17‐4
「でも、想い続けることは難しくても、忘れられないんだ。夏樹程の女は探してもなかなかいないんだよ」
「………」
思わずシリアスだったのに、再び会話の方向性が変わって来たような気がして、冬樹はチラリと横目で力を見遣ると、気を取り直すように止まっていた手を動かして再び食事を始めた。
「…っていうか。二人にそこまで言わせちゃう夏樹ちゃんっていったいどんな娘なのよっ。超!気になっちゃうんだけどっ」
長瀬が、暗くなってしまった場を盛り上げるように明るくおどけて言った。
(ここにいるけどな…)
雅耶は、心の中で呟きながらその本人へと視線を移した。
冬樹は事故の話を聞いていた時、少し泣きそうな顔になったが、今は何故か黙々と食事に没頭しているようだった。
そんな様子を見ていて、思わずクスッ…と笑みがこぼれてしまい、雅耶は自身の拳で口元を隠した。
「でも、神岡さぁ…。お前さっき夏樹ちゃんを嫁に貰うつもりだったって言ってたじゃん?本人と約束でもしてたのか?」
長瀬がもっともな質問を口にする。
雅耶も気になっていたことだったので、力の返答を静かに待っていた。
だが、力は調子に乗ったのかとんでもないことを口走った。
「結婚の約束はしてないけど、ファースト・キスは貰ったぜっ」
ニヤリと得意げな笑みを浮かべる力に。
「なッ!?」
「おぉっ!?スゲーっ♪」
驚きの声を上げる雅耶と長瀬よりも、何よりも飛び上がるほど驚いたのは冬樹だ。
「ちょっ!お前っ!!何てこと言うんだッ!!」
「え?うわっ!」
思わず咄嗟に身体が動いていた。
椅子がガタンッと大きな音を立てる。
気が付けば、目の前で力は顔を引きつらせながら両手を上げて降参のポーズをしていて、冬樹は知らず知らずの内に立ち上がり、その力の胸ぐらを両手で掴んで持ち上げていた。
当然のことながら周囲の注目も一身に浴びていて、思わず固まる。
「ふ…冬樹チャン、冬樹チャンっ、落ち着いて落ち着いてっ」
珍しく長瀬が慌てている。
雅耶は無言で目を見張っていた。
「………」
冬樹は、気持ちを落ち着かせるように小さく息を吐くと、力を解放して元の席へと着いた。
「……ごめん」
小さく謝ってくる冬樹に、力は。
「あ…ああ、別に大丈夫…だけど…。ちょっとビックリした」
その気迫に。
(可愛い顔して、怒ると結構な迫力なんだな…)
その意外性も面白いとは思うが。
「その…何でお前がそんなに怒ってるのか、イマイチ分からないんだが…」
いささか控えめに聞いてみると、冬樹はバツの悪そうな顔をして答えた。
「お前が下らないことを言うからだっ。あんな騙し討ちでそんな風に触れ回られたら誰だって…。夏樹だって…浮かばれない…」
何故か語尾が小さくなっていく冬樹に。
「何でお前がアレを知ってるんだ?」
力が疑問を口にした。
その言葉に、冬樹は俯いていた顔を上げると、
「オレ達は二人で一人なんだ。夏樹のことで知らないことなんてない」
そう言い切った。
その表情は凛としていて綺麗だったけれど、何処か寂し気でもあった。
(それだけ、仲が良かった…ということなんだろう…)
力はそう解釈をする。
とりあえず故人のことでもあるし、多少大きく話してしまったことを反省して、力は素直に「…すまなかった」と、冬樹に詫びを入れた。
その言葉に。
冬樹は俯きながら「…別にいい」と小さく答えるだけだった。
そんな冬樹の様子に、それ以上誰もツッコミを入れることなど出来ず、微妙な空気のままその話題はそこで終了した。
冬樹は先程の件から気まずくなったのか、早々に食事を終えると「先に戻ってる」と言って、一人席を立って行ってしまった。冬樹がいなくなった後、力も責任を感じていたのか、後を追うように早々に食堂を後にした。
そんな二人を微妙な空気の中、見送って。
食事を終えた雅耶は、長瀬と二人教室へと向かって歩いていた。
「それにしても、冬樹チャンのさっきの剣幕は凄かったねぇ。珍しいよな?あんな風に怒るの」
面白いものを見たとでも言うように笑っている長瀬に。
「まぁ…な」
雅耶は気のない返事をした。
「あれってやっぱり兄妹愛とかなのかにゃー。妹のメンツが掛かってるし『適当なこと言うなーっ!』…みたいな?」
「そう、だな…」
(本当は違うけど…)
そう思いながらも『あいつ本人の話しだから』…なんて、言える筈はなくて。
曖昧な相槌を返すしかなかった。
だが、そんな雅耶の覇気のない様子に気付いた長瀬は、すかさずツッコミを入れてくる。
「あれぇ?なになにー?雅耶クン、何だか元気ないですよーっ?もしかして、アイツに先越されちゃってて悔しかったりするのかにゃ?」
「………」
「ちょっ…ちょっと!雅耶、マジか?」
「…うるさいな」
半分冗談で突っ込んだらしい長瀬は、俺が図星で何も言えないでいると慌てて気を使ってくる。
「バカ、あんなの気にすることないって。現に冬樹チャンも言ってたじゃん。夏樹ちゃんは騙されたって…。きっとアイツが無理やり奪ったんだよ。そーいうのは、カウントに入れる必要ないって。事故だ事故。…な?アイツの言ってることなんて気にすんなっつーの!」
珍しく長瀬に励まされて、雅耶は何だか可笑しくて笑ってしまった。
「ははっ…サンキュ。大丈夫だよ、そんなに落ち込んでないから」
(少しだけ落ち込んでるけど…)
でも、これでやっと解った。
『なっちゃん、すっごい引いててさ。あんなに何かから逃げ回ってるなっちゃんなんて、なかなか見れないと思うよ。…もしかして、何かされたりしたのかな?』
昔…冬樹が言ってた、その言葉の意味が。
冬樹は屋上に来ていた。
屋上は、普段から昼休み中だけ解放されているのだが、流石にまだ暑い時期である為か生徒は殆どいなかった。上級生が奥の方で数人溜まっていたいたが、冬樹は離れた場所で一人外を眺めて佇んでいた。
だが…。
「おい、あれって…、一年の野崎じゃね?」
上級生達は冬樹に気付くと、数人で目配せをした。
冬樹は、遠く浮かぶ入道雲をフェンス越しに眺めながら小さく溜息を吐いた。
(何をムキになってんだか…。馬鹿だな…)
今の自分は夏樹じゃない。
それに、あんな過去の悪戯なんか忘れてしまえばいいだけなのに。まるで弁解しているかのような自分の言葉に、後から恥ずかしさが込み上げてくる。
(でも、雅耶達の前であんな話をわざわざする必要なんてないのに。力は何を考えてるんだ…)
そのデリカシーのなさには、正直呆れてしまう。
でも…。
(出来れば雅耶には…知られたくなかった、な…)
その時…。
数人の気配を突然背後に感じて、冬樹はハッとした。
思わず自らの考えに没頭していたのだろうか。
気が付けば、自分のすぐ後ろに5人の上級生達が立ち並んでいた。
「よぉ。何してんの?こんな所で」
「何だか一人で寂しそうじゃん」
上級生達は、フェンス際に冬樹を追い詰めるように取り囲んだ。
(…さっき、向こうに溜まってた連中か。油断したな…)
皆見知らぬ者ばかりだが、何故だか穏やかな雰囲気ではない感じを受ける。
冬樹は警戒しながらも、「…何か用…ですか?」と控えめに聞いた。
力は冬樹を探していた。
(確か上へ向かったと思ったんだけど…)
階段を昇りながら周囲を見渡す。
この先は、屋上しかない。
他学年の教室へ向かう筈もないことから、後は屋上を覗いてみて、そこにも居なかったら教室へ戻ってみようと思っていた。
初めて来る屋上の扉を、力はそっと開ける。
すると…。
少し先で、生徒が数人集まって何か揉めているようだった。
割と背の高い大柄な集団で、雰囲気だけで皆が上級生だと分かる。
だが、その中心にいるのは。
「…冬樹?」
「アンタ、一年の野崎だろ?」
「やっぱ、写真で見るより断然可愛いなっ」
「顔なんか超小せぇじゃん」
「ホント男にしとくの勿体ねェなー」
「俺、すっげぇ好みかも」
その上級生達は、冬樹を取り囲みながら口々に好き勝手なことを言っている。
その視線は、何処か品性に欠けるものであった。
「………」
嫌な雰囲気に若干身の危険を感じて、冬樹がどう出ようか考えていると、その内の一番大柄な生徒が冬樹の小さな顎を掴んで上向かせた。
「俺達と遊ばねェか?…少し付き合えよ」
「…何すんだっ。離せっ」
冬樹を挟み込むように両横についた二人が、冬樹の左右の腕をそれぞれ掴んで押さえ込む。振り払おうにも、男二人に押さえ込まれては流石にびくともしない。
「お前の写真は、激売れしてるらしいじゃないか。俺らにもあやからせてくれよ」
目の前の男は厭らしい笑みを浮かべると、制服のズボンのポケットから自分のスマホを取り出した。
「おっ写真撮るのか?イイねェ。きっと高く売れるぞっ」
「どうせなら、少し色気のある写真の方が良いよなァ?」
一人がそう言うと、他の男達が笑った。
(写真って…何のことだ?でも、マズイな…。学校だと思って完全に逃げるタイミングを見誤った。…どうする…?出来れば穏やかにと思ったけど、そうも言ってられないか…?)
冬樹は、冷静に男達の動きを見て隙を探していた。
だが、その時。
「お前、何見てんだァっ?」
一人の男が屋上のドアの前で立ち尽くしている力を見つけた。
「ふ…冬樹…」
(ちから…?何でここに…)
力はどうしたらいいのか迷っているのか、動けずにいるようだった。
「あれーっ?お前、見たことある顔だなァ?」
冬樹を押さえている男達と正面にいる大柄の男以外の残りの二人が、力の方へと歩み寄って行く。
「いっつも車で送り迎えして貰ってる、あの噂の転校生じゃねぇのか?」
「おー、そうだ。俺も見たぜっ。確かコイツだよ」
絡むように力の傍に寄って行くその男達を見て、冬樹は声を上げた。
「力っ。逃げろっ!」
「えっ…あっ…」
だが、ビビッているのか動くことが出来ずに、結局二人に捕まってしまった。
「運転手付きの高級車で登校だなんて、ホント生意気だよなァ。自慢かっつーの!俺そーいう空気読めない奴見てるとホントむかつくんだよねっ」
男達の力に対してのイメージはあまり良くないようだった。
引っ張られて冬樹達の傍まで連れて行かれると、思い切り背中を押されて力はコンクリートの床面へと倒れ込む。
「力っ…」
冬樹が心配げに声を上げた。
力は自分を見下ろす上級生達に戦々恐々としながらも、精一杯虚勢を張った。
「お前達っ…数人で寄ってたかって…卑怯だと思わないのかっ」
だが、それはこの状況では逆効果でしかない。
(馬鹿っ。下手に挑発してどうすんだっ)
冬樹は、力のKYさに呆れて心の中でツッコミを入れた。
「はぁ?何なんだァ?お前」
「生意気に俺達に説教垂れる気かァ?」
案の定、上級生達を怒らせてしまったようだった。
「テメェ、生意気なんだよっ!」
倒れて座り込んでいる力の腹に、一人の男が蹴りを入れる。
「うぐ…っ」
「力っ!」
冬樹は両腕を掴まれたまま、身を乗り出すように声を上げた。
だが、痛みに蹲る力を見て、男達は小馬鹿にしたように笑っている。その内、もう一人の男も調子に乗ると、まるでボールを蹴るかのように素早く力を蹴り上げた。
もう、我慢の限界だった。
「……いい加減にしろ…」
冬樹が小さく呟く。
「あぁ?何か言ったか?」
右腕を押さえ込んでいる男が、俯いている冬樹の言葉に耳を傾けたその時だった。
冬樹は身体を捻ると、右足で思いっ切りその男の足元を後ろから前へと蹴り上げた。油断していた男は、不意打ちを食らって足元をすくわれ、尻餅をつくように後ろへとひっくり返る。
その場にいた皆が何が起きたのかも分からず、驚き怯んだその瞬間、冬樹は瞬時に身体を回転させ、もう片方の腕を掴んでいる男に向き合い、解かれた右腕でその男の胸ぐらを掴むと、勢いよく背負い投げた。
バターーンッ!!
床面に仰向けに投げ出されて放心する男と。
それを辛うじて避けつつも、驚き固まっている男達。
そして、力。
誰もが、目を見張って冬樹を見詰めていた。
「…アンタ達が先に手を出したんだ。…これは、正当防衛だからな…」
(…呆れたな…)
力は座り込んだまま、その一部始終を呆然と見ていた。
それは、本当にあっという間の出来事だった。
冬樹が軽い身のこなしで上級生達をやっつけていく様子。その姿は、本当に舞うように綺麗で、暴力的なものを一切感じさせない不思議な光景だった。結果、男達は逃げるように屋上から去って行き、そこには冬樹と力の二人だけが残されていた。
(コイツ…本当に凄ぇ…)
「…大丈夫か?力…」
気が付くと冬樹が傍まで来ていて、こちらに手を差し伸べている。
その姿は夏樹の面影を残した、まるで少女の様なのに。
力は「すまない…」と素直に礼を言うと、その手を取った。
冬樹はその腕を引き上げ、立ち上がらせてくれる。
「お前…強いんだな…」
力がそう素直に述べると、冬樹は照れ隠しなのかバツの悪そうな顔をした。
そんな様子に思わず笑みがこぼれた。
この男は、何故か自分の心を捕らえて離さない。
(参ったよ…。コイツには敵わない…。俺の完敗だ…)
力は心の中でそう呟くと、自分の中で決意を固めた。
(…決めた。俺は冬樹側につく。コイツに全面的に協力してやる)
それが例え、自分の父親を敵に回すことになっても。