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入学式から約一週間が経過したある日。
雅耶は、遠く集団の中にいる冬樹を何とはなしにぼーっと眺めていた。
晴れ渡る空に、広いグラウンド。現在、体育の授業真っ只中。今日は、100メートルのタイムを計るらしい。人数が多い為、クラス内で前半組と後半組に分かれ、その中でペアを作りお互いにタイムを録り合うのである。現在冬樹を含む前半組が走る準備をしているところだった。
「はぁ…」
雅耶は、冬樹を視界に入れたまま肩を落とした。
入学式以降、雅耶は何度か冬樹に声を掛けてはみたものの、大した反応は返って来ず…。それ以前に、声を掛けようにも様々な邪魔が入ったりで、ろくにコミュニケーションを取れずにいた。
(でも、やっぱり避けられてる…気がする…)
後ろや遠くから声を掛けても、聞こえないふりをしているかのように、そのまま行ってしまう。正面から近付いて声掛ければ、視線を合わせてはくれるのだが。
(あの真顔は無いよなーっ…)
どこか冷たい瞳。
(俺…あいつと会話成立したの、挨拶位かも…)
そう思い「はぁ…」…と、もう一度溜息をついた。
「まったく、悩ましげに溜息なんか付いちゃって♪」
隣に座っていた長瀬がいつもの調子で茶化してきた。
「これだけ雅耶が熱い視線送ってんのに、幼なじみちゃんたらツレナイのねー」
「だから!そんなんじゃないって言ってるだろー。俺は、ただ…」
「あっほら!走るみたいだよん」
俺の言葉を遮って、長瀬が指をさした。その瞬間、パアンッ…という音と共に数人が駆け出す。
「すっげ!冬樹チャンやるじゃんっ」
はらー…とか言いながら、長瀬が手のひらでひさしを作って眺めている。
(速い…)
七~八人の中でダントツ一位で冬樹はゴールした。
「何ていうか、力強い走りというよりは身が軽い走りだねェ」
「ああ…」
長瀬の言うとおりだと思った。
その時。
「もしかして、久賀くん達って野崎くんの知り合いなの?」
俺達の話が聞こえたのか、近くに座っていたクラスメイトが声を掛けてきた。
「コイツだけね。昔、家がお隣さん同士だったんだってさー」
長瀬が俺を指差しながら、俺の代わりに答える。
「へぇー、そうだったんだー」
その小さなクラスメイトは、意外そうな顔で頷いた。
「石原くん…だっけ。何でそんなこと聞くの?」
あまりにも唐突すぎて思わず雅耶が聞き返すと、「うん、石原です。ヨロシク!」…と、まだ幼さの残る笑顔を浮かべ、
「野崎くんって、結構な有名人だったからさっ。知り合いだなんてスゴイなーって思って。僕、中学の途中でこの近くに引っ越してきたんだけど、引っ越す前…小学校と中学校、野崎くんと一緒だったんだよー」
クラスは違う時もあったけど…と、付け足して得意げに言った。
「おお!有名人っ?」
「…ってどんな??」
長瀬のリアクションにプラスして雅耶が聞き返すと、
「野崎くんは、小学校の途中…二年の時だったかな?転入してきたんだけど、学校で人をからかったりいじめたりする嫌な奴がいてさ、そいつを転入早々やっつけちゃったんだ」
「おお!ワイルド~!」
長瀬が横で変なリアクションをしていたが、雅耶はそのままスルーして話の続きを待った。
「でも、そいつには二つ上に大きくて強い兄貴がいてさ…。今度はその兄貴が出てきて大変だったんだ。でも、野崎くんはその兄貴もやっつけちゃったんだよっ。その頃の野崎くん、結構小さかったのにひとまわりもふたまわりも違う上級生をやっつけちゃったっていうんで、生徒の間では大騒ぎだったんだ」
「へー。見かけによらずやるのねー。冬樹チャン」
(まぁ…空手やってたし…)
雅耶は、心の中で呟いた。
(でも、あの穏やかだった冬樹が騒ぎになるような喧嘩をするなんて…よっぽどのことがあったんだろうな…)
三人は、何気なく話題の人物に目を向けた。冬樹はゴール前に並び、相手のタイムを計っているようだ。
「野崎くん…普段はそんな喧嘩する感じの子じゃないんだよ。でも、中学に入ったらその兄貴が三年にいたし、その話が上級生の不良達の間で広まっててさ…。入学早々呼び出しとかあったみたいだよ」
「うお…怖っ…」
長瀬は大袈裟に身震いしている。
「最低だな…。でも、その中学校…そんなに不良とか多かったの?」
自分が通っていた中学には『不良』と呼ばれる程の者がいなかった為、あまり現実的に思えず雅耶は聞き返した。
「うん。その中学は県内でもガラの悪い奴が多くてわりと有名な学校だったんだ。だから…という訳でもないんだけど、僕は転校出来てラッキーだったかも」
そう笑って、石原は胸を撫で下ろす仕草をした。その話を「へぇー、穏やかじゃないねェ…」とか、呟きながら聞いていた長瀬が、今度はワザとらしく険しい顔を作って言った。
「でもさ、実際に呼び出されて、その後冬樹チャンはどうなっちゃったワケ?」
長瀬の冬樹に対しての呼び名は、すっかり『冬樹チャン』に定着してしまったらしい。
(何か、面と向かって『ちゃん』とか付けて呼んだら、本気で怒られそうだな…)
…と、雅耶は話題とは無関係な事を考えていた。
「うーん、どうなったんだろう?上級生との話は、あまり詳しい情報は入って来なかったから…。でも、特別…喧嘩して大怪我したとか、そういうのは無かった気がするよ」
「ほー…。実は、上級生の不良どもも蹴散らして、後々影の番長とかやっちゃってたりして…」
少々悪ノリ気味の長瀬の言葉に。
「いや、流石にそれは無いと思うよ」
雅耶はとりあえず否定をした。
「うん。野崎くんはそういうタイプじゃないと思うよ」
石原もそれに同意する。
二人に速攻突っ込みを入れられて、長瀬は「あはは…」と、乾いた笑いを浮かべると、
「やだなー、冗談に決まってるじゃないのー」
…と、おちゃらけてウインクをした。
(冬樹は、そんな奴じゃない…)
雅耶は遠く、冬樹の後ろ姿を眺めながら思った。
引っ越した後のことは、わからないけど。
きっと、沢山の変化が冬樹にはあったのだろうとは思うけれど。
『根本的なものはそう変わらない』
清香が言ってくれたように、そうであって欲しいと思う。
そして…。
ピー…という、前半と後半のメンバー交代を知らせる笛の音が鳴り響き。
雅耶達は立ち上がると、グラウンドの中央へと歩みを進めた。
そのまた、数日後。
ある日の昼休み。
冬樹は一人、学食に来ていた。
流石私立とも言うべきか、この学校の学食はとても充実していて、メニューが豊富なのは勿論のこと、安く美味しく栄養バランスの良いものが食べれるとあって、学校のウリの一つにもなっていた。そして、何より男子校ならではのボリュームの多さにも定評があった。流石にそんなボリュームを求めてはいないが、一人暮らしの冬樹にとっては、かなり有難く魅力的な部分でもある。
生徒数が多いこともあり、食堂内はかなり広く造られているのだが、この時間は多くの生徒達で賑わい、それなりの混雑を見せていた。
冬樹はカレーライスをトレーに乗せると、学食専用ICカードで精算を済ませ、空いている席に着いた。混んではいても、一人分の席を探すのに特別困ることはない。
心の中で「いただきます」を言って、軽く手を合わせると冬樹は食事を始める。すると、
「ここ、空いてる?座ってもいいかな?」
突然、頭上から声を掛けられた。
「?…どうぞ…」
…と、顔を上げた瞬間「しまった!」と、思ったが既に遅かった。
椅子を引いて、目の前の席に座ろうとしている人物。
それは…。
(…雅耶…)
「お!カレー美味そうだなっ。今度俺も食べてみようかなー」
にこにこと人懐っこい笑みを浮かべてくる。
「………」
冬樹は何も言わずに、思わず止まってしまっていた手と口を動かし始めた。そんな冬樹の様子を見て雅耶は微笑むと、自分も「いただきます」と手を合わせて食べ始めた。
(何だか気まずい…)
目の前の雅耶は、何を言うでもなくただ食事をしているだけなのだが、時折こちらに投げ掛ける視線に逆に居心地の悪さを感じて、冬樹は自然と手と口の動きが早くなっていく。
そんな冬樹の様子を見て雅耶は、
「お前…食べるの早いなー」
とか呑気に感心したりしている。
(お前のせいだ!お前の…っ)
最近の雅耶は、わざと自分の目の前にやってくる。話し掛ける時も、今のようにただ食事をする時も…だ。
(確かに、横や後ろから声を掛けられても、聞こえないふりしてたのは事実だけど…。いい加減…避けてるのくらい分かれよな…)
そう、心の中で愚痴りつつも。正面に来られると、露骨に邪険には出来ない冬樹だった。
「あれ?もう行くのか?」
早々に食べ終わり、席を立とうとする冬樹に雅耶が声を掛けた。冬樹はチラリと雅耶の方を見やると、
「…他の奴が座るだろ?」
そう言って食器の乗ったトレーを持つと席を離れた。その言葉に雅耶が周囲を振り返ると。
「ん?もしかして、ソコ空いてる?」
後方に長瀬が立っていた。
「もしかして、冬樹チャン譲ってくれた?」
冬樹の座っていた席に長瀬がトレーを置きながら言った。
「ん…そうかも」
ご飯を口に運びながら雅耶が答える。
「優しいのね、冬樹チャン♪…で?少しは話出来るようになったのか?」
気にしてくれているのか、長瀬はウインクしながら箸を手に取り言った。
「うーん…。まぁまぁ…?かな…」
実際、たいした話はしていないのだけど。
「でも、無視されてる訳じゃないみたいじゃん。もともと口数少ないだけなんじゃないの?」
「うーん…そうなのかなー」
そんな事を話しながら、食事をしていたその時だった。
「あれっ?」
「…ん?どうした?」
長瀬が突然、何かに気付いたように声を上げたので、その視線の先を追って雅耶も後方を振り返った。
「あれって…冬樹チャンじゃん?」
そう言って指差した先には…。
数人に何やら囲まれてる冬樹が見えた。
「…あれ、上級生か?」
食器を返却して、食堂を後にしようと冬樹が出口へ向かっていたその時だった。
突然、行く手を遮るように横から人が出てきて足止めを食らう。
(何だ…?)
不審に思って、その人物を見上げると。
「よぉ…」
高校の制服があまり似合わない、ゴツイ男が不敵な笑みを浮かべていた。その顔には見覚えがあった。
「………」
冬樹が驚きで一瞬固まっている間に、両サイドを固められる。その二人の顔にも見覚えがあった。
(こないだの、カツアゲ三人組…)
「こんなトコで再会するなんて、奇遇じゃねーか」
嬉しそうにニヤリと笑うゴツイ男と共に、両端の二人も小さく笑う。その隙に、両腕は逃げられないようにしっかりと掴まれてしまった。
「ちょっと付き合って貰うぜ。正義感の強いおチビちゃん」
不穏な空気を感じながらも、周囲に迷惑は掛けられないと、冬樹は大人しくついて行くことにした。