わない。
「……っ」
その隙に、ゴツイ男の無骨な手が冬樹の顎を掴んで上向きにさせる。
「俺達に従えよ」
「…せ…」
小さな冬樹の呟きに。
「…あ?」
ゴツイ男が聞き返したその瞬間。
「離せって言ったんだっ!」
そう言って、顎に掛けた男の手を素早く裏拳で払った。
「っ!!」
「っな!!」
「ッ!このガキッ!!」
咄嗟に後ろの二人が掴み掛ってくるのを、瞬時に一人には肘打ちを食らわし、一人には足払いを掛けて回避する。
それはまるで舞うように軽やかで、無駄のない動きだった。
再び、ゴツイ男と直立で対峙している状態に戻った時には、後方の二人は痛みに呻き、地に膝と尻餅を付いた状態だった。
「へっ…やってくれるじゃねぇか…」
ゴツイ男が払われた右手をさすりながら笑う。
「生意気だけど気に入ったぜ。お前、俺らの仲間になんねぇか?」
「…断る」
「そうしたら、お前を―…」
「断るって言ってるだろ?オレは、群れにならないと何も出来ない奴らとか大っ嫌いなんだ。寄ってたかって弱い者イジメとか、カツアゲやって悪ぶってるとか…最低な人間のやることだ」
「…何ィ?言わせておけば…っ」
その時。
キーンコーンカーンコーン…
昼休みの終了5分前を知らせる予鈴が鳴り響いた。
(そろそろ戻らないとまずいな…)
自分の教室は、此処からだとかなり距離がある筈だ。面倒だけど、サボる訳にはいかない。
「………」
戻るのが当然のことのように、冬樹は男に背を向けると校舎の方へと足を進めようとした。
「おいっ!待てよっ!!話しはまだ…」
咄嗟にゴツイ男が冬樹の肩を掴むのと、今まで地にひざまずいていた二人が、この場から逃がすまいと冬樹に向かって反応したのは、ほぼ同時だった。
だが、次の瞬間。
「っ!?」
ゴツイ男の身体は宙を舞い。
ドサッ…という音とともに、気付いたら地に仰向けに倒れていた。
「???」
何が起こったか分かっていないゴツイ男と、うっかりそれに巻き込まれそうになり、慌てて避けて固まっている二人を尻目に。冬樹は何事もなかったかのように、校舎に向かってゆっくりと歩き始めた。
「い…一本背負い…?」
一人の男が、驚いたように呟いた。
その言葉に我に返ったゴツイ男が、
「まっ…待ちやがれっ!!」
仰向けから立ち上がり、慌てて冬樹を追おうとするが、その瞬間。
「こらっ!お前達、こんな所で何してるっ?もう予鈴は鳴ってるぞ!!」
教師らしき人物が、体育館の脇から顔を出した。
「やべぇっ、溝呂木だっ」
「チッ…行くぞっ!!」
カツアゲ三人組は、慌てて顔を隠すようにその場から走り去って行った。
「………」
自分を追い越して校舎の方へ戻って行く上級生達を見送りながら、冬樹はいささか神妙な面持ちで歩いていた。前には、先程彼らが『溝呂木』と呼んでいた男性教師がこちらを向いて待ち構えている。
「お前…一年か?クラスと名前は?」
そう聞かれて「ヤバイ…」と思いつつも、教師相手では仕方なく、素直に答える。
「A組。…野崎、です」
すると、その若い男性教師は突然破顔すると、
「野崎…。お前、スゴイな!!見事な一本背負いだったぞ」
そう言って笑った。
(は…?)
てっきり怒られて、名前をチェックされたのだと思っていた冬樹は、呆気にとられてしまう。
「いやー、実はその前から見てたんだが…お前、見かけによらずやるなぁ!空手の心得とかもあんのか?」
(教師のくせに、そんなに前から傍観してたんかっ!?)
思わず心の中で突っ込みを入れずにはいられない冬樹だった。だが、内心でそんなツッコミを入れられているとは露知らず、きょとんとしてこちらを見上げている冬樹を見て、溝呂木はにっこりと笑い掛けると、
「でも、空手なんかじゃなくって…お前、柔道部入らないか?」
ちゃっかり部活のスカウト話を持ち込むのだった。
結局その後、授業の始まりを伝える本鈴が鳴ってしまい、若干慌てた様子を見せた冬樹を、溝呂木は自分が引き留めたせいもあるからと教室まで送ってくれた。『教室が分からず迷っていた生徒』として、きちんと次の授業の教師に話までつけてくれたのだ。それは、あまりに『格好悪い』以外の何者でもなく。冬樹的にはいい迷惑ではあったが、実際に体育館裏からこの教室までの道のりに不安があったのは事実なので、善しとすることにした。
5時限目終了後。
「冬樹っ」
授業が終わり次第、雅耶が慌てて自分の席の前にやって来た。
「お前…大丈夫だったかっ?」
妙に心配顔の雅耶が何を気にしているのかが解らなくて、目で続きを即す。
(さっきの溝呂木って先生が授業に遅れた理由に使っていた『教室が分からなくて迷子になったこと』を言っているのなら、雅耶は空気の読めない最低な奴だよな…)
そんなことを頭の端で考えながら。
だが、雅耶の口からは意外な言葉が出てきた。
「お前…上級生に何か言い寄られてたろっ?」
そこを見られていたとは思わなくて、冬樹は内心ドキリとした。
「あいつらと何処に行っていたんだ?あの後、心配になって追いかけたんだけど、お前見失っちゃって…」
そこまで聞いて冬樹は目を見張った。
「…別に、何もない」
そう小さく言うと、ガタン…と音をたてて席を立つ。
「何もないって―…おいっ冬樹っ」
食い下がる雅耶の声を無視して、冬樹は教室を出て行ってしまった。
(冬樹…)
立ち尽くしている雅耶の後ろで、二人の様子を見ていた長瀬が口を開いた。
「やっぱ、知り合いの上級生がいて話し込んでただけとかじゃないの?」
「そんな雰囲気には見えなかったけど…」
ゆっくりと自分の席に戻りながら雅耶は言った。
「でもさー、特に抵抗してるカンジ無かったじゃん?」
「うーん…」
確かにあの時、冬樹は言われるままに彼らについて行ったように見えたのは確かだ。
席に座り頬杖をついて考え込んでいる雅耶の横で、机に寄り掛かりながら長瀬は思いついたように手を打った。
「それか、あいつらに何か弱みを握られているとかっ」
「脅されてるってことか?」
「うん。それか、逆に―…」
「…逆に?」
「大した相手じゃないと見越してついて行って全員綺麗にのしてきちゃったとかね♪」
何故だか嬉しそうにそんな物騒なことを言う長瀬に、雅耶は溜息を付くと、
「まぁ、ここで色々詮索してても埒があかないよな…」
遠い目をしながら呟いた。
冬樹は、教室から少し離れた廊下の窓から外を眺めていた。
雅耶の追求から逃げるように教室を出て来てしまったけれど、もうすぐ6時限目が始まる。
(戻らないと…な…)
『あいつらと何処に行っていたんだ?あの後、心配になって追いかけたんだけど…』
いい加減、見限って欲しいのに。
お人好しの幼馴染みは、なかなか自分と過去とを切り捨ててはくれない。
(そんな心配いらないよ、雅耶…)
そういう優しさは、昔からの雅耶の良い所だ。
でも…今のオレには、身に余る。
その時、突然強い風が唸りを上げて窓から吹き抜けてゆき、冬樹は咄嗟に目をつぶった。廊下に貼り出されているポスターなどの掲示物が、カサカサと大きく音を立てた。
冬樹はすっかり乱れてしまった髪を整え、ひとつ溜め息をつくと、目の前の窓を閉めて教室へと戻って行った。