24‐1
「さて、と。奴等が集まって来る前に、俺達はそろそろ此処を退散しないとなっ」
並木が部屋の中を見渡して、爽やかに言った。
夏樹もそれにつられるように、視線を室内へと移す。
広い社長室内には、無残にも縄でぐるぐる巻きにされて動けない男達が十数人。勿論、神岡もその内の一人だった。最初に部屋内にいた者と、廊下の見張り。それ以外にも何処かに見張りがいたようで、それらの男達全てがこの部屋に集められていた。
皆が逃げられないようにしっかりと固められているが、その光景はあまりにも情けないというか、不謹慎にも思わず「クスッ」…と、笑みを誘われてしまうものであった。
(何だろ…。今時、縄でって…。レトロって言うか、漫画的と言うか…)
それをこっそり冬樹に耳打ちしたら、「ああ…。あれは、並木さんの趣味なんだ」…と、笑顔で返されてしまい、夏樹は思わず絶句してしまった。
さっき、部屋に乗り込んで来た時は、声を張り上げていたので気付かなかったが、改めて冬樹に紹介して貰ったこの並木という人物は、今日神岡の別荘から自分を助け出してくれた、あの警備員の男だった。
そして、立花製薬での事件の時も、警備員に扮する並木同様に自分を大倉から守ってくれたのが、冬樹だったことを知った。
自分の感じていた予感が当たっていたこと。そして、今迄も兄が見守っていてくれたことを知って、夏樹の心は温かくなった。
「でも、このまま放置しといて良いんですか?」
夏樹はいまいち状況が掴めず、並木に尋ねる。
すると…。
「ああ。後は警察がやってくれるからね」
当然のように笑って答えた並木に、夏樹は『?』を飛ばした。
「え…。並木さんって、警察の人じゃないんですか?」
「うーん…。いわゆる普通の警察とはちょっと違うんだな。国の機関である警察庁のもう一つ上の組織に属している…と言えば良いのかな。俺達は警察内の悪事にも対応出来るように、基本的に警察の奴等にも顔が割れてはいけないんだ」
「へー…。そんなのが、あるんだ…」
目を丸くして感心している夏樹に。
「だから、もう此処を出るよ。皆ついて来てね」
並木は、そう手短に声を掛けると歩き出した。
前を歩く並木と冬樹に続いて、雅耶と並んで後を追い掛けていた夏樹に、雅耶がこっそり教えてくれた。
「並木さんは、いわゆる『秘密警察』ってヤツらしいよ。日本にもそんな機関があったなんて、驚きだよな?」
その聞き慣れない言葉に目を丸くしながらも。
(ふゆちゃんは、どうしてそんな凄い人と行動を共にすることになったんだろう…。後で、色々な話…聞けるといいな…)
そう、兄の背中を見詰めた。
その逮捕劇から、一週間後。
日曜日の昼下がり。
雅耶は部活を終えた足で家の最寄駅まで戻って来ると、暫く駅前の噴水広場で時間を潰していた。
駅側からの入口が正面に見えるベンチに腰掛けると、ある人物が現れるのを待つ。
良く晴れた空には小さな雲が僅かに浮かんでいるだけで、頭上からは燦々と日差しが降り注いでいたが、真夏のようなジリジリとした熱さは、もう無い。
つい先日まで続いていた暑さが嘘のように、季節は確実に秋へと移り変わりつつあった。
爽やかな風に吹かれながら、持っていた雑誌に何気なく目を通していると、不意に制服のポケットの携帯が震え、意識がそちらへと移る。
届いたメールを確認すると、雅耶はすぐに駅の方角へと目を向けた。
すると…。
待っていた人物が、広場に入って来るのが見えた。
きょろきょろと周囲を見渡していて、こちらには気付いていない様子なので、雅耶は立ち上がると軽く手を上げた。
すると、すぐに気付いて小走りに駆け寄って来る。
ほぼ一週間ぶりに見るその、はにかんだような笑顔に、思わず心が弾んでゆくのを雅耶は感じていた。
「ごめん、雅耶。結構待たせちゃったんじゃないか?」
目の前まで来て、夏樹が申し訳なさそうに言った。
「いや、そうでもないよ。部活の帰りだし、時間的に丁度良かったからさ」
そう答えると、ベンチに置いてあったスポーツバッグを手に取った。
そうして、どちらからともなく自然に歩き始める。
「それより、お帰り。…で、どうだったんだ?」
「あ、うん。ただいま。一応、無事…手続きは全部終えたんだ」
「…ってことは…」
「うん。無事、夏樹に…戻れた」
少し照れながらも、笑顔で見上げてくる夏樹に。
「ホントかっ?!やったなっ!おめでとうっ!!」
雅耶は立ち止まると、興奮気味に声を上げた。
その、思いのほか大きくなってしまった声に、思わず周囲の人々の注目を浴びてしまった二人だったが、そんなものを気に掛けている余裕は雅耶にはなかった。
これまでの八年間、夏樹はずっと一人で苦しんできたのだ。
冬樹に対しての後悔の念は勿論のこと、周囲を偽り続けることへの罪悪感。そして、背徳感に。
誰にも打ち明けられず秘密をひた隠しにし、時には己を打ち消して…。
それらの苦痛から、これでやっと解放されるのだ。
再び、自分自身の道を歩んで行ける、スタートラインに立てたのだから。
夏樹は、周囲の注目を浴びてしまっている恥ずかしさはあるものの、まるで自分のことのように喜んでくれている雅耶に、素直に笑顔を浮かべると「ありがと」と、礼を述べた。
「でもさ、実際…『夏樹』の戸籍は、その…死亡認定?っていうのが既にされちゃっていたんだろう?そこから、取り消しとかって簡単に出来るものなのか?」
「うん。一応、行方不明者が死亡されたとみなされていて、実は生きていたっていう例もなくはないらしいんだけど…。普通は結構手続きが大変で、もっと時間も手間も掛かるらしいんだ。でも、それを全部ふゆちゃんの後見人の九十九さんって方が上手く手配してくれたんだ。何でも、九十九さんは色んな方面に顔が利くそうで…。並木さんの元上司でもある方なんだってさ」
「へぇー。じゃあ、そっち系の人なんだ?」
「そうだね。並木さんが九十九さんのことを『ボス』って呼んでたから…」
神岡の逮捕後。
夏樹は、冬樹と並木と共にある人物の元を訪れていた。
あの八年前の事故の後、島に流れ着いた冬樹を見つけて以来、ずっと面倒をみてくれていた冬樹の後見人である九十九という初老の男性に会いに行ったのだ。
九十九は並木の属する組織の元最高幹部だった人物で、既に現役は退いているが、今でも様々な事件に相談役として関わっているらしい。その為、九十九の顔は様々な業界に幅広く知られ、陰では国の政治さえ動かせる人物とさえ言われている程だという。
だが、夏樹が会った印象では、とても穏やかな優しい笑顔の人物で、とてもそんな凄い人物のようには見えなかった。
本人曰く、『今は、小さな島で密かに老後生活をまったり楽しんでいるただの老いぼれ』だなんて言っていたけど、後で並木が言うには、それは単なる表面上の姿であり、まだまだ組織には必要とされてる凄腕の人物だということだ。
そんな人物に偶然にも冬樹は助けられ、この機会をずっと窺って来たのかと思うと、そこに運命的なものを感じずにはいられない。
冬樹は、『九十九さんは、基本的にはとても優しいけれど、怒ると鬼のように怖い人だよ。僕も、色々と厳しくご指導頂いたし…。でも、そのお陰で沢山のことを学んだんだ。本当に今があるのは、九十九さんのお陰だと思ってる。感謝という言葉だけでは、足りないよ』と、笑顔で話してくれた。
そんな風に笑顔で過去を語る冬樹を見ていて、良かったと思う反面。
その奥底には、実際は事故の恐怖やショック。それに、父から託された『鍵』の重み。そして、両親を死に追いやった事故を仕組んだ犯人を知っていたことでの憎しみや苦悩が沢山あったことを知っているから。
(それらが、消えて無くなることはないだろうけど…。少しでもふゆちゃんが笑顔でいてくれたらいいな)
と、夏樹は切実に思うのだった。
「へぇ…。そんな人が世の中にはいるんだな。凄いな。でも…冬樹も、そんな凄い人に偶然助けて貰うなんて、ある意味運命だよなっ」
雅耶は、夏樹の話を聞いてしみじみと言った。
「本当にそうだよね…」
「でも、じゃあ…その人のお陰で、二人とも元の冬樹と夏樹に戻れたってことだな。でも、結局…冬樹はそのまま向こうに残ることになったのか?」
「うん。ふゆちゃんの希望でね。九十九さんは、ふゆちゃんの選択に任せるって言っていたんだけど、ふゆちゃんは出来れば向こうに残りたいって…」
そう微笑む夏樹が、少し寂しげに見えて。
「…お前は、それで良かったのか?」
雅耶は心配げに、夏樹を見下ろした。
「何で?良いに決まってるよ。ふゆちゃんの希望だもん。それに…。ふゆちゃんには、いつでも会いに行けるから…。それだけで、十分なんだ。今までの寂しさに比べたら、ふゆちゃんが笑顔でいてくれる。本当にそれだけで十分」
そう言って笑う夏樹に。
雅耶は何故だか切なくなって、横を歩く夏樹の頭をポンポン…と撫でた。