20‐3
それから、約二時間程経過した頃。
『冬樹』は、うっすらと目を開けた。
(あ…れ…?オレ…、どうしたんだっけ?…ここは…?)
見慣れぬ天井が目に入る。
暫くぼーっ…と視線を彷徨わせていたが、徐々に色々思い出してきた。
(…そうだ。オレ、力の別荘で…)
萩原に無理やり連れて行かれる所を、あの警備員の人が助けてくれたんだ。
そこまで思い出した所で、その後の記憶はないことに気付く。
(オレ…もしかして、眠ってた??)
冬樹は、急激に不安になった。
(ここは、いったい何処なんだろう?…あの人は?)
思わず焦って、起き上がって周囲を見渡そうと試みるが、それは叶わなかった。
身体が重く、酷く怠い。
首さえ思うように動かせない。
(まだ、あの薬が効いてるのか…?)
部屋の中は薄暗かった。
だが、見る限りでは、ごく普通の住宅のようだった。
人の気配はない。
既に夕暮れ時なのか、窓から差し込んでいるオレンジ色の陽が天井に薄い線を描いている。
そのことから、結構な時間眠っていたことを知る。
だが…。
(…どうしよう。いったい、ここは…)
本気で焦り掛けた時、ドアの向こうに人の動く気配がして、不意に扉が開いた。
「……っ…」
瞬時に警戒をするも、そこに立っていたのは…。
「…まさ、や…?」
冬樹は呆然と、そこにいる幼馴染みを見詰めた。
「良かった…。やっと、目が覚めたんだな」
雅耶はホッ…とした表情を見せると、部屋の電気を点けた。
急な眩しさに冬樹が目を細めていると、「…眩しいか?ごめんな…」そう言いながらも、雅耶は勝手知ったる様子で既に薄暗い窓辺のカーテンを閉めている。
初めは、何故雅耶がここに…?という疑問が、冬樹の頭の中をぐるぐると回っていたが、その自然な様子から此処が雅耶の部屋なのだということに気付く。
よくよく考えてみれば、以前に何度も来たことがある、見覚えのある部屋だった。家具などが、小さな子どもの頃の物とは随分と変わっていて、雰囲気が違い過ぎていて分からなかった。
(でも、それなら尚更…。何で…オレは雅耶の家にいるんだろう…?)
己の動きを目で追いながらも、未だに呆然と横になったままでいる冬樹に。
雅耶はそっと近付いて、声を掛けた。
「冬樹…?大丈夫か…?起き上がれるか?」
すると、冬樹は不安げに瞳を揺らした。
「雅耶…。ごめん、オレ…。今の状況がよく、掴めてなくて…」
戸惑い、迷うように見上げてくる冬樹に雅耶は小さく頷くと、冬樹がここへ連れて来られた時の状況を簡単に説明した。
すると、冬樹は…。
「そう、だったんだ…。ごめん。…すっかり迷惑掛けた」
申し訳なさそうに瞳を伏せた。
「馬鹿、謝るなよ。謝らなくていいから、何があったのか全部話してくれないか?」
雅耶は真っ直ぐに冬樹を見下ろして言った。
「…うん。でも、その前に…ごめん、雅耶…。オレ、薬で身体が痺れて上手く起き上がれなくて…。その…」
「……え?」
起こすのを手伝って欲しい…というのは、何だか気が引けた。
でも、雅耶の話を聞いている内に、今自分が雅耶の部屋の、雅耶のベッドに寝ているこの状況に今更ながらに気が付いてしまって。
意識してしまったら、堪らなく恥ずかしくなった。
雅耶の匂いに包まれている、自分に。
(…ど、どうしよう…)
変な動悸までしてくる始末だ。
今まで平然と横になっていたのが、不思議な位だった。
だが、雅耶は別のことが気になったようだ。
「薬で痺れてって…大丈夫なのか?無理しないで、まだ横になってろよ」
それが、雅耶なりの気遣いや優しさだということは分かっているが、自分的にこれ以上耐えられそうになかった。
「あ…いや。大丈夫っ…」
それならば意地でも自分で起き上がろうと、言うことを利かない身体を無理矢理に動かすと、今度は何とか上半身を起こす事に成功する。
だが…。
「あっ…」
突然、クラリ…と眩暈がして、身体の力が抜けた。
「…っ!あぶないっ!」
バランスを崩して、ベッド横へ落ちそうになった冬樹の身体を雅耶がすかさず屈んで受け止めた。
「……っ…」
眩暈をやり過ごし、咄嗟につぶっていた目をゆっくりと開くと。
「…大丈夫か?」
すぐ近くに雅耶の顔があり、自分を心配げに覗き込んでいた。
それに、自分はその広い胸に頭を預け、しっかりとその力強い腕の中に抱かれていて。
「~~~っ!!」
内心で冬樹は、飛び上がる程に動揺していた。
実際には、それがあまり表情には出ておらず、大きく瞳を見開いて驚いている程度だったのだが。
そんな冬樹をじっと見詰めていた雅耶は、わざとらしく大きな溜息を吐いた。
「だから、無理するなって言ってるのに…」
そう、呆れるように言われて。
「ご…ごめん…」
冬樹は、ただ謝ることしか出来なかった。
「少しは俺の気持ちも考えて欲しいよな…」
「…えっ…?」
独り言のような雅耶の呟きが聞こえて、冬樹は俯いていた顔を咄嗟に上げた。
すると…思いのほか、真剣な雅耶の顔がそこにはあった。
そのまま、抱かれたままの状態で真っ直ぐに瞳を射られてしまい、冬樹は硬直する。
(まさ、や…?)
「無茶ばっかりして…。今日だってどれだけ俺が心配してたか、分かってるか?」
「………」
少し怒っているような顔。
「俺、力には気を付けろって言ったよな?直接、力が何か企んでた訳ではなかったのかも知れないけど。こんな自由が利かなくなるような怪しい薬なんか飲まされて…。あの人が助けてくれなかったら、もっと酷い目に遭っていたかも知れないんだぞ?分かってるのか?」
それに関しては、自分でも警戒してた分耳が痛かった。
気を付けていながらも、まんまと罠にはまってしまったのは、完全に自分の甘さが招いたことだ。
その結果、こうして雅耶にまで迷惑を掛けてしまっている自分は、やっぱり駄目駄目だと思った。
「…ご、めん…」
(何だか、オレ…。さっきから謝ってばかりだ…)
自分でそれに気付きながらも、結局は他の言葉が出て来なかった。
雅耶は、まだ何か物言いたげに、じっとこちらを見詰めてくる。
あまりに間近にある雅耶の瞳に、冬樹は耐えきれずに視線を彷徨わせると、俯いた。
雅耶は迷っていた。
遠回しに何を言っても、もう意味がないような気がしていた。
夏樹が装っている『冬樹』に対して言うのでは、もう言葉が心にまで届かない気がするのだ。
自分の中の夏樹への想い。
本当の想いを…。本当の言葉を…。
その本音を伝えたくて堪らない。
よろめいた夏樹を咄嗟に受け止めただけとはいえ、一度腕の中に抱きしめてしまったら、もう手離すことは困難で。
その、愛しくてたまらない存在を、ずっと己の内に留めておきたいと思う。
目の前で迷うように、不安げに瞳を揺らすお前を。
「もう、限界…かな…」
溜息混じりに聞こえてきた雅耶の思わぬ呟きに、冬樹は目を見張った。
その、思ってもみなかった言葉に、冬樹はビクリ…と身体を硬くする。
(どういう…意味…?もしかして、オレ…。雅耶に嫌われた…?愛想が尽きた…って…。そういう、意味…?)
絶望的な気持ちで、冬樹は恐る恐る視線を上げた。
自分でも知らぬ内に、身体がカタカタと小刻みに震えだす。
雅耶の顔を見るのが、こんなに怖い…なんて。
雅耶に嫌われるのが、こんなにも…怖い…。
いつから自分は、こんなに臆病になってしまったのだろう?
その口から『もう、限界』だと…。
『もう、お前には付き合ってられない』と…そう言われてしまったら…。
そう考えただけで、こんなにも怯えている自分がいることに、自分自身で何処か他人事のように驚いていた。
何処かで、もう一人の自分の声が囁いている。
『でも、愛想尽かされて当然なことを、お前自身がしてるだろう?自分は散々、嘘で塗り固めているくせに…』
本当に、その通りだと思う。
それに…。
心配して気にかけてくれてるのを解っていながら、自分はその言葉に耳を傾けもせず、思うままに突っ走って…。
そうして、結局迷惑ばかり掛けて振り回しているだけだ。
(そんな勝手なヤツ、見限られて当然だよな…)
素直に甘えることも出来ない。
(…だって、甘え方なんて知らない…)
雅耶を本当に信じているのなら、全てを伝える事だって出来る筈だ。
(でも、怖いんだ…)
今まで偽って来たことを責められたらと思うと、心が苦しくて。
これまでの関係が崩れて、全て失ってしまうようなことになったら、きっと今の自分は耐えられない。
それに、雅耶の前で一度でも夏樹に戻ってしまったら、もう『冬樹』には戻れなくなってしまいそうで…。
そうして、ふゆちゃんの戻って来れる場所を失ってしまうのが、何よりも怖くてたまらないのだ。
(でも、オレ…やっぱり、雅耶には嫌われたくない…)
心の中の、身勝手な想いが勝って…。
そんな自分に自己嫌悪を抱きつつも、沢山の複雑な気持ちがないまぜになって、感情を抑えることが出来なくなっていた。
抑えきれなくなった想いは…。
涙の雫となって冬樹の頬を伝い落ちていった。
腕の中の冬樹が突然泣き出して、驚いたのは雅耶だった。
「馬鹿。何で泣くんだ…」
「…ごめ…まさ、や…」
涙に濡れた瞳で、こちらを見詰めてくる冬樹に。
雅耶は、最初は戸惑いの表情を見せていたが、困ったように微笑むと。
「まったく、お前はホントに…。そういうトコ、変わってないよな。何を言っても聞かない無鉄砲で、そのくせ泣き虫で…。でも…」
雅耶は、冬樹の身体を支えていない方の手をそっと伸ばすと、零れ落ちる目元の涙をそっ…と拭った。
「…そういう『夏樹』だからこそ…俺は放って置けないんだけどな…」




