14‐2
(結局…雅耶に本当のこと、何も話せなかったな…)
歩きながら、冬樹は小さく息を吐いた。
さっきの溺れかけていた子どもの件で、すっかり話すタイミングを逃してしまった感じだ。
その場の想いのままに全てを告白してしまうのが良いことだとは思わない。
ずっと騙し続けてきたことを雅耶が知れば、少なからず傷つけてしまうだろうから。
(でも、そんなのはオレの言い訳に過ぎないんだよな…)
単に、信じてくれていた雅耶に見限られるのが怖いのだ。
『最低だ』と罵ののしられるのが怖い。
あの笑顔をもう向けてくれなくなると思うと…怖い。
本当にそれだけなのだと、今更解った。
自分では、そう思われて当然だと…ずっと思ってきた筈なのに。
だから再会した当初は、わざと嫌われるように仕向けて来たのだから。
それなのに…。
(いつの間に、オレは…こんなに欲張りになったんだろう…)
自分を信じてくれている雅耶を、騙し続けている心苦しさは本当に自分の中にあるのに。
(雅耶に嘘をつき続けてまで、今の自分を守りたいだなんて…)
馬鹿げている…と、自分でも思う。
今の雅耶の優しさは『冬樹』に向けられたものだ。
雅耶から語られる夏樹への想いも、過去の『夏樹』に向けられたもの。
今のオレは、どちらでも無いのに。
気が付くと雅耶は随分と向こうにいて、こちらを振り返って待っていた。
思わずボーっとしていたのか、かなり後れを取ってしまったらしい。冬樹は慌てて雅耶の元へと駆け寄って行った。遅れたことを謝ると、雅耶は「いや、俺も同じようなものだから…」と、優しく笑ってくれた。
その笑顔に冬樹はつられて微笑んだものの、それが本当の自分に向けられたものではないと思うだけで、胸の奥がズキズキと痛んだ。
冬樹は、その胸の痛みに耐えるように…。
雅耶に気付かれないように小さく俯くと、痛みが落ち着くのを待った。
(こんなんじゃ、いつまでも隠し通せる自信…ないよ…)
…すると、
「さっきの話の続きだけど…」
と、頭上から雅耶の声が聞こえてきた。
「さっき、お前は『優しくしてもらう資格がない』と俺に言ったけど…。そんなのは考えるだけ無駄だと思うんだ」
穏やかに話を続ける雅耶の声に。
冬樹は驚きながらも、ゆっくりと顔を上げた。
「俺は別に、お前に対して何か理由があって優しくしている訳じゃない。…って言うか、敢えて優しく接しているつもりもないし。だから資格も何も関係ないんだ」
そう言って、雅耶はまた大人びた微笑みを見せた。
「それに…お前が『幼馴染み』だからとか、『野崎冬樹』だからとか…そんなのにこだわって友達やってる訳じゃない。それは、お前だって同じだろ?」
その言い回しに、冬樹は大きく瞳を見開いた。
雅耶は、そんな冬樹の反応にも特に気にする様子は見せずに言葉を続ける。
「確かに俺は、八年前…お前がいなくなってからもずっと昔を引きずっていて…。お前とまた会えた時、あの頃の自分達に戻れると思っていた。離れていた八年間を取り戻したいと思っていたんだ。でも、実際はそうじゃない。昔のことは昔のこと…。所詮、過去のことでしかないんだよ」
そこで雅耶は一旦言葉を区切ると、まっすぐに冬樹を見詰めて言った。
「今の俺達があるのは、お前が『お前』だったからだ。今のお前だから、俺はこうして隣に居るし、一緒に笑い合っていたいと思うんだよ」
優しい雅耶の瞳。
冬樹は、その言葉に衝撃を受けていた。
『今の俺達があるのは、お前が『お前』だったから…』
今の『オレ』?
冬樹として生きている、夏樹でも…いい、っていうこと…?
「きっと、あいつらだって同じだと思うぞ?」
そう言って後ろを振り返った雅耶の視線の先には長瀬達がいて、こちらに気付いたのか遠くから手を振っている。自分達を探しに来てくれたようだ。
「長瀬だってさ、そんなお前だからこそ…強引な手を使って誘ってまでも、一緒に遊びに来たかったんだと思うぜ?」
そう口にした後、「でも、一番冬樹と来たかったのは俺だけどな」…と、雅耶は悪戯っぽく笑った。
「…雅耶…」
(何で雅耶は…。そんなに簡単に、オレの欲しい言葉をくれるんだろう…)
冬樹は思わずまた涙が出そうになるが、仲間達がこちらに向かっている手前、懸命にこらえると。
「…ありがと…」
と、小さく呟いた。
(もしかしたら…。雅耶はオレが夏樹だと既に気が付いているのかも知れない。さっきのは、そういう言い回しだった…)
それを知った上で、それでも良いんだ…と。
今は、敢えて真実を聞かずに肯定してくれる、雅耶のその優しさが心にしみた。
「おーいっ二人ともーっ!何やってたんだよー。捜してたんだぞーっ」
向こうから長瀬達が声を上げながら歩いて来る。
「昼メシ行こうぜっ、昼メシー!」
そう、遠くから手招きされ。
「おう!今行くっ」
雅耶は大きな声で答えると、冬樹を振り返った。
冬樹もそれに頷いて応えると、二人で皆のいる方へと足を向けた。
皆と合流すると、目ざとい長瀬が冬樹の様子を見て驚いた表情を見せる。
「あれー?何で冬樹チャン、ずぶ濡れなのよ?泳いで来たの?」
「え?でも、野崎泳げないって言ってなかったっけ?」
すかさず入ったツッコミに。
「いや…ホントは、海に入るつもりはなかったんだけど…」
冬樹が少し困ったように笑うのを見て雅耶は、さり気なくすぐに助け舟を出した。
「さっき、向こうで溺れて流されてる子どもがいてさ、二人で助けたんだよ。…なっ?」
笑顔で同意を求める雅耶は、言外に『それ以上のことは言わなくていい』と、言っているようだった。
「あ…あぁ」
冬樹がその言葉に頷くと、友人達は「おおーっ!やるじゃんっ」…と、二人を素直に称賛してくれた。
その後、友人達とたわいない話で盛り上がり、笑って歩いている冬樹を後方から見詰めながら、雅耶は何処か清々しい気持ちでいることに気付く。
今まで、ずっともやが掛かっていたものが、スッキリと晴れ渡ったような…そんな気持ちだった。
そして同時に、心の中にはある言葉が浮かんでいた。
俺がお前の、唯一の味方になってやる。
今なら、この言葉の意味が解る。
(きっと、直純先生は気付いていたんだ。冬樹のことを…)
先生が以前、『ROCO』の開店祝いの時に聞いてきた夏樹のことや、言っていた言葉の意味が今になってやっと理解出来た。
(やっぱり先生は流石だ…。冬樹の…『夏樹』の苦労を知っていたからこそ、冬樹にはあんなに親身になって接していたんだ)
だが…。
逆にそれを知ったら、直純に対しての複雑な対抗心は余計に強くなったような気がする。
先生は俺に、『お前があいつの、唯一の味方になってやれよ』と、言った。
それはある意味…自分に冬樹を託している様にも取れるのだが。
(そんなの、先生に言われるまでもない。俺がきっと、冬樹の笑顔を守り抜いて見せる)
雅耶は心に誓うのだった。
早朝から出掛けて丸一日海で遊び倒し、冬樹達が自宅の最寄駅に着いた頃には既に夜の10時を回っていた。
この駅を利用しているのは冬樹と雅耶と長瀬のみで、他の三名は別の駅でそれぞれ降車する為、車中で別れて来た。
「すっかり遅くなっちゃったなァ。でも、楽しかったー♪」
長瀬が満足気に伸びをする。
それを横で、雅耶も「そうだな」と笑顔を見せている。
「冬樹チャンも楽しかったでしょ?行って良かったよねっ?」
普通に無言でいただけなのに、何故だか詰め寄って同意を求めてくる長瀬に。
「うん、まぁね…。朝のは最悪だったけどね」
本当はすごく楽しかったけど、最初の強引さがあまりにもヒドかったので、一応釘を刺しておく。
でも、長瀬は全然気にしていないようだった。
「喜んで貰えたなら良かったっ♪またどっか遊びに行こうぜっ。計画立てるからさっ」
そう嬉々として語る長瀬に、
「今度はホントに、突然押し掛けとかナシだからなっ」
もう一度、冬樹は念を入れて釘を刺した。
「了解っ!心得ておりますっ」
「ちゃんと、事前に教えてくれれば空けておくから、さ…」
そう小さく呟いた冬樹に、長瀬は目を丸くすると次の瞬間抱きついた。
「ぅわっ!」
「そーいうトコ、冬樹チャン可愛いーーっ!!」
ぎゅうぎゅうと抱きついてじゃれている長瀬に、冬樹は驚いて「コラッ!離せよっ」…と慌てているだけだったが、気が気でなかったのは雅耶だ。
「……っ…」
そんな二人の様子を見て、モヤモヤしたものが増幅していく。
(でも、ここであまり過剰に反応するのもヘンだし…っ)
うっかりすると二人の間に割って入って、長瀬を突き飛ばしてしまいそうになるのを必死に自制心を働かせて耐えていた。
駅前で長瀬と別れた後、冬樹と雅耶は二人並んで歩いていたが、互いの家へと向かう分かれ道に差し掛かると、雅耶は突然「家まで送って行く」…と言い出した。
「…別に平気なのに…」
「もう夜も遅いし、前のことがあるから心配なんだよ」
そう言うと雅耶はまた、あの大人びた表情で見つめて来た。
「このまま別れたら、俺…気になって眠れないよ…」
そんなことを真顔で言ってくる雅耶に。
「そ…そう…。まぁ、いいけどさ…」
冬樹は慌てて目を逸らすと、再び歩き出した。
思いのほか、頬が熱い。
(オレ、あの雅耶の真顔…苦手だ…)
何故だかドキドキするから…。