15‐2
「何だ。先客がいたのか…」
車から降りてきた男がひとり呟いた。
男は、見た目の年齢は自分達と然程変わらないように見えたが、手には不釣り合いな程の大きな花束を持っていた。
先にその場にいた冬樹や雅耶を怪訝そうにじろじろ見ていて、何だか感じが悪い。
言外に退けと言っているようなその視線に、冬樹の中ではいけ好かない奴だという認識がなされた。
「花を手向けたいんだが…場を譲っては貰えないか?」
敢えて素知らぬふりをしていたら、痺れを切らしたのか男が声を掛けて来た。
「ああ、どうぞ」
雅耶は快く返事をすると「…冬樹、譲ってやろう…」と、小さく声を掛けて来る。
冬樹は仕方なく頷くと雅耶の後をついて道路側に戻ることにした。
男は、いつの間にかガードレールの外側に出ていて、二人が来るのを待っていた。
その男の横を冬樹が通り過ぎようとした時。
じっ…と、こちらを見ていた男の手が、突然冬樹の腕を掴んできた。
「お前…」
「…っ…何だよ?」
「気安く触るな」…と心の中で思いながら、その手をサッと振り払うが、男はそのことには然程気にも留めていないようだった。
ただ、驚いた様子でこちらを見ている。
「お前…冬樹、か?」
「…は?」
(誰だ?コイツ…)
最初から印象の悪かったその男のことなど眼中になく、それまで冬樹はその男の顔をろくに見ていなかったのだ。
だが…。
「………」
(あれ…?)
その男は、何処かで見たことあるような顔をしていた。
(でも…誰だっけ…?)
「冬樹?…知り合い?」
そのやり取りを横で見ていた雅耶が聞いて来る。
「んー…」
考え込んでいる様子の冬樹に、男は。
「おいおいっ!まさか忘れちまったのか?」
今迄スカしていた表情を崩すと、情けない声を出した。
「…ごめん、誰だっけ?」
「そりゃないぜっ。冬樹ーっ」
がっくりとわざとらしく肩を落とす男は、先程よりも随分と子どもっぽく見える。
それでも、やっぱり思い出せない冬樹は、未だに訝し気に男を眺めていて。
痺れを切らした男は、力を込めて自ら名乗りをあげた。
「俺だよ俺っ。力だよっ。神岡力っ」
「………」
少しの間が過ぎた後。
「えええーーーーーっ?」
…という冬樹の驚きの声が、周囲に響き渡った。
「えっ?じゃあ、冬樹達がよく来てたこの先にある別荘っていうのが?」
「そう。俺んちの別荘って訳だ」
持っていた花束を手向けた後、力は偉そうに雅耶に自己紹介をしていた。
冬樹はというと、最初は知り合いとの久し振りの再会に心底驚いた様子を見せていたが、その男の正体を認識した途端、あからさまな程に引き気味な態度を見せていた。
(オレ、こいつ苦手だったんだよな…)
この男…神岡力は、父の仕事仲間で古くからの友人でもあるという神岡という人物の息子で、よく父に連れられて出掛けた先で、年が同じということもあり、何だかんだとセットにされて一緒に遊んでいた子どもだった。
特に、この先にある別荘に連れて来られることは何度もあり、その度に力も父親に必ずついて来ていたのだった。
今思えば、力の相手をさせる為に父は自分達を連れて行っていたのかも知れないと思える程だ。
だが、『夏樹』は力のことが本当に苦手だった。
それは、会いたくないと思い悩む程で…。
事故の当日、一人だけ例の別荘に出向かなかったのも、実はそれが理由だった。
あの日。
またその別荘に一緒に行くことを告げられた夏樹は、兄だけが空手の稽古を理由に行かなくて済むことになったのを聞いて心底悲しんでいた。
『ふゆちゃんがいないのに、アイツと…力と二人でいっしょにいなきゃいけないなんてイヤだよ。なつきも行きたくないっ』
子ども心に、父の仲の良い友人の息子である力の悪口を直接父に言うのは気が引けて、母に相談を持ちかけたのだが、母は笑ってそれを制止した。
『力くんも神岡さんに連れられて来ているのに、話し相手が誰もいなかったら可哀想でしょう?一緒に遊んであげてよ、なっちゃん。力くんはなっちゃんのことがすっごく大好きなんですって♪』
語尾を弾ませて、冷やかし半分で拒否されてしまったのだ。
(それがイヤなのにーー!!)
夏樹は泣きたくなった。
力が夏樹を好きなのは、自分でも良く知っていた。
いつもしつこい程に迫ってくるからだ。
妙にませている子どもだった力に、夏樹はタジタジで苦手意識しかなかったのだ。
だが、そんな夏樹の気持ちを良く理解していた兄の冬樹が、その日…見兼ねて助け舟を出してくれた。
『じゃあ、ボクが代わりになっちゃんになって行ってあげるよ』
そんな些細な夏樹のワガママがこんなことになるなんて、その時は思ってもみなかったけれど。
何故か力に捕まって未だに話し込んでいる雅耶を横目に、冬樹は小さく溜息を吐くと、ガードレールに寄り掛かりながら聞こえてくる二人の会話を何気なく聞き流していた。
『話し込んでる』というよりは、一方的に話しているのは力の方で、雅耶は聞かされているという感じだ。
(雅耶はお人好しなんだよ。そんな奴の相手しなくたっていいのに…)
雅耶に対して妙に偉そうな態度の力にムカムカしながらも、あまり関わりたくないので静かに傍観を決め込んでいる冬樹だった。
「俺はさ、毎年この日は欠かさずこうして此処に来てるんだぜ。アイツが少しでも安らかに眠れるように…ってな」
「…あいつ?」
雅耶が聞き返すと、力は威張って言った。
「夏樹のことに決まってんだろ?俺は…俺はなぁっ、絶対にアイツを嫁に貰うって決めてたんだっ!!それなのに…っ」
そこまで聞いて、冬樹は思わず吹き出した。
(何言っちゃってんだっ!?あいつッ!!)
そのまま、独りむせて咳込んでいる冬樹の方に雅耶がゆっくり近付いて来る。
「…大丈夫か?」
「ゴホ…。ん…へーき…」
向こうで、力が感極まったのか海に向かって何か叫んでいる。
「…何ていうか、変わってる奴…だな?」
雅耶は苦笑を浮かべて、それを眺めている。
冬樹はやっと呼吸を落ち着けると、そっと雅耶に耳打ちした。
「なぁ…雅耶、もう行こうぜ?オレ、あいつ苦手でさ…」
「…え?」
冬樹の顔を見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
その顔を見た雅耶はクスッ…と、思わず笑みをこぼすと。
「OK。じゃあそろそろ、おいとましよう」
小声で返すと、冬樹は素直に頷いた。
(そういえば、昔聞いたことあったな。おじさんの知り合いの子で夏樹に猛アタックしてる子がいるって…)
確か冬樹から聞いたのだと思う。
その頃、俺も夏樹が好きで冬樹には色々と相談していたから、その話を聞いた時は、ライバルの出現にドキッとしたものだ。
だが、冬樹は笑って言った。
『なっちゃん、すっごい引いててさ。あんなに何かから逃げ回ってるなっちゃんなんて、なかなか見れないと思うよ。…もしかして、何かされたりしたのかな?』
なんて首を傾げていたっけ。
(…っていうか、『何かされた』って何だっ!?)
今更ながらにそんなことを思って、目の前の『冬樹』をまじまじと見ていたら不思議そうな顔をされた。
「悪いけど、オレ達そろそろ行くから。じゃあな」
一応、声だけ掛けて冬樹はさっさとその場を離れようとするが、力がそれに食い付いて来た。
「何だよー、久し振りにあったってのに冷てぇなァ。もしかして、山を下りるのか?何なら駅まで送ってやるぞ?乗ってけよ」
車を親指で指すと、自慢げに言った。
「…別に…」
そんな気遣いなどいらん世話だと冬樹は思っていたが、力が続ける。
「この時間だと、麓から出てるバスは多分一時間に一本さえ無いぜ?この暑い中、駅まで歩いたら軽く二時間は掛かるぞ」
「う…」
確かにバスの本数は、昼間の時間は殆ど無かったのを思い出す。
(あんまり乗りたくないけど…でも、こんなトコまで付き合わせてるのはオレなんだし…。オレのワガママで雅耶に何時間も歩かせて苦痛を強いるのも悪いよな…)
妥協して乗せて貰おうか冬樹が迷っていると、隣で聞いていた雅耶が口を開いた。
「別に、二時間位平気だよなっ?特別急ぐ旅でもないし。ゆっくり歩いて帰るので大丈夫です。…なっ?冬樹?」
そう言って、笑顔で同意を求めて来た。
「あ…ああ。…そうだな…」
(雅耶…。オレが力のこと苦手だって言ったから…?)
多分、気を使ってくれたのだろう。
「ふーん…」
力は不満そうに冬樹達のことを眺めていたが、気持ちを切り替えるように言った。
「まァいいや。じゃあ、またなっ。冬樹…」
そう言って、車の方へと足を向ける。
だが、ふと何かに気付いたように歩みを止めると、再びこちらを振り返った。
「そう言えば…お前に会ったら、伝えておきたいと思ってたことがあったんだ」
「………?」
思いのほか真面目な表情で見つめてくる力に、何を言い出すのか冬樹が警戒していると。
「あの事故の真相…」
と、力が呟いた。
「……えっ?」
「ここで起きた、野崎のおじさんの転落事故。…あれは、ただの事故なんかじゃない」
「えっ……」
突然の、思わぬその言葉に。
冬樹は驚きを隠せず、大きく瞳を見開いたまま固まっていた。
力は、そんなこちらの反応も予測していたのか、そのまま淡々と言葉を続ける。
「あれは仕組まれたものだ…。多分だけど、な…」
それだけ言うと、すぐに身を翻して車へ向かった。
「ちょっ…ちょっと待てっ!それってっ…」
我に返り、引き留めようと動き出すも、力はすぐに乗車し、あっという間に車は走り出して行ってしまった。
(何…?いったい、どういうことだ…?)
車が去って行ったその道の向こうを呆然と眺めながら、冬樹は立ち尽くしていた。
「父さん達の…事故が、ただの…事故じゃない?…仕組まれていたって…?」
(あいつ…確かに、そう言ったよな?)
その衝撃に、わなわなと身体を震わせている冬樹の後ろ姿を、雅耶は何とも言えない表情で見詰めていた。
「…冬樹…」
「『仕組まれていた』って…どういうこと…?」
混乱した様子で、冬樹がこちらを振り返る。
「それって、『殺された』ってこと…か…?」
「………」
自分で言葉にしながらも、心底信じられないという表情を浮かべている。
(当たり前だ。そんな話、あってたまるかっ)
雅耶は、自らの拳を握り締めると言った。
「冬樹…。あいつがどういうつもりであんなことを言ったのかは分からない。でも、全部を真に受けるのも、俺はどうかと思う」
「…っ…でもっ…」
「あいつは、さっき『多分』…と言った。それを確証するものなんてきっと何処にも無いんだと思う」
「………」
大きな瞳を揺らして、暫く何か考えを巡らせていた冬樹だったが、気持ちを落ち着けたのか一度ゆっくりと頷くと「…そうだな…」と、小さく呟いた。
「滅多な事を言うものではありませんよ」
運転席の男が、バックミラー越しに力に話し掛けてくる。
「…なんだ。聞いてたのか?」
力は後部座席で腕を組むと、車窓から見える海を眺めながら言った。
「本当のことだろ」
「また、そんなことを言って…。お父様に叱られますよ?」
車は早い速度で坂道を下って行き、徐々に海が遠ざかってゆく。
力は名残惜しそうに、遠く離れて行く海を目を細めて眺めながら言った。
「ふん。『お父様』なんてガラじゃないんだよ。実際、親父は俺が何しようが気にしてもいないさ。俺がどんなに足掻いたって、今の親父の地位は簡単には揺るがないんだろうしな…」
「………」
運転手の男は、多々あるカーブを慣れたように車を走らせて行く。
「まぁ、今更あの事故のことを騒いだところで、証拠も何も残っていないし、どうにもならないさ」
力は鼻で笑うと、ミラー越しに男を見据える。
「今日、あいつらに会ったこと、親父には言うなよ」
運転手の男は、横目で力を振り返ると微笑んで言った。
「…私は、力様の味方ですよ。約束は守りましょう」
その言葉に、力は満足気に笑みを浮かべるのだった。