11‐1
「う…ん…」
冬樹は、うっすらと目を開いた。
未だ朦朧とする頭で、ゆっくりと視線だけ動かして周囲を見渡す。
(何でオレ…眠っていたんだ…?此処は、いったい…)
何処だか分からない薄暗い場所。
冷たいコンクリート上に横になっていた自分。
その普通でない状況にハッ…として、すぐに起き上がろうとするが、それは叶わなかった。
後ろ手に紐のような物で、両手を縛られていたからだ。
徐々に意識がハッキリしてくる。
(そうだ…。オレ……)
突然目の前に現れたあの『声の男』に。
まさか、あんな所で会うとは思ってもみなかった。
実際、声しか知らない以上警戒しようもなかったのは事実だが、まさかあんな街中…それも真昼間に堂々と現れるとは思わなかった。
(目の前に車が止まった時点で、もっと警戒するべきだった。まだまだオレも甘いな…)
危険を察知して逃げようとした所を咄嗟に掴まれ、薬か何かを嗅がされてしまったのだ。
(情けない…。結局、捕まっちゃったって事か…)
冬樹は小さく溜め息を吐くと、今度は冷静に周囲を確認した。
そこは倉庫のようだった。
広く高い天井。周囲には、何らかの荷物が入った大きな箱が山積みされている。薄暗さと冷たい空気、そして静けさから察するに、きっと周囲に人は居ないだろうと判断する。
(わざわざ人の目に付くような場所に連れて来る筈無いもんな…)
冬樹は、とりあえず起き上がろうと横たわっていた身体を仰向けにした。後ろ手に縛られた腕が傷んだが、幸い足は縛られていなかった為、勢いをつけて起き上がる。
「…ってぇ…」
制服は半袖の為、袖のない部分…特に肘辺りをコンクリートの床に強く擦ってしまった。きっと、赤くなっているだろう…と憂鬱に思いながらも、まだそれ以外に傷がない事は不幸中の幸いだと考える。
(鞄は…どうしたんだろう…。奴らが持ってるのか?あの場所に置き去りなんてことは…)
そう考えて、そんないかにも足が付きやすくなるような真似はしないだろうな…と、思い直す。
周囲の気配を探りながら、ゆっくりと立ち上がる。
「…っ……」
嗅がされた薬のせいだろうか、立ち上がると頭がクラクラした。
だが、眩暈に耐えてゆっくりと周囲を見渡す。
今この倉庫の中には、あの男は勿論、見張りさえも特には付いていないようだった。
周囲を警戒しながら、ゆっくりと歩いてみる。
その倉庫は、然程大きなものではなかった。何処かの会社が利用している様な倉庫ではあるが、出入り出来るのは、正面の大きなシャッター扉とその横の鉄製の通用口の扉のみ。明かり取りの窓はあるが、高い場所で登ったり出来る様な場所ではなかった。
(鞄もない…か。携帯があればな…)
冬服ならブレザーのポケットに入れているのだが、夏服はYシャツにニットベスト。Yシャツの胸ポケット部分が片方膨らむのはイヤだし格好悪い。だが、スラックスのポケットだと邪魔なのもあり、冬樹は煩わしさから鞄に携帯を入れていたのだ。
(まあ、どのみち…何処に隠し持ってても携帯は取られてただろうけど…)
そんなことを考えながら、冬樹は正面にある扉へと近付いて行った。
後ろ手にノブへと手を掛けてはみるが、やはり動きはしなかった。
(どうしよう、かな…)
シャッター扉を開けることは出来なくても、体当たりでもすれば、大きな音を立てて助けを呼ぶことは出来る。だが、此処がどういう場所なのか分からない以上、逆に相手に目が覚めたことを気付かせてしまうだけなのではないか?とも思う。
(もともと、通りすがりの人がいるような場所じゃないんだったら、単なる自殺行為だよな…。でも、だからと言って、いつまでもこんな所に大人しく閉じ込められているのも…)
冬樹は倉庫内を振り返ると、何か良い策はないかと考える。
未だ外は明るい。
そんなに何時間も経過してはいないのかも知れない。
(そう言えば…。合コン…どうだったんだろ?)
ふと、思い出す。
長瀬は、気の合う子を見つけられたのかな…?
雅耶は…彼女がいるからな…。一緒に楽しんでいるのかな?
楽しそうに盛り上がっている皆を想像して。
冬樹は小さく息を吐くと、遠い目をした。
(…なのに、何でオレは…こんなことになってんだろ…)
今の自分の状況に、思わず泣けてしまいそうだ。
あの男が知りたい情報なんて、自分は何一つ持ってはいないのに。
こんな所へ連れて来られてしまって、いったいどうすればいいというのだろうか。
本来なら、脱出をする為の策を考えなくてはならないのに。
こんな所から、早く抜け出さなくてはならないと思うのに。
どうしても考える気になれなくて、冬樹は扉から少し離れた場所に座り込むと、薄暗い天井を見上げた。
未だ薬が効いているのかも知れなかった。
冬樹はぼんやりと、あの『声の男』の顔を思い返していた。
危険な殺気を放つ、得体の知れない男。
中年…とまではいかない、30代位だろうか?
多分、いわゆる『普通』の職業の人ではないだろう…と、思う。
(やっぱり見たことも会ったこともない奴だった…。多分、前にバイト帰りに後をつけて来たのもアイツだよな…)
そう、考えたところで。
(あ…。そうだ…バイトっ!)
突然大事なことを思い出して、愕然とした。
まだ外は明るいが、流石にバイトに入る時間はもう過ぎているだろう。
(直純先生と仁志さん、…怒ってるかな…?)
今迄頑張って来たのに、こんなことでサボって信用を失うのはあまりにも悲しすぎる。
冬樹は頭をぶんぶん…と横に振ると、気合を入れ直した。
(早くこんな所から抜け出して帰らないとっ!)
だが、その時。
静かだったその倉庫内に、突然ガラガラ…と、大きな音が響き渡った。
同時に、ゆっくりと目の前のシャッター扉が上がって行く。
「……っ…」
冬樹は膝立ちになって構えつつも、その外の光の眩しさに思わず目を細めた。
扉の向こうに立っていたのは、三人の男達だった。
その内の二人が、倉庫内へと入って来る。入口で待っている一人は逆光で顔が良く見えなかったが、近寄って来た二人の内の片方が、あの『声の男』だった。
「目ェ覚めてたのか…」
男はニヤリ…と口元に笑みを浮かべるが、目が笑っていない。
そうして、もう一人の男に目で指示を出すと、その傍に居た若いチンピラ男は冬樹の後ろへと回った。そして、縛られた両腕をキツく掴まれ、押さえつけられる。
「……くっ…」
「…お前がデータを持って行ったんじゃないんだってなァ?」
冬樹は、目の前に立って自分を見下ろしているその男を睨みつけて言った。
「前にも言った…。オレは、そんなもの知らないっ」
「『持って行った』のは、お前じゃないかも知れないが、協力者がいたんじゃねェのか?」
「…っ!?そんなのいる訳ないっ!大体…データって何なんだっ。あの部屋の事だってオレは知らなかったんだっ」
冬樹は「訳が分からない」…というように、首を横に振って言った。
だが、その瞬間。
「嘘を吐くんじゃねェ!」
男は目を光らせ、目の前にしゃがみ込むと冬樹の顎を掴んで無理やり上向かせた。
「お前にしか開けられないあの扉を、お前自身が知らなかったなんてシャレにもならねェんだよっ」
「…オレ…しか…開けられない…?どういう、意味…?」
「とぼけるんじゃねェよ。あの部屋の隠し扉なァ、良く調べたら、お前の静脈認証で開く仕掛けになってたらしいじゃねェか。ここまで調べがついてるのに、まだ言い逃れする気かァ?ええっ?」
顎を無理やり掴まれ、煙草臭い男の顔が近付いて来る。
だが、その嫌悪感よりも。
男が言っている言葉の意味が解らず、冬樹はただただ大きな瞳を見開いていた。
「静脈…認証…?」
「とぼけるなよ。お前のその手をかざさねェと開くハズがねェんだよっ。…ったく、めんどくせェ仕掛け作りやがって」
掴まれている顎に力を込められ、冬樹は痛みに顔を歪ませた。
(そんなの…知らないっ…。そんな…どういうことだ…?)
冬樹は訳が分からず、頭の中は混乱していた。
だが、次の言葉を聞いた瞬間、凍りついた。
「あの後、俺ァお前の親父が隠していた手記を見つけたんだ。それにはしっかり書いてやがったぜ?『長男・冬樹に鍵を託す』ってなァ。ある意味、証拠は揃ってんだ。…いい加減観念するんだなっ」
「……っ!?」
『長男・冬樹に鍵を託す』…?
『長男・冬樹』
(ソレハ オレジャ ナイ…)
それは、オレじゃない…。
オレでは、その扉を開くことなど出来ない。
いや…開くことが出来る人物など、もう存在しないということだ。
『長男・冬樹』は、もういないのだから。
(でも…じゃあ、いったい誰が…?)
考えても考えても、出る筈のない答え。
冬樹は頭が真っ白になった。
固まって大人しくなってしまった冬樹を、事実を認めたと思ったのか、男は掴んでいた手を離すと立ち上がった。そして、ずっと扉近くに立っていたスーツ姿の男を振り返って言った。
「これで、あのパスもコイツを使って認証を解いて、開くことが出来りゃあ、なんも問題ねェんだろっ?」
「『開くことが出来れば』ですけどね…。勝手にこんな派手に行動しておいて、もしも貴方の言うことに間違いがあったとしたら、その時は…。解っていますよね?」
淡々とした様子で答えるその男に「チッ」…と、舌打ちをすると、冬樹を押さえ付けているチンピラ男に声を掛けた。
「おい、アレの準備をするぞ」
『アレの準備をする』
男がそう指示するや否や、後ろにいたチンピラ男はどこからか出した布のような物で、すぐに冬樹の目隠しをしてきた。そして、縛られた腕を掴んで無理やり立たせると、何処かへとゆっくり移動を始める。
(倉庫の外に出るんだな…。見られちゃまずいものでもあるんだろうか…?)
だが逆に、他の者が周囲にいるような環境なら、こんなに目立つ集団はないだろう…とも思う。ガラの悪い男二人に、スーツ姿の真面目そうな男。(顔は見えなかったけど。)そして、目隠しされて後ろ手に拘束されてる高校生…。
(怪しい事、この上ないだろ…)
そう考えると、他に通行人などはやっぱりいない場所なのかも知れない。
頭の端でそんなことを考えながらも、冬樹は今後の展開に不安を覚えた。
何かの鍵を開ける…その為に、多分これから自分は何処かへ連れて行かれる。
だが、それを開くことなど自分には出来ない事を知っている。
結果、ただ『出来なかった』と、諦めてくれるならまだいい。
でも…果たして、それだけで済むだろうか?
(オレはこいつらの顔を見てる。きっと、タダじゃ済まない…だろうな…)
そう考えている間にも、ゆっくりと何処かへ向かって歩き続けていた。