10‐1
翌日。
期末テストを明日に控え、放課後の学校内は独特な緊張感に包まれていた。
「あー、もうなるようになれって感じ。提出課題終わらせるだけで精一杯だっつーのー」
教室を出る際に、長瀬がぼやきながら天井を仰いで言った。
「まぁ…課題やりながら覚えろってことなんだろうけどな。確かに今回の量はハンパないよな…」
雅耶も相槌を打ちながら苦笑を浮かべた。
中間、期末等のいわゆる『定期テスト』は、実際のペーパーテストの他に、ノートなどの提出課題が成績にプラスされる方式になっている。その為、テスト自体の成績がどんなに良くても、提出課題が出ていないと内申点などに大きく響いてしまう仕組みとなっているのだ。
成蘭高校では、期末テスト終了後、その内申点をもプラスした順位が校内に貼り出されることになっている。その為、中間テストの時とは違った緊張感が生徒達の中には存在するのだった。
例のごとく、雅耶と長瀬に誘われるままに一緒に教室を出た冬樹は、二人の話に耳を傾けながら、その数歩後ろを歩いていた。
昨夜は、バイトの帰りにあった出来事などを色々考えていて、眠ることが出来なかった。ベッドに横になっていても、妙に目が冴えてしまって眠れなかったので、起き出して課題をやっていたら結局朝になってしまった。
その分、無事に全て課題は終えたのだが…。
(超…寝不足だ。ダメだ…今日は早く寝よう…)
冬樹は欠伸をかみ殺しながら、心の中で思った。
「…で、冬樹チャンは?」
「へ?」
突然振られた話についていけずに、間抜けな声を上げてしまった。
長瀬と雅耶がこちらを振り返って見ている。
「課題だよ。終わったか?って話」
雅耶が補足を入れる。
「あ…ああ、うん。一応終わった」
「終わったーーっ?全部っ!?」
長瀬がオーバーに驚きの声を上げる。
「うん…?一応…」
「えーーっ!冬樹チャン、確か昨日までバイト入ってたんでしょーっ?そんな時間いつあるのよーっ」
そんな長瀬の言い回しに、冬樹は思わず吹き出すと。
「いつって…。勿論、家に帰ってからに決まってるだろ?バイトしてたって、学業と両立出来なくちゃ意味がないからな…」
(もう、伯父さん達にも心配掛けたくないし…)
そう言って「日頃の積み重ねだよ」と、笑った。
「うはーっ!優等生発言っ!!」
「…今頃知ったのか?」
そんな風に長瀬とじゃれ合っている冬樹の様子を。
雅耶は物言いたげに見詰めていた。
階段に差し掛かると、途中で長瀬が同じ部の先輩と偶然一緒になり、会話に花が咲いたのか踊り場で足を止めた。
「ごめん!先に行ってて」
手を合わせて「悪ィ」と言いながらウインクしている長瀬に。
冬樹と雅耶は顔を見合わせると「じゃあな」…と、長瀬を置いて二人で階段を下りて行った。
冬樹は長瀬が抜けたことで少しだけ気が重くなってしまった。
何故なら、雅耶と二人で帰ることになっても、また校門で彼女が待っているだろうと思ったから。
(長瀬がいれば、まだ気が紛れるんだけどな…)
流石にあのイチャイチャを一人で目の当たりにするのは正直キツイ。
(今度は、余裕ぶってかわせる自信…ないかも…)
雅耶にべったりな彼女を思い出して、冬樹はそっと小さく溜息を吐いた。
そんな冬樹の様子を横から見ていた雅耶は、ずっと気に掛かっていた言葉を口にした。
「冬樹、お前さ…。昨夜、あんまり寝てないだろ?」
「えぇっ?」
思わぬ指摘に、冬樹は驚いて足を止めた。
「な…んで…?」
「バレバレだよ。今日一日、ずっと眠そうに欠伸かみ殺してたろ?話し掛けてもボーっとしてるしさ…」
それに何より、妙に目が潤んでいるし。
そう言おうと思った雅耶だったが、その潤んだ瞳でじっ…と見上げられて思わず動揺してしまい、言葉は続かなかった。
「よく…見てるんだな…」
そう言われて、ドキリ…とする。
視線がつい冬樹を追ってしまっている、最近の自分の現状を指摘されたようで恥ずかしくなった。
だが、続いた冬樹の言葉には思わず固まってしまう。
「なんか雅耶、直純先生みたいだな…」
「え…」
「直純先生ってスゴい観察眼って言うか、隠し事出来ない感じがするだろ?」
思わぬところで直純の名前が出てきて、雅耶は複雑な気持ちになる。だが、無邪気に話している冬樹の笑顔につられるように笑うと、その意見に賛同した。
「確かに…。直純先生にかかれば何でもお見通しって感じだもんな」
「だよな?」
そう笑って歩き出した冬樹の横を一緒に歩きながら、雅耶はふと真面目な顔になった。
「でも…じゃあ、俺も直純先生張りに見抜いて見せようか?」
「…えっ?」
再び足を止めた雅耶を冬樹は振り返ると。
思いのほか、真剣な表情をした雅耶と目が合った。
「…雅耶…?」
「冬樹…お前さ、実は…」
冬樹は、ドキッとした。
(雅耶は、何を言うつもりなんだ…?)
その…ほんの数秒の間にも、冬樹の頭の中では様々な言葉が浮かんでは消えていった。その浮かんだ言葉の分だけ、自分には後ろめたいことがある…ということなのだが。
そのまま固まっている冬樹を見詰めていた雅耶の表情がフッと緩む。
「……っ?」
「お前…実は、昨夜徹夜で課題終わらせただろ」
「え…」
「…当たってたか?」
そう言って、雅耶は悪戯っぽい顔をして笑った。
「あ…ああ。うん…、アタリ…」
冬樹は一瞬面食らっていたが、我に返ると苦笑する。
「さっきは長瀬に『日頃の積み重ね』…なんてエラそうなこと言ったけど…。ホントは昨夜終わらせたんだ…。長瀬には内緒な?」
冬樹が人差し指を口に当てて「ナイショ」…と言うと、雅耶は少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「借りにしといてやるな♪」
「うわ…ひどっ…」
そうして二人顔を見合わせると、笑い合った。
本当は、違うことを聞こうと思っていた。
昨夜、冬樹が慌てていた理由。
あんなに必死に走って、本当は何かに怯えていたんじゃないのか?
『実は、誰かに追われていたんじゃないか…?』
それらの不安があるから、眠れなかったんじゃないのか?…と。
冬樹が何かを隠しているのは分かる。
だが、それが何なのか…?
本当に大事な所が全然見抜けていない。
それが何より、もどかしかった。
それを自分から話して欲しいと思うのは傲慢だろうか?
何でも話して欲しい。
相談して欲しいと思うのに。
強く問いただせば口を開くのだろうか?
でも…。
先程の怯えたような瞳。
あんな不安そうな顔をされたら、無理に問い詰めることなど出来なかった。
辛い思いをさせたい訳じゃない。
せめて何かの力になれたらいい、と思うのに。
実際は『必要とされていないんだ』という現実が重くのし掛かってきて。
それが、心に堪た。
冬樹は、ともに笑顔を浮かべながらも。
雅耶が言いたかったのは、本当は別のことなのではないかということには薄々気が付いていた。
『冬樹…お前さ、実は…』
そう言った時の雅耶の瞳からは、本気の色が見えたから。
それでも、聞かないでくれるのは…雅耶の優しさなんだろうけれど…。
数日後。
テストは無事終わり、続々と答案が返却される中、講堂へと続く広い廊下には、各学年の総合点1位から200位までの生徒の名前が貼り出されていた。
成蘭高校は、各学年とも生徒数が400人を超えることから、掲示されるのは約半数の生徒のみということになる。一年生は特に初の掲示とあって、楽しみにしている者、端[はな]から諦めている者、反応はさまざまだった。
朝礼がある日の朝からそれは貼り出され、生徒達は教室へ戻る際に皆足を止めて、群がるように眺めていた。
その中には勿論、冬樹達の姿もあった。
「一年生はコッチだってよーっ」
長瀬を先頭に、雅耶、冬樹も続いて人の合間を抜けて行く。
平均的な高さより飛び抜けている雅耶の頭を目印にして、冬樹は何とか後をついて行った。二人が足を止めている場所までやっとのことで辿り着くと、周辺にはクラスメイト達が沢山集まっていた。
「…大丈夫か?冬樹…」
少し埋もれ気味の冬樹を心配して、雅耶が待っててくれる。
「へーき…」
苦笑を浮かべながらもその隣に並ぶと、掲示されているその順位を見上げた。
(あ…。見つけた…)
冬樹は大きな瞳をまん丸にして、その自分の名前が書かれているのを眺めていた。
「ちょっとちょっとォーーっ!?冬樹チャン凄いじゃないっ!5位とかっ!!有り得ない順位じゃないのっ!!」
変に長瀬が興奮している。
周囲のクラスメイト達も「すげーじゃん!野崎っ!」「やったな」「おめでと!」…などと、声を掛けてくれる。それらの声に、照れながらも「サンキュ…」と返しつつ、その他の名前に目を奔らせていた。
「凄いな…冬樹、やるなぁ…」
雅耶が笑って声を掛けて来た。
「サンキュ。雅耶は?どうだった?」
「俺は…18位だって。俺的には十分、大健闘だよっ」
嬉しそうに笑って言った。
「…ホントだ。やったなっ」
二人で笑い合っている所に、長瀬が口を尖らせて間に入って来た。
「お前らズルいっ!…っていうかーっ冬樹チャン凄すぎだよ。何なのーーっ?」
恨めしそうに睨まれる。
(だって、オレ…成績だけでこの学校入ったんだもん…。これで成績悪かったら何言われるか分かんないって…)
中学ではサボってばかりだった冬樹の内申点は、実は出席日数だけでも最悪な状態だった。
成蘭はそれなりに偏差値も高い学校だが、ある意味勉強に関しても、スポーツに関しても実力主義なところがあることで有名な学校である。その為、内申が悪くても成績は良かった冬樹は、試験で満点を取る位の実力を見せられれば、合格出来ると中学の担任に進められ、受験して何とか合格を果たしたのだった。
勿論それを実現させる為には、多大な努力を必要としたが。
「…そう言う長瀬は何位だったんだよ?」
長瀬に恨みがましくにじり寄られ、苦笑いを浮かべながら困っている冬樹に、助け舟を出すように雅耶が話を振った。
「う…。………188位…」
語尾が小さくなる長瀬に、
「何だ、ちゃんと載ってるんじゃん。半数以上に入ってるんだから全然大丈夫じゃないか」
雅耶が爽やかに笑ってフォローを入れる。
「うー…。まぁね…。まぁ…良いんだよっ。自分的には俺もオッケーだし。何よりこれでやっと待ちに待った夏休みがやって来るんだからさっ♪」
どうやら浮上したようだ。
冬樹は長瀬の復活の早さに、可笑しくなって思わずクスッ…と笑った。
すると…。
「「「……っ!!」」」
長瀬や雅耶を含む周囲の生徒達がビシッ…と、一瞬動きを止めた。
「?」
何故か、皆がこちらを見下ろして固まっている。
心なしか皆、頬が赤い。
「…?…どうした?」
冬樹が不思議そうに首を傾げていると、いち早く我に返った雅耶が、
「い…いや…、何でもないっ」
掌をひらひらさせて笑って言った。
周囲の生徒達も、何故か皆が変な作り笑いを浮かべていた。