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数日後。
春の柔らかな日差しの下、冬樹は真新しい制服に身を包み、混雑した通勤電車に揺られていた。
今日は、冬樹が通うことになる高校『私立成蘭高等学校』の入学式。成蘭高校は、冬樹が住んでいる最寄駅から5つ先の駅を下車、徒歩10分程の所にある。通学時間は40分程度だが、電車通学が初めての冬樹は、電車内でのあまりの人の多さに無駄に神経を使い、改札をくぐる頃には若干疲れを見せていた。
だが、学校に近付くにつれ、同じ制服の生徒が周囲に目立つようになり、徐々に緊張感が増してくる。
成蘭高校の制服は、チャコールグレーのブレザーに、左胸ポケットには学校オリジナルのエンブレムワッペン。ワイシャツに濃エンジベースのライン入りネクタイ。そして、グレー系チェックのスラックスといった、いかにも私立らしい近年人気のデザインだ。人気の制服デザインに特に興味はない冬樹だったが、その他ブレザーの下にスクールセーターやベストを着ることも可能で、その自由さに関しては、ある意味有難い仕様だと思っていた。
(それにしても…見事なまでに男ばっかりだな…)
校門の前で立ち止まると、冬樹は周囲を見渡した。
続々と登校してくる冬樹と同じ新入生をはじめ、受付や案内をしている多くの上級生達も全て男子生徒だ。だが、それは当然の事であった。
ここ、成蘭高等学校は男子校なのだから。
(自分で決めたんだ。今更迷いも何もない…)
冬樹は軽く深呼吸をすると、その敷地へと足を踏み入れた。
新入生は、昇降口前に大きく掲示してある名簿でクラスを確認後、教室へ向かうとのことだった。沢山の生徒が群がっているその場所へ、仕方なく冬樹も足を向けたその時だった。
「あれっ?冬樹…?」
突然、後ろから声が掛かった。
「………?」
思わず足を止めて振り返る。
…が、こんな所で誰かに声を掛けられるとは思っていなかった冬樹は、心底驚いていた。第一、自分を『冬樹』と名前で呼ぶ者など思い浮かばないのだから。
怪訝そうに振り返った冬樹の顔を見て、確信を得たようにその人物は笑顔を見せた。
「やっぱりそうだっ!お前、冬樹だろっ?」
人懐こい笑顔。
この顔には見覚えがあった。
(もしかして…)
「俺だよ!俺っ!!雅耶だよ!!」
「まさ…や…?」
(やっぱりか!!)
衝撃で固まってる冬樹をよそに、雅耶は嬉しそうに話を続けた。
「スゴイ偶然だなっ!まさか同じ学校になるなんてっ。こないだ駅でお前見かけてさー、まさかと思ったんだよっ」
若干興奮気味で、まくし立てるように話す雅耶を前に、冬樹の頭の中では自問自答が繰り返されていた。
(何で雅耶がここに…?いや、同じ制服着てここにいるってことは、この学校の生徒ってことだよな…。でも、こんな偶然って有りなのかっ?そりゃあ…こっちに戻って来た以上は、雅耶にもいつか会いたいとは思ってたけど…まだ、心の準備が出来てないって…。…それにしてもデカいな。180はあるんじゃないか??どうやったら、そんなに背が伸びるんだ…?)
半ばパニック状態である。
だが、表面上は瞳を大きく見開いている程度で動揺している様子はみられなかったりするのだが。
そんな時。
「おっす!雅耶っ!!何やってんの?何組だった?」
雅耶の知り合いらしき人物が、雅耶の後ろから声を掛けてきた。
「あ、長瀬!おはよー」
雅耶がそちらを振り返り、自分に背を向けたと同時に、冬樹は条件反射的にその場から立ち去っていた。後々気まずくなることは分かっていたが、そんなことはどうでも良い。とにかく、気持ちを落ち着けたかった。
「あれっ?冬樹…?行っちゃったのか…」
長瀬と挨拶を交わしているうちにいなくなってしまった冬樹に、雅耶は少々気落ちしながら昇降口の方を眺めた。
(待ちくたびれちゃったのかな…。悪いことしたな…)
その様子を見て、長瀬がニヤリと笑った。
「あれー?雅耶クン。なになにー?入学早々振られちゃったのかにゃ?」
相変わらずのツッコミに、雅耶は大きく溜息をついた。
「あのなー…。馬鹿なこと言ってないで、ほら…俺らもクラス見てこようぜ」
「ほーい…」
そうして名簿が掲示してある群れの中へと歩みを進めた。
どうして、こうなるんだ!!
冬樹は、教室の自分の席に座って固まっていた。前では、担任が入学式の説明と今後の流れなどを説明している。
有り得ない。
まさか、雅耶とクラスまで同じだなんて…。
校庭で話し掛けられたのに、そのまま逃げてしまった気まずさは勿論だが、今後のことを考えると更に気が重くなる冬樹だった。雅耶も朝のことを気にしているのか、さっきから何度かチラチラとこちらを振り返って見ている。
(何にしてもやりにくい…)
その一言に尽きる冬樹だった。
(もしかして…俺、避けられてたりする…?)
HR終了後、まだ多くの生徒達が教室に残る中、冬樹の席を振り返った雅耶は溜息をついて肩を落とした。既に鞄もない。もう帰ったのだろう。
雅耶は、今朝のことを謝ろうと冬樹に話しかける機会をずっと窺っていた。だが、式典の為講堂に移動する際も、教室に戻ってHRが始まるまでの僅かな時間でさえも、冬樹はどこかに行っていて、結局一言も話すことは叶わなかったのだ。
もしかしたら、たまたまだったのかも知れない、とも思う。
(でも、久し振りに再会出来て嬉しかったのにな…)
流石に落胆の色を隠せない雅耶。
(でも、明日からもずっと学校で会えるんだし、まぁいっか…)
そう思うと、徐々に気分が浮上してきた。
「おー雅耶、帰るかー?」
長瀬が手に持った鞄を肩に担いで、雅耶の席までやってくる。
「あ、ごめん長瀬。俺、これから寄りたいとこあるんだ。今日は先に帰ってくれていいよ」
ゴメンと、片手を上げて謝るポーズをすると、
「そーなの?オッケー。んじゃ、また明日なー♪」
長瀬はあっさりと、にこやかに手を振って帰って行った。その友人が教室を出るまで見送って。
「さて…と」
雅耶も自分の鞄を手に取ると、
「姉御に会いに行きますかっ」
そう言って、教室を後にした。
雅耶は、若干校舎の中を迷いながらも何とか保健室の前まで辿り着くと、緊張気味にコンコン…と、控えめにノックをした。 すると、「はーい、どうぞ」と知った声が返ってきたので、ホッと肩の力を抜くと、ゆっくりと扉を開けた。
「失礼しまーす。…清香姉?」
「あら?雅耶じゃないっ!」
机で何か作業をしていた手を止めると、白衣を身に纏った女性が顔を上げて笑みを浮かべた。この学校の保健医である浅木清香は、雅耶の家の近所に住んでいて、小さな頃からよく遊んでもらっていた雅耶のお姉さん的存在の人物だ。
「今は誰もいないから大丈夫よ。入りなさいよ」
「はーい、失礼しまーす」
雅耶はそのまま保健室へと入室した。
「とうとうマー坊も高校生かー。改めて入学おめでとうね!」
「ちょっと、清香姉…。その『マー坊』はやめてよ…」
雅耶は照れくさそうに笑みを浮かべると「でも、ありがとう」と言った。
「すっかり大きくなっちゃって…。そんなに、上から見下ろされたら何だか調子狂っちゃうわね」
20センチ以上も差がある雅耶を見上げて、清香は優しく笑った。
「で…何組になったの?学校はどう?男子校だとまた全然雰囲気違うでしょう?友達は出来そう?」
矢継ぎ早に出てくる質問に雅耶は苦笑すると、
「確かに男ばっかりで不思議な感じはするかな…。でも、すぐ慣れると思うよ。俺のクラスはA組。この学校には何人か中学一緒だった奴らもいるし気持ち楽かな。仲良い奴も丁度おんなじクラスになって、ラッキーだなって言ってたんだ」
そう律儀に答えた。
「そうなんだ?それは心強いね。いいなぁー、これから楽しい高校生活が待ってるってことかぁ」
清香は、伸びをしながら笑って言った。
「うん。清香姉にお世話になることもあるかも知れないけど、これからよろしくね!」
「馬鹿ね。世話にならない方が良いに決まってるでしょ?保健室なんだから。それに、ココでは『先生』って呼ばなくちゃダメよっ」
そう言って、人差し指をピッ…っと立てた。
「あー…そうだった。『浅木先生』?」
「『清香先生』でもいいわよ。みんな結構そう呼んでくれてるし。こう見えて、私はこの男子校のマドンナ的存在なのよ♪」
そう笑った清香に。
「へぇー…」
と、相槌を打ちながらも。
(そういうの、自分で言っちゃダメっしょ…)
と、頭の中に浮かんだツッコミは、自分の内に留めておくことにした。
「そういえば、清香姉…じゃなくて、清香先生…」
律儀に呼び直している雅耶に、清香はふふ…と笑った。
「なあに?」
「冬樹って覚えてる?ウチの隣に住んでた…」
「ふゆき…くん…?隣って…野崎さん?」
「そうそう、そこの双子の…」
考える様な素振りをしていた清香だったが、そこまで聞いて思い出したようでポンッ…と、手を打った。
「ああ。覚えてるわよ。何度か雅耶と一緒に遊びに来てた可愛い双子ちゃんでしょ?でも、野崎さんの家…大変だったのよね…。その子一人だけ残されちゃったんだっけ…?」
「うん。あいつさ、あの後…親戚の家に引き取られたんだ…」
雅耶は昔を思い出しているのか、少し辛そうな顔をした。
「それからずっと会ってなかったんだけど、あいつ…こっち戻って来たみたいで…。偶然、あいつもこの学校だったんだ」
「そうなんだ?すごい偶然だね」
懐かしい友人の話をしているわりに、雅耶が浮かない顔をしているので、清香は不思議そうに話の続きに耳を傾けていた。
「うん。それもさ、同じクラスだったんだよ。本当スゴイ偶然でしょ?」
「へぇー。この学校クラス多いのに、それは凄いね」
「うん」…と笑顔を見せながらも、それはどこか元気のないもので。
清香は疑問に思い、それを口に出した。
「でも、何だか雅耶は複雑そうだね。…会えて嬉しくなかったの?」
そう、指摘され。雅耶は大きく目を見開いた。
「勿論、嬉しいに決まってるよっ!ずっと会いたいと思ってたんだっ。だから俺、嬉しくて声掛けたんだけど…。でも…あいつは、そうじゃなかったのかもって…」
その雅耶の様子を見て、何かあったことだけは清香にも解った。
「やっぱ、昔とは違うのかな…?」
遠い目をして窓の外に視線を流してしまった雅耶に、清香はフッ…と笑って声を掛けた。
「そっか…。確かに変わってしまった部分は、お互いにあるのかも知れないよね」
そう言うと、雅耶は視線を清香に戻した。
「でも、きっと冬樹くんは色々苦労したんじゃないかな…。家族を失って…環境も変わって…」
「うん…」
「でも、雅耶だって小学生の頃とは流石に違うでしょ?みんな成長していくんだもの。ただ根本的なものはそう変わらない…。きっと冬樹くんもそうだと思うよ」
清香は、諭すように優しく言った。
「また、仲良しになれるといいわね」
そんな清香の言葉に。
雅耶は、少し気持ちが楽になったような気がした。
「うん、そうだね。ありがと…。清香姉…」
「『清香先生』…でしょ?」
すかさず訂正が入って、雅耶は清香と顔を見合わせると。
お互い声を上げて笑った。
明日、また冬樹に話し掛けよう。
まだ、避けられてると決まった訳じゃないし…。
冬樹がいる高校生活は、きっと楽しいものになるに違いない。
そう信じて疑わない、雅耶であった。
一方の冬樹は。
学校からの帰り道。比較的空いた電車のドア横に立ち、揺られながら遠くの空を眺めていた。
「………」
HRの挨拶の後、逃げるように教室を後にした。
本当は、雅耶が何か言いたげなのは分かっていた。
でも、話を出来る余裕が今の自分には無かった…。
雅耶は『冬樹』と『夏樹』にとって、大切な幼馴染であり、大切な友人だ。伯父の家に引き取られてからも、会いたいと…今頃どうしているだろうと思っていたことはあった。だから、本当は雅耶に会えて嬉しかった気持ちもある。
(だけど…)
あまりにも近すぎて。
自分達兄妹にとって『雅耶』という存在は、あまりにも近すぎていたから…。
本当は冬樹がいなくて、夏樹である自分が『冬樹』を演じているということの罪悪感が…どうしても拭えないのだ。
兄の冬樹に対しては勿論のこと…、雅耶に対しても。
これが、本当の冬樹と雅耶であったなら。
生きていたのが、兄の冬樹であったなら…。きっと、八年振りだろうが何年振りだろうが、二人はすぐに昔の関係を取り戻せる筈だ。
仲の良かった『親友の二人』に。
ふゆちゃん、本当にごめんね。
雅耶も、ごめん…。
(オレには…そんな資格は無い…)
これは、罰だ。
冬樹を身代わりに、ひとり助かってしまった夏樹の罰。
(雅耶…。もう、オレなんかに話し掛けるな…。関わらないでくれ…)
掴んだ手すりに力を籠めると、冬樹はドアに寄り掛かり俯いた。