12‐2
「………出ないな…」
雅耶は部活を終えて帰宅すると、自室から携帯で冬樹に電話を掛けてみるが、なかなか出る様子がない。学校を出る前に一度メールで連絡を入れたのだが、その返事も来ていなかった。
(冬樹の奴…何してるんだ?まだ寝てる…なんてことは流石に無いよな?…ったく。昨日の今日で、心配になるだろっ?)
若干イライラしながら雅耶は着替えを終えると、再び冬樹の携帯に電話をしてみる。携帯を片手に、無意識に部屋の中を行ったり来たりしながら、鳴り続ける呼び出し音に耳を傾けていた雅耶だったが、ふと何気なく外に視線を向けたその時だった。
「…あれっ?」
(野崎の家の窓が開いてる…)
普段は雨戸を閉め切ったままの庭に面した大きな窓が、網戸になっていることに気付いた。
よく見ると、一階の窓は全て開かれている。
(もしかして、冬樹か…?)
雅耶は、携帯を手に持ったまますぐに階下へ降りると、玄関から外へと出た。野崎の家の庭へと回り、その大きな窓の網戸越しにリビングを覗いてみる。
「冬樹ー?居るのか?」
だが、冬樹の姿は見当たらず、返事もない。
雅耶は玄関の方へと回ると、そっと…その扉を開けた。
そこには、冬樹の靴らしき物が一足だけ揃えて置いてあった。
(冬樹だと思って勝手に入って、実は親戚の人だったとか、シャレになんないよな…)
雅耶は慎重になると「すみませーん」とか言いながら暫く玄関で待っていたが、あまりにも返事が無いので逆に心配になり、「お邪魔しまーす」と、靴を脱いで家の中へと上がっていった。
「冬樹ー?」
リビングを覗いてみるが、やはり誰もいない。だが、テーブルの上にはバッグが置いてあり、何かを取り出した後なのか開いたままになっていた。その中に冬樹の携帯を見付けて、やはり冬樹が来ていることに確信を持った雅耶は、冬樹の姿を捜して歩き出した。
廊下へと出た所で、ふと…以前来た時に冬樹が倒れていた部屋のことを思い出して、雅耶はその書斎へと向かった。すると、そこは扉が開いたままになっていて、中に僅かに明かりが灯っていた。
「冬樹ーっ?」
雅耶は廊下から部屋を覗きながら、冬樹の名を呼んでみる。
すると、ガタッ…と奥から音がして。
「…まさ…や…?」
冬樹が思わぬ隙間から、驚いたように顔を出した。
だが、その表情は…。
「冬樹…?…泣いてるのか…?」
突然、近くで聞こえてきた雅耶の自分を呼ぶ声に、思いきり動揺して。
そして、咄嗟に顔を出してしまったことを瞬時に後悔した。
「冬樹…?…泣いてるのか…?」
そこには、驚いている雅耶がいた。
「雅耶…。どうして…?」
まだ、心の準備が出来ていなかった。
父の残したメッセージがあまりにもショックで、混乱していて。
どうしていいか、分からなくて…。
「ど…どうしたんだよっ?何かあったのかっ?」
部屋の入口の所で、立ち尽くしている雅耶に。
冬樹は、泣き濡れたまま瞳を大きく見開くと、
「ご…めん、雅耶…。ちょっ…と…まって…っ…」
その視線から逃れるように、慌てて背を向けた。
頬を流れる涙を、必死に手の甲で拭う。
だが、涙を堪えよう、押さえようとしているのに、身体は全然言うことを聞いてくれなかった。自分の意志とは裏腹に、再び身体はふるふると震えだし、拭っても拭っても新たな涙が頬を伝っていく。
「……っ…」
どうして…。どうして…今ここに、ふゆちゃんがいないんだろう…?
自分(夏樹)では、何も出来ない。
父の想いも…父が託した『何か』も何も分からず、何の役にも立てない。
ふゆちゃんがいないと駄目なのに。
ふゆちゃんじゃなきゃ、駄目だったのに…。
涙を隠すように後ろを向いてしまった冬樹の背を、雅耶はじっ…と見詰めていた。
俯き、懸命に涙を押さえようとしているような冬樹。
だが、それでも堪えきれないのか、その細い肩は小さく震えていた。
「………」
雅耶は、ゆっくりと書斎へ足を踏み入れた。
「冬樹…」
すぐ横まで行って小さく名を呼ぶと、ビクリ…と冬樹の肩が揺れる。
雅耶は、その冬樹の後頭部に手をまわして片手で引き寄せると、そのまま冬樹の顔をそっと自分の胸へと押し付けるように抱えた。
「…っ……」
冬樹が息を呑むのが分かった。
だが、冬樹は特に抵抗することもなく、されるがままに固まっている。
雅耶はその手を緩めることなく、冬樹の額を自分の胸に押し付けたまま口を開いた。
「無理に泣き止もうとする必要なんてない。…言っただろ?辛い時は寄り掛かれって…。お前が、泣き顔を見られるのが恥ずかしいって言うなら、こうしててやる。全部…見なかったことにしてやるから…。だから…。泣きたい時は思いっきり泣けばいいんだ」
押し当てられているその温かく広い胸から響く、雅耶の優しい声に。
冬樹は、声を押し殺して泣くのだった。
何処からか蝉の鳴き声が聞こえる中、生温かい風が流れてくるリビングのソファに、冬樹は一人座っていた。
もう時刻は既に1時を回っていて、一番暑い時間帯に突入している。
庭先には真夏のギラギラとした日差しが照りつけていて、リビング中へもその光と熱が反射して眩しい位だったが、窓の一切無い書斎が暑過ぎた為か、風が流れている分冬樹は涼しさを感じていた。
すっかり泣き腫らした目をしながら、冬樹は、ぼーっ…とソファに深く腰掛ける。
(雅耶の胸を借りて泣くなんて…)
後々考えてみたら、随分と恥ずかしい真似をしてしまったという自覚はある。だが、自分的にも色々思うところはあるのだが、何だか本当に頭の中が未だにごちゃごちゃしていて…。ろくに気持ちの整理も出来ていなくて、泣いた分の怠さだけが今の冬樹に残っていた。
書斎を出た後、雅耶は「ちょっと待ってて」…と、言うと外へ出て行ってしまった。
(男のくせにあんなに泣いて…。流石に嫌になったかな…)
情けなさに溜息が出た。
だが…少し経つと、雅耶が玄関から入って来る音がした。
冬樹は、雅耶の反応を見るのが怖くて、そちらに視線を向けることなく、敢えてそのままぼーっと前を向いて座っていた。
すると…。
「ほいっ」
そう言って突然上から、目の前に冷えたペットボトルが差し出された。
思わず、それを凝視していると。
冬樹の座っているソファの後ろに手を付いて寄り掛かりながら雅耶は横から顔を出すと、「のど渇いたろ?」と笑った。
「あ…。ありがと…」
その雅耶との距離の近さに。
先程のことが頭を過ぎってしまい、冬樹は若干顔を赤らめると視線を落としてペットボトルを受け取った。
「あと、これ」
「?」
次に差し出されたのは、凍っている小さな保冷剤だった。
「目元…腫れてるから。冷やしといた方が良い」
「あ…うん…。色々ホントごめん…」
俯きながら、申し訳なさそうに受け取る冬樹に。
雅耶は、突然「却下!」と声を上げた。
「…えっ……?」
その声に驚きながらも、やっとこちらを振り返り視線を合わせて来た冬樹に、雅耶は満足気に微笑むと。
「こーいう時は、『ごめん』じゃなくて『ありがとう』でいいの!俺は、謝られるようなことは何もしてないし、されてないっ」
そう言って「だから『ごめん』は却下!」…と笑った。
雅耶の優しさに、じんわりと胸が温かくなって。
冬樹は俯きながらも、小さく「ありがとう」と言い直すと。
雅耶は笑って「どういたしまして」と頷いた。
そして雅耶は、ソファの後ろから冬樹の正面側へとゆっくり回り込むと、さり気なく目の前の床に座った。
「水分取った方が良いよ。熱中症になっちゃうぞ」
冬樹が受け取ったまま手にしているペットボトルを指差して言った。
「あ…うん…。いただきます」
(オレが気まずそうにしているのに気付いて、場を和ませてくれたんだな…)
雅耶のそういう、さり気ない気遣いには本当に頭が下がる。
冬樹は、貰ったスポーツドリンクを一口飲んでみると、思いのほか喉が渇いていたのか、体内に浸み込んでいく感じがした。
そうしてお互いに一息付いた頃、雅耶が口を開いた。
「何にしても、お前が無事で良かったよ。俺…心配してたんだぜ?メールしても電話しても全然、お前と連絡取れないし…」
「あ…ゴメン。オレ、携帯…バッグに入れっぱなしだったんだ…」
連絡をくれると言ってたことを、すっかり忘れていた。
結構な時間、あの部屋に籠っていたことに今更気付く。
「でも、この家の窓が開いてるのに気付いてさ。もしかしたら、お前が来てるんじゃないかって思って来てみたんだ」
「…そっか…」
俯いて保冷剤で目元を冷やしている冬樹を見詰めながら、雅耶は続けた。
「でもさ…こないだあんな事があったのに、一人で来たら危ないだろ?また、泥棒か何かと鉢合せたらどうするんだよ?」
そんな心配げな雅耶の言葉に。
「ああ…でもアイツはもう捕まったし、大丈夫かなって思っ…」
冬樹は、そこまで言い掛けてハッ…とした。
だが、瞬時に雅耶が目を光らせて食いついてきた。
「やっぱりっ!前にこの家でお前を襲った奴は、あの大倉って奴だったんだなっ?」
「う…」
(…ヤバイ。誤魔化したことがバレる…)
敢えて『ただの空き巣』…としていたことが、バレてしまう。
内心で焦る冬樹に、追い打ちを掛けるように雅耶は続けた。
「それなら、あの時もそうだったんじゃないのか?俺がお前のバイト帰りにお土産持ってった時…。お前、あの時…誰かに追われてたろ?アイツにつけられてたんじゃないのか?」
妙に鋭い雅耶の指摘に。
冬樹は何も言えず、焦りながらも上目遣いにそっと雅耶の表情を伺うと。
腕を組んで真面目な顔をして、こちらを見ている雅耶と目が合った。




