23‐1
連れて行かれた夏樹を追い掛ける為、雅耶は冬樹達に同行させて貰い、一緒に並木の車に乗って神岡の会社の本社ビルへと向かっていた。
「俺も一緒に連れて行って貰えませんかっ?」
急いで車で追い掛けようと話し合っている並木と冬樹に、雅耶は自ら同行を願い出た。
冬樹は、雅耶ならそう言うだろうと大体予想していたので、並木の出方を待っていた。並木は、雅耶の真剣な表情から僅かな感情の揺れさえも見逃さないというように、じっと見詰めると静かに確認を取るように言った。
「あの子のことが心配なのは分かるが…。これから行く場所は、言わば敵の本拠地だ。さっきの様子だと網代組の関係者にも応援を要請しているようだし、かなりの危険は避けられないぞ?それでも行くと言うのかい?」
その言葉に。
「危険は承知の上です。でも、あいつが危険な目に遭っているのに黙って家で待ってなんかいられないです!」
僅かな心の動揺も見せず、雅耶はキッパリと言い放った。
そんな雅耶の後押しをするように、横から冬樹が補足を加えた。
「雅耶は空手もやっているし、即戦力にはなると思うよ。その辺は、僕が保証するよ」
並木は、暫く迷っている風ではあったが、心を決めると。
「じゃあ、雅耶くん…だったね。一緒に行こう」
そう言って、同行を許可してくれたのだった。
家の方には、電話で連絡を入れておいた。
時間が時間なので、母親は何があったのかと心配して、当然のことながら、なかなか理由を言わないと許可してはくれない様子だった。
だが、冬樹の身に大変なことが起きたということだけ説明し、
『理由は後で、ちゃんと説明するから…。お願いだよ。今、動けずにいたら俺は一生後悔することになる!』
そう、自分の気持ちを伝えると。
すぐ後ろで聞いていたらしい父親が、許可を出してくれたのだ。
その代わりに、
『自分の言葉と行動に責任を持て』
『人様に迷惑は掛けるな』
『そして、絶対に無事に帰ってくること』
という、条件付きで。
有難いと思った。
自分を一人の男として認めてくれたようで。
今の時点では、理由さえも何も語れない自分の『本気』を信じてくれたことが、何もよりも嬉しかった。
(そんな両親に報いる為にも、俺は絶対に夏樹を救ってみせるっ!…待ってろよ、夏樹。どうか…無事でいてくれっ!)
閑静な住宅地から、徐々に煌びやかな街へと移り変わって行く景色を眺めながら、雅耶は決意を固めるのだった。
車窓からの景色に視線を流しながら、真剣な表情を浮かべている雅耶の横顔に。一緒に後部座席に並んで座っていた冬樹は、静かに声を掛けた。
「雅耶…」
「…ん?」
「今まで、なっちゃんを守ってくれてたんだよね。ありがとう…」
そう礼を言うと、雅耶は困ったように眉を下げて苦笑いを浮かべた。
「いや…俺は、何もしてないよ。本当に最近まで、ずっとあいつがお前と入れ代わってたなんて知らなかったんだ。そんな可能性を考えたことさえなかった…。あいつの苦労を考えたら、もっと…早く気付いてやれていれば良かったって…。本当に後悔しかないよ」
心底悔やむように語る雅耶に、冬樹は微笑みを浮かべた。
「でも、なっちゃんは…きっと雅耶に気付いて貰えて嬉しかったと思うよ。一人で秘密を抱えるのは、きっと…苦しかっただろうから。なっちゃんの性格からして、自分からカミングアウトすることは考えられないし…」
「…確かに、な。でも…秘密を抱えて生きて来たのは、お前も同じだろう?」
言外に「お前は、どうだったんだ?」…と、雅耶の目が訴えていて、冬樹は苦笑した。
「僕は…。なっちゃんが苦しんでるのをずっと分かっていたんだ。…分かっていながらも、本当のことを言えずにいた。だから、一番酷いのは僕なんだ…」
そう言うと、冬樹は僅かに俯いてしまった。
そうして、寂しげに微笑みを浮かべる冬樹に。
(やっぱり…良く似てはいるけど、全然違うんだな…)
雅耶は改めて冬樹と夏樹の違いを感じていた。
(お前は、昔からそうだったよな…。いつだって自分は一歩後ろに下がって…)
怒りや悲しみをあまり表には出さない。
昔は、ただ本当に穏やかな奴なんだと思っていたけど、そんな奴は実際にはいないだろう。
今なら解る。
(お前は、そうやって昔から…全てを微笑みで隠していたんだろうな…)
それが冬樹らしいといえば、らしいのだが…。今でも変わらずにいることが、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちだった。
「何で…お前は、すぐに本当のことを夏樹に言えなかったんだ?今まで何処にいたのか聞いても良いか…?」
雅耶は、当然のように浮かんだ疑問を口にした。
冬樹と入れ替わったまま、ずっと男として生きて来た夏樹にも驚くが、何より冬樹は実際に事故に巻き込まれた筈なのだ。
そこで助かったのは勿論だとしても、流石に夏樹として生きて来たということはないだろうし。
「…うん…」
冬樹は微笑んで頷くと。
ゆっくりと、過去を振り返って話しだした。
冬樹の口から語られた過去は、あの日のまま時を止めてしまっていた夏樹とは対象的な、ある意味変化に富んだ生活だった。
崖から車で落ちた後、冬樹が流れ着いたのは、事故現場からは随分と離れた島民も僅かな小さな島だったという。
そこで出会った人々にお世話になり、今の冬樹があるというのだ。
「…島…か?」
この辺りとは全く違う環境に、思わず驚きを隠せない。
「うん。そこで僕を見つけてくれた人が、ちょっと…色々な意味で特殊な人でね。事情を話したら、色々と協力してくれたんだ」
「協力…?」
「うん。僕には…あの事故を仕組んだのが神岡のおじさんなんだと、すぐに分かったから。色々調べて貰っていて、ずっと機会を窺っていたんだ」
そう穏やかに話す冬樹に、雅耶は目を丸くした。
「…分かっていたのか?」
「うん。あの日…なっちゃんとしてあの別荘に行って、力と一緒に外で遊んでいたんだけど、その時に父さんの車の側で怪しい行動をしている人物を見たんだ」
「車…?」
「うん。本人に直接聞いてみたら、車の整備を頼まれたって言ってたんだけど、あの時多分何か細工を施したんだと思う」
「…もしかして、ブレーキとかに?」
「多分ね…。別荘地からの帰り道は、暫く急な下り坂なんだ。その後に、大きなカーブが待っている。その手前で父さんは減速しようとしてブレーキが利かないことに気付いたんだ。その前に、父さんと神岡が揉めてるのも僕は見ていたし、何より例の…データのことを僕は父さんから事前に聞いていたからね…。確信したよ」
「…そうだったのか」
「でも証拠を揃えないと訴えることも出来ないから、暫く様子を見ていたんだ。そうしたら、その内に神岡は会社を立ち上げて、父さんの作った薬を元に裏商売を始めて…。でも、そのことが逆にある組織に目を付けられることになって、今まさに追い詰められた状態にあるんだよ」
前を見据えながらそう話す冬樹は、強い意志を瞳に宿らせているように見えた。
きっと、この八年間…冬樹はずっと、この時を目指して戦って来たのだろう。
それでも、やはり分からないことが沢山ある。
「その、おじさんの薬って…いったい何なんだ?それに、『ある組織』っていうのは?」
「先日、大物政治家が心疾患で突然亡くなったのを知ってるかな?」
「…?ああ…。確か心臓発作、だったっけ?」
「うん。それも多分、その薬のせいだよ」
「まさか…。薬で?」
思いもよらぬ話に、雅耶は驚愕した。
「そう。その薬は…薬の証拠を残さず、意図的に発作を起こさせる、毒薬…。それは今、政治の世界は勿論、警察や極道の世界にまで魔の手を広げているんだ」
「そんな、ことが…?」
想像もしていなかった、その恐ろしい薬の存在に驚きつつも、雅耶の頭の中には幾つか思い当たる節が浮かんだ。
「あ…じゃあ、もしかして…。夏樹をさらった網代組の大倉や立花製薬の社員の男も、もしかして…その薬で…?」
その言葉に冬樹は静かに頷いて見せた。
「あいつらは、秘密を守る為に消されたんだ。拘置所内にも協力者がいるんだよ。今や警察関係者にも手引きしている奴らが沢山いるらしい」
「…腐ってる、な」
「本当にね。それで、その危険な薬の存在に目を付けて、動き出した組織が並木さん達…」
「…えっ?」
運転席の並木に視線を送る冬樹につられるように、雅耶が視線を移すと。
バックミラー越しに並木が、ニッカリと笑顔を見せた。
「そ。俺らは、日本の警察の上にある組織…。そうだな…簡単に言うと、所謂秘密警察って奴だな」
「ひ…秘密警察っ?そんなものが、日本にも存在するんですかっ?」
驚きの余り身を乗り出している雅耶に、冬樹は微笑んだ。
「驚きだよね。僕も初め聞いた時ビックリしたんだ」
「まぁ…俺達は、基本的に世間には知られていない存在だからね」
そう言って笑っている並木の顔は、普通に爽やかな好青年という感じで、到底そんな凄い組織の人物とは思えない、親しみの湧くものだった。
(さっき、冬樹が言ってた『最強の助っ人』って、そういう意味だったのか…)
思わず納得してしまう。
「でも、さっき…神岡が追い詰められてるって言ってたよな?…ってことは、もう証拠が揃ってたりするのか?」
「うん。全て揃えた。それで、これから出向こうとしていた所に、神岡達の動きがあって…。向こうも父さんの作った薬の在庫がなくて必死なんだよ。国のお偉いさん達から沢山の受注がある中、急かされて焦ってるんだと思う。だから例のデータが欲しくて堪らないんだ。それで、強行手段に出たんだ」
(それで、夏樹が連れて行かれた…ということか…)
雅耶は、無意識に拳に力を込めた。
「あの子が危険な目に遭うこと位は予想がついていたんだ。連れて行かれてしまったのは、俺達の落ち度だよ。本当にすまない…。でも、あの子が『冬樹』である以上は、あいつらもそうそう手出しは出来ない筈だから…」
運転しながらも、申し訳なさそうに眉を下げる並木や、神妙な面持ちで見つめてくる冬樹に。
「そう、ですよね…。きっと、大丈夫ですよね…」
ただの強がりでも、そう言葉にすることで願うことしか出来なかった。
雅耶は車窓から見える景色に目を向けた。
既に、周囲は高層ビルの立ち並ぶオフィス街に入っている。
横で同じように外を眺めている冬樹に、雅耶は言葉を掛けた。
「なぁ…夏樹に、会ったことってあるのか?」
「え…?いや…直接はないよ」
「そうなのか?あの、立花製薬での事件で夏樹を助けたのは、冬樹と並木さん…なんだろ?」
「ああ、うん。それはそうだけど…。あの時、なっちゃんは目隠しされてたから僕のことは気付いてない筈なんだ。…あと、一度だけ夜に会った、というか…」
「夜?」
「うん。ちょっとだけ家に帰ったことがあって、その時偶然なっちゃんが机のとこで眠ってたことがあったんだ。でも、それも眠っていたし知らない筈だよ」
「そっか…」
その時のことを思い出しているのか、冬樹が遠い目をした。
(そんな時があったのか…。知らなかったな…)
今考えると、それも結構危険な行為だと思う。
大倉が自由に出入りしていたということは、あの家の鍵は、今やあってないようなものなのだから。
(偶然にも入って来たのが、冬樹で良かったとしか言いようがないな…)
雅耶がそんなことを考えていた時、ぽつりと冬樹が呟いた。
「なっちゃんには、合わせる顔がないんだ…。僕は、軽蔑されても仕方ないことをしてるから…」
突然、弱気な表情を見せる冬樹に。
「それはないって。だって、あいつ言ってたぞ。冬樹が近くに居てくれてる気がするって…。自分に都合のいい幻かも知れないけど…って」
「…え…?」
冬樹は、心底驚いたように動きを止めた。
そんな二人の話を前で聞いていた並木が、バックミラー越しに「ああ、そう言えば…」と、思い出したように話に入って来た。
「言い忘れてたけど…あの子、お前のことちゃんと気付いてるぞ?」
「…えっ…?」
「神岡の別荘であの子を助けた時、あの子…声を聞いただけで俺のことを『警備員の…』って言ったんだ。誘拐された時のことを覚えてたんだよ。その後、気を失ってしまったんだが、その時に、お前の名前を呼んだんだよ。『ふゆちゃん』…って」
「う…そ…」
冬樹は信じられないといった様子で、緩く首を振った。
「きっと、大倉から守ってくれたのがお前だって、あの子には分かってたんだよ」
そう、優しく微笑む並木を呆然と見詰めている冬樹に。
雅耶も笑顔を浮かべると言った。
「お前達って、本当に良く似てるよな。夏樹もさ…自分のせいでお前が事故に遭ったって、ずっと自分を責めてたんだよ。お互いに相手のことばかり思い遣っていて…ホント、仲が良いっていうか…。羨ましいよ」
そんな雅耶の言葉に。
冬樹は僅かに目を潤ませると、そっと目を閉じるのだった。