16‐3
とある場所の、とある一室。
いつもと変わらない街の煌めく夜景をバックに、その中年男は革製の大きな椅子に深く腰掛けていた。
そこに一人の男が報告にやって来た。
「…何だ?何か進展でもあったのか?もう下らない失敗の報告など聞きたくもないぞっ」
中年男は椅子を僅かに回転させ、身体を横向きに変えて足を組むと、報告に来た男を斜めから睨みつけた。
「はっ。いえ、実は…ご子息の、力様のことでご報告が…」
「…何?力がどうした?」
中年男は、その名前が出ると僅かに表情を緩ませた。
「はい。実は、あの例の少年の通う高校に力様が出入りしているという報告が入りまして…。一応、神岡様のお耳に入れておいた方が宜しいかと…」
「ん…?どういうことだ?休み明けから別の学校へ通いたいという話があって転校の承諾はしたが…。まさか、その転校先の高校があの野崎の息子の通ってる学校だったとでも言うのか?」
「はい。そのようです」
その言葉に、中年男は険しい表情で考えを巡らせた。
「…どういうつもりだ?偶然…というには、あまりにも…」
暫くその中年男…神岡は、腕を組んではブツブツと独り言を呟いていたが、次の指示を待っていた男が痺れを切らして口を開いた。
「…いかがいたしましょう?」
「ふん…。まぁ、あいつが何をする訳でもないだろうし問題ないだろう。こちら側も学校内で派手に動き回るようなことをするつもりはないしな。あいつが巻き込まれる危険性もない。…放っておけ」
「かしこまりました」
その男は深く一礼をして「失礼いたします」と挨拶をすると、その部屋から出て行った。
一人部屋に残された神岡は、ギシリ…と音を立てて椅子から立ち上がると、窓際から煌めく街の明かりを見下ろした。
「力め…。何を考えている…?」
所変わって、某高級マンションの一室。
その部屋の大きな窓からも、煌びやかな夜景が目下に広がっていた。
「力様、やはり彼には監視の目が付いていましたね」
力に食後のコーヒーを淹れながら、男は言った。
「やっぱりな。親父たちが冬樹を狙ってるってのは本当らしいな」
力は目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばすと、その芳醇な香りを楽しむ。
「さぁ、どうしてやろうか。親父達よりも先に『鍵』を手に入れて出し抜いてやるのも面白いかもな」
そうして不敵な笑みを浮かべるのだった。
翌朝。
校門の傍に横付けされた車から降りてきた力は、前方に冬樹の姿を見つけた。
「冬樹っ!おはようっ」
追い駆けて横から声を掛けると、冬樹はチラリ…と視線を流しながら「おはよ」と、無愛想に返事をした。
「相変わらず派手な登校だな…。お前、何処から通って来てるんだ?」
歩いている足は止めずに、それでもとりあえず話し掛けてくる冬樹に、力は笑顔で横について歩いた。
「そんなに遠くから来ている訳じゃないんだが、電車では乗り換えも多いし車の方が早いんだよ。都内のマンションだが…今度遊びに来るか?」
さり気なく誘ってみるが、予想通りの冷たい返事が返ってくる。
「…遠慮しておく」
「相変わらず冷たいお言葉だな…」
おどけたように肩をすくめて言うと、冬樹がまたこちらをチラリと見て、少しだけ眉を下げると申し訳なさそうに言った。
「オレ、殆ど毎日バイトなんだ。だからなかなか予定立てられなくてさ…」
珍しく「だから、ごめん」…だなんて、しおらしい言葉が返ってきた。
(なんか、コイツ可愛いな…。男ながらにも、結構ツボかも…)
力は、外見では分からない程度に頬を染めた。
再会してからの冬樹は、何だかツンツンしているイメージばかりだったのだが、仲良くなってくると少しづつ素直な面を見せて来て、それが何だか新鮮で面白くて仕方がなかった。
何より俺はその顔に弱い。
(夏樹も生きていたら、今のコイツみたいに麗しく育ったんだろうな…)
そう思うと、今更ながらに悔やまれて仕方がない。
冬樹には違う目的で、上手く近付こうと思っていたのだが。
(普通に、興味をかきたてられる逸材だな…。面白い…)
力は心の中でほくそ笑んだ。
(それにしても…)
隣を歩く冬樹を横目でこっそり盗み見る。
(これだけ警戒心の強い冬樹をどうやって手駒にするか。…結構な難題だな…)
何にしても、もっと仲良くなって友人の一人として認められなければならないだろう。
(または…逆に弱みを握ってそこにつけ込むか…だな)
力がそんなことを考えている内に、二人は昇降口へと辿り着き、そこで一緒になったクラスメイト達と冬樹は目の前で笑顔で挨拶を交わしていた。
自分と二人でいた時とは明らかに違うその笑顔に、力は自分でも分からないモヤモヤとした気持ちが生まれて来るのだった。