16‐2
「力様、お帰りなさいませ」
校門を出た先に停車していた高級車から、運転手の男は素早く降りて来ると、さり気ない動作で後部座席のドアを開けて待った。
「ああ。ただいま…」
それが当たり前のように力は車に乗り込むと、運転手によってすぐにドアは閉められる。そして、男は自らも素早く運転席に乗り込むと、車を発車させて行った。
学校に運転手付きの迎えの車が来る…その尋常でない様子に、たまたまその場に居合わせた者達は、何事かとその様を見送っていた。
それが、噂の転入生とあって余計に皆の注目を浴びていた。
「凄くね?運転手付きだよっ運転手付き!あれは明らかに家族とかじゃない。使用人とかその類だよ。噂では『様』付けで呼ばれてるとかって言うじゃんっ。何者なんだよあいつッ?」
長瀬が興奮気味に話している。
「さあな…」
お互い部活終了後、昇降口で一緒になり雅耶と長瀬は並んで歩いていた。
(そう言えば、前に会った時も車に運転手が待機してたな…)
崖で出会った時のことを思い出す。
「…見かけによらず、お金持ちのボンボンとかだったりするのかな?」
雅耶が呟くと、
「『見かけによらず』かー、言うねっ雅耶!」
とか、冷かされてしまった。
別に、あいつに特別悪いイメージはない。
ちょっと変わっているし、気取り屋な感はあるけどそういう奴だって、まぁ何処にでもいるだろう。
ただ…。
冬樹に纏わりつき過ぎなのが、目に付く。
それが、雅耶的には面白くなかった。
「だいたい、冬樹チャンに会いたくて転入してくるとか、有り得なくね?編入試験とかもあるんだぜ?実際、めんどくさいっつーの!」
「まぁ…そうだよな…」
「それに、以前何処の高校行ってたか知らんけど、また制服やら何やら金とか掛かる訳じゃん。やっぱ、相当の金持ちのボンボンと見たねっ」
やっぱり興奮気味の長瀬に。
(…何だ、やっぱり金持ちのボンボンって見解に落ち着くんじゃないか…)
と、声に出さずにツッコミを入れた。
「実際、冬樹チャンも変な奴に入れ込まれちゃって大変だよなー。あいつが転入してきて、ここ数日…冬樹チャンの笑顔全然見てない気がするもん。冬樹チャンの天使の笑顔を返せーっつーの!」
相変わらずどこまで本気で言っているのか分からない長瀬の言い分に、雅耶は苦笑を浮かべた。
「お前、ろくに冬樹チャンと話せてないんじゃないの?」
急に真面目な顔で聞いてきた長瀬に。
「うーん…。全然ってことはないけど、まぁ…あまり…」
少し前のように、ゆっくりと二人で話す時間がないのは確かだった。
「あいつ、ちょっと雅耶にライバル意識燃やしてるっぽいし、気を付けた方がいいぞ」
「…ライバル…?」
長瀬から出た意外な言葉に、雅耶は首を傾げた。
「そう。ライバル!冬樹チャンの親友の座を争ってのな。いや、それ以上のかも知れないぞー?」
「『それ以上』って…?どういう意味だよ?」
言っている意味が分からなくて雅耶が聞き返すと「うーん…?何だろうな?」…と、とぼけた返事が返ってきた。
「また、適当なことばっかり言って…」
そう言ってお互い笑い合っていたが、長瀬の言いたい意味も何となく分かるような気がした。
長瀬は冬樹が、実は女の子の夏樹であるということを知らない。
でも、何となく俺の中で『冬樹』という存在が親友以上のものであることを漠然とだが感じているのだろう。
(でも、コイツの場合…本気で人のことをホモだと思ってそうで怖いな…)
雅耶は心の中で苦笑した。
「お先に失礼しまーすっ」
今日のバイトを終え、賄いもご馳走になった後、冬樹は『Cafe & Bar ROCO』を後にした。
店を出て、そのまままっすぐ家へと向かおうとした冬樹は、店の向かいに思わぬ人物の姿を見つけた。
「……まさや…?」
雅耶は店から出て来た冬樹に気付くと、笑顔で軽く手を上げた。
「…どうしたんだよ?こんな時間に?」
不思議そうに見上げる冬樹に、雅耶は笑って言った。
「この近くの本屋に用があってさ。丁度冬樹終わる時間かなって思ったから待ってた」
そう言って、手に持っていた本屋のロゴの入った袋を軽く掲げて見せた。
「一緒に帰ろうぜ。…っていうか送ってくよ」
普通に考えたら、男が男に言うセリフではないそれを雅耶はサラッ…と言ってのけた。
その言葉に、冬樹は最初物言いたげな顔をしていたが。
「最近、学校ではゆっくり話も出来ないしさ。一緒に歩きたかったんだ」
と、人懐っこい笑顔で言われて「…そうだな…」と、素直に微笑みを返すと、一緒に歩き出した。
冬樹と一緒に話をしながら歩いていても、学校の話題となると、どうしても転入してきた力の話になった。
「ふーん…じゃあ、昔は今みたいな感じじゃなかったのか…」
「ああ。確かに別荘とか持ってたり、それなりに良い生活はしてたのかも知れないけど。流石に運転手付きの高級車で送り迎えってのは何かビックリかも。…ちょっと引くよな?」
そう言うと、冬樹は苦笑した。
「あいつの親父さんは、うちの父親とは古くからの友人で仕事仲間だって言ってたから…。多分、仕事も普通の会社員だったと思うんだ」
「…ってことは、この間の…立花製薬?」
思いついたままを口にした雅耶のその言葉に、冬樹は一瞬動きを止めた。
口にした雅耶でさえ、ハッ…として固まっている。
「もしかして…あいつの親父さんなら、何か知ってたりするのかな?」
そう呟いた雅耶に、冬樹も同じことを考えていたようだったが、それを打ち消すように緩く首を振った。
「まぁ…今は違うかも知れないしな。普通の会社員の息子があんな生活は出来ないだろうし…」
冬樹は歩きながら瞳を伏せる。
「そうか…。そうだよな…」
雅耶もそれ以上は何も言えず、暫く二人…無言で歩き続けた。
すると、不意に冬樹が顔を上げた。
「…なぁ、雅耶?」
「ん?」
何処か意を決したような冬樹の様子に、雅耶は不思議そうに冬樹を見下ろした。目が合うと冬樹はさり気なくまた下を向いてしまったが、言葉を続けた。
「お前…。彼女と別れたんだって?…長瀬が言ってたんだ。…本当なのか?」
(…言いにくそうにしてたのは、そのネタだったからか…)
雅耶は内心で冬樹の様子に苦笑しながらも、素直に「本当だよ」と答えた。
「…そう、だったんだ…。合コンに参加した奴らが心配してるらしいぞ。今更ながらに責任感じてるとか、何とか…」
「へぇ…?別に合コンは別れたことと関係ないんだけどな…。まぁあいつらには少し反省して貰うのもいいかもなっ」
雅耶は明るく言った。
「………」
冬樹は、そんな俺の表情から何かを読み取ろうと再び顔を上げて、じっ…と見つめてくる。
(そんな風に見詰められたら、言わなくていい事を口に出してしまいそうになるだろ…)
雅耶は苦笑いを浮かべると、言った。
「…もともとハッキリさせなかった俺が悪かったんだ。自分に正直になっただけだよ」
「自分に…正直に…?」
いつの間にか、冬樹のアパートの手前にまで差し掛かっていた。
二人は、自然にその場に足を止める。
「うん。俺が大事にしたいと想っているヤツは、今も昔も…一人しかいないから…」
そう静かに真剣な眼差しを向けてくる雅耶に、冬樹は瞳を大きくした。
先日、長瀬に『冬樹チャンから何気に理由聞いといてよ♪』…なんて言われてしまって。
『何でオレがっ?お前が聞けよ。中学入学以来の仲良しなんだろっ?』
と、そんな話は跳ね除けたつもりだったんだけど。
『だって、俺だとついつい茶化しちゃうからさっ。雅耶もあんまり真面目に取り合ってくれないんだもん』
とか、頬を膨らましながら相変わらず勝手なことを言ってるから。
『そこ茶化さずにいられないんかっ!』
とか、ツッコミを入れていたんだ。
でも…本当のところ、長瀬も心配してるっていうのが見ていて分かったし、ちょっと聞いてみようと思った。
でも…。
(こんな状況に何て言っていいのか、分からない…)
何より雅耶のその真剣な眼差しに捕らえられて、目が離せなかった。
『本当に好きなのは…。俺が大事にしたいと想っているヤツは…。夏樹、お前だよ』
本当は、そう言いたかった。
目の前で迷うように瞳を揺らしているお前に。
その細い身体を抱きしめて、この想いを伝えたかった。
でも、それを口にしたらお前は苦しむのだろうか?
きっと…あの事故以来、ずっと冬樹を演じ続けているお前の。
きっと長かったであろう8年間を俺が壊してしまうことになるようなら、俺は…。
雅耶は瞳を伏せて、フッ…と息を継ぐように笑うと、
「さて…。明日もあるし、俺は帰るよ」
そう言って、次にはいつも通りの笑顔に戻った。
「あ…うん。そう、だな…」
何処かホッ…としている様子の冬樹の頭の上に、雅耶は掌をポンと、乗せると。
「じゃあな、冬樹。…おやすみ」
そう言って、自分の家の方へと続く道を帰って行った。
(雅耶…)
その場に残された冬樹は、雅耶の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとその背を見送っていた。