23‐2
その頃。
『シンコウ漢方製薬株式会社』本社では…。
ビルの地下駐車場へと入った車から降ろされた夏樹は、通用口のような所から、ぞろぞろと連れ立って建物内へと入って行った。
見た目からして、いかにもなガラの悪そうな集団。
それに付け加え、夏樹は後ろ手を紐のような物で縛られ、その集団に連行されていたのだが、通用口にいる警備員は特に気に留める様子もなく、素知らぬ顔をしてそれらを通した。
(しっかり警備員も、買収されているのか?…それとも、ビルごと全部神岡の持ち物だったりするんだろうか…?)
周囲の様子に目を配りながらも、夏樹は大人しく従い、男達に連れられて行く。
『雅耶に手出しをさせない』…その約束で神岡に従った。
今この連中から逃れることは可能かも知れない。だが、今逃げても、再び追われるのは目に見えているから。
雅耶をはじめとした周囲の人々に迷惑を掛けない為にも、今は我慢しようと思っていた。
それに、神岡と話がしたかったのだ。
父のことを、神岡の口から直接聞きたかった。
そして、力のことも…。
先程まで、自分の乗せられた車の前を神岡の乗った高級車が走っていたが、地下駐車場へ入る頃には、いつの間にか見当たらなくなっていた。
(きっと、入口が違うんだろうな…。会社の社長が、こんな薄暗い地下通用口からなんて入る訳ないもんな…)
自分の中で勝手に納得しつつも、この後連れて行かれる所に神岡が居なかったらどうしようかな…などと、様々な思いを巡らせていた。
その内に、荷物なども載せられるような大きなエレベーターへと乗せられると、一行は上を目指す。
目標の階数は『34』を示している。
(34階…か。…高いな。後々逃げるようなことになったら、流石に骨が折れそうだ…)
思わず階段の段数を想像して、気が遠くなった。
エレベーターは早々に34階へと到着すると、扉が開くと同時に「進め」…と、再び腕を掴まれて歩かされる。
乗って来たエレベーターは、割と奥まった目立たない場所にあるようであったが、幾つか扉を経て広い廊下へと出ると、周囲は綺麗なオフィスの雰囲気へと変わっていった。
その間にも、周囲の確認は怠らない。
エレベーターからの道順。非常口等、何気なく確認しながら歩いて行く。
既に夜も遅く、普通の社員などは残っていないのだろう。周囲は一部の電気が灯っているだけで、全体的に薄暗かった。
だが…。
前方に思わぬ人物を見つけて、夏樹は思わず足を止めた。
「勝手に止まるなっ。進めっ」
力づくで腕を引かれるが、驚きの余り大きく瞳を見開いたまま固まってしまう。
そんな夏樹と同様に、驚きの表情でそこに佇んでいた人物。
それは…。
「…ちから…」
(何で、力が…ここにいるんだ…?)
他に社員などの見当たらない、薄暗い社内に独りいる違和感。
でも、力は未成年とはいえ、この会社の後継者に値するのだろうし、父親がここにいるのなら、一緒にいても特別不思議はないのかも知れない。
だが、昼間…その父親の命令により、萩原に裏切られてしまった力が、こうしてこの場に平然といることは、やはり違和感を感じずにはいられなかった。
(もしかして、おじさんと和解したの?それとも、最初から繋がってた…?)
夏樹は、言葉には出さず目だけで訴えた。
だが、それが伝わる筈もなく、力はただただ驚きの表情を浮かべているだけだった。
そんな力の前を夏樹は強引に背を押され、奥の部屋へと連れて行かれた。
多分、場所は社長室。父親の待つ部屋だろう。
それを分かっていながらも、力は何も出来ずに呆然と見送った。
内心で、力は焦っていた。
(…どうして、あいつがここにいるんだ?別荘から助け出されて、安全な場所へ行ったんじゃなかったのかっ?何で、また親父達に捕まってるんだよっ!)
見るからにガラの悪い連中。
あいつらは多分、最近親父が関係を持ってるという、網代組の奴等だろう。
(本物の冬樹は、いったい何をやってるんだっ?)
あの時、データを抜いて行った本物の冬樹が、夏樹を連れ出したのではなかったのか?
(…それとも、あいつが自らの力で逃げていた所を、連中に見つかったのか?)
何にしても、誰に対してか分からない憤りを感じて、力は拳に力を込めた。
力の中では、既に『今迄の冬樹』は夏樹に変換されている。
データを奪って行ったのも、夏樹ではないことを知っている。
夏樹には何の非もないのだ。狙われる謂われもない。
だが、父親達はきっと、その秘密を知らないのだろう。
(だが、それを親父達に知らせたら、どうなる…?)
逆に、役に立たない夏樹が危険な目に遭うのではないのか?
それこそ、本物の冬樹を呼び出す為の、人質のように扱われてしまうかも知れない。
(…それでは、駄目だ。危険すぎる…)
こんな大胆な行動に出ているということは、父親は相当切羽詰っている筈だ。今や、どんな行動に出るか分からない。
そうやって父親は…過去既に、親友を手に掛けているのだから…。
(何とかして、あいつを助ける方法はないのか…?あいつが、危険な目に遭っているっていうのに、それを黙って見ている…。俺が一番、最低だ…)
そう、思いつつも。
やはり実の父親に対して制裁を加えることに、いまいち覚悟を決められないでいる力だった。
「…入れ」
一瞬踏み止まった所を背中を強引に押されて連れ込まれた部屋は。
正面の壁面が天井から床まで総ガラスで造られた、とても見晴らしの良い、奥行きのある広々とした部屋だった。その総ガラスの窓の前には重厚そうな大机があり、その奥の椅子には何者かが斜めにこちらに背を向けて座っていた。部屋の中はわざと照明を落としているのか薄暗く、窓から見える夜景の明かりが目に入ってくる程で、椅子に座っている人物のシルエットだけが影のように浮かびあがっている。
だが、その人物は神岡に間違いなかった。
廊下側の扉前に見張り二名を残し、夏樹をはじめとした四名が部屋へと入室する。
扉が閉じると神岡はゆったりとした動作で立ち上がり、こちらを振り返った。
「こんな所までのご同行、ご協力感謝するよ。冬樹くん…」
澄ました顔で微笑みを浮かべている。
(…その割には、随分と酷い扱いだけどな)
後ろ手に縛られた腕の痛みに顔をしかめながらも、夏樹は前を見据えた。
自由の利かない腕を気にする素振りを見せる目の前の少年に、気付いた神岡は白々しく声を掛ける。
「縛られた腕が痛むのかな?…すまないね。君のような子に、こんな手荒な真似は本当は避けたい所なんだが、君はなかなか腕利きのようだからね。一応、念の為だよ。交渉次第では、すぐに開放してあげられるかも知れないからね。今しばらく辛抱してくれたまえ」
「…交渉…?」
「そう。交渉だ」
神岡は小さく頷くと、ゆっくりと机を回り込んで前に出て来た。
そして、若干距離を取りながらも、押さえつけられている夏樹の前まで来ると、その瞳を覗き込むようにして言った。
「もう、分かっていると思うが…。君が持って行ったお父さんのデータをこちらに渡して貰いたいんだ」
そう言い切った神岡の眼は、先程までの穏やかなものとは違っていた。
威圧感のある、暗く淀んだ瞳の色。
(この顔が、神岡の本性…)
夏樹は、負けじと視線を逸らさずに見詰めた。
「君が、あいつの『鍵』の役目を担っていたことは知っているんだ。前に野崎の家から持って行ったデータも君が何処かに隠しているんだろう?そして、君は今日残りのデータ…全てを手にした訳だ」
「…今日…?…全てって…」
(…何のことだ?)
神岡の言っていることが解らなくて、夏樹は瞳を見開いたまま、頭の中で考えを巡らせていた。
だが、そんな夏樹の心情を知る由もなく、神岡は苦々しい表情を見せると言った。
「シラを切っても無駄だ。君が別荘のパソコンからデータを全て抜き取っていったんだろう?君以外にそれを出来る人間が、どこにいるというのだね?」
そう静かながらも語調を強めると、大きな手で夏樹の細い首筋を締め上げた。
「…くっ…」
苦しげに顔を歪める夏樹を冷たい視線で見下ろす神岡。
夏樹が細身とはいえ、流石に片手のみでその首を持ち上げる程の力は神岡にはなかったが、気道を塞ぐ程度の力は十分に込められていた。
強気な瞳が細められ、苦しさから生理的な涙が浮かんで来るのを見て、神岡はやっと締め上げていた手を解いた。
夏樹は、両手を後ろに封じられたまま前屈みになると、苦しげに暫く咳込んでしまう。頭がクラクラして、その場に跪いてしまいたかったが、両端で腕を掴んで身体を支えている男達によって、それも叶わなかった。
荒い呼吸を繰り返しながら、うなだれている夏樹に神岡が語り掛ける。
「乱暴な真似はしたくないんだよ。素直に言うことを聞いた方が身の為だ」
(…そんなの、知るかっつーの…)
身に覚えのないことで突然逆上されても、訳が分からない。
(でも、今日別荘でってことは…。あの開かなかったファイルを…あの後、誰かが抜き取って行ったっていうのか?でも…)
それが出来るのは一人しかいない。
「…神岡の、おじさん…。ひとつ…聞いてもいいか…?」
どうしても父のことが聞きたくて、夏樹は口を開いた。
「…何だね?」
「あんたと父さんは、一緒に薬の研究をしていたんだろ?なのに何で、あんたの元にそのデータが残されていないんだ?父さんが厳重に鍵を掛けたのには、何か理由があるんじゃないのか?」
投げ掛けられた質問に、神岡は皮肉な微笑みを浮かべた。
「そんなの簡単なことだ。あいつが全部自分の手柄とする為に薬のデータを封印しただけのことさ。研究成果を独り占めしようとしたんだよ。君の父親は」
「…な、に…?」
思わぬ返答に、夏樹は驚きを隠せない。
「酷い話だと思うだろう?私達は、ずっと一緒に新薬の研究開発をやってきたのに…。あいつは長年やってきた全てを無かったことにしようとしたんだよ」
そう言うと、驚き言葉を失っている少年を憐れむように見詰めた。
「あいつはな…、思いもよらない薬を自分でも知らぬ内に作っていたんだ。でも最初、それに気付かなかった。私がその薬を元に少し手を加えることで、それは完成された物になったからだ。だから、本来ならば二人の研究成果ということになる筈だった。…当然だろう?二人の力を合わせて作り上げたのだから、それは二人の物だ。だが、あいつは…。野崎は、それを良しとしなかった。私にその薬を作らせまいと、元になった薬のデータを全て封印してしまったのだよ」
そう言うと、神岡の瞳は再び暗く淀んだ色へと変化し、冷たい表情になった。
「裏切られたのだよ。私は…。あの男に…」




