12‐3
真剣な雅耶の視線に正面から射られて。
冬樹は迷うように暫く瞳を揺らしていたが、視線を落とすと謝罪の言葉を口にした。
「ご…めん…」
「謝るのは却下って言っただろ?お前、実は自分が狙われてるの…分かってたんじゃないのか?」
責める風でも問い詰める風でもなく、静かに雅耶は言った。
その言葉に冬樹は再び視線を上げると、雅耶の顔を見た。
「前に、首を絞められた時…去り際に『逃げられると思うな』って…言われたんだ…」
「…やっぱり…」
雅耶は、胸の前で組んでいた腕を解くと、小さく息を吐いた。
「でも、バイト帰りにオレが走ってたのは、何となく気配を感じただけで…。実際には誰の姿も見ていないから、どうだかは判らない」
「…ふーん。でも、その気配に気付いたってことは、それだけ普段から気を張っていたんじゃないのか?」
雅耶は、あの夜の冬樹を思い出しながら言った。
あの時の冬樹の警戒している様子は半端では無かった。
(顔色も悪かったし、かなり怯えている感じだった…)
冬樹自身、確信は無いと言うだけで、実際は分かっているのだろう。
だが、冬樹はそんな雅耶の言葉を否定した。
「そうでもないよ。オレ、昨日は思い切り油断してたし…」
そう言うと、自嘲気味に小さく笑った。
「アイツのことは声しか知らなかったから…昨日、目の前に車が停まって、アイツが降りてきた時も全然気にも留めていなくて。気付いた時には遅かった…。まさか、あんな所に堂々と現れるなんて思ってなかったんだ。…完全に油断してた…」
悔いているのか、冬樹が目を伏せながら言った。
「でも、そればっかりは仕方ないんじゃないのか?アイツらだってそれを狙って来てるんだからさ」
「…そう…だな…」
「それよりも…」
雅耶は一旦言葉を区切ると、核心を突いて言った。
「結局、何が原因でお前が狙われたんだ?」
「……っ…」
「さっきお前が居たあの部屋…。それに昨日の会社…。やっぱり、おじさんのことが関係してるんだろ?」
「………」
流石にこの話の流れで、雅耶を誤魔化す事なんて出来ない…と、冬樹は思っていた。
(だけど…何処まで話したらいいっ?『冬樹』の鍵のことはオレには何も解らないし…。下手な事は言えない…。でも、それじゃあオレが狙われた意味もあやふやになる…)
冬樹が心の中で迷っていると、雅耶の瞳が一瞬哀しげな色を見せた。
「俺には…言えない?」
「雅耶…」
本当は、冬樹を責めるつもりなんか無かった。
でも、実際に冬樹が昨日みたいに危険なことに巻き込まれているのに、そんな状況を自分はただ『知らなかった』で終わりたくはなくて。
だけど、それを無理矢理問い詰め、聞き出しても意味が無いことも分かっていた。
(結局、必要とされてないってことなんだよな…)
じっ…と冬樹の目を真っ直ぐに見詰めて、雅耶は返事を待っていた。
だが、冬樹は大きな瞳を揺らして、ずっと何かを迷っているようだった。
暫く待って、雅耶は諦めたように瞳を伏せて小さく息を吐くと、ふ…っと笑った。
「まぁいいか…。直純先生の所に行けば、何か新しい情報が入ってるかもな?…そろそろ行くか?」
その気まずくなってしまった雰囲気を断ち切るように、努めて明るく言った。
(雅耶…)
冬樹は迷っていた。
口を開けば、何処かでまた嘘を付かなくてはならなくなる。
嘘に嘘を塗り固めて。
言えない『秘密』をひた隠しにして。
オレは、そうしてまた…お前に嘘を付いて。
そして、後々それを知ったお前を…また傷付けることになるんだろうか。
(本当は、雅耶にもう…隠し事なんかしたくない…)
全部話せたら、どんなに楽だろう…と思う。
冬樹のことも、夏樹のことも全部、包み隠さず…。
(でも、言える訳がない…)
今更言えない。
この…今の関係が壊れてしまうのが怖くて。
雅耶の親友である『冬樹』の殻を被っている、所詮偽りの関係であっても…。
(真実を知ったら雅耶は、きっと軽蔑するだろうな…)
今迄、平然と『冬樹』を装い、騙し続けてきた自分のことを。
『冬樹』を信用して、こんなにも心配してくれてる雅耶を…オレは裏切っているのだ。
だが、そんな胸中の想いとは裏腹に。
冬樹はしっかりと雅耶を見据えると、静かに口を開いた。
「データだよ…」
「……えっ?」
「父さんの何らかのデータを探してるみたいなんだ。アイツらはそれをオレが持ってると思っているみたいだった」
「データ…?」
冬樹は事の経緯を簡単に話し始めた。
『嘘』をつくことなく、話せる部分だけを。
こうして真剣に向き合ってくれてる雅耶を傷付けない為にも…。
オレは『冬樹』であることを迷っていてはいけないんだ。
ひと通りの話はした。
『冬樹』が父親から何かを託されているらしいこと以外は…。
あの部屋の鍵のことについても、本当のところは実際よく分からないし、アイツらが話していた事として、雅耶には大まかに説明をした。
「えっ?それじゃあ、あの大倉って奴以外にもこの家に勝手に出入りしてる奴がいたってことかっ?そいつがそのデータを持ってるかも知れないってこと?」
雅耶は驚きの声を上げた。
冬樹は小さく頷くと、
「そういうことになるんだと思う。大倉がどの程度間を置いてこの家に来たのかは分からないけど、そんなに昔の話ではないんだと思うんだ。焦っているみたいだったし…」
そこまで言って、急に思い出した言葉があった。
(そういえば、暗闇の中で…。あいつは『命掛かってる』とか、言ってなかったか?)
アイツは誰かに命令されて動いていたんだろうか?
(暴力団が絡むような何かが、あの製薬会社にあるのか?)
だが、そこまでして必死に探さなければいけないデータの内容とは、いったい何なのだろうか?
(それが、お父さんの罪…?)
一瞬自分の思考に沈みかけていた冬樹だったが、雅耶の言葉に再び意識を引き戻した。
「…えっ?」
「いや、だからさ…前の時母さんが、『この家に何かの業者が来てる』って言ってたんだよ。作業着の人が入ってったって。そんな風に、しっかりカモフラージュしてんだろうなって」
「…そう、だったんだ…」
暗闇の中だったから、アイツがそんな恰好で家に入り込んでたとは知らなかった。
(でも、あんな…いかにもな強面こわもてのアイツが作業着って…。違和感アリアリな気がする…)
想像したら、少し可笑しかった。
「でも、その隠し扉を開けた人物っていうのが、アイツらとは別のグループだったとしても、こっそり人の家に入るような奴等なんだから、やっぱりろくな連中じゃないんだろうな」
そんな雅耶の言葉に。
「そう…だな…」
冬樹は気のない返事をすると、再び意識を己の中に沈ませた。
(でも、ふゆちゃんしか開けられない筈の扉を開けた人物って、いったい誰なんだろう…?)
どうやったら、当人じゃない者がそれを解除出来るものなんだろうか?
(あんな大掛かりな物が、そんなに簡単に破れる筈ない…)
装置の仕組みも調べてみる必要があるのかも知れない。
大倉達以外に、データを狙っている人物。
そう考えた時…。
不意に、昨日自分を助けてくれた二人組のことが頭に浮かんだ。
(そうだ。あの人達は事情を知っているみたいだったし、もしかしたら…?)
悪い人達だとは思えないけれど、大倉達の行動を阻止しようとして持って行ったという可能性も有り得なくはない。
それに…何故だろう。
何かを思い出しそうで思い出せない…そんな感覚…。
『怖い思いをしたね…。でも、もう大丈夫だよ』
そう言って、ふわり…と頭を撫でられた、あの感覚。
優しい声だった。
…知らない声。
だけど、何処か懐かしいような…?
去り際に『…またね』…と言った。
また、会う機会があるとでもいうのだろうか…?
姿を見せることを嫌うように、風のように去って行ってしまった人物。
(あの人は、いったい…誰なんだろう…?)
その時だった。
「…ぃ…。おいっ…冬樹ってば!!」
「ぅわっ!」
突然、目の前に現れた雅耶のアップに思いっきり驚いて、冬樹はソファの背もたれへと倒れ込んだ。
(超!びっくりしたっ!!)
目をまん丸にして、未だに後ろに寄り掛かったまま固まっている冬樹に。
雅耶は「ぼーっとしてるからだよ」と、言って笑った。
だが内心では、その拒否反応のような大きなリアクションに、
(…そんなに大袈裟な程に避けなくたって良いのに…)
と、少しばかり傷付いていたのだが。
「ご…ゴメン。少し…ぼーっとしてた…よな?」
ちょっと不貞腐れてるっぽい雅耶に、控えめに声を掛けると、
「してた。俺が話し掛けても全然聞いてないんだもんなー」
雅耶は腕を組んでワザとらしく、ぷいっ…と横を向いた。
そんな様子が、何だか子どもっぽくて可笑しくて。
冬樹は、くすくす笑うと言った。
「悪かったって…。謝るからさ、拗ねるなよ」
先程から、どこか遠い目をして何かを考え込んでいるような冬樹の様子を見ていて、少し心配をしていた雅耶だったが、今目の前にいる冬樹は、明るい笑顔を見せている。
少しでも元気を取り戻せた気がして。
(…これはこれで良し。だな)
と、雅耶は内心で、ほくそ笑んでいた。
「こらっ。もう、いい加減笑うのお・わ・りっ」
いつまでもクスクス笑ってる冬樹に、雅耶は苦笑しながらも言い聞かせるように指を差して言った。
「…だって…、思い出したんだ。お前のふてくされ方…昔と変わんないなって思ってさ」
昔三人で遊んでいた頃、冬樹と夏樹は基本的に考え方も良く似ていたので、雅耶だけ二人と意見が分かれてしまうことがよくあった。
そんな時に、よく雅耶が先程のように拗ねていたのだ。
それでも、すぐに三人で笑い合って元通りになるのだが…。
やっと笑いを収めた冬樹が、呼吸を整えるように小さく息を吐くと「…懐かしいよ」と言った。
「そりゃあね…。見てくれはデカくなっても、中身は変わらないって親にもよく言われてるけどさ。お前だってそういう部分、少しはあるだろ?」
照れ隠しも含んだような、そんな何気ない雅耶の言葉に、冬樹は一瞬動きを止めた。
それは、雅耶には気付かせない程に一瞬の出来事であったが。
「どうかな…?…よく、分からないや…」
(今のオレは…ふゆちゃんとは違うし、きっと…夏樹とも違う…)
きっと、『変わらない部分』なんか見つからないだろう。
冬樹は、曖昧に笑うと視線を他所へと流して、話しを切り替えるように言った。
「それよりさ、そろそろ直純先生のトコ行ってみないか?」