10‐2
そうして、そのまた数日後。
あっという間に終業式の日はやって来た。
朝、冬樹が教室に入ると妙にクラスメイト達がそわそわしていることに気付く。
(あー…今日だったっけ。合コン…)
みんな単純だな…と、思いつつも。
最近では、自分の中での気持ちの変化もあり、何だかそういうのも少し羨ましかったりする冬樹だった。
(今日の合コンで、いったいどれだけのカップルが出来るんだろうな…?)
そう思った時、頭の中を雅耶と彼女の姿が過ぎっていって、胸が少しチクリ…と痛んだ。
「………」
その時、教室の後ろの扉からルンルンの長瀬が入って来た。
「おっはよーッス!!」
大きな声で、全体に挨拶をしている。
(…相変わらず、解りやすいな…)
窓際の席から眺めていたら「冬樹チャン、おはよー♪」…と手を振って来たので、軽く手を上げて返す。長瀬の後ろには雅耶もいて、すぐに目が合ったので、同じように手を上げて挨拶を交わした。
(いよいよ夏本番…か…。今日も暑くなりそうだな…)
今朝、この地方でもついに梅雨開け宣言が出されたらしい。
窓際に照りつける日差しは、真夏のそれそのものだ。
冬樹は、入道雲が浮かぶ青い空を見上げながら遠い目をした。
もうすぐ、また…『あの日』がやって来る。
あれから八度目の夏が、始まったのだ。
放課後になると、1年A組の教室からは十数人の大きな集団がぞろぞろと連なって出て来た。
皆どこか足取りは軽く、妙にウキウキしている。
その集団の先頭には、期待一杯で会話が盛り上がっている長瀬。
そして、最後尾には冬樹と雅耶がいた。
「はーい。皆さん、しっかりついて来てねー♪」
昇降口の外へ出ると、長瀬が誘導するように後方を振り返って手を上げている。すっかりガイドのようだ。
「…ホントに解りやすい…」
冬樹が苦笑を浮かべながら呟くと、雅耶がそれを聞いて笑った。
「…確かに。超嬉しそうだよな、あいつ。会場までの誘導は長瀬に任せとけば大丈夫そうだなー」
「駅前のお店って言ったっけ?…ずっと、この集団で歩いて行くのか?」
「うん。まぁ…そうなるかな…」
「ふーん…」
(本当は途中まで雅耶達と一緒に歩いて行こうと思ってたんだけど…)
妙にテンションの高いこの集団は目立っているので、恥ずかしい気もした。
冬樹は意を決すると、雅耶に切り出した。
「オレ、やっぱ先に帰るなっ。皆と一緒に参加する訳じゃないし」
「え…冬樹?駅まで方向は一緒だろ?」
「うん。でも先行くわ。ごめん、またなっ」
そう言うと、集団の横を抜けて駆け出した。
「おいっ冬樹っ…」
後方で雅耶の声が聞こえたが、振り返って手を振りながらも足は止めなかった。
「あれっ?冬樹チャンっ?」
先頭にいた長瀬も冬樹に気付いて声を掛けるが、冬樹は、
「またなっ。長瀬、ガンバレよ」
そう言って手を振ると、そのまま走って追い抜いて行った。
「またねっ冬樹チャン!休み中、海行こうぜーっ。連絡するーっ」
長瀬が後方で大声を上げた。
(いや、海とか絶対有り得ないからっ!!)
心の中で叫びながらも、冬樹は手を振って別れた。
暫く走って長瀬達が見えなくなる道まで入ると、冬樹はやっと足を止めた。
まだ昼過ぎの真夏の日差しが、容赦なく真上から照りつけていて、少し走っただけでもすっかり汗ばんでしまった。
「…はぁ…」
冬樹は小さく溜息を吐くと、そのままゆっくりと歩き出す。
あの集団の中に一緒にいても、何だか突然…疎外感を感じてしまい、辛くなって思わず逃げてきてしまった。
(でも…しょーがないよな。こればっかりは…)
これで、長瀬達にも彼女が出来たりなんかした日には、もっと疎外感や孤独感を味わうことになるんだろうか…?
「………」
冬樹は日差しの眩しさに目を細めると、遠い空を見上げた。
学校の最寄駅の傍まで来ると、周囲に雅耶の彼女…唯花が通っている星女の制服を着た女の子達が多く目に付いた。
(もしかして…合コンの会場がこの辺り…なんてことは無いよな?)
この周辺にはカフェやレストランが幾つかある。その可能性も低くはない。
うっかり出くわすのは嫌なので、駅前の大きな通りより一本裏の道を敢えて選んで入って行く。裏通りからでも駅の改札口の方へと抜けられる道があるのだ。その通りは表通りよりは人通りが少ないが、特別細い道でも暗い道でも無かった。
だから、冬樹は油断していたのだ。
こんな正午過ぎの真昼間に、何も起こる筈が無い…と。
冬樹が一人歩いている後方から、ゆっくりと車が走ってくる。
その車は冬樹のいる少し前でスッ…と止まると、後部座席のドアがゆっくりと開いた。
中からは、一人の男が降りてくる。
それを目の端に捉えつつも冬樹は特に気に留めず、その横を通り過ぎようとした。
すると、その男が不意に冬樹に一歩近付いた。
「すみません、ちょっとお聞きしたいことが…」
「……っ?!」
冬樹は、その男の声を聞いた途端、ビクッ…と反応して一歩後退した。
(この…声は…)
忘れる筈もない。
以前父の書斎で、暗闇の中すぐ間近で聞いた…あの男の声だった。
冬樹の反応に、男はニヤリと嫌な笑みを浮かべると、
「流石にすぐ気付かれちまったみたいだなァ…」
途端に、殺気を隠すことなく表に出した。
「……っ…」
冬樹は危険を感じ、咄嗟にもと来た道を戻って逃げようとした。
「…あらっ?」
唯花は、見覚えのある少年の後ろ姿に動きを止めた。
(あれって…野崎くん…だよね?)
今日の成蘭高校の男の子達との合コン会場になっているレストランの傍で友人達と集まっていた唯花は、不意に冬樹の姿を見つけた。
(今日の合コン…野崎くんも来るのかな?)
だが、お店のある通りとは一本先の道を入っていってしまう。
もしかしたら…場所を間違えているのかも知れない。
そう思った唯花は冬樹に教えてあげる為、後を追い掛けた。
冬樹の曲がった通りに出て、大きく声を掛けようとしたその時。
(えっ?…な…に…?)
十数メートル先で。
ぐったりとした冬樹が一人の男に抱えられ、横付けされた車の中に連れ込まれる所が見えた。
(いったいどうなってるの…?これって…まさか…。誘拐…?)
冬樹を乗せた黒のワゴン車は、ドアが閉まると同時に発車させると、すぐにその場から走り去って行ってしまった。
(大変…知らせなきゃ…。でも、誰に…?…警察…?でも、まだ誘拐と決まった訳じゃ…)
その瞬間、唯花の脳裏には大好きな長身の彼の姿が浮かんだ。
(…久賀くん!そうだ、久賀くんに相談して…)
すぐにスクールバッグからスマホを取り出し、メールを開く。
雅耶のアドレスを開いた所で、唯花はピタリ…と動きを止めた。
(でも…待って。もしも久賀くんに野崎くんのことを知らせたら。きっと、後を追って行ってしまうんじゃ…?)
それは、予感だった。
(嫌…。嫌よっ。今日は、みんなに久賀くんを紹介するんだもの。ずっと…今日を楽しみにしていたのにっ!)
唯花は、スマホをぎゅっ…と、両手に握り締めた。
「ゆいかーっ?何してんのっ?そろそろ時間だよー?」
後方から友人が呼ぶ声が聞こえる。
「う…うんっ!今行くーっ」
唯花はスマホをバッグに仕舞うと、友人達の元へと戻って行った。
「どうしたの?何かあったの?」
聞いて来る友人に、唯花は「…ううん。何でもないっ」と笑うと。
丁度、通りの向こうから、長瀬を先頭に成蘭高校の制服を着た男子の集団が歩いて来るのが見えた。