19‐3
一方、資料倉庫の床に横になったまま一人残されていた力は、やはり冬樹同様、薬の効果で徐々に意識が朦朧とし始めていた。
(身体が痺れて…もう、感覚がない…。それに…なんだか、眠く、なってきた…)
視界がぼんやりと歪む。
冬樹を連れて此処を出て行こうとした萩原がドアを開けた直後、ドサッ…という大きな物音がしたのを聞いた。
気にはなったものの、そちらに視線を向けることすら叶わず、その後は特に変わった様子もなかったので、考えを巡らせるのも面倒に感じて力は目を閉じた。
(きっと、もう車へ向かったんだろう。そうしたら暫くは戻って来ない…。薬が切れるのが先か、萩原が戻って来るのが先か…いい勝負と言ったところかも、な…)
力は目を閉じたまま、自嘲気味に歪んだ笑みを浮かべた。
萩原の、ある種の裏切り行為。
彼に対して寄せていた信頼が大きかった分、力の中でのショックも大きかった。
母親が亡くなってからは、親代わりのようにいつでも傍にいてくれた、頼れる存在だった。
今では、親よりも何よりも身近な存在だったのに…。
だが…。
(いや、俺が愚かだっただけ…だな。結局は、親父の手の中で足掻いていただけだった、ということか…)
多少の悔しさはあるが、薬のせいか、それさえももうどうでもいいことのように思えた。
そうして、僅かな時間だが意識が途切れていた力の耳に、不意に小さなカタカタ…という物音が届いて来て、力はうっすらと目を開けた。
(…人の、気配…?)
すると、そこにはパソコンを打ち込んでいる一人の男の背があった。
(………?…だれ…だ?)
こちらからは顔が良く見えない。
背格好を見ても、心当たりのある人物は思い浮かばなかった。
ただ、パソコンのディスプレイ画面はかろうじて見えていたので、その人物が何をしているのか、力は声を出さず静かにその様子を眺めていた。
男は手際よくパソコンを操作してファイルの解除画面を開くと、次に静脈認証装置へ自らの右手を置いた。
(…こいつも、例のデータ狙いか…?…だが…)
先程冬樹の掌を読み込んだ時と同様に、ピピピ…という電子音が鳴っている。
だが、違うのはその後だった。
今度は、エラー画面ではなく、そのファイルの中身が開かれたのだ。
幾つものウインドウが開き、画面上に表示される。
「…なっ!」
驚きの余り、力が思わず声を発すると。
その人物が、ゆっくりとこちらを振り返った。
それはまるで、スローモーションのように見えた。
ゆっくりと、こちらを振り返るその顔は…。
「……え…?」
力は横になったまま、呆然とその男の顔を見詰めた。
男は、力の意識が戻っていたことに特別驚いた様子も見せず、こちらに静かな視線を向けている。
「お…前…?…だれ…だ…?」
思わず声がかすれる。
頭が混乱していた。
訳が…分からない。
その顔には見覚えがある。あるのだが…。
まさか…という思いと、何故?という疑問が、力の頭の中で渦を巻いていた。
「そ…んな…はず、は…」
その、目の前にいる男に似ている人物を自分は知っている。
だが…。
男は、驚き言葉を失っている力を暫く静かに見詰めていたが、僅かに微笑むと口を開いた。
「…ごめんね、力。このデータは僕が貰って行くね」
それだけ言うと、差し込んだUSBメモリにそのデータを移す作業に取り掛かった。
聞いたことのない、声。
『僕』という一人称。
雰囲気や背格好など、違いは他にも多々ある。
だが、その顔はまるで…。
そして自分を『力』と呼ぶ、その目の前の人物に思い当たるのは…。
「お前…、冬樹…か?」
有り得ないと思いながらも、その名前が口から出ていた。
先程まで一緒にいた冬樹ではない。
どう考えても矛盾しているとは思うのだが、それでもその名前が一番しっくりくるのだ。
何より、そのデータを平然と解除しているのが証拠なのだと思った。
男は、その名前に今一度振り返ると、どこか寂しげな微笑みを浮かべた。
「……ふゆき…」
(お前、やはり冬樹…なんだな…)
それは、確信だった。
だが、それなら…。先程の冬樹は?
今まで一緒にいた冬樹は…?
同じ学校に通い、同じ教室で授業を受け、食事も共にした。
初めは警戒心の固まりみたいだったが、最近では僅かながら笑顔も見せるようになった、綺麗なクラスメイト。
その儚い見た目とは裏腹に、怒らせると最強な面白いヤツ。
何故か俺を捕らえて離さない、あの冬樹は…?
目の前の男を通すことで、その答えがストン…と降りてきた。
そうか。
あれは、夏樹…だったんだな。
何故だとか、どうしてだとかいうものは、もう深く考える気力もなかった。
答えが出た所で、言葉も何も出て来ない。
思いのほか自分の内で納得して、力は考える事を放棄すると再びゆっくり瞼を閉じた。
男はデータの移動作業を終えると、元あったパソコン上のファイルは全て消去し、眠ってしまった力をそのままに、そっとその部屋を後にしたのだった。




